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 13,優しい嘘


「千尋は、幽霊がいると信じているの?」
 翔の問いかけに、千尋は首を傾げていた。
「どうなのかな?」
 その仕草に、翔は目を丸くする。
 彼女は、幽霊の存在を信じたから、「幽霊が見える」と言った鬼堂冴樹を自分に引き合わせたのでは、なかったのか?
「信じてないの? 信じていないのに、アイツの言葉は信じられたの?」
 軽い嫉妬心が、翔の声を荒立たせた。そんな彼を千尋は見上げて、微かに笑う。
 いつも、どこか遠慮がちに接していた幼馴染みの変化が、彼女には嬉しいらしい。
「あのね、お祖母ちゃんから聞いたお母さんの性格からしたらね、きっと翔ちゃんを守れたことに満足して、未練なんて残さなかったと思うんだ」
 微笑みながら千尋は遠い目をする。
 その視線は、誰を求めているのだろう?
 翔は千尋の視線を追いながら、考える。
 母親か、それとも優しい嘘だけを残して消えた転校生か。
「…………」
「だから、お母さんの幽霊はきっとこの世にはいないよ」
「……じゃあ、何で、アイツの嘘を信じたの?」
 翔は千尋と繋いだ手に力を込めながら、問いかける。
 自分だけを見ていて欲しい――そうずっと願ってきて、それを言えずにいた。
 そんな翔のわがままな願いを、千尋は聞き取ったのか、振り返って笑う。
「冴樹君がね、「万里」って、お母さんの名前を呼んだ声が」
「声が?」
「私の名前を呼ぶときの翔ちゃんの声に似ていたの」
「……そうかな?」
 千尋の言葉に、翔は鬼堂冴樹の声を思い出す。
『信じろよ』と言った彼の声は、自分の声質とは違う気がする。
 十三年、変わらずに生きてきた彼は、沢山の出会いを繰り返して、色々な経験をしてきたのだろう。凛と響く声の中には、強さがあった。
 今までの自分には、そんな強さはなかったと翔には思えるから、千尋の言葉は不思議でならない。
「うん。似ていたよ。とても優しくて、私を大切に思ってくれている声」
「……千尋」
「だからね、信じてみようと思ったの。――ずっと、信じていたんだよ?」
 セリフの後半は、自分に向けられているものだと、翔にはわかった。
 罪を自覚し背負いながら、それでも翔が離れずにいたのは。
 いつか、きっともう一度。
 あの幼き日のように、笑い合える日が来ると、信じていたからだと。
「……待たせて、ゴメン」
「うん。でも、ちゃんと言ってくれたからいいや。あ、でも、わがままを言ってもいいなら」
「何?」
「もう一回、言って。これが夢じゃないって思えるように」
「――千尋のことが好きだ」
 ずっと暖め続けてきた想いを告げる翔の声は力強く響く。
「私も、翔ちゃんのことが大好き。いつも、傍にいてくれてありがとう。翔ちゃんがいてくれたから、私は一人じゃないって信じられた。これからも、傍にいてね」
「勿論。もう、嫌だって言われても離れないから」
 もしも、千尋が自分の存在を厭えば、直ぐに身を引こうと思っていた。
 けれど、今は自分だけが千尋のナイトだという自負がある。誰にも譲れない。譲らない。


                     * * *


『幽霊って、いるのかな?』
 夜の駅で、最終電車を待っている間、俺は樹と交わした会話を反芻していた。
 たった一週間で、この町に別れを告げることを決めた俺に樹は何も言わずに従った。
 別に逃げる必要はなかったと思う。翔は俺の正体を公然と言いふらしたりしないだろう。
 ただ俺が、翔と千尋にこれ以上関わるのが怖かった。別れるのが辛くなるのが目に見えていた。
 それに、ようやく距離を縮めることが出来た恋人たちの間に、俺がいたらお邪魔虫以外の何者でもない。
 だから、消えることにした。
 荷物を纏めて、駅へと向かう途中で、万里の事故現場へ花を手向ける。
 多分、この地に訪れることは二度とない。
 そんな俺の背中に、樹がポツリと呟いた。
『幽霊って、いるのかな?』
 振り返った俺は、白色の街灯の下で青灰色の瞳を翳らす樹を見つけた。
 恐らく、惨殺された自分の両親を思い出していたんだろう。もしくは、俺たちと生き別れた後に、事故で死んだ母さんのことか。
 幽霊になった相手でも、会いたいと思うのは、それだけ深い愛情があってのことだろう。
 だから、人は現実的ではない「幽霊」という事象を、心のどこかであり得ることだと認めるのかもしれない。
 でも、俺は信じたくはなかった。
 幽霊なんて、そんなものはいないと。
『俺は認めない』
 キッパリと言い切った俺に、樹は瞳を瞬かせる。
『死んだら、終わりさ』
『冴樹ちゃん』
『死んでからも苦しむことなんて、ないだろ?』
 樹の両親は、吸血鬼ということで迫害された。そうして、逃げてきたこの国でも、その外見の異様さから鬼と恐れられ、惨殺された。
 樹を逃すために、自ら囮になって殺された二人の死は、怨嗟を残すに十分な惨たらしい死だったらしい。
 だから、いまだに彷徨い続けているかもしれない両親のことを思えば、樹は辛いんだろう。
『死んだ。それで終ればいいんだ。何も、死んだ後まで思いを残すことはない。思い出は、生きている奴らが背負っていけばいい。そうだろ?』
 幽霊なんて存在を求めるまでもなく、樹の中にはちゃんと両親の思い出があるのだから。
 死んだ二人のことは、生まれ変わってどこかで幸せに生きていると願う方がいい。
 そう告げた俺に、樹はふわりと笑った。
「――あ、電車が来たよ」
 樹の声に現実に立ち戻れば、闇を割いて電車がホームに滑り込んできた。
「行こうか」
 樹の声に頷いて、俺はベンチから立ち上がる。
 田舎を走る電車は、まだ九時だというのに空いていた。
 向かい合う四人掛けの椅子に、腰を下ろして、俺は窓の外を眺める。
 懐かしさに、思わず降り立っていた一週間前。
 その前まで、万里との記憶はあまりにも悲しく痛々しいものだったから封印して、目を瞑ってきたけれど。
 今は自然と、彼女の笑顔を思い出せた。
 万里は死んだ。
 その事実は変わらない。変えられない。
 でも、俺は万里が誰よりも、自分の心に忠実で幸せに生きたことを知っている。思い出した。
 そして、その笑顔の思い出は、俺の長い人生をまた支えてくれるだろう。
 なあ、万里?
 千尋はお前が願ったとおり、翔に守られて幸せだ。笑い顔は、お前が自慢したくなるほど可愛かったぞ。
 だから、お前も……。
 この空のどこかで、笑っていろよ。
 置き去りにされることに「慣れた」と言って、「寂しくない」と、うそぶきながら、俺も笑って生きてやる。
 目の前にある大事な笑顔を守るために。それが、俺の選んだ生き方だ。


                                  「優しい嘘 完」

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