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第三十九話から第四十話の間・アメティスト視点

 薔薇のつぼみ


 王宮内の警備が、騎士団の主な仕事。女王の生活空間を守る――それが目下、騎士の肩書を持つオレの役目だ。
 中庭の薔薇園の横を通り過ぎると、
「見回りご苦労様です、アメティスト様」
 庭師が声を掛けてきた。オレは片手を上げてそれに応える。口を開こうとすると、口の内側が痛みを訴えて、オレは唇を結んだ。
 頬に触れると、まだ居残った痛みに顔が歪むのがわかる。
 赤く腫れていた頬はもうだいぶ元に戻ったけれど、痛みは意外にしつこい。
 それにしても、あんなに怒った姉さんは、初めてだった。
 オレが議長――前議長と言うべきか――グルナに手を貸して、ローズ暗殺に一枚噛んでいたと知るや、姉さんは菫色の瞳に涙をためて、振り上げた平手でオレの頬を叩いた。
 一発では終わらず、往復ビンタが――ビシバシバシバシビシバシバチン。奥歯で頬の内側を切った……。
 それから死んで詫びると、姉さんは泣き出した。
 いつも落ち着いた感のある姉さんの取り乱した姿を目にして、オレはゾッとした。
 怖かった。マジで……。
 涙に濡れた瞳は強い決意を秘めていて、ローズが止めなければ姉さんは本気で自殺していたんじゃないだろうか。そう思えた。
 その時になって、オレは初めて、自分が仕出かした過ちの重大さを知った。
 姉さんにとって、ローズがどれだけ大事なのか、わかったつもりでいた。
 だからこそ、ローズから姉さんを取り戻したかったのに……。
 オレは姉さんのことをわかっているつもりで、何一つわかっていなかった。
 ローズを失くせば、姉さん自身もまた、オレの手の届かないところに行くなんて、思いもしなかったんだ。
 ローズが女王に即位して、姉さんは王宮に呼ばれた。侍女として、ローズの傍に仕えるのだと報告してきた姉さんは本当に嬉しそうで、オレは「行くな」と言えなかった。
 女王候補としてローズが孤児院を出て行っても、時折、孤児院に里帰りしていた。その度に、ローズは「私、女王になって、この国を変えるからね」と息巻いていた。
 その言葉に、姉さんを初めとして、孤児院のガキたちが目を輝かせば、オレは舌打ちした。
 何を言っているんだ、この女と思った。
 ローズが女王になることで国が変わるなら、今迄の女王は何でオレたちを救ってくれなかったんだ?
 貴族中心の社会は、オレたちのような親なしには優しくなくて、老朽化した孤児院は隙間風が入ってきて、冬場は快適とは言えなかった。
 貴族の別邸だけあって、広く、部屋数は多いけど、全部の部屋の暖炉に火をくべるには(まき)が足らない。もう少し大人になれば、魔法で(だん)をとることも難しくはなかったけれど、オレやローズを境に、孤児院のガキ達はまだまだ魔法の使い方もわからないチビだった。結局、オレたちは一つの部屋に身を寄せ合って、眠った。
 燃料費は、施設運営用にと議会から予算が下りていたけれど、肝心の予算そのものが少ない。院長はいつも頭を抱えていた。
 実際、オレや姉さんが孤児院に入ったとき、流行病にバタバタと多くの人間が死んだ。子供も多く死んだけれど、その実、オレたちの親世代が一番酷かった。
 大黒柱と呼ばれ、家族を養うために昼夜問わずに働いていた世代だ。
 祖父さん祖母さん、そして子供たちと――背負うものが多すぎて、休むに休めず酷使された身体は、あっという間に病魔に侵された。オレの親父やお袋も、そうして死んだ。今、孤児院に残っているガキたちは皆、似たような境遇だ。
 親を失った子供が大量に施設に入ったことで、孤児院の運営は逼迫(ひっぱく)した。それまで孤児院にいて、ある程度の年齢に達していた者は院を出て、働きに出た。
 残されたのは、七つだった姉さんを初めとして乳飲み子など。それから十年近く、そこで皆と――ある程度の年齢になった者はそれぞれ、仕事に就いたり士官学校に入ったりして巣立って行ったけれど――育った。
 孤児院で過ごした日々は思い返してみても、本当に酷い環境にいたと思う。
 そんな院での生活の中で、ローズはリーダー格だった。頑固と言うか、負けず嫌いと言うか。院の誰かが町のガキたちに苛められれば、即座に駆けつけ正面から戦った。
 あの町の人間も、低賃金で雇われる労働階級にあって、決して偉ぶれる立場にはなかったけれど、親がいるのといないのとでは、やっぱり差があった。
