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 35,双子


 魔法で閉じられたドアを前にエスクードは腰に()かせた剣を鞘から抜いた。
 ドアに剣先を向けて一閃させると、扉は軽く押しただけで、向こう側へと大きく開いた。
「術が切られたことは、エスパーダも気づくはずだが……動く気配がないな」
 エスクードは剣を鞘に仕舞いながら、小さく呟いた。
「眠っているのか? まあ、いい。慎重に行こう、アリス」
 差し出された手のひらに手を重ねて、歩き出す。
 部屋を出ると、暗い色合いの絨毯(じゅうたん)が廊下に敷かれていた。廊下には等間隔に木製の扉が並び、突き当たりに階下へ降りる階段があった。
 外向きの窓辺は全て部屋で塞がれているから、廊下は暗い。所々、壁に受け皿が据えられ蝋燭(ろうそく)が灯されているけれど室内の明るさからすれば、夜に逆戻りしたかのよう。
 階段はさらに影が濃く落ちて、奈落へと沈んで行くかのようだった。冷たい手すりに指を這わせながら、階下へ降りる。
「……寂しいな」
 エスクードが慎重に足を運び、私を導きながら呟いた。
 私はうんと、唇を微かに震わせて頷いた。
 アリスエールのために華やかに整えられた部屋から見れば、違う世界を覗き込んだような落差があった。
 この屋敷内に今は人の気配は感じられない。最低限の灯りはエスパーダが自分のためだけに(とも)したものなんだろう。
 あの部屋の手入れ具合を見れば、掃除などをしてくれる人がいるのは間違いない。けれど、それは通いの誰かで、この屋敷内に常にいるというわけではないかも。
 だとすれば、ざっと見た限りの屋敷の規模からして、空虚な印象が拭えない。
 こんな大きな屋敷の中に、エスパーダは一人きりでいたの? 雇った人がいたとして、まともにコミュニケーションがとれていると想像するのは難しい。エスパーダの偏屈さに雇われた人間は、仕事だと割り切って自分の役目だけをこなしていたのではないか。
 誰もいない空白にエスパーダは寂しさを募らせ、皇太子さまを恨みながら、いつかあの部屋に冥界から連れ戻したアリスエールを迎えることだけを目的として、日々を過ごしていたの? 
 私も自分の中にあった寂しさを知らないままでいたら、いつかこんな風に暗闇に一人でいることになったかも知れない。そんな考えがチラリと頭をよぎった。
 慣れたつもりでいて、一人で生きることを自分で選んでつもりだったけれど、私の内側に根付いていた寂しさ。
 それが芽を吹き、大きく成長したとき、私は自分の両親を奪った人のことを、私の孤独を癒してくれなかった人たちのことを、責めて逆恨みするようになっていたのではないだろうか。
 世の中には一人で生きていける人もいる。でも、私の中に同じような強さがあるのだろうか?
 闇が身体の熱を奪って行くようだった。
 息苦しさは闇の深さか、エスパーダの孤独か。共鳴する思考が闇に落ちて行きそうな気がして震える。
 だけど、エスクードと繋いだ手のひらがギュッと私の指を握り込んで、震えを止めてくれた。彼の温もりが私を繋ぎとめてくれているようで、ホッと安堵した。
 そして、この温もりを知ってしまった自分は、やっぱりエスパーダと同じで一人では生きられない。
 一人は寂しい……。寂しいよ。そうでしょ、エスパーダ。
 だから、あなたはアリスエールを求めた。でも、彼女はもういないから……あなたを心配する人のところに帰ろうよ。

