22,ダンスホール 「では、皆の者、行くぞ」 しんみりしかけた場の雰囲気を盛り上げるかのように、皇太子さまが声を張り上げ女官さんたちを振り返った。 皆の顔が何かしら楽しげに活気づいているのを見て、私とエスクードは顔を見合わせ、首を傾げた。 「アリスも行こうぞ」 歩き出す皇太子さまに手を取られて、私は慌ててドレスの裾を踏まないようスカートを持ちあげて続く。エスクードが隣に並んで、私越しに皇太子さまに問う。 「どこへ向かうのです」 「勿論、ダンスホールに決まっているではないか。アリスにはダンスを覚えて貰わねば、舞踏会に連れて行ったところで、つまらない思いをするだけであろう」 「はあ、しかし……」 でも、どうして皆がついてくるのかわからないから、エスクードの困惑は消えない。 そうしているうちにダンスホールに辿りつけば、このお城に仕えている人たちの半分くらいが集まっていた。 掃除や厨房担当の人たちから、庭師や馬丁、騎士たちと身分など関係なく集められた皆は、私たちの登場にホウッとため息のようなものを吐きだした。 そのため息が、着飾った私に感嘆したものだと知ったのは後のこと。 「――これは?」 エスクードが皇太子さまに問うけれど、皇太子さまはまったく無視して、皆へと声を張り上げた。 「私が許す、この場は思いっきり楽しむがよい。無礼講だ」 その皇太子さまのお言葉を合図に、音楽が流れ出した。出どころを探れば、ダンスホールの端で楽器を演奏する人たちが数名、椅子に座って、音楽を奏でていた。ヴァイオリンやチェロに似た弦楽器が演奏家の手によって優雅な旋律を紡ぎ出す。 室内に響き渡るその穏やかな音色に合わせるように、男性陣が女性たちの手を取って踊り出した。 ダンスホールに旋律とさらさらと衣擦れの音が満ちた。 「ほら、お前もアリスをリードしろ」 皇太子さまが私の手を解放して、エスクードの方に押し出した。 「殿下……?」 「なるだけ本番に近い雰囲気で練習した方がいいだろうと思ってな。実際のところ、仕事を休むと私はこの上なく暇だと知った」 皇太子さま胸の前で腕を組むと、身体を反らした。胸を張ったというべきかしら。でも、堂々と宣言する内容? 「――は?」 私と同じく、エスクードも呆気にとられて、皇太子さまを見つめ返す。 「だからと、お前やアリスがいない部屋で、一人で書類整理をするのはつまらないからな」 お仕事をつまらないと言ってしまってよいのですか? 少し顎を突き出すようにして、皇太子さまはダンスホールを示した。 「いっそのこと、皆で楽しんでしまえと思ったのさ」 「……一番楽しみたいのは、殿下では?」 「 「まったく」 エスクードはしょうがないと言いたげな息を吐いて、私を振り返った。そして、手のひらを私に差し出してくる。 「一曲、お相手頂けますか、姫君」 腰を若干落とした位置から、洗練された仕草でダンスの相手を請う。私は恐る恐るエスクードの手に自らの手を重ねた。 姿勢を正したエスクードは私の腰に手を回して、目で私にステップを踏むタイミングを教えてきた。 昨日、レッスンして貰ったステップを頭の中で思い出し、身体を動かす。 ホールに流れる音楽が耳に入ってくれば、身体は自然と反応していた。エスクードが上手くリードしてくれているからかもしれない。 たまに間違えるとエスクードは笑って、正しいステップを教えてくれる。幸い、彼の足を踏む様な失敗はしないで済んだ。 音楽に合わせて、皆と一緒に踊る。 くるくる、くるくる。皆はパートナーを変えながら、私とエスクードは繋いだ手を離さないまま、一曲、また一曲と踊る。 時が経つにつれて、周りに楽しげな会話が聞こえ始めた。 少し余裕が出てきて周囲を見回せば、皆すごく楽しそうに踊っている。レーナさんも騎士様相手に踊っていた。 皇太子さまも一人の女の子に声を掛けていた。声を掛けられた女の子は驚きにどうしていいのかわからない様子だったけれど、皇太子さまは笑って彼女の手を取り、ダンスに加わった。 一曲が終わって女の子が解放されると、皇太子さまと踊りたい女性が場の興奮に背中を押されるように、パートナーに立候補していた。華やいだ声がダンスホールに響く。 踊りの輪は身分、上下関係に関係なく優雅に回転し、場は活気にあふれていた。