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 君が呼んだ、その先で 〜番外編〜


 私は世界を探る  ― 前編 ―

 ――異世界二日目、午前 その二――


 午前中というか、朝方に書いた日記は混乱が生じて、焦り過ぎた気がする。だからもう少し丁寧に、時間を追って書いて行こうと思う。
 そう、備忘録として。
 実際に今朝のことを書いて文字にして見ると、少し冷静さが取り戻せた気がした。
 だから瞬間、瞬間の感情もなるだけ忠実に書き記していきます。
 本来なら日記の文体は過去形になるべきだと思うのだけれど、そこは今の私と、その瞬間の私。同時進行ですすめていくことにしよう。
 文体に拘りすぎると、恐らく一行ごとに悩んでしまうから。その拘りはこの日記には無用の長物だ。お姉さんが言っていたように、記録することが第一の目的だろう。
 それに書いていくことで、混乱している思考が整理されて、この世界について何かが見えてくるかもしれない。
 そうしたことが、これを読むあなたの役に立つかもしれない。立たないかもしれないけれど、その可能性はあえて無視することにしよう。
 万が一、私の決意が――その辺りは、一日目の日記を読んで欲しい――功を奏さなかったとき、私の代わりに呼ばれてしまったあなたが、何とか、この現実を生き延びてくれるように。
 生き延びるというのは少し大袈裟な気がしないでもないけれど、私の前に突き付けられた事実の前には、あながち的外れな表現でもないと確信する。
 何故なら、どんな人間でも生きて行くためにしなければならない最低限のことがあるのだ。だからこそ、美形様は身の回りの世話が必要なので、その為の人材を確保したわけだから。
 いきなり、このページから読む人はいないと思うのだけれど、念のために補足しておけば、美形様というのは私をこの訳のわからない異世界に連れてきた人だ。言葉が通じない相手なので、名前は知らない。
 周りの色に影響される神秘的な銀髪に雪のように白い肌、切れ長の目元の奥には赤い瞳が印象的で作り物めいた端正な顔立ちはそんじょそこらでは滅多にお目にかかれない超絶美形の男の人だ。
 ええ、もう、それは凄い美形です。手招きされて、思わず近づいてしまうくらいに、私の美形センサーが反応しました。
 そうしてうっかり、この世界に連れてこられました。ごめんなさい、私は美形が好きなんです。しかも美形様の赤い目は、昔飼っていた兎を思い出させて、胸がきゅーんと締めつけられてしまうんです。
 恋ですか、これは恋なのでしょうか。違いますよね、まさか。
 だって、そんな。私は元に居た世界に戻らなければならないのに、美形様に恋なんてできるはずがないですから。
 と、話を元に戻して。
 美形様の年齢は外見だと二十歳ぐらいなんだけど、この世界の人は長寿らしく既に百歳は越えているらしいとのことだ。
 そんな美形様に召喚されたと語ったら、壮大なファンタジー小説なりゲームなりを想像してしまうところだろうけれど。残念ながら、現実はそう甘くはない。
 召喚ではなく、誘拐されたと言ったところが正しく。そして、美形様からしてみれば調達と表現したところで過言ではない。
 私たちは代わりが利くモノなのだと思う。だから、美形様にとって私が飢え死にしても、困らないだろう。自分自身が困るのであれば、別の誰かを連れてくればそれで済むことなのだから。
