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 死神の花婿


 俺は馬上から近接するフィエブレ帝国兵士の脳天に向け、斧槍(ハルバート)を振り降ろした。
 混戦する中で兜を失っていた男の頭を槍の先端に取り付けた斧が骨を砕いて、叩き割る。
 柄を握る手の内に鈍い振動が伝わって来た。
 それは悲鳴すら上げられずに絶命した男の最後の咆哮(ほうこう)か。
 頭蓋(ずがい)をかち割られた帝国兵は、その場に膝から崩れた。天を仰ぎ祈るように地面に膝をつき、白目を剥いた後、背中から地面へと倒れる。脳漿(のうしょう)と血飛沫が、血みどろの泥濘(でいねい)と化した地に広がる。
 目の端にその姿を焼きつけながら、俺は手首を返し斧槍の柄を後方へと突き出した。後ろから迫ってきた新たな敵兵は眼球に石突きをめり込ませ、脳を潰された。
「――ああ……っ!」
 驚愕とも悲鳴ともつかない声が口から漏れるとともに、斧槍にずしりと帝国兵の体重がかかる。俺は斧槍を落としてしまう寸前、腕を振って遠心力でもって斧槍の柄に刺し貫かれた男の死体を振り払う。
 投げ飛ばされ、地面に叩きつけられた死体から赤く散る飛沫の一つ一つが、男の怨嗟(えんさ)の声に聞こえるのは、俺がそう感じるからか。
 戦場において、情けなど無用であることは重々承知しているが、場は既に勝敗が決していたと言っていい。
 いや、始めから決まっていた。この俺の首を狩れる者など、この世にはいない。
 我が国と隣国フィエブレ帝国との間に戦争が始まってからこちら二年。五万以上の人間の命を潰し、セグレート王国の英雄ともてはやされるに至った俺、シルヴィオ・ヴォルークの敵となったときから、相手の命運は決まっていた。
 だからこそ、言わずにはいられない。
 身に付けた軍服を全身、返り血で赤く染め上げて俺は叫んだ。
「死にたくなかったら、俺に近づくなっ!」
 唇の端が切れるかと思うほど大口を開けて敵を牽制(けんせい)するが、周りを取り囲む敵兵たちは引きはしない。
 たった一人の人間に――それも防具らしい防具をつけずにいる一人の男に、ざっと見積もってもこの場にいる百人が負けるはずがないと思っている。
 常識から考えれば、その通りだろう。どんなに優れた軍人も、単身で百人の相手をできるはずがない。二年前の俺なら、そう考えた。
 だが、今はそんな常識を覆す現実を俺は知っている。
 苦い思いが口の中に広がるなか、唸るように近づいてくる音が耳に届いた。
 ハッと肩越しに振り返れば、矢が宙を割いてこちらに飛んでくるのが目に入る。それが視界に入った瞬間、本当なら俺の目は先程の帝国兵と同じように潰されていただろう。
 しかし、こちらに届く前に矢は何者かによって進路を塞がれた。矢は見えない壁にぶち当たったかのように、跳ね返されて地面に落ちる。
 俺は口の中で小さく舌打ちした。それに応えるように、俺の耳元で小さな笑い声が響く。
「気が散っているな、らしくないぞ。シルヴィオ」
 戦場に相応しくない妖艶な声が俺の背中にまとわりついたかと思うと、背後に黒髪を波打たせた女が俺の肩を抱くようにして現われた。
 横座りの姿勢で俺の背後に現われた女は、身体にぴたりと張り付くような漆黒のドレスを身につけていた。細く絞られたスカートは女の二本の足に巻きついているかのようだ。
 どう考えても、この場に相応しくない華奢な靴がドレスの裾から、白い足首とともに覗いている。
 馬が突然現れた気配に(いなな)きながら歩みを乱し、地面に倒れた敵兵の死体を踏み潰す。巨大な馬体の体重に骨は砕かれ無残な肉塊と化した。
 場に漂う血臭の濃度が増す。既に鼻腔は麻痺気味だ。吐き気すら覚えなくなっている。
 血肉を蹴散らし暴れる馬の手綱を引き絞りながら、俺は低く唸った。
「失せろ、死神」
 苦々しく吐き捨てた俺の声に応える死神の声は楽しげに響いた。
「それが命の恩人に対して――いや、愛しい婚約者に対して口にする言葉とは、なっておらんな、シルヴィオ」
 どこか尊大な口調で語りながら、女は赤い唇に濃い笑みを刻む。
 稀代の彫刻家が雪花石膏で創り上げたかのような美貌に、二つ並んだ金色の瞳が鏡となって、苦い顔の俺を反射させた。
「誰が、愛しい婚約者だっ!」
