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 1,物語の幕開け


 物語の始まりは、いつだって唐突だ。ある日突然、始まっている。
 お母さんのお腹の中から出てきたところから始まる物語なんて、私は知らない。
 まあ、私が知らないだけで、世界中を探したのなら、そんな冒頭から始まる物語もあるかもしれない。
 けれどね、大抵の物語は唐突だ。
 そして、私が巻き込まれた物語も唐突に始まる。
 ううん――もう、始まっている。
 心の準備が整う間もなく、始まっていた。
 始まりのきっかけみたいなことに、心当たりがないわけじゃなく、最初から語ってみても良いけれど。
 今はとにかく、目の前の現状をどうにかしたい。
 だって、うるさくって、頭の整理がつかないのよ。
「間違いない、彼女がローズだよ」
 下手すると滑稽に見えかねない白いタキシードの――正確には、ちょっと形が違うみたいだけど――襟元には金糸銀糸で施された繊細な刺繍(ししゅう)という、高級そうな服の上に、純白のマントを――これまた、マントを留める飾りには燦然(さんぜん)と輝く青い宝石があしらわれている――身につけた金髪碧眼の美男子が、白い手袋に包んだ指で私を指し示しながら言った。
 削いだ毛先が襟足に掛かる少し長めの髪は、太陽の光みたいにキラキラした金色。瞳は夏の空みたいに深く澄んだ青色。年の頃は二十歳くらいかと思う。背は、百八十センチぐらいあるかもしれない。
 私自身は百七十センチで、十六歳にしては背が高い方だと言われるけれど。そんな私より、まだ高い。姿勢良く真っ直ぐに伸ばした背筋が、背を高く見せているのかしら。
 顔立ちは、とにかく美形。私の少ない語彙を駆使して、この金髪碧眼の美男子を表現してみようか。
 顔の形は卵型。勿論、尖った方が下。つまり、顎よ? 逆向きを想像したら、途端に美形像が崩れるから、止めなさいね。
 ――って、誰に語っているのかしら、私。昔からの癖だけど、こんなときにも出るのね。
 と、話を元に戻すわよ。
 頬から顎のラインにかけて、スッと斜めに描かれるライン――要するに、無駄な肉がないってことよ。肌は艶やかな白。陶磁器のように滑らかで、染み一つない。
 長い睫毛に縁取られた青い目は、切れ長。鼻は真っ直ぐで、淡い桜色の唇の形も左右対称。もう何ていうか、崩れた所がない完璧な美貌。
 男相手に「美貌」なんて単語を使いたくはないけれど、思わず使ってしまうような顔立ちだってことよ。
 そうね、一言で言ってしまうなら「童話に出てくる美しい王子様」と言ったところかもしれない。
 ……ああ、その一言ですべてを言い表してしまうわ。
 色々と表現を考えた脳味噌と、言葉を並べ立てた時間を無駄にした気分。
 そんな金髪王子は片手を伸ばしてきて、私の頬を包んだ。
 白い手袋は絹かしら? 布越しの手のひらは想像したよりも意外と、硬い。
 顎を指先で持ち上げられて、私は真正面に金髪王子と向き合う。
「愛しのローズ、君が戻って来るのを僕らは待ちわびていたよ」
 柔らかな声で囁いて、金髪王子は熱を帯びた瞳で私を見つめ、微笑んだ。
 唇の端からキラリと、真珠のような白い歯が光っていると錯覚を起こす、眩しい笑顔。
 息が触れ掛かるくらい近距離に迫った顔に、私は赤くなった。
(――――って、赤くなっている場合じゃないでしょ?)
 遠のきかけた意識に叱咤して、私は理性を取り戻す。
 もうさっきから頭が混乱することばかりで、思考が支離滅裂(しりめつれつ)だ。気を抜けば、明後日の方向へと走って行く。
 落ち着け、私。一つ一つ、混乱を静めて冷静に対処しなさい、と自分に言い聞かせる。
 まずは、ローズって、何? 薔薇ばらのこと?
 私は思わず制服の胸元を手のひらで覆った。左胸にある痣は、薔薇の花の刺青(タトゥ)みたいに見える。
 それは生まれたときからあるもの。
 ローズって、この痣のこと言っているの?
 どうして、痣のことを金髪王子が知っているのよ?
 この痣は、家族と仲のいい女友達しか知らないのよ?
 まさかまさかまさかっ!
 私が気を失っていた間に、服を脱がされたとかっ?
 そう考えたら頭がクラクラしてきた。きっと、青くなったり赤くなったり、血がめまぐるしく循環しているからだろう。
 第一に肝心なことを忘れていたわ。
 何で、こんな洋風の王子様がいるわけ? ここどこよ?