『この馬鹿っ! これ以上罪を重ねて、お前の首をさらに絞めるんじゃないっ!』

 宮殿の広場でエスクードはそう叫んだ。エスパーダがあれ以上の罪を重ねれば、罰は重くなる。私はこの国の法は知らないけれど、王宮で、皇帝陛下の安全を脅かすことを仕出かしたそれだけでも、エスパーダの命を脅かすだろう。皇太子さまを傷つけていたら、間違いなく極刑は免れないのではないだろうか。
 あの一言は、間違いなくエスパーダの身を案じての発言だ。
 ――ここには、あなたを心配する人がいるよ。
 私は心の中で、エスパーダに語りかけていた。
 二階か三階分の階段を下りて廊下を少し歩けば、三階相当の吹き抜けホールに出た。広さはお城のダンスホールくらいあるだろうか。色違いの石で模様を描く床に、崖とは反対側に面しているらしい側面はガラス張りで、二階の位置に廻廊が渡っている。
 暗がりに慣れた目にガラス張りの向こうから差し込んでくる朝焼けの光は眩し過ぎた。
 思わず塞ぐ目蓋の向こう、白い残光の中に人影を見た気がした。
 今のはエスパーダ?
 目を開こうとしたとき、耳に破壊音が響いた。床に陶器のようなものを叩きつける音。布を引き裂くような音。重たい何かを投げつけ、硬い石床に跳ね返される音。合間に交じる荒い息づかい。
 まだ完全に視界を取り戻せていない私の肩を大きな手が掴んで、エスクードは私を後方に下がらせた。
 瞳がようやく眩しさに慣れると、目の前にはエスクードの背中がある。私が少し身体をずらしてホールを覗けば、エスパーダが壁際に飾られていた石膏の彫像を、魔法を放ったと思われる腕の一振りで砕いていた。
 壁に叩きつけられた彫像は細かく粉砕され、白塗りの壁には蜘蛛(くも)の巣のような亀裂が走る。壁際に据えられた長椅子の前に移動すると、エスパーダは怒り任せに蹴り上げ、魔法で炎を出現させ、灰と変えた。
 抑えようのない怒りで手近にあるものを破壊しているエスパーダの衝動に、私は戦慄した。
 怒りは勿論、アリスエールが手に入らなかったことへの――私が偽物だった事実に対してだろう。それらの怒りが私自身に向いていても、不思議ではなかったことを思い出せば、背筋が震えてしまってもしょうがないだろう。
 それでも、エスパーダはアリスエールと瓜二つの私を傷つけなかった。
 ……アリスエールを求めているのなら、まだ大丈夫なのではないかと思った。
 何もかもを破壊し否定する、引き返せないラインをエスパーダは超えられない。
 執着があるから。一人が寂しいから。
 自暴自棄になって、自分すら傷つけて破壊限りを尽くすことで、退路を絶って取り返しがつかなくなる手前だ。
 でも、まだ――エスパーダは怒りを持て余していても、絶望という一線を越えてはいない。間に合うという確信が、私の中に根付いた。
「――エスパーダっ!」
 エスクードが、お腹の底から引き出すような声を吐きだして叫んだ。石床に彼の声が反響しホールに満ちた。
「――兄貴っ? なっ! どうして……」
 エスパーダはエスクードの姿を確認すると呆気にとられたような顔をして、一歩後退した。
 この場に留まるよう、後ろ手に私を制して、エスクードは距離を詰めるように一歩踏み出した。
 エスパーダは身体を反転させて逃げようとした。その背中にエスクードの恫喝が飛ぶ。
「いい加減にしろ、お前がどこへ逃げても、今度は逃がさないぞっ!」
 エスクードの剣幕に圧されたように、エスパーダは足を止めてこちらを振り返る。
 顔を引きつらせながらも、余裕を見せるように唇の端を持ち上げた。
「何言ってるんだ、兄貴にオレを追うことなんてできないさっ! この一年、オレを見つけられなかった癖に。ちょっと今回は見つけられたからって、調子に乗るなよ?」
「…………」
 エスクードは静かに睨み返した。エスパーダは重たい沈黙から逃れように、口を開く。蒼い瞳が私を見つけて、指差す。
「どうせ、その女に目印をつけていたんだろ? やっぱり偽物だったんだなっ! この場所を突き止めるために、アリィのふりをして、わざと攫わせたのかっ!」
 またエスパーダは勝手な言い分で責任を転嫁していた。
 私をここに攫ってきたのは、他でもないエスパーダなのに。
「…………」
 さらに数歩、エスクードが距離を縮めたところで、弾かれるようにエスパーダは叫んだ。
「近づくなっ!」
 その声に呼応するように、風が渦巻く。エスパーダによって破壊された陶器の破片が持ち上がり、それは礫となってエスクードを襲う。
「エスクードっ!」
 危ないと悲鳴を上げる私の前で、エスクードは剣を抜き払った。そこに生じた剣圧が破片の勢いを殺す。一筋も傷つくことなく、彼は大股で静かに歩みを進める。
「…………」
「近づくなっ! 近づくんじゃない!」
 悲鳴のように叫び、数歩後退しながら、エスパーダは腕をふるった。
 床から黒い影が立ちあがり、それは五体の人型となってエスクードを取り囲む。一体の影が腕を持ち上げ、拳をエスクードに叩きこもうとする。
 エスクードは一端、それを剣で受け止めようとしたようだった。けれど、床を靴底で蹴って後退する。唸る拳は石床に叩きつけられ、屋敷全体が揺れるような振動が私の足元にも伝わって来た。
 私は思わず、座り込む。
 影だと思ったものは、想像以上の質量を持っていた。これはファンタジー映画に出てくるゴーレムみたいなもの?
 エスクードも着地した際、揺れでバランスを崩したのか、床に片膝をついた姿勢でエスパーダを睨み上げた。
 その鋭い視線の前に、エスパーダは声を上擦らせながら言った。彼の声に反応するように、ゴーレムが動く。影から生まれたものだからか、動きはゆらりと重さを感じさせない。それが先程の重たげな一撃とアンバランスで、油断が生まれそうで怖い。
「近づくなっ! 今度こそ、本気で殺すぞっ!」
 追い詰められた獣のように殺気を放ちながら、エスパーダは吼えた。


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