 でも、ローズはこちらを見下してくる視線と正面から向き合い、決して屈しなかった。
 姉さんは、そんなローズに何度も助けられていた。一番年上だったから、目をつけられていたんだろう。ローズに守られて、姉さんはローズに傾倒していった。
 親を亡くしたオレたちを守ってくれる存在なんていやしない。
 院長はオレたちの世話をしてくれたけれど、ローズのように窮地(きゅうち)に駆けつけてくれるわけじゃなかった――まあ、ガキたちの世話や院の運営で手一杯だったんだから、当然だけど。
 そうして、ローズは孤児院のガキたちにとって守護者になった。誰もがローズを慕う中で、オレだけがローズを敵視した。
 姉さんが、ローズがどうしたとか、ローズがああしたとか、そんな話ばかりする。
 口を開けば「ローズ、ローズ」だ。
 オレと話をしているのに、オレの話は聞いてくれない。ハッキリ言って面白くなかった。
 そして、何かを変えようとするローズの考えは、オレには無謀に思えたんだ。
 議会から切り捨てられた町は、未来への希望を失くし、諦観に支配されていた。
 ローズが女王になったところで、何かが変わるとも思えなかった。オレもまた、町の人間と同じように諦めを覚えていた。十五、六になって孤児院を出た奴らを見れば、自分の未来も見えていた。
 何かが変わるとするなら、この国を出るか、もしくは国に認められるか。
 騎士や軍人になれば――軍人になって、一定期間軍務に就けば、士官学校の学費は免除されることもあった――少しはまともな生活ができる。
 騎士にはなれないだろうけれど、軍人として地位を確立すれば、姉さんを養っていける――姉さんは貴族専用料理店の見習いとして働いていたけれど、そこの給料じゃ二人で生活するのは難しかった――そう考えて士官学校に入ったオレの意向など、どこ吹く風で。
 女王になってしまったローズがあっさりと姉さんを攫ってしまった。
 それでも、姉さんが幸せならば、と思った。
 女王即位に伴い「太陽」と「月」の騎士は既に選ばれ、ソレイユ騎士団もリュンヌ騎士団も新たに結成されていた。
 騎士にはなれない。けれど、軍人になれば王宮と繋がりが持てるかも知れない。微かな希望を繋ぎつつ、そうして厳しい訓練に耐えていた時、オレに声を掛けてきた奴がいた。
 ローズを玉座から引きずり下ろすのに手を貸さないか、と。
 最初は冗談だろうと聞き流していたけれど、王宮で姉さんが冷遇されていることを聞かされたら、もうローズを許せなかった。
 オレから姉さんを攫ったくせに、ローズは姉さんを守れていない。
 結局、口ばかりの女にひと泡吹かせたくて、誘われるままに、ローズに対する贈り物を孤児院から調達していた。
 ローズの警戒を解いて、手に取らせる代物。そこにローズを殺そうとする呪いが掛けられたことを知ったのは、ローズの行方が姉さんともども知れなくなってからだ。
 ローズを玉座から引きずり下ろすだけで、殺すなんて思ってもいなかった。
 今さらそんなことを言ったところで、言い訳以外の何ものでもないのだろうけれど。
 ……あいつ、オレを許した。
 赤ん坊に戻ったというローズは、オレのことをすっかり忘れていた。
 オレがローズを軽蔑していたことも、目の敵にしていたことも、忘れていたからといって……。
 ――普通、許さないだろ?
 議長が捕まって、オレ自身も処罰を受けるのを覚悟した。
 ()げ替えることが可能な存在だとしても、国家元首を殺そうとした罪は謀反だ。助かるなんて、思ってもみなかった。
 それなのにローズは、
『怪我をしているみたいなの……手当をして、休ませてあげて』
 と言った。その一言で、オレの処罰は保留にされた。もしまた間違えば、「太陽」の騎士であるブランシュ団長に即刻、クビを言い渡されるだろうけれど。
 ブランシュ団長もヴェール団長も、ローズの一言に何も反論しなかった。ローズの影響力はそれほどなのかと驚かされた。
 オレが怪我をしたのは、別にローズを庇いたくて庇った結果じゃない。
 議長が抵抗できないローズを殴るから、反射的に庇っていたんだ。罪滅ぼしのつもりなんてこれっぽっちもなかった。
 ただ、要らない人間を消すという――議長の思想が迎合できなくて、反発したその結果だった。
 それなのに、ローズはオレを許した。
 ……ローズって、あんな女だったか?
 わかっているつもりで、オレは何一つわかっていなかったのだと思い知らされる。
