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 11,籠の鳥


 ――ようこそ、お出でくださいました。

 城門から暫く、雪の広場を抜けた先――恐らく、雪の下には季節になれば花が咲き乱れる華麗な庭園があるのだろう――大陸内でも繊細(せんさい)かつ優雅な意匠を施した建築の、壮麗さが評判であったアヴィーネ宮殿がそびえていた。
 大扉をくぐって内部へ入れば、色とりどりの花模様を描いた天井。それを緩やかな曲線を描き支える柱。柱に施された優美な細工は花や(つた)を思わせる。壁の色は柔らかな日の光に似て、暖かな色彩は白銀色の凍えた外界を一瞬、忘れさせた。
 帝国の建築物は重厚的で、直線的なラインが多かったから、視界に入って来る優麗さに、フィオレンティーナは自分が置かれている立場を忘れて魅了されそうになる。
 留まりかけた足取りに、ディートハルトに腕を掴まれた。引っ張られるように連れて行かれたホールには、待ち構えていたように――城門を抜けた際に連絡が行ったのだろう――大勢の人間が雁首を揃えていた。
 その中には苦虫を噛み潰したような表情のアルベルトがいた。置き去りにされ、全速力で追いかけては、いつの間にか、こちらを追い越してしまったらしい。
 他意があったのか否か、わからないが、ディートハルトは途中、追跡をまくように細い道を選んでいた。
 護送隊の責任者であったアルベルトが、フィオレンティーナを連れずに王宮へ辿り着いた事情を考えれば、どのような叱責を受けたのか、彼の表情を見ただけで想像するに容易い。
 そして、アルベルトの存在が大勢のなかで目立ったのは、他の者たちの表情が仮面のように無機質だったからだ。
 その面は、初対面で見せたディートハルトやアルベルトに負けず劣らずの冷ややかさだった。
 私は招かざる者だ――と、フィオレンティーナは自覚する。
 彼らの冷ややかさが伝播(でんぱ)して胃に凍み込んで来るところへ、一人の青年が前に出てきた。
「ようこそ、お出でくださいました」
 と、満面の笑みを浮かべ、歓迎の意をあらわにする青年に、フィオレンティーナは驚いた。
 後ろ盾を失くした敗戦国の皇女に対して、戦勝国の人間が()びへつらう必要はないだろう。
 敗戦国の女の運命は、男たちの(なぐさ)めもの。男なら労働力として使役される。そうして、体力の限界まで使われては捨てられ、殺される。
 略奪の果てに家は焼かれ、無力な子供たちは暴力の犠牲になる。よしんば生き残ったとしても、乞食も同然の生活を強いられる。
 戦争の悲惨を語ってくれたフィオレンティーナの父や兄は、抑止力として軍備を整え、軍を強大にしたが、決して争うことはなかった。
 しかし、どんなに鍛え上げても、実際のところカナーリオ帝国はシュヴァーン王国に負けてしまった。
 フィオレンティーナは敗戦国の姫君。勝者(ディートハルト)へのささやかなる献上品。
 ディートハルトの妃に迎えられるとしても――妃と言うが、所詮は夜伽の相手だろう。彼女の席が正室であるのか、側室であるかわからないが、それ以外の役割など端から求められていないに違いない――彼女をモノのように扱ったアルベルトの態度を思い出し、また眼前に立ち並ぶ者たちの冷たい目を見れば、フィオレンティーナを歓迎する者など、シュヴァーン王国の宮廷にはいないと思っていた。
 それなのに目の前の青年は――二十代後半か。ディートハルトよりいくつか年上に見える――にこやかに笑い、手を差し出してきた。
 目の前の手のひらに戸惑うフィオレンティーナに、ディートハルトが一歩前に出た。
「湯の用意をしろ。この女を清め、着替えさせて、俺の部屋に通せ」
 青年の後ろに並んでいた侍女たちに目を向け告げると、さっさと歩み去って行く。
 この数日の強行軍など、まるっきり堪えていないような足取りだ。数人の侍女が彼を追いかけ、外套を受け取る。
 アルベルトもまた大股にディートハルトに近づき、何か告げていた。きっと、置き去りにされた文句を言っているのだろう。
 その光景を目で追いながら、フィオレンティーナは肩に圧し掛かる重たい疲労を感じた。
 途中の町で数度休憩を取ったものの、常時、馬の上で揺れていたフィオレンティーナは石の床の上に立っても、まだ地面が揺れているような気がしてやまない。
 帝都からユリウスがいる辺境のエスターテ城へ通うことで、馬車での旅には慣れたつもりでいたが、この度の道程は精神的に追い詰められていたこともあり、身体の方も悲鳴を上げていた。
 膝が崩れそうになるのをフィオレンティーナは矜持(きょうじ)と理性で支えた。
 背筋を伸ばして、青年と向き合う。目が合えば、青年の方から名乗り出た。
「お初にお目に掛ります、フィオレンティーナ皇女殿下。わたくしはフェリクス・グレーシェル。ディートハルト陛下にお仕えする者です」
「――グレーシェル……」
 その名前は軟禁生活のときに数回聞いた。
 フィオレンティーナは記憶から引っ張り出す。
 ……確か、シュヴァーン王国の新しい宰相。ディートハルトの片腕だ。