 うん、それに前任者であるお姉さんの話からすれば、やはり長寿の美形様は私たちとは少しばかり構造が違うらしく、数日、食事をとらなくても平気らしい。
 らしい、らしいと続くのは、まだ私は美形様のことをよく知らないからだ。
 だって、この世界に来て、まだ二日目なんだもの。多分、私たちの時間感覚で言えば、二十四時間も経っていないと思うのだけれど。
 もしかしたら、この世界は一日、三十時間あるのかもしれない。あったとしたところで、私にはわかりようがない。時計としても使用していたスマホは今朝がた確認してみたところ見事にバッテリー切れで、当然ながら充電なんてできやしない。
 何となく窓の外が暗くなって、何となく目が覚めて窓の外が明るかったから、朝なのだと思った。
 比較的、私は早起きの方だ。家には家族が拾ってきた猫や犬などがいて、夏場はアスファルトが熱くなるから散歩は早朝にする。そのせいか早寝早起きが習慣づいていたから、寝過ごしたとは思えない。
 よって日記には一応、午前と表記しておくことにした。
 そんなわけで、朝起きた私は部屋に備え付けられたクローゼットを開いた。前任者のお姉さんが使っていたと思われるのは、その部屋のクローゼットに黒いワンピースが何着も下がっていたからだ。
 改めてクローゼットの中身を確認してみれば、袖が丸く膨らんでスカートが膝丈のものもあれば、ロングタイプの質素なもの。襟付きのピンタックが入った白の前ヨークに黒の身頃という、今時のメイドさんタイプのものまで。
 引き出しにはフリルがついたエプロンが胸当てがついたものから、ウエストエプロンと何種類もある。
 黒いワンピースと白いエプロン。私が任されたお仕事が美形様の世話係ということで、メイド衣装と断定づけたのだけれど。実際、こちらの世界のメイドさんも黒いワンピースに白いエプロンにふりふりカチューシャをつけるものなのか、わからない。
 まさか、メイドさんの衣装は異世界共通ということはないだろう。汚れが目立ちにくい黒と、清潔感のある白で選ばれたのかもしれない。
 もしくは、お姉さんがそういう衣装を自分で選んだのかも。
 食料や衣類は、美形様の元に時々訪ねてくるお城の人が補充してくれるという話だったから、絵でも描いてお願いしたのではないだろうか。だとしたら、お姉さんはロリ系も自ら着こなしていたことになるけれど、果たして真相は如何に。
 何でも美形様は、この世界では稀有な魔法士で、それでお城の人たちが交渉しにくるらしい。まあ、異世界から人を連れてくるのがこの世界の人にとって簡単にできることだったら、とっても困るから、美形様が凄いのだろうなというのは、わからなくもない。
 とはいえ、一昼夜過ごした限り、美形様は無気力を絵に描いたような人にしか見えなかったけれど。
 美形なのに、ボーっと椅子に腰かけたままで動かなかった。昨夜だって、お姉さんが用意していたご飯を食べるとき以外、ずっと椅子に座りっぱなしだった。窓の外が暗くなって来たので、寝る時間なんじゃないかと思ってみたものの、まったく動く気配がなし。お姉さんから聞いていたけれど、本当に一ミリも動かなかった。
 だから私は美形様の腕を引っ張って、椅子から引き剥がした。その一瞬、美形様の赤い瞳が私を見つめて、ちょっとドキドキしたことをここにそっと、告白します。
 でも、その後は美形様は私を透かして床を見ているかのように、じーっと動かない。
 折角の美形なのに!
