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蝕まれた希望


 ― 1 ―


 ――アッと、思ったときには、ユウナの身体は宙を飛んでいた。
 よたよたとふらつく足元に、地面から突き出た木の根が引っ掛かったのだ。勢い込んで歩いていた細い身体は、そのままの勢いで前のめりに宙を飛び、バタリと地面に叩きつけられた。
 フードのついたマントが大の字に寝そべった身体を覆う。その背中に背負ったリュックの口から、手のひらに収まって余りある小さな球体が飛び出し、坂道をコロコロと転がり落ちていく。
「ああっ! 魔弾がっ!」
 慌てて飛び起きたユウナは、坂道を振り返った。
 すると、同行していた少年が反応して、球体を拾い上げた。
「だ、大丈夫ですか?」
 両手に、赤、青、緑、黒――といった、色とりどりの球を抱えた少年レンは、丸い瞳に心配そうな色を覗かせてユウナに問いかけた。
「あっ、はい」 
 ユウナは幼さの残る顔一杯に汗を浮かべながらも、大きく頷いては笑った。
「だ、大丈夫れすよー」
 ユウナとしては、大丈夫だと言い切りたかったが、疲れからか、舌が回らない。
 それもそのはず、背中に背負った大荷物は結構な重さがあった。三、四歳の幼児を一人背負っている感じだろうか。普段はあまり気に留めなかった重さも、山登りという行程において、どっしりとした重量感を無視することは出来かねた。
 肩に食い込む紐が、痛い。重量に腰が、痛い。山登りの負荷に膝がガクガクする。
 元々、体力があるほうではないユウナには、荒れた山道を登るという行為は過酷であった。
 幾ら、空元気を振りまこうとしても、すぐに演技は見破られてしまう。
 現に目の前の少年、レンの表情が陰っていた。
「……ごめんなさい。オレが無理を言ったばかりに」
「い、いいんです……あの、謝らないで。僕がやると決めたんですから」
 俯き、涙を見せ始めたレンにユウナは笑いかけた。
 淡い茶色の髪に、つぶらな杏色の瞳で笑うと、ユウナの顔は可憐な花を思い浮かばせる。ユウナの意図するところとは違う方向で、レンの心の陰りは一瞬で払われたが、少年はハッと我に返ったように、慌てた様子でユウナから顔をそらした。
 花のような笑顔に大抵の人間は騙されがちだが、ユウナはれっきとした男だった。
 年は十六歳。淡い茶色の髪は、前髪の一部が横に流れ頬に掛かっていたが、とりわけて長いという印象はない。
 山登りによって上気したピンク色の頬に流れる汗を拭う指先は白く、少女のよう。
 その指で頬に掛かった髪を掻き上げる仕草もまた、愛らしく。
「魔弾を拾ってくださって、ありがとうございます」
 そう言って、柔らかく微笑む笑顔の魅力に、レンはポッと頬を赤く染めた。
 しかして、ユウナ自身は自らの危険な魅力に気づいていない。
「ま、魔弾って言うんですか、コレ」
 男相手に赤くなってしまった自分を誤魔化すように、レンはユウナに色とりどりの球体を返しながら、ユウナに問う。
 レンの反応に小首を傾げながら、ユウナは頷く。
「はい。これには魔法が込められているんです」
「へぇー、そんなアイテムもあるんですか。さすが、勇者様ですね。魔力が尽きたときのために用意してあるんですね? 用意周到だ」
「…………あ、その。僕の場合……実戦で魔法が使えないから……」
 か細い声で答えたユウナに、レンの目が点になった。
「――――えっ?」
 一拍の間をおいて、レンの声は絶叫に変わった。
「――えええええっ?」
 レンが驚いたのは、他でもない。
 勇者と――世間では冒険者たちを、敬意を込めて呼んでいた。
 いずれ、訪れる〈ゼロの災厄〉を最小限に食い止めるべく、様々な技能を会得した冒険者たちは、先の〈ゼロの災厄〉の残滓を消し去るべく旅をしていた。
 その冒険者が魔法を使えない? そんなことがあってよいのか?
 普通の人間がそう考えるのは、当然か。
 ユウナは身の置き所に困って、身体を縮めた。自分の未熟さを知っているので、言い訳のしようがない。
 第一に、山登りひとつでバテている現状では……。
 レンがユウナたち冒険者一行に声をかけてきたのは、山のふもとの食堂で交わしていた会話を耳にしたからだ。


                       * * *


 忙しい昼食の時間帯を少し過ぎた食堂の一角に、やたらと目立つ集団がいた。
 少女と見間違うような愛らしい少年ユウナには、目を見張るような美女サーラと美青年グエンが同行していた。
 白銀の髪を背中まで伸ばしたサーラは、十八歳とは思えない完成された美貌の主であった。髪と同じ、白銀色の睫が縁取る薄紫色の瞳。その神秘的な色合いの組み合わせの印象が強いのか、やや近寄りがたい雰囲気を漂わせ、完璧すぎる美貌は、感情の見えない、無表情。一見して、何を考えているのか計り知れない。
 そんなサーラは、背筋を伸ばしユウナの隣に腰掛けていた。
 可愛らしい風貌のユウナと、絶世の美女サーラの向かいの席に腰掛けているのは、これまた人目を惹く美青年。
 黒髪に藍色の瞳の端整な顔立ちの彼の名は、グエン。年齢は二十歳。均整の取れた身体つきをしていて、長身。利き腕と思しき、右腕に肘まで隠れる黒色の手袋を嵌めていた。指の先だけ切って、日に焼けた指が覗かせている。それは腰に携えた剣を握るためだろう。
 彼はテーブルの上に並んだ料理の皿を前に、呆れ顔を見せた。
『――サーラ姫。何か、俺様に恨みでもあるのかな? 俺が席を立っている隙に、頼んだメニュー、全部、違うものになってるんだけど』
『別に、貴方に恨みなどありません。私はただ、予算内で料理を注文するにあたり、ユウナの好みに変えただけです』
『何で、ユウナちゃんばっかりなのさ。俺の好みも考慮してくれても良くない?』
『貴方よりユウナに栄養を与えたかっただけです。さあ、ユウナ、お食べなさい』
『……あの、ええっと……』
 無表情に振り返ったサーラに、ユウナはオロオロと同行する二人を見やった。困惑するユウナを目の端にして、グエンはサーラに対して唇を尖らせた。
『本当、姫はユウナちゃんに甘いんだから』
『甘くはありません、辛くないだけです』
 姫と呼びかけられたサーラが、抑揚のない声で告げたその内容に、グエンは失笑した。
『それ、同じことだよ?』
『貴方の場合、殺しても死にそうにありませんから。私は癒し手としてユウナの健康を優