 フェリクスと名乗る薄い茶色の髪に琥珀色の瞳の青年は、剣など持ったことがないのだろう。肉の薄い華奢な肩幅で細い目が少々、神経質そうな印象を与えた。
 細い目元、琥珀色の瞳は、長い睫毛の影を落として黒く。腹の奥底を見せない狡猾(こうかつ)さを感じさせる。
「どうぞ、フェリクスとお呼びください、皇女殿下」
 狡猾な瞳を隠すように、糸のように目を細め、柔和に微笑む。
「……わかりました」
 フィオレンティーナは静かに手を差し出し、フェリクスがうやうやしく手の甲に口づけを落とすのに応えた。
 気安げな青年の態度に勘違いしそうになるが、フェリクスが見せる笑顔は仮面だろう。
 これから先の生活の中に、彼女の味方などいやしない。
 囚われた鳥は籠の内側から、世界を傍観(ぼうかん)するだけ。飛べない自由を(なげ)くだけ。
 かつて、エスターテ城の豪華な檻に囚われていたユリウスのように。
「お疲れでしょう、休ませてあげたいところですが、陛下のご命令がありますので」
「いえ、構いません」
「物わかりがよろしくていらっしゃる」
 ニッコリと笑顔で告げるフェリクスに、フィオレンティーナは不快を覚えた。
 運命に従事しようとする彼女の態度を揶揄(やゆ)されたような気がしたのだ。
 瞳を返したフィオレンティーナに、フェリクスは「何か?」と問うように、小首を傾げる。
 試されているような気がするのは、気のせいというわけではないだろう。
 ここで叛意を見せれば、彼はフィオレンティーナを処罰するだろうか。
 手のひらに、じとりとした汗を感じる。程よく温度調整された宮廷内で、フィオレンティーナが身にまとった防寒着の内側は蒸すように熱い。だが、手のひらの汗はそれとは違う。嫌な汗。
 ディートハルトは彼女を生かすことで、ユリウスからフィオレンティーナを奪うつもりだ。恐らく、今度の婚姻はディートハルトによって強引に進められたものだろう。
 ディートハルトの手前、フェリクスもアルベルト同様に主君の命に従っているに過ぎないのだとすれば、心の奥底でフィオレンティーナが消えてくれることを願っているのかも知れない。
 そんな彼らには己の従順ぶりは、命乞いをしているように見えるだろうか。
 自分のために生きたいわけじゃない。
 私は――ユリウス様のために。
 最愛の彼に心を捧げたい。
 願うのは、それだけだと言うのに……。
 死ねば、ディートハルトに汚されるのが嫌で、死んだのだろうと言われるのだろう。
 生きれば、死ぬことを恐れ、命乞いをするために、ディートハルトの女になったのだろうと、陰口を叩かれるだろう。
 どちらもフィオレンティーナが選んだ真実から遠い。だが、この世には、その二つの答えしか用意されていない。
 苦しさに息が詰まる。奥歯が震え、虚勢を張って支えていた身体が崩れかけた。
 この程度のことでくじけては駄目だ、と自分に言い聞かせる一方で、荒立つ感情に目の奥が熱くなる。瞳から涙があふれかけたところで、強引な力に腕を引っ張られた。
 それに驚いて顔を上げれば、蒼い瞳がそこにある。
 ――また、だ。
 感情が揺れて、フィオレンティーナの心が不安定になったとき、彼は現われる。
 常時、こちらを監視しているのだろうか。それだけではない、心の内すら蒼い瞳は見透かしているのか。
「ディートハルト……?」
 突然、舞い戻ってきたディートハルトにフェリクスが目を剥いた。仮面を剥ぎとった。
 冷静沈着、どんなときにも表情を崩しそうになかった宰相に、フィオレンティーナもまた驚く。
 ディートハルトの行動が、フェリクスに意外に映るから、宰相は驚いたのだろう。
 フィオレンティーナへのディートハルトの接し方は、宰相を驚嘆させるに値するものなのか。
 確かに、ディートハルトが何を考えているのかわからないという側面は、この数日、行動を共にして見せつけられた。
 ただ、馬を走らせて。それでも、彼女が疲れを見せれば、最寄りの町で宿をとり休ませてくれた。雪道に慣れずに転びそうになると、腕をとって支えてくれた。
 そうして食事をとり、部屋に入ればフィオレンティーナを強引に寝台に押し倒して『寝ろ』と、短く命令した。
 疲れに耐えかねて抵抗する術もなく、身体を横にしたフィオレンティーナを見下ろす瞳は冷酷で、この場で組み敷かれるのではないかと、彼女を不安にさせたが、ディートハルトが手を出してくることはなかった。
 彼は単に、自分を所有することで、ユリウスを出し抜こうとしているだけなのだろうか?
 だから――……。
 フィオレンティーナは、己の胸に浮かんできた言葉を、慌てて噛み殺した。
 道中で、ディートハルトが手を出してこなかったのは、入浴もままならない旅程で薄汚れた女を抱きたくなかっただけに違いない。
 こちらの調子を気遣ってくれたなど、あり得ない。
 ユリウス様を殺したこの人が、欠片にでも優しいなんて……。

 そんなことは絶対に――認めてはいけない。


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