約束
『私がある日突然、消えたのなら……あなたは悲しむかしら?』
君が遺した言葉を思い出した。
……ねぇ、君は予感していたんだね?
君が、消える日のことを。
好きだと言って、君が口ずさんでいた歌が入ったCDが、独り遺された僕の元に送られてきた。
それはきっと、君の遺書だったと思う。
スピーカーから流れる歌声は、まるで僕の心を見透かすように、言葉を紡いで歌っていた。
悲しまないはずはないと、どこか確信しているようで。
『私がある日突然、消えたのなら……あなたは悲しむかしら?』
あの日、君の言葉の真意を、問い質せなかった僕の後悔を洗い流すように、窓の外から波の音が聴こえてくる。
「海が好きなんですか?」
柔らかな女性客の声が僕を現実に引き戻して、僕はそっとスピーカーの音量を下げた。
「どうして、そう思うの?」
「ここからは海がよく見える。好きじゃないと、こんなところにお店を開こうだなんて思わないんじゃないかしら? 随分、登らされました」
客はアイスティーをそっと口に含んだ。
「でも、綺麗な海でしょう?」
窓の外、小高い丘に建つこの店からは、青い海が見渡せた。太陽を受けて煌めく小波の波紋と深く透明な蒼。
……君が好きだった碧い海。
「はい。とっても、素敵。やっぱり、店長さんも海が好きなんでしょう?」
無邪気に尋ねてくる客に、
「大切な人が……好きだった」
僕が笑って応えると、客は首を傾げた。
「……だった?」
「彼女は海へ還った。骨は海に返してと――それが遺言だった」
「お亡くなりに? あ、ごめんなさい。ワタシったら……ぶしつけなことを」
「いいんだ」
僕はそっと首を振る。
「彼女の遺言は、彼女の誕生日には私のことを想って――と」
歌の歌詞に託された君の遺書を――僕は口にする。
その歌は、私が前触れもなく死んでしまったなら、と始まる。
そこからは遺書。遺された恋人へと宛てたメッセージ。
骨も何もかも燃やして。誰かに求められ、愛されたなら、幸せになって、と。
だけど、誕生日だけは私を想って――と。
音を絞ったスピーカーからは、丁度、その部分が流れてくる。
「じゃあ、今日が……その人のお誕生日?」
頬を傾けた客に、僕は首を横に振った。
「いいや。彼女はね、一つだけ僕との約束を破ったから、僕も一つだけ破らせて貰ったんだ」
君の遺書どおりに――。
君との思い出は一つ残らず焼いた。骨も灰にして、海に還した。
「破った?」
「……ずっと、一緒にいようと約束していたのに……彼女は僕を独り遺して逝った」
「…………」
「酷い裏切りだと思わないかい?」
君の余命が幾ばくもないものだったとして。
君が最後に賭けた手術の危険性から、僕へと相談できなかったとしても。
そして、別れることが君の選んだ優しさだったとしても。
……君は僕との約束を破った。
だから、君の最後の詞(ことば)には従わない。
……誰かに求められても、愛されても。
僕は君を忘れない。
君が好きだったこの海を見つめて。
ただ君だけを――永遠に想う。
「約束 完」
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