 私は反射的に王子の顔を押しやった。手のひらの向こうで、「ふぎゅ」とカエルが潰れたような声がしたけれど、気にしない。
 それから、辺りを見回す。
 金髪王子様がいてもそう違和感のない洋室が広がっている。部屋が明るいのは、大きく取られた窓から差し込む光の量が多いからだと思う。
 天井にクリスタルが煌いているシャンデリアがぶら下がっているのだけれど、明かりは灯っていなさそう。
 床には高級そうな絨毯(じゅうたん)。その長い毛足に、私は思わず靴を引っ込めた。掃除するのが大変そうなのに私ったら、土足だ。
 とはいえ、金髪王子も土足だけれど。少なくとも、王子の靴は泥に汚れていなさそう。
 私は今日、雨の中を登校したから少し汚れている――。
 ハッと、私は窓を振り返った。
 大きな窓から差し込んでくる光は、外が明るいことを示している。
 今日の天気予報は、雨。大雨洪水警報が出るくらいの、降水確率百パーセント。
 近々接近する台風の影響で、朝から雨が降り続けていた。
 空は暗くて、陰鬱(いんうつ)な気分で登校したのよ。
 それなのに、綺麗に磨かれたガラス窓の向こう側は、金髪王子の目と同じくらい青い空が広がっている。
 いつの間に、雨があがったの?
 私、どれぐらい気を失っていたわけ?
 目が覚めたら、金髪王子と――。
 私は視線を横に動かした。
 さっきから、金髪王子の後ろでジッと私を見ているもう一人の人間がいた。
 黒の詰襟っぽい――どこかの国の軍服っぽい印象を与えてくれる――服を着、こちらも黒のマントを着けた――マント留めの飾りは緑色の宝石だ。二人とも瞳の色に合わせているのかしら――その人は体型、年齢ともに金髪王子と変わらない。
 整った顔立ちも、王子と甲乙つけがたいほどの美形だ。
 やや目元がつり上がり気味で、への字に歪んだ唇が、金髪王子とは反対の表情を作っていた。
 髪の色は漆黒。切れ長の瞳の色は、翡翠(ひすい)。透明でいて深い緑色だ。ちょっと目尻がつり上がり気味で、眼光が鋭い。濃い眉も眉頭から眉尻へと筆で払ったように、斜めに跳ね上がっている。
 胸板の前で両腕を組み、心持ち胸を前に反らして、私を斜め下に見下ろしている。
 全体的に偉そうで、尖った印象を受ける。何だか切りつけられそうな気がして、私は目が離せなくなった。
 金髪王子の柔らかく明るい色彩に比べたら、こっちの人は鋭角的で、暗い―― 一言で言うなら「魔王」みたい。
 あ、別に悪口じゃないわよ。
 金髪王子と反対のイメージを探していたら、何となく――そんなイメージが、私の頭の中に浮かんできて――「魔王」という単語が、その人にピタリとはまった。
 だって、この人の暗い色彩に「王子様」のイメージは、遠い。
「……この女が、ローズ?」
 魔王男は私の視線を前に、眉間に皺を寄せた。そうして、心の底から嫌そうな声を吐きだす。
 瞬間、カチンと来た。
 何よ、その態度。
 そりゃ、私もかなりぶしつけに眺めていたけれど、そっちだって私のことを眺めていたじゃない。
「――あの、ローズ? 星界一の美姫と(うた)われた、ローズだっていうか?」
 魔王男は金髪王子に噛みつくように、言った。
 ……美姫。
 ようするに、容姿について言われているわけね。
 身長が高くって、体型はモデル体型と言われている。顔立ちは――まあ、ちょっと見栄を張って――中の上ぐらいよ。
 町を歩けば、そこそこ声を掛けられるけれど。
 それが何故か、夜のお仕事のスカウトっていうくらい……ちょっと、日本人にしては派手な顔立ち。長く伸ばした茶色の髪が大人っぽく見せているのかもしれない。
 生まれついての明るい茶髪と茶色の瞳が――光の具合によってはピンク色に見えたりする髪と瞳は、先生たちには染色を何度も疑われた。けれど、染めた経験はないわ――遊んでいるように見えるかもしれない。
 だからね、お姫様のイメージからは程遠いとは思うし、この二人の美形っぷりに比べたら、私の顔なんてちょっとそこらのケバイ姉ちゃんみたいな――自分で言っていて悲しくなるのだけれど――感じでしょうよ。
 だからって、見ず知らずの男に文句を言われる筋合いはないと思うの。
「あのね、誰かと間違っているんじゃないの? 私はローズって人じゃないわ」
 気がつけば、声が喉を飛び出していた。




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