40,愛があるなら 「お綺麗ですわ、ローズ様」 うっとりと呟くグリシーヌに、私は鏡越しに苦笑した。 まあ、綺麗に飾り付けて貰ったから――髪も大人っぽく結って、メイクもして貰った。髪には歴代の女王たちの頭上を飾った宝冠と胸元にはダイヤモンドの首飾りと――それなりに見てくれは整っていると思うけど。 いいのかしらね? まだ、星界一の美姫には程遠いんじゃないかしら? だって、胸ないしっ! まったく、ヴェールの奴ってば、衣装合わせのときにまたも言ってくれたのよ。 『胸、足りなくねぇ?』って。 あのセクハラ魔王はっ! 思い出すだけでも、腹が立つ。 アンタは情緒が足りないっての! 胸にしか、感想ないわけ? と、言ってやりたい。 ぷっと、鏡の自分に向かって頬を膨らませていると、ドアをノックする音が響いた。合図をすれば、「太陽」と「月」の二人の騎士がマントの裾をはらりと躍らせながら、 淡いピンク色のドレスで着飾った私を前にして、 「やあ、綺麗だね、ローズ。僕らの麗しき薔薇姫を皆に見せびらかすのもいいけれど、僕だけのものとして部屋に閉じ込めておきたくなるよ」 ブランシュは頬を傾け、真珠色の輝きを持つ歯を唇の端からキラリと煌かせながら、甘ったるいセリフを言ってのけた。 ――恐るべし、金髪王子。 そんな砂を吐くようなセリフは、真顔ではなかなか言えなくってよ? 多分、自分がどれだけ恥ずかしいセリフを言っているのか、わかっていないのでしょうね。 それとも、こちらの世界ではこの程度の世辞は、普通なのかしら? 地球の、少なくとも私の周りにいた男の子たちは、絶対に口が裂けても言えないけどね。 十六年の月日を過ごしてきた地球は、今は私にとっては遠い存在だ。 ここに私がローズとして戻ってきて、こちらではもう一ヵ月ばかりが過ぎていた。 この一ヵ月は本当にあっという間に過ぎ去った。 議長による私の誘拐事件の――表向きは、そういう形になったらしい――事の顛末を知ったグリシーヌは、過去のローズ殺害未遂にアメティストが加担していたことに青くなって、死んで詫びると言い出す始末だった。 ローズ命にも程があるわよ、 それぐらい、私を大事に思ってくれていることが嬉しかったから、余計にアメティストの寂しさを痛感せざるを得なかった私は、グリシーヌ説得に一週間ばかり費やして、姉と弟を和解させた。 何とかグリシーヌも納得してくれて、アメティストはお姉さんからの往複ビンタで頬を腫らすに留まった。 グリシーヌの愛の鞭は――ビシバシバシバシビシバシバチンっと。強烈だった。……多分、アメティストは二度とグリシーヌを怒らせる真似はしないと思う。 というか、怒り狂ったグリシーヌを目の当たりにして、愚行を繰り返す奴は、よほどの怖いもの知らずよ。 お母さんを怒らせなかった過去の私を自分で褒めてあげたいくらいよ。 メイドの女の子は、議長のスパイとして初めから送り込まれていたらしい。ローズが自分の眼鏡に適う女王ではなかった場合、退位に追い込むために――今回は始末するつもりだったわけだけど。 もしかしたら、ローズ以前の女王にも、こういった監視の目があったのかしら? グルナ議長だけではなく、他の貴族主義の人たちにとっても、ローズは疎ましい存在だ。それは多分、今も変わらない。新体制になった議会でも、旧体制の考えを持つ者は残っているのだろうし。 ――と、私の身の回りも慌ただしかったけれど、議会も大騒動だった。 議長の失脚にともない、議会は議長選挙を行なったの。 選挙の結果、ブランシュのお父さんであるテュルコワーズ元副議長が、新しい議長となった。 テュルコワーズ新議長は、第一印象を百八十度覆すような人の好いオジさんだった。 あの人も、貴族の中で苦労しているみたい。 貴族じゃない人と――ブランシュのお母さんと――愛し合ったはいいけれど、それを周りに認めて貰えない現実を変えようとして、若い頃から議員に立候補したらしい。 人が好く、家柄もこの国では結構名を馳せていたから、議会での地位はとんとん拍子に昇って行ったみたいだけれど。 でも、前の議長――グルナが幅を利かせていた前議会では、なかなか意見を通すことができなかったらしい。 またブランシュが騎士候補として頭角を見せ始めていたので、副議長としてはブランシュに議会の目が向くことを恐れて、息子と距離を取らなければならなかった。 そうしないと、自分の思想に反発する相手によって、ブランシュともども、潰されてしまうと予感したようなの。 話を聞くだけで、議会には貴族たちによる選民思想が根付いているのがわかる。 ブランシュが騎士として認められたあかつきには、副議長も大々的に動くべく、それまではグルナ議長が動かないよう、わざと彼に近づいて動きを見張っていたのだという話だった。 ブランシュに何か手を出そうとしたら、さりげなく軌道修正するつもりで、議長に張り付き、おべっかを振りまいていたらしい――息子のために、苦労を厭わないところを見る限り、副議長はブランシュをかなり溺愛しているとわかるわ。 その過程で、仲が悪いところを見せつけていたから、副議長とブランシュが親子だと知っていても――孤児院の子供たちを預かった件にしても、ブランシュが彼のお母さんに預けたのを副議長が横取りしたと、議長は都合よく解釈したみたい――議長は副議長が自分を裏切るとは思っていなかったのだろう。 そう思わせるためには、きっと、議長の前で息子を だから、頭がハゲちゃったのね。涙を誘う話だわ。笑っちゃ駄目よ? ちなみに、横に膨れちゃったのは奥さんの――ブランシュのお母さんね。世間的には夫婦として認められていないんだけど――手料理が美味し過ぎたせいらしい。 もっとも、ブランシュがこっそり教えてくれた話だと、わざと太らせているんだって。 何でもブランシュのお母さんは大量に食料を買い込んで、実は孤児院や慈善系の施設に横流ししているそうなの。副議長もブランシュのお母さんも金銭的支援をしたいところだけど、議会の目が厳しく、お金があるようなら議会から予算が削られてしまうらしい。 そこで苦肉の策として考えたのが、食料支援。旦那様に作って余った料理を処分しているように見せて――施設に回しているとのこと。 そのためには、副議長としても美食家を気取る必要があって、連日大量の食品を消化した――その辺りの豪遊ぶりは、貴族たちの目を副議長の慈善活動から逸らすのに一役買ったらしい。 無駄にお金を使うことが、貴族のステータスだと勘違いしているようね。 とはいえ、実際に料理が美味しくて、必然太ってしまったらしいわ。そうして、ブランシュのお母さん的には、意図的に肉類を多くして太らせたんだって。 何でそんなことをするの? と聞けば、だって、太っているとそんなにモテないだろうから、浮気の心配をしなくて済むからっていう。浮気の心配をしてしまうくらい、お母さんは副議長が好きなんだそうよ。 だからって、太らせるのはどうかと思わなくもないんだけど――私だったら、好きな人にはいつまでもカッコよくいて欲しいもの――愛には色々な形があるのね、奥が深いわ。 それで副議長が大食い体質になったのかと思えば、そうでもなく。晩餐の席で副議長とヴェールが大食い大会をやっていたのは、口を開いてボロが出ると困るから、食べることに専念しているようにと、ブランシュからのお達しがあったとのこと。 ……金髪王子は抜け目がないのね。 そうそう、孤児院の子供たちは、今ブランシュのお母さんのところに預かって貰っているわ。この間、様子を見に行ったら皆、美味しい料理を食べさせて貰っているからか、ふっくらしていた。 副議長みたいになるんじゃないかしらと思わず呟けば、ブランシュが真面目な顔で「母上に注意しておこう」と言った。 抜け目がないと思ったけれど、案外、お母さんには弱いのかしら? ブランシュと副議長の親子関係が実はすごく仲がいいことを知っているのは、ヴェールとディアマン、グリシーヌだけらしい。まあ、アメティストは知らなかっだろうと思っていたけどね。知っていたら、筒抜けでグルナ前議長が罠にかかるはずなかったもの。 勿論、記憶を失くす前の私――呪いを受ける前のローズは知っていたから、話しそびれていたんだって。というか、誰かの口から聞いていると思っていたらしいわ。 まあ、今は新議長になったこともあるし、ブランシュはちゃんと騎士になったし、私も戻って来たから、周りに隠すのは止めにすると、テュルコワーズ新議長は言っていた。 ……それで、ローズを狙う貴族たちを牽制できれば、いいんだけどね。 そうして、新議長の体制が整うまでの間、私は王宮でこの国の歴史や政治、経済などについて勉強し始めて気がつけば、あっと言う間に、一ヵ月が過ぎ去っていたというわけ。 こちらとは時間の流れが違う地球では、もう一年以上の月日が過ぎているのかもしれない。 ……友達も、私のことなんて忘れているかしら? 心の隙間に 「ああ、今のローズを向こうの世界では「 ヴェールが誇らしげに声を張り上げて、私の気分を台無しにしてくれた。こいつ、空気読めなさ過ぎ! それがヴェールらしいって言えば、ヴェールらしいと思うけどね。 ちょっとは、しんみりさせてよっ! 思わず叩き込んだ拳は、やっぱり寸前で受け止められる。 「何するんだっ?」 「何じゃないわよ、馬鹿」 一発ぐらい、殴らせてっ! 言葉では語りきれない煮えたぎる怒りと、傷ついた乙女心を教えてやりたいのっ! 掴みかかろうとする私の肩をブランシュの両手がやんわりと押えて、 「ねぇ、ヴェール。君がローズと会話を弾ませようと、あちらの文化吸収に努力していることは良いことだと思うけど、ちゃんと意味を理解している?」 金髪王子はセクハラ魔王に問いかける。 「意味?」 翡翠の瞳が不思議そうに瞬かれた瞬間、私の怒りは再び沸騰していた。 「意味も理解せずに使ってんじゃないわよっ!」 思わず肩を怒らせる私に、ブランシュが穏やかに微笑みかける。 「ローズ、ヴェールのお馬鹿は今に始まったことじゃないから、許してあげて。それより、予定の時刻が迫っているから急ごう?」 青い瞳が間近に迫って来て、私は我に返る。 これから、女王復帰をアピールするための式典が開かれる。 王城の庭が市民に開放され、私はテラスから皆の前に出て、演説するのだ。 話を持って来られた時は、出来ないと思ったけれど。 私の生きていく場所は、ここだと決めたの。 地球にね、未練がないわけじゃない。少なくとも、私はあそこでは普通の女子高生でいられるわけだから、国を背負う不安とか考えると、帰りたいと思う瞬間もある。 でもね、やっぱり、私の生きる場所は だって私は、ここで大切な人たちを見つけてしまったのよ。 肩を並べて、笑って怒って、一緒に生きていこうと思う大切な人たち。守られるだけじゃなく、守りたいと思うから、私は私に出来ることをしようと決めた。 それがこの国の女王となって、国を変え守っていくことなのだと思えば、怖気づいてなどいられない。 私には、守りたい大切な人たちが一杯いるの。だから、国ごと抱えて守ってみせよう。 「そうね、行かなくちゃ。馬鹿に付き合ってはいられないわっ!」 差し出されたブランシュの手に、自分の手のひらを重ねる。彼の手のひらを取ることを私はもう迷わない。 ドレスの裾を軽く持ち上げ、そうして部屋を出て行きかけたところで、横にいない奴を振り返れば、ポツンと捨てられた犬みたいな目が、こっちを見ていた。 ……あのね。だから、そんな目で私を見ないでよ。何だか、私が悪い奴みたいじゃない? もう、と――呟く私に合わせて、ブランシュがくすりと笑い足を止めた。 「ホラ、さっさとエスコートしなさいよ。アンタは仮にも、私の「月」の騎士なんでしょうがっ!」 空いた方の手を差し出せば、走って来たヴェールが手を取った。 二人の騎士に挟まれて、私はテラスへ歩いて行く途中で口を開いた。 「そういえば、私って一年の間、玉座を空けていたのよね? それって、どういう言い訳が成立しているの? 議会の方には、呪いの一件は伝えられていたんでしょうけど。さすがに、国民にはそれ話してないわよね? 妥当なところで、病欠?」 うーん、病弱な女王という認識が国民に根付いていたら、少し困りものだわ。 貴族の支配政治に、労働階級の人たちはもう世の中に何も期待していない感があった。私はそれを変えようとしているのだから、まずは少しでも今までの女王と何かが違うと思わせて、期待を抱かせるところから始めたい。 だって、俯いたままじゃ世界の変化に気づいてくれないじゃない? まずは、顔を上げて貰うことが必要なんだけど……病弱な女王にどれだけ期待して貰えるかどうか。 「いや、多分皆は君が懐妊していたと思っているんじゃないかな」 「――はっ?」 ブランシュの言葉に目を瞬かせていると、ヴェールがこともなげに続ける。 「普通、空位の理由はそれだし、誰もそれ以上の理由なんて思いつかないだろ」 「――ちょっと、待って! だって、私は子供なんて生んでないわよ?」 「別に女王が産んだ子供なんて、国民も興味ねぇだろ」 ヴェールが何事もないような口調で言った。 確かに、世襲制ではない以上、女王の子供は王子にも姫にもなれやしないんだけど。 かく言う、ヴェール自身が女王の息子なんだけど……。 議会が敷いた悪しき慣習に、私の心は軋む。 生まれてきたことを誰にも祝福して貰えないって、辛くない? 第一に、子供なんて生んでいないのに――それ以前の行為すらないのに――何で、私は子持ちになっているの? いきなり、二人の旦那持ちになったときもびっくりしたというのに。 「言い訳する必要がないのは喜ばしい反面、何も言い訳できないのも困るね」 ブランシュが笑いながら、言った。そうして、頬を傾けながら微笑む。 「何なら、僕が父親だということにしてもいいよ? ついでに、既成事実にしちゃう?」 「――ちょっ! ブランシュはそういう婚姻は反対だったんでしょ?」 「うん。でも、僕たちの間には愛があるからね」 さりげなく、私の気持ちを代弁しちゃわないで。まだ、愛がどういうものか、わかっていないんだから。 まあ、理想はブランシュのお父さんとお母さんみたいな恋愛かしら。身分差を乗り越えて、長い時間を費やし、愛を育てるなんて――素敵よね。 「僕は身も心も、すべて君に捧げるよ。ローズ、君を愛している」 妄想していた私を現実に引き戻すように、ブランシュは熱っぽい声で私の耳元で囁いた。 ちちちちちょっ、そんな一途に愛するみたいなことを言われたら、私の乙女心が陥落しそうじゃない。 「ねぇ、ヴェール、君はどう? 子供の父親になる気はある?」 ブランシュが青い瞳をヴェールに向ければ、翡翠の瞳はあっさりと頷いた。 「ああ、ブランシュの子供なら、俺も父親候補になっていいけど」 こいつは、自分が言っていることの意味、絶対にわかってないわよ。 何よ、ブランシュとのカップリング推奨みたいな態度は。 アンタ、本当にローズが好きなの? それとも、何? 今の私は過去の「ローズ」と比べれば、まだまだだって言うの? くっ、今に見てらっしゃい。美容とダイエットにがんばって、美姫と呼ばれたローズに負けないくらいの美人になってやるんだからっ! 闘志を燃やし、現実逃避に走る私の肩に絹の感触が触れ、 「それで、ローズ。今宵の夜伽の相手はどちらにする? 僕の夜はいつだって、君のために空けてあるよ」 青い瞳が私を覗き込んで、問いかけてくる。 「――えっ?」 私は顔に血が昇るのを実感した。 「あ、俺も暇だけど」 ヴェール、アンタってば、重要なことをついでみたいに言わないのっ! 女の子を落とすつもりなら、ムードを考えなさいよね。 っていうか、二人のことは、き、嫌いじゃないわよ? 嫌いじゃないし、むしろ、好きだと思うけどっ! ――でもでもっ! まだ、早すぎるでしょ? だって、私は十六歳なんだから。そういう大人の、アダルト的な十八禁の展開はまだ早い。だ、大体、愛は時間をかけて、育てていくのが恋愛の醍醐味じゃなくって? というわけで、答えはもう少し待って。 二人の騎士たちの目を前にして、私は心の動揺をひた隠しながら――ブランシュの笑みを見れば、バレバレのような気もするけれど――言う。 「私の相手をしようなんて、百年早いわっ!」 恋愛経験ゼロの私に、逆ハーレムは心臓に悪すぎ、ハードル高すぎるわよ! ……まったく。 私の物語は、まだまだ問題山積みのようだ。 だから、この続きはまたの機会にね。 「薔薇の女王 完」 |