トップへ  本棚へ 目次へ


 君が呼んだ、その先で 〜番外編〜


 私は世界を探る  ― 後編 ―


 そうして私は厨房を観察した。
 石造りの厨房は屋敷の広さに応じて、これまた広い。中央に木製の大きなテーブルがある。奥の壁には、テレビで観たアニメ映画「魔女の宅急便」で見たような大型のオーブンがあった。右側の壁にはポンプがあって、洗い場がある。どうやらこの世界は上下水道は整備されているみたいだ。
 ポンプのハンドルを上下に動かすと、透明な水が流れ出た。食器棚にあったグラスで受けて見れば、濁りもなく水の冷たさからすれば、地下から汲み上げているようだ。
 飲み水としてそのまま飲んでいいものかどうかは、判断付きかねるけれど。この間読んだ歴史本では、十九世紀のロンドンでは雨水を濾過していたものを飲料水として使用していたという。
 また汚物混じりの河の水を汲み上げていたという話だから、それに比べたら、この水は透明だし、貴族などの大きなお屋敷は別のところから導管で飲み水を確保していたというから大丈夫…………と、過信できる要素が見つからない。
 私はこの世界を知らなすぎるのだから、用心するに越したことはないだろう。
 うん、うっかり美形に釣られて異世界に連れてこられた身としては、似たような過ちは繰り返しちゃいけないと思うの。
 火が熾せたら、蒸留できて安全なのだろうけれど。何にしても、火が重要なのだということを頭に刻み込みながら、探索を続ける。
 食器棚には、陶器にガラス製にと、沢山の食器が並んでいる。お屋敷の規模からいえば、銀食器があっても良さそうだけれど、それは貴重品だから、別のところにあるのかもしれない。
 このお屋敷に住んでいるのは美形様と私の二人だけだ。でも、本来はもっと大勢の人が暮らしていたりしたのだろうか。
 それとも、お城から来るという人たちのためのもの?
 その人たちをもてなすのも私の仕事なのだとしたら、眩暈がする。誰ですか、世界を救うよりメイドの仕事が簡単だって思っていたのは!
 ごめんなさい、私です。
 軽い頭痛を覚えながら、厨房を横切る。反対側の壁には、鉄製や銅製の鍋やフライパンが壁に下げられたり、棚に並べられたり。その横に木製のドアがあって開いてみると、そこは食糧貯蔵庫らしい。棚には色々な小瓶や袋が並んでいた。
 恐らくは、調味料だろう。でも瓶のラベルに書かれている文字は当然だけれど、日本語じゃない。
 英語のような見なれたアルファベットでもなければ、楔形文字や象形文字といったものとも違う。もっとも、楔形文字だったら読めるのかと言われたら、読めませんけど。象形文字だったら……読めません。アルファベットだったとしても、ルーン文字もオガム文字も読めません。
 日本語だったら、何とか読めるのだけれど、先に述べたとおり日本語でもない。
 読めない文字だから、もしかしたらオガム文字なのかもしれないし、ルーン文字かもしれないし、ナガーリー文字で書かれたサンスクリット語なのかもしれない。でも、くどいようですが、読めません。
 瓶の横には袋などがある。ちょっと触った感じ、豆とか粉系のようだ。
 ふと思ったんだけど、こちらの食べ物は私たちが暮らしていた世界と同じなのかな?
 疑問に思ってみたけれど、答えは簡単だ。この世界を構成、構築している物質自体が地球と同じなのだから、変わらないだろう。
 石造りのお屋敷があるのだし、木製のテーブルがある。メイド服の生地だって、金属でできているわけじゃない。窓から見た限り、外の植物も多肉茎植物や熱帯植物とも違うので、ヨーロッパ辺りの気候、土地なのではないかと推測する。
 第一に、美形様は超がつくぐらい美形だけど、人の形をしている。目が三つあるわけでも、尻尾が生えているわけでもない。頭のてっぺんに耳が生えているわけでもない。
 ――美形様の耳が猫耳だったら、私としては、かなり萌えたかも知れない……すみません、嘘です。
 猫は猫の姿をしている方が、可愛いと思います。まあ、実際に猫耳の人間に出会ったら、この価値観も揺らぐかもしれませんが、今のところ、猫耳には萌えません。