 いや、美形なら動かなくても鑑賞に持ってこいなのかもしれない。彫像作品のように。だけど、生きているのに動かない美形は勿体ないと思うのです。
 あ、ごめんなさい。美形は関係ないですね。
 ――ともかく。
 メイド衣装に関してお姉さんの趣味問題の真偽のほどはわからないけれど。引き出しには下着も用意されていて、お姉さんはサバサバとした性格に見合わない可愛らしい文字で「未使用」というメモを残してくれていた。
 きっと次の後任者のために、新しいものを用意してくれていたのだろう。昨夜の夕食のように。
 本来なら二、三年で後任と変わるところを七年も美形様の面倒を見てきたお姉さんは、結構、お人好しだと思う。口調は優しくはなかったけれど。
 何にしても、衣食住の「衣」の心配だけはしなくて済みそうだと、眠る前にホッと胸を撫で下ろしたのを覚えてる。
 ハッキリ言ってしまえば、そのときまではそれだけが心配だった。
 美形様が暮らすこのお屋敷は一部屋一部屋もしっかりしていて、台風などがきてもびくともしなさそうだったから、「住」の面に関しては一つも心配していなかったし、美形様の寝室を探す際に、あちこちの部屋を覗いたところ、各部屋には個室のトイレがついていた。 
 トイレは天井からぶら下がった鎖を引っ張れば、水が流れる仕組みのようだ。
 もしかして、海外の歴史小説に出てくるようなオマルを――チェンバーポットというのだったかな? ――使うのかと思っていた。
 お風呂は猫足がついたバスタブがあって、どうやらそこに湯を注ぐようだ。これは私の仕事なのだろう。
 この時もまだ私は、事の重大さに気付けていなかった。我ながら、暢気だったと思う。
 ガス湯沸かし器でもあるのではないかと、思い込んでいたのだ。
 時代を感じさせる部屋の造りや――家の主が百歳以上なら、古いのは当然だけれど。家具などデザインが機能美を追求することなく変わっていないとすれば――美形様の洋服などを見れば、予想がついていても良かったはずなのに、気づかなかった。
 ちなみに美形様はゆったりとしたシャツにベストとスラックスという格好で、首元はリボンタイで飾られていた。百年くらい前の時代を舞台にした西洋の映画に出てくるような装いだ。
 これもお姉さんの趣味からだとしたら、お姉さんは歴史ものが好きだったに違いない。
 そう、この世界は私が暮らしていた世界とは文明が違う。少なくとも、照明が電気ではない時点でエネルギー面では、地球に比べてかなり遅れていることになるだろう。魔法がある世界だから、その必要性を感じていないのかもしれない。
 それで気がついたのだけれど、お屋敷全体は不思議と光の量が足りないということはない。両側が壁に遮られた廊下も、また誰もいない部屋も普通に視界が利いた。ランプが灯されているわけではないのに、窓の外が暗くなった夜でも明るかったのは、魔法なのかもしれない。
 ここで、今私が抱えている問題に直面しよう。
 とはいえ、ここまでの日記を読んでくれたなら、既にご承知のことと存じますが。
 ええ、まさか。ご飯を作る問題に対して、生命の危機を感じるなんて思ってもいませんでした。
 厨房を覗いて、レンジや炊飯器がない、当たり前だけど電気ポットも冷蔵庫もないことに、ここまで衝撃を受けるなんて、自分でも馬鹿馬鹿しく思うのだけれど。
 だけど考えてみてください。マッチもライターもない状態で、火を熾すところから始めなければならないんですよ。
 アウトドアや冒険などとは無縁の女子高生が、簡単にできると思ったら、大間違いです!
 断言しちゃう自分も情けないけれど、電化社会で生きてきた女子高生には、ご飯はスイッチを押せば炊飯器が炊き上げてくれるのが当たり前だったんです。
 それを当たり前だと信じて疑わなかった愚かしさが恥ずかしいですけれど。
 でも、ここは恥を忍んで、日記に書き記すことにしておきます。
 もしもあなたがご飯を――というか、パンをサクッと焼き上げたのなら、尊敬します。 だけど、出来ないのでしたら私のことを馬鹿にしないでください。
 もしかして、魔法でご飯が出せるのでは? ――と、思いました。
 まあ、それが出来るなら、美形様はわざわざ人を異世界から呼んだりしない……もしかして、ずぼらなだけで出来ちゃうとか?
 単に意思の疎通が出来ないから、前任者たちは律義にご飯を作っていたりしたわけでは……ないですよね。
 だって、食料がお城から補充されているわけですから。ないですね。
 ああ、一瞬希望が生まれた気がしたけれど、ガックリと落ち込む。まあ、最悪、食材をそのまま食べるという方向で、どうでしょうか。……生で食べられるものがあれば、の話だけれど。
 何にしてもじっとしていたところで、何かが始まるわけではない。誰かが助けに来てくれるわけではないのだから、私が何とかしなくっちゃと決意した次第であります。




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