ダンスホールの片隅にはテーブルが置かれ、その上には軽食と飲み物が用意されていて、お腹が空いたら、そこから勝手にとって食べて良いらしい。 そのテーブルの上にはサンドイッチやプリンなどが器に盛られているのを見て、私はちょっとくすぐったくなった。 こちらの世界では、サンドイッチみたいな食べ方はまた流行っていなくて、お仕事に忙しくて食事休憩がままならなかったとき、エスクードや皇太子さまに私が作ったのだ。以来、皇太子さまが気に入って、いつの間にか城内でブームになっていた。プリンやアイスクリームも、まだこちらの世界では発明というか、作られていなかったみたいで、私が最初に作ったときは驚かれた。 平和な国で土地も気候が穏やかで、魔法を使って冷蔵しているから食材については長い輸送路も問題なく、海や山の幸もかなり豊富なのだけれど、紅茶に砂糖を入れるといった習慣がないこちらの世界では、調味料の使用法が極端に狭い。 長期保存するために塩漬けしたりする必要もないから、砂糖や塩の流通も高値というわけではない。多分、食材が豊富である分、味付けでバリエーションを広げる必要がないせいなのかもしれない。 お菓子も素朴な焼き菓子やフルーツの砂糖漬けみたいなものが主流なので、私が作るものは物珍しがられた記憶がある。 どこで習ったんだとか、エスクードには聞かれたけれど、私は曖昧に笑って誤魔化してしまった。彼としては、私の素性の手掛かりになると思ったのだろう。 そうした料理やお菓子が今では普通にお城の中で、皆に食べられている。何だか、自分も一緒にその場に馴染んでいるような錯覚に嬉しくなった。 私とエスクードもたまに休憩を入れたけれど、この場が他でもなく私のダンスレッスンの場であることを思い出せば、直ぐにまた踊り出していた。 実際、踊りの練習が嫌になるということはなかった。皆も飽きることなく、踊り続けている。 レーナさんもちゃっかり皇太子さまのパートナーに立候補していた。やっぱり、女の子にとって皇子様は憧れの存在に違いない。 皇太子さまと踊るレーナさんの頬が薔薇色に染まっているのは、興奮しているからだろう。 私は自然と微笑んでいた。そんな私の耳元にエスクードの声が触れる。 「――アリス」 吐息が熱く感じられて、視線を向けると彼は真っ直ぐに私を見つめた。彼の指先が私の背筋をゆっくりとなぞる。 「余所見をしないで、俺だけを見て」 ダンスの姿勢を注意していたのかもしれないけれど、ちょっとだけドキリとした。 皇帝陛下や貴族たちが集まる舞踏会が、ぶっつけ本番だったら、緊張して身体が棒になっていたのではないだろうかと思う。 でも今は、身体にまとわりつく重たいドレスも苦にならないほど、気持ちが高揚している。楽しい。凄く楽しい。 こんな気持ちはいつぶりだろう? 小学校の頃の遠足? 両親と一緒に出かけた、遊園地? 懐かしい思い出は今までなら痛みを伴っていたけれど、今日は不思議と胸の奥が温かかった。 私がエスクードに笑いかければ、彼も優しく笑いかけてくれた。その笑顔がまた嬉しかった。喜ぶように心臓が跳ね、頬が熱を持つ。きっと今の私の頬も、興奮に薔薇色に染まっているに違いない。 そのことで、エスクードの目に私が少しでも綺麗に映っていたら、レーナさんたちの努力も報われるかしら。 何曲、踊り続けたかわからない。疲れなど一つも感じなかったけれど、気がつけば、窓の外は茜色の夕焼けに染まっていた。 「今日はここまでにするか」 皇太子さまのお言葉に、皆は夢から醒めたような顔をした。 手を取り合ったパートナーと顔を見合わせ、それから名残惜しそうに笑い合う。 予言してもいい。きっと、この中で何組かのカップルが近々誕生するだろう。 私がそっとエスクードを見上げると、彼は小さく微笑んで私の手を離した。指が離れる一瞬、強く握られた気がする。 そうして、エスクードの手のひらの温もりが自分の指先から消えていくのが、何だか寂しいと思った。 大事な何かかが失われていくようで、両親の事故の知らせを聞いた瞬間のことを思い出した。 「また明日な」 エスクードがそう手振りで言ってくれなかったら、私は泣きだしていたかもしれない。 私は笑顔で「うん」と、大きく頷いた。 明日に繋がる約束がどうしようもなく、嬉しかったの。 |