 不意に、家族で観た海外のテレビドラマを思い出した。宇宙人がやって来て、凄い美形で友好的だと思っていたらそれは表面だけで、実は人の姿の皮を剥いだらトカゲに似た種族だったという……。
 海外ドラマが好きな母のために、父が借りてきたそのSFドラマを観て、妹と二人、悲鳴を上げた記憶があります。
 まさか美形様のあの美貌の裏には、トカゲが…………。
 人間離れした美貌は、実際、作りものだとか?
 ち、違いますよね。そんなことはドラマの中の話です。ええ、異世界に攫われてしまったという非現実的なことが、実際に我が身に起こったとしても!
 話を戻しましょう。
 文明進化の速度が違うだけで、こちらの世界もまた地球と同じ物で作られているのだとすれば、育つ植物も同じだろう。違うものがあるとすれば、気候や土地的なものからくる違いといったところだろう。
 こちらと私が住んでいた世界は実は空間を別にしていているだけで、土台は同じだということはないだろうか。
 美形様に連れられて、何万光年もワープして別の星に連れてこられたと想像するよりは、見えない壁を――穴といった方が、お姉さんがあちらに帰った瞬間を思えば、的確かもしれない――すり抜けて、裏表みたいな違う世界に入り込んでしまったのではないかな。
 異世界? 異次元?
 ファンタジー小説は読むけれど、SF小説はあまり読まないので、何がどう違うのかはさっぱりわからない。
 でもあの猫型ロボットの四次元ポケットの中に色んな道具が収まっているように、違う次元にこの世界があったとしたら、世界はポケットを通じて繋がっていることになるわけで……ええっと、この世界と私の世界もその見えない壁で繋がっていたとしても不思議ではないし、似たような文明文化が育っていてもあり得なくはないような……。
 色々と想像を巡らすけれど、答えは何一つとしてわかりはしない。
 むしろ考えれば考えるほど、混乱してくる。猫型ロボットの四次元ポケットを例に出すのなら、タイムマシンのようなワープも可能ということで、別の星説も捨て去ることはできないような、どっちなのだろう?
 頭を掻き毟りたくなるような衝動の果てに、私はそれまでの思考を放棄して、ため息をつく。
 果たして、この世界についてわかる日がくるのかな、と瓶に張られたラベルの見なれない文字を眺めて、私は途方に暮れた。
 でも、落とした視線の先、棚の下の方に先程の瓶より二回りほど大きな瓶に詰められた果物みたいなものを見つけて、飛び上がった。
 ピクルスだろうか。他にもジャムっぽいものも見える。さらに木箱が奥にあり、そこにはジャガイモやニンジン、玉ねぎなどの野菜の他に林檎があった。
 そのまま食べられるものがあれば、今すぐに飢え死にする問題はとりあえず回避された。時間が稼げれば、前任者たちが残した日記で、火を熾す方法がわかるかもしれない。
 私は安堵から腰が砕けて、へなへなと石の床に座り込んだ。
 途端に、くうううっとお腹の虫が鳴く。緊張と混乱で張り詰めていたときは、気にもならなかったけれど、身体は実に正直です。
 私は木箱に近づいて、林檎を手に取る。鼻を近づけて、ちょっと匂いを嗅ぐ。
 うん、この甘酸っぱい匂いは、間違いなく林檎だ。食べられないものが食糧庫に置いてあるとは考えられないから、これは私の命を繋ぐ林檎だ。
 私は林檎をそっと撫でこすった。そうしながら頭に浮かんだ疑問について考えてみる。
 形は同じだけれど、味が違うということはあり得るだろうか。
 同じ人の形をしていても、美形様は百歳以上を生きる長寿種族だ。もしかしたら、身体の中に流れる血は緑色をしていたり……。
 その先は、想像するのが怖いので、ちょっとストップ。いずれ、知ることになるかもしれないけれど、今はまだ性急に答えを求める案件ではないですよね。
 私は木箱の林檎を四つ五つと腕に抱えた。何もこれを全部、一人で食べようというわけではない。
 美形様の存在を思い出したら、朝ご飯を用意しなければと至った。何しろ、私は美形様の世話係で、美形様はかいがいしく世話をしてあげなければならない兎さんなのだから。
