40,告白 ――お前を愛した……。 ディートハルトの言葉がフィオレンティーナの内耳で反響する。繋いだ指先から痙攣しているかのような震えが伝わってきた。 「――俺がすべての元凶だ」 そう告白する彼を、フィオレンティーナはずるいと思った。 信じようと思った矢先に、そんな告白をされたのなら……。 「私は……どうすれば、いいの?」 混乱がそのまま声になって、喉の奥からこぼれた。 視線を落とした先、蒼い瞳がこちらを見上げている。白皙の美貌に滴り落ちる雫を彼は黙って受け止めていた。 「どうして、そんな告白をするの? 黙っていれば良かったのに。私を騙し続ければ良かったのに。……どうして、告げたの?」 「お前に俺の声が届かないからだ」 「あなたの声?」 「偽りを抱えた声など、届かない。お前の心に響かない。だから、簡単に俺に身体を売ろうとする」 「私は……」 ディートハルトは声が響かないと言う。 本当にそうだろうかと、フィオレンティーナは疑問に思った。 彼の声が心に届かなかったら、どうして、自分は心の中にディートハルトの侵入を許したというのだろう。 「一生、恨んでくれてもいい。だけど、俺の想いを……安っぽく見積もらないでくれ」 心の奥から吐き出すような感情がディートハルトの声を震わせる。その振動はフィオレンティーナの鼓膜を揺らし、身体の奥へと沁み込んでいく。 ――ああ、そういうことなのね。 フィオレンティーナは胸の底で響く想いに答えを見つけた。 『君が好きだよ、ティナ』 不意に蘇るユリウスの声に、フィオレンティーナは天上を仰いだ。 鳥籠の中からは――閉ざされた部屋からは、ユリウスが飛び立った天は仰げない。 それでも、視線の先に穏やかに微笑むユリウスの面影を思い浮かべて、彼女は口を開いた。 「声は届いていたの。あの声は本物だった。ユリウス様は……私を愛してくださった。今なら、わかるわ……」 「……レナ?」 ディートハルトの声は戸惑っていた。いつもは傲慢で傍若無人な彼の、心もとない声にフィオレンティーナは視線を落として、蒼い瞳を見つめた。 「……憎しみの中にも、育っていく心があるの。私はそれを知っているわ。ユリウス様は……帝国を憎んでいたかも知れない。だけど、あの日々の中で……私を愛してくださった」 「――それがお前の答えか」 苦しそうに顔を歪めるディートハルトに、フィオレンティーナは笑う。 許しを請う彼に、ユリウスの話題は拒絶されているように感じるのだろう。 人を散々馬鹿にしておいて、あなたも相当に馬鹿ね――と、心の中で囁きながら、ディートハルトに繋がれた手をもう一方の手で包みこんだ。 ユリウスの心を理解できたのは、彼と同じ道をフィオレンティーナが歩いたからに他ならない。 鳥籠の中の閉じた世界で、孤独の中で。 自分だけに差し向けられる好意が――優しさが、固く凍った心の中に、少しずつ沁み込んできた。憎しみを溶かしていった。 気がつけば、心の中に憎いはずの存在を許していた。 いまだにユリウスへの復讐の道具としてしか見なされていないのかと思えば、声が震えるほど辛かった。 この胸に芽吹いたものをフィオレンティーナは今、ハッキリと自覚した。 エスターテ城の檻の中でユリウスがくれた言葉や笑顔は、フィオレンティーナ自身がいずれ自分の前に跪くディートハルトに差し向けられるものだと、わかる。 今は恋とは呼べないだろう。愛にも遠いかもしれない。 だけどこれから先、時を重ねて少しずつ信頼から育っていく。 フィオレンティーナはそんな未来を知っていた。そして、それこそがディートハルトが欲した希望なのだということも、今なら理解できる。 「あなたは、ずるい人だけど、卑怯者にはなりきれないのね」 「……何?」 「許しを請わなければならないと言いながら、どうして一生恨んでもいいなんて言うの? あなたは罰を望んでいるんだわ。私にすべてを告白することで、苦しもうとしている」 「俺は……」 「あなたが優しい人だっていうことは、もう知っているわ。それに、あなたがすべての元凶だなんて、今さらだわ。あなたが何を求めたところで、ユリウス様を殺したことや帝国を滅ぼした事実は揺るがない」 その発端に自分があるなど、フィオレンティーナには想像もできなかったが。 彼がどこで、自分を見つけて、ユリウスを憎むほどに愛してくれたのか、今の彼女にはわからない。 そのせいで国が滅びたとすれば……。 罪は私にあるのかしら、とフィオレンティーナは答えに惑う。 彼に愛されたことが――罪。 では、ディートハルトの存在を心の中に招き入れてしまったことで、生まれるこの苦しみは――罰。 ……苦しめばいいと言ったのは、ディートハルトだ。 『苦しめばいい。それで生を許されるのなら、お前はお前が守るべき者のために生きろ』 そう、彼は言った。 苦しむことで生を許される――ならば、苦しみを選んだ彼は、これから先も生きようと言うのだろう。 「あなたは何を守るの?」 そっと問いかけるフィオレンティーナに、ディートハルトは真っ直ぐな瞳を返してきた。 「……お前を守りたい。お前が選ぶもの、お前が守りたいもの、それらを全部」 一つ一つの言葉が、声が、フィオレンティーナの中で響く。ゆっくりと沁みてくるその熱に、フィオレンティーナは微笑んだ。 「ならば、守って。私も同じだけの苦しみを背負うから」 膝を落として、フィオレンティーナはディートハルトの頭を胸の中に抱え込んで告げる。 「私と――共に生きて」 一人ではない温もり。きっと、二人でならどんな困難も乗り越えていけるはずだから……。 |