 オレを罰するために、平手を振りかざした姉さんの、ローズ対する想いの強さも。
 ローズには、オレもまたあいつが守ろうとするガキたちの一人だったことも。
「……結局、オレ一人がガキだったってことか」
 呟けば、口の中に苦いものが広がる。頬の痛みとは違うそれが何なのか、今一つ把握しかねるオレの視界にローズの姿が入ってきた。
 中庭を覗くバルコニーで、騎士団の団長である「太陽」と「月」の、二人の騎士に挟まれて、ローズはお茶をしていた。
 この時間は勉強の休憩に茶をとっていることが多く、ローズの姿を一目拝まんと、中庭警邏(けいら)の仕事を代われと、騎士団の面々に睨まれることもある。ローズは騎士団の皆にもまた、人気だった。女王の「太陽」と「月」の騎士たちとの結婚が、ある意味形式上のことなら、他の誰かが愛人候補に立候補することも可能だ――過去にそういうこともあったらしい。
 というわけで、秘かにローズは狙われていたりする。
 そんなローズ狙いの騎士たちと任務を代わってやっても良いのだが、勝手に代わるには騎士団長の承認がいる。
 まだオレがやらかしたことの記憶が新しい現状、二人の騎士団長と顔を合わすのは色々と胃が痛い……ただでさえ、周りの目が冷たくなっているところだ。
 ぼんやりとローズの姿を見上げると、ローズもオレに気がついたみたいだった。こちらに手を振って来る。
 ――無防備じゃないか?
 オレはローズを殺そうとしたのに。それをローズは知っているはずなのに。
 見上げた先にあるのは、警戒心皆無な親しげな笑顔。
 記憶を失くしているせいか、何だか、昔のローズとは別人のように見える。
 騎士団の皆は、ローズはローズのままだと言うけれど、オレにはまったく違う人間に見えてしょうがない。
 例えるなら、まだ花を咲かせる前の薔薇のつぼみ。
 無防備で、庇護欲(ひごよく)をかき立て、オレが守ってやらなければと思わせる。
 こちらに存在を気づかせるように、ローズの手の振りが大きくなる。応えなければ、ずっと手を振っていそうだな。
 そう思って、腕を持ち上げかけて――二人の騎士の刺すような視線に気がついた。
 オレが結果的にローズを殺そうとしてしまったことを思い出せば、その視線の意味もわかるんだ。
 というか、ローズの一言で簡単に許されるっていうのもどうかと思うし……まったく警戒されないとなると、二人の騎士が本気でローズを守っているのだろうかと疑いたくなるから、こちらに向けられる冷たい視線はローズを守る騎士たちの本気の証だろう。
 今度、ローズに手を出したら許さないぞ――と。
 相当覚悟を決めないと、あの人たちを相手にローズに近づけないだろうな。
 って、あれ。いやいやいやっ……ちょっと待て、オレ。
 ローズには最強の騎士が二人もついている。オレが守ってやらなくても、ローズは大丈夫だ。大体、覚悟って何だ? オレは恩義を感じているからこそ、ローズを守ってやらなければと思うわけで、それは別にこの距離からでもできるはずだ。近づく必然性なんてないだろう?
 何で、近づく必要があるんだ。覚悟なんて、要らないだろう。
 むしろ、薔薇に近づき、群がろうとする覚悟のない虫は駆除されるに違いない。
 二人の騎士団長が他の騎士たちに睨みを利かせているのを知っている現状を思えば、あの冷たい視線は単なる警告というより……もしかして、牽制か?
 っていうか…………二人の騎士にとって、つまり……オレは虫なのか?
 虎視眈々と、ローズの愛人の座を狙っている騎士たちの一人と目されているのかっ?
 そんなのありか? だって、オレにとってローズは命の恩人だけれど、少し前まで天敵と呼べる存在で、どこを間違ったら……そんな結論に辿り着くんだ?
 オレは口の中に広がった苦い感情について、考えるのを放棄し、ローズの視界から消えるべく歩みを速めた。
「――アメティスト? ねぇ、聞こえないのっ?」
 とうとう、こちらの名前を呼びだしたローズに、オレは心の中で悲鳴を上げた。
 ――呼ぶな、ローズ。
 折角、お前が許してくれて延びた命だ。
 駆除されるのは遠慮させてもらうっ!


                          「薔薇のつぼみ 完」

                          ひっそりと、暗黙の了解に続く…


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