 私一人が生き延びてもしょうがない。あちらに帰してくれる美形様にも生き延びて貰わなければいけない。そのことを常に忘れないようにしよう。
 厨房に戻って、清潔そうな布きんで、林檎の皮をこすって綺麗にする。水で洗うのは、ひとまず先送りにしよう。お腹を壊してしまったら、困るから。
 包丁を探して、林檎を六等分に切り分けた。そうして少し考えて、林檎の皮でウサギを作った。
 炊飯器がなければお米も炊けない女子高生だけど、これくらいはできるのです。
 甘い香りに誘われて、空腹が増長されるけれど、まだまだ。
 お皿に林檎のウサギさんを並べて、フォークを用意する。銀のトレイを見つけたのでそれに載せて、美形様の寝室へと向かった。
 お姉さんが使っていた部屋の近くに美形様の部屋がある。世話をしやすいように、その部屋を選んだのか、初めからそうだったのかはわからない。
 知らないことばかりの現実に、はやく日記を読まなければと思う。私は焦る気持ちを抑えて、美形様の寝室の扉をノックした。
 ……………………。
 待つこと、数分。時計を持っていないから、それくらいというところだけれど、割と待ったと思う。
 まったく応答がなかったので私は恐る恐る、扉を開いた。
 昨晩、美形様を部屋に放り込んで私がドアを閉じた。その後、美形様は鍵を掛けなかったらしい。すんなりと開かれる。
 まあ、予測どおりですよね、この辺は。
 私は「お早うございます」と小声で言って、部屋に入った。言葉が通じないのだから、喋ったところで意味はない。でも、黙って入るのも抵抗がある。
 ゆっくりと天蓋付きの寝台に近づいたら、白い手首がマットレスの上に放り出されていた。掛け布団の上に大の字――という形ではないけれど、横たわった美形様を目の当たりにして、ギョッと目を剥いた。
 何しろ、眠っておらず、あの赤い瞳が見開かれていたのだ。真っ直ぐに天井を見つめて動かない、美形様の瞳に私は思わずトレイを落としそうになる。
 慌てて傍のテーブルにトレイを置き、ベッドの脇に駆け寄り、美形様の顔を覗き込む。銀の髪、優美なラインで描かれた白皙の美貌、赤い瞳は揺れることなく見開かれて……一瞬、お亡くなりになっているのかと思った。
 ――嘘っ! 朝ご飯が遅かったからっ? 私のせいっ?
 胸を強く殴られたように、衝撃で息が苦しくなった。
 美形様を見ると思い出してしまう兎がいる。元気だったのに、ある朝、冷たくなっていたあの兎。
 小学生の頃、冷たくなった亡き骸を前に何もできなかった自分がいた。十七歳になって少しは大人に近づいたはずなのに、あの日のままに私の心臓は凍りつく。
 身体の力が抜けて崩れそうになるところを反射的にガシッと美形様の腕を掴んで、とり縋った。
 腕を引っ張った反動で、美形様の身体が転がる。首が横にぶれ、顔が座り込んだ私の方に向けられ、そして目元を飾る睫毛が微かに揺れた。
 ――えっ? ……今、瞬きをしたっ?
 私はまじまじと美形様を見つめ返す。美形様は私に視線を向けたまま、動かない。
 だけど……そっと、指を伸ばして美形様の肉付きの薄い頬に触れてみる。緊張して冷たくなった私の指先に、仄かに熱がともる。そして滑らかな皮膚の下で、美形様は微かに息を吐く。
 本当に、僅かな呼吸はわざと息を殺しているかのようで、私は騙された気になった。
 ――何でっ! そんな!
 ムッとして、指先で美形様の頬を摘まむ。薄い頬だ。この下に別の顔があるなんて想像できない。第一にこちらの文化レベルで、あのSFドラマのような特殊メイクは不可能だろう。
 指に摘まんだ頬を引っ張ってみた。美形様の口元が引っ張られた関係で僅かに歪む。この状態なら、痛みはそれなりにあるだろう。
 怒られるかもしれないと、摘まんでしまってから我に返ったけれど、美形様の赤い瞳は私を見つめたままだった。
 まるで痛みなんて感じないみたいな、無機質な瞳が私の影を映している。作り物めいた、その綺麗な顔立ちが人形のように見えて、哀しくなる。
 でも、わかった。これが美形様の本質なのだ。
