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 赤い声


 潔癖と呼ぶに相応しいまでの、心の白さ。
 揺るぎない価値観と己の正義に迷うことなく生きていた純白の魂。
 アナタはとても、強い人だった。
 昔、亡くした友達を救えなかったことを惜しんで、悔やんで、その人の分まで生きようと誓って。
 理不尽なイジメを許さなかったアナタは、孤立するのも構わずにワタシに声をかけてきた。
 ねぇ、ワタシがもしも普通に黒髪を持っていて、疎外されることなくクラスの中で笑っていたのなら、アナタとワタシはただのクラスメイトで終わったのかしら?
 友達と呼んでくれた?


 母親譲りの赤毛が異質だってことは、ワタシにだって、わからなくはなかった。
 だけど、ただそれだけで「違う」と、一線をひかれるなんて思ってもいなかった。
 だから、わからなかったの。何が悪いのかって。
 馴染めないなかで、次第に浮いていくワタシ。声をかけても素通りされて、笑いかけても無視されて。
 存在自体が否定された気がしていた。
 独りがいい、独りが好きなんて、うそぶいて。
 自分を慰めていたけれど、エスカレートしていく迫害に、追い詰められていく自分を自覚できないほど、ワタシは愚鈍ではなかったの。
 何も感知できないほど、鈍くて。悪意なんてこの世にないと、信じていられるほど、お気楽で。そんなワタシならよかった。
 でも、そんな人間なんて、本当にいると思う?
 陰湿な毒も言葉のトゲも、認識できなければ、それは害にはならない。痛みに繋がない。
 気にしないように努めてみたけれど、笑い声が聞こえるたびに、それがワタシに向けられた嘲笑に思えた。
 すべてが怖くなって、泣きたくなって。
 でも、何で泣くのか、わからなかったから、涙なんてでなかった。
 だって、ワタシは何も悪くないでしょう?
 染髪することを駄目だという、古い校則に従順に従ったこの赤い髪を、アナタが「綺麗な髪だ」と言って声をかけてきたとき、ワタシはね、アナタもまたアチラ側の人間だと思っていた。
 優しい言葉をかけてきて、手のひらを返したように、突き放す。
 何も信じられなくなるほどに、手痛い裏切りを知っていたから。
 硬くなったワタシの心を、解きほぐすのは草臥れたでしょう?
 途中で投げ出すことなく、ワタシに付き合ってくれたアナタは、本当に強くて。
 アナタの傍にいられることに、誇りを感じた。アナタがいる世界なら、生きていけると思ったの。
 生きていけるなんて、そんなこと思うこと自体、大げさかしら?
 ……だけど、ワタシには生きることさえ、苦痛だったの。
 アナタの存在に依存するワタシを、アナタは顔色一つ変えることなく、支えてくれた。
 ごめんなさい。重かったでしょう? 
 でも、一人で立てるようになるまで見守ってくれたアナタの優しさが、嬉しかった。
 きっと、世界にはアナタみたいな人が必要だったのに。
 飛び出した子供を庇って、事故死。アナタは子供の運命を肩代わりして、ひっそりと息を引き取った。
 生きようと、誓いを立てていても。目の前で消えようとする命に手を伸ばさずにはいられないアナタの強さが、アナタを殺した。
 
 
 アナタがいなくなった世界は、アナタを亡くしても、変わらずにあり続けた。
 この髪が無くなればとハサミで切ってみたけれど、何も変わらない。
 ……ただ、アナタがいないだけ。
 アナタがいないのに……世界は、ワタシは生きている。
 ねぇ、きっと、神様はアナタの綺麗な魂が欲しかったのね。だから、アナタを連れて行った。
 ワタシが死ねばアナタのいる彼岸に辿り着けるかしら?
 そう思って、剃刀の刃を手首に滑らせてみるけれど、溢れる血はただただ熱く……。
 多分、ワタシが死んだとしてもアナタがいる岸辺には行けないわ。アナタのいるその場所は、神様によって選ばれた魂だけが行き着く、楽園だもの。
 アナタを追いかけたところで、ワタシには入ることすら許されない。
 だって、流れる血はこんなに熱くて、ワタシが生きていることを主張するの。
「剃刀なんかで、手首を切ったって……そう簡単には死なないんだ」
 アナタの声を思い出す。
「そんな柔な刃じゃ、皮膚は傷付けられても、血管なんて絶てない。第一に血が固まって、傷口を塞ぐよ。常に血を洗い流していなきゃ、剃刀程度の傷で人が死ぬことなんて、ありえないのさ」
 苦々しげに呟いたアナタの横顔を、今でも鮮やかに思い出せる。
 だけど、アナタの友達は剃刀で手首を切った。
 そして……死んだ。
「手首を切って自殺するなんて、手間がかかるんだ。身体から致死に至るまで血が流れるのにどれだけの時間が掛かると思う? どれだけ苦しい思いをしなければならないと思う? 死にたくて選んだ自殺方法でリストカットなんて一番、割に合わない。首を吊ったほうがまだ確実。飛び降りた方が手っ取り早い」
 それでも、アナタの友達は手首を切った。柔な剃刀の刃で。
 そして……死んだ。
「……きっと、見つけて欲しかったんだ。助けて欲しかったんだ、あいつは」
 アナタはそう言って、唇を噛んだ。
「その肌に刻んだ心の叫びを、聞いて欲しかったんだ。どうして、こんなことするのかって、問い質して、口にできないことを暴いて欲しかったんだ」
 何も告げずに逝ったその人を思って、アナタは涙を流す。
 ワタシはそんなアナタのためにすら、泣けなかった。
 雨が降っていたら、泣く振りもできたのにね。
 アナタを送る黒い葬列を、ワタシは白い服を着て遠くから眺めたわ。アナタに相応しいのは、黒ではなく純白だと思ったの。
 アナタを亡くして、アナタのいない世界に未来なんていらないと思ったのに。
 まだ、ワタシは生きているの。
 身体から溢れるのは、アナタを想う涙ではなくて、赤い声。
 熱く、痛く、訴えるの。ワタシが生きていることを。
 ねぇ、この赤い声が誰かに届くのなら……。
 どうか、お願い。


 …………ワタシを……助けて。


                                「赤い声 完」

イメージソングは「Raining/Cocco」です。