 俺は馬の腹に拍車を入れ、怒鳴りながら馬首を巡らせた。突き出された敵の槍を肩を反らして避け、斧槍の柄を兵の喉に叩き込んだ。急所を突かれた帝国兵は泡を吹いて倒れる。
 別方向から近づいてくる敵兵に気づいて、俺は頭上で斧槍を旋回させ右手から左手に移動させた後、兵の首筋に刃を叩き込む。跳ね飛ばされた首は宙に舞い、一拍遅れて頭を失った男の身体から血が噴水のように拭きだす。
 朱色の雨が俺の髪を濡らすなかで、赤く染まることのない女の腕が背後から首に周り、俺の頬に手を添える。
 ひたりと、石のように冷たい感触が頬を撫でる。
「お前は口と態度が一致しないな、シルヴィオ。そんなつれないところが可愛いよ。それに口では素っ気なくても、お前は(わらわ)のために、命を狩るのだね」
 寄せた女の唇が「ふふふっ」と、息を吐き出し、俺にとっては耳障りな笑い声が鼓膜を震わせた。
 冗談じゃないと、俺は声を荒げる。
「お前のために狩っているんじゃないっ!」
 怒鳴りながら、新たによって来る敵兵を斧槍でもって薙ぎ払う。
 既に五十人近くの人間を屠った刃は本来なら使いものにはならないが、悲しいかな俺が手にする得物は常に新品同様の切れ味を持って、迫る敵の腹を切り裂く。
 敵兵が身につけている防具など、何の役にも立たない。裂かれた肉から内臓が飛び散り、地面は血の海と称しても過言ではない様相を見せている。
 英雄ともてはやされるシルヴィオ・ヴォルークが、敵兵においては化け物と恐れられている要因は、無尽蔵かと思われるその体力と怪力にあった。
 百人以上の敵と相対しても、息一つ乱れないのは――死神に選ばれたせいだと、俺自身が知るまでにさほどかからなかった。
 二年前に端を発した二国間の戦争は当初、我がセグレート王国には不利だった。陣頭指揮に立っていた先代国王が倒れ、主要な軍上層部の者たちも戦死し、敗戦は必死だった。
 死を覚悟して前線に出たセグレートの若き国王であり、幼馴染みであるレクトゥスを補佐するべく、戦場に出た俺も死を覚悟していた。
 覚悟はしていたものの、土壇場になれば命は惜しいもの。怯えるレクトゥスを逃すべく、囮となって敵を我が身に引きつけ、渓谷へと逃げ込んだ。
 足場の悪さに敵共々苦戦しながら、迫ってくる敵の肩を剣で貫き、横から襲ってくる別の兵士の顔には肘を叩き込む。絶命する敵兵から引き抜いた剣を翻して、飛んできた矢を叩き落とし、後ろから羽交い締めしようとする男には身を屈めて避ける。勢い前のめりになった敵兵の襟首を掴んで、投げ飛ばしたは良いものの足元がよろけた。
 そのときの俺はまだ無敵でも英雄でもなく、息は乱れ、目に流れ込んだ汗に視界が歪んでいた。肩に激痛を感じれば、後ろから槍で突かれていた。
 激痛を堪えながらも、槍を引きぬこうとするが手に力が入らない。
 押される勢いのまま、河原に倒れた。顔面を小石が突く。皮膚が裂けて、熱い血が顔を濡らす。敵兵は俺の背中に馬乗りになり、力を込めれば槍の先端は深く突き刺さり、肩の骨を砕かんばかりだった。
 息も切れ切れに呻き声を上げた俺の前に、漆黒のドレスを身にまとった女が現われた。
 敵兵に追い詰められ、もう死ぬしかないという場面で、女は俺の前に立ち、悠然と微笑んだ。
 女が現われた瞬間、まるでその場が周りから切り離されたように、景色が白くけぶり、女の声と俺の中で脈打つ鼓動以外の音が遠ざかった。
『シルヴィオ』
 女は俺の名前を確認するように口にして、問うた。
『お前はここで無駄死にするつもりか?』
 戦場に女がいる場違いな奇妙さに疑問を抱く余裕など、そのときの俺にはなかった。
『――無駄死になどっ!』
 少なくとも、レクトゥスを助けることはできたはずだ。例え、王国の未来が数日延びただけだとしても、そこに俺は自らの死の意義を見出す。そう信じなければやってられない。
 噛みつく俺に女は妖艶な笑みを深めながら、(わら)う。
『無駄死にだよ。明日には、お前が守ろうとした者は死に逝くだろう』
 予感していても、その言葉は鈍く俺の胸を抉った。覚悟をしていても、揺らぐ決心と同じく、掻き乱された内心の隙をつけ込むように女は続けた。
『妾がお前を救い、お前が守る者を助けてやろう』
 白い手を差し出しながら、女は言った。
『妾の手をとれば、運命を書き変えてやろうよ。但し、お前が妾のものになることが条件だがな』
『何者だ、お前はっ!』