 周りで何が起こっていても。私が困惑して、戸惑っていても。美形様は我関せずで、赤い瞳は全てを見ているはずなのに、何も映さない。感情が動くことも、何もない。
 七年間、美形様を世話して来たお姉さんが居なくなって、違う私が目の前に居ても。
 美形様にとって、昨日も今日も、そして明日も。何も変わらない。私が居ても、居なくても、美形様にはどうでもいいことなんだ。
 酷いと思った。
 こちらに私を――私たちを連れて来たのは美形様なのに、こんなに無関心だなんて。
 何もわからない世界で、不安でしょうがないのに、そんな戸惑いすら気にもかけてくれない。それが七年も続いていたら、恋心があったとしても虚しくなるだろう。
 私の目から涙が滲む。それはお姉さんに対する同情なのか、未来の私自身に対するものなのかはわからなかった。
 次第に大きくなった涙の粒がポロポロと頬を伝ってこぼれた。私は涙を拭うために美形様から手を離す。すると美形様は私に抓られていた頬に手を当て、ちょっとだけさすって見せた。
 白い頬がほんのりと赤く染まっていて、少しだけど爪の痕までついていたりして、瞳も表情も相変わらずだけれど、美形様は痛かったみたいだ。
 何だ、ちゃんと痛みを感じられるんだ。やせ我慢していたのか、それとも反応に困っていたのか。どちらにしても、ちょっとだけ人間らしさが見えて、ホッとした。
「えっと……ごめんなさい」
 私はグイグイと目尻をこすりながら、美形様に謝った。
 赤い瞳は私を見つめ、それから瞬きを一つした。単なる反射運動の一環なのだと思う。でも、美形様が私の謝罪を受け入れてくれたように思えた。
 それは錯覚なのかもしれない。だけど、何もないと考えるよりはずっと気持ちが軽くなった。
 私はテーブルの上のお皿をとって、林檎のウサギを美形様に差し出した。美形様は片腕を支えに上半身を起こして、私を見、それからウサギを見た。
 お皿の上に並んだ六匹の林檎ウサギを暫く眺めた後、美形様は黙って私を見つめた。
 ――これは何だ? と、問われた気がする。
 まあ、そうですね。今までちゃんとしたご飯が用意されていただろうに、朝ご飯が林檎ウサギだなんて、さすがに美形様も想像していなかったことでしょう。
 私も、想像していませんでしたけど!
 フォークで林檎を突き刺し、一匹を美形様の口元に運んだ。言葉で説明したところで、日本語が通じないのだから、行動でわかってもらうしかない。
 ――これが今の私に用意できる、朝食です!
 グイッと林檎ウサギを突き出して、私は口をパクパクと動かした。とりあえず、食べましょう、と訴えてみる。
 美形様の形のいい唇に、林檎ウサギがキスをする。すると美形様は口を開いて、ウサギをサクリと白い歯で噛んだ。
 ――食べてくれた。
 たったそれだけのことなのに、私は心の内側が熱くなるのを感じた。
 問題は山積みで、知らなければならないことはまだまだ沢山ある。だけど、一つだけ希望が見えた。
 言葉が通じなくても、何も感じてなさそうに見えても、それでも美形様は生きているのだということ。この人の中には痛みを感じる部分があり、食べ物を必要とする本能もある。
 それは小さくて、目を凝らさなければ見つけられないような儚く繊細なものだけれど、確実に存在していて、私はこの瞬間、それを見つけた。
 この世界を知っていくように、私は美形様のことを手探りで一つずつ知っていくのだと思う。
 とりあえず、美形様に火の熾し方を教えて欲しいと伝えるには、どうしたらいいだろう?
 私は頭を悩ませつつ、美形様に視線を向ける。
 二口目に大きく口を開いて林檎ウサギを頬張った美形様を見て、私は胸をドキドキさせた。
 この胸の高まりが何を意味するのか、深く考えるのは果たしていつになることやら。
 今はまだ、わかりません。

                              「私は世界を探る 完」



 前へ  目次へ  次へ

ご感想など頂けましたら、幸いです。掲示板・メールまたは→  から。
ポチっと押してくださるだけでも、嬉しいです。


 Copyright(C) 松原冬夜 All Rights Reserved.