『人に名を語るとき、妾は死神と名乗っている』
 漆黒を身にまとった女は金の目を細めて、俺を睥睨した。
『シルヴィオ、妾のために人を狩れ。天の神は新たな世界を構築するために、十万の魂を欲しておいでだ』
 今思い返せば、死神の手をとったことが間違いだったとわかる。
 セグレート王国がフィエブレ帝国に呑み込まれていれば、戦争は終結していた。
 しかし、死神の加護を得た俺が、無敵の英雄としてセグレートに勝利をもたらしたことが帝国との戦争を長引かせる結果になった。
 そのときは間違った答えを選んだつもりはなかった。
 俺はただ、幼馴染みであるレクトゥスを守りたかっただけだ。騎士としての誓いを果たそうとしただけ。
 だが、死神に選ばれた俺は人ならざる力を得て、セグレート王国の窮地を救い、戦況を逆転させた。
 国境を維持できたことに満足してくれれば良かったところを勢いに乗ったことで、レクトゥスは欲を出した。
 大陸の勢力図を書き換える暴挙に出、俺は前線で敵を潰す役目を負わされた。
 恐らく、死神の手をとったとき、俺の心臓は鼓動を打つことを止め、石となったのだろう。敵兵の刃はこちらの身に傷を一つ付けることもできず、俺は迫りくる敵兵を屠る。
 俺が引けば、味方に犠牲が出る。それならば、俺一人が罪を背負えばいい――そう考え、単身で敵陣に乗り込む。
 俺の魂は既に、死神の手に堕ちているのだ。罪悪感など、覚える必要もないだろう。
 例え、人を殺す度に心が軋んで悲鳴を上げようと、誰も耳を貸してくれやしない。死神に選ばれたときから、俺の声は誰にも届かない。
 守るため――そのために剣をとった俺の誓いなど、もう誰も覚えていまい。心臓だけではなく、脳も心も石に変われば、こんなに苦しむこともなかったのに。
 英雄ともてはやされているが、その言葉を使う者は、俺にとって「英雄」とは所詮、「人殺し」の代名詞でしかないことをわかっていない。
 死神は役目が終われば、俺を自分の婿に迎えるという。命を救って貰ったら恩義などとうに忘れ、ひたすら憎悪しか見せない俺に対して、死神は異様な執着を見せる。
 何の冗談だと吐き捨てた俺に、死神は嗤った。
『十万もの人間の血に染まったお前は、死神である妾にもっとも相応しい夫だろう?』
 ――お前を傷つける者は許さんよ、と。
 まるで俺を本気で欲しているように、俺の手に余る場面になると死神は現われる。
 先程の矢を叩き落としたように、死神は俺の死を拒む。
 死にたくないと心の底で叫んだ祈りは、いつから死にたいと願うようになったのだろう。
 だが、死神はそれを許さない。
 屍を踏み潰して駆ける馬が足元をとられ、転倒する。鐙から弾き飛ばされ落馬した俺は血の海へと肩から落ちる。衝撃に響く鈍い痛みも、俺の息を乱すことはない。
 死神はまるで背中に翼でもあるかのように、軽やかに血色の汚泥に降り立つ。落とした俺の斧槍を軽々と持ち上げながら、死神は囁いた。
「死神に狩られた人の魂など、天の神はお望みではないのだがね。妾の愛しいシルヴィオを守るためだ、仕方あるまい?」
 唇に酷薄な笑みを刻んだ死神は、まるで(むち)を振るうような腕の一振りで、ここぞとばかりに襲ってくる敵兵の首を跳ね飛ばす。
 俺は奥歯を噛んで立ち上がり、腰に()かせていた剣を抜いた。
「手出しは無用だっ! 黙ってみていろ、死神っ!」
 神が十万の魂を欲している。だが、死神が直接手を下した魂は数に入れないというのなら、死神の手に掛かって死んだ者は無駄死に等しい。
 死神が本気になれば、傍観していたのが嘘のように、女は嬉々と人を狩る。
 そんな死神の手から一つでも無駄死にを防ぐには、俺がこの手で命を狩るしかない。
 群がり襲いかかってくる敵兵の肩から腹へと剣を滑らせ、肉を裂く。崩れる敵の影から新たに寄ってくる帝国兵の喉に手をかけて、握り潰す。
 死神から貰った人ならざる怪力は骨を砕き、首を潰す。木偶の坊と化した死体を投げ飛ばし、敵兵を散らしながら、地を蹴る。

 ――死ぬことが許されないのならば、一つでも多くの死を。

 滑稽(こっけい)なる矛盾を抱えて、俺は敵陣に斬り込んだ。


                         「死神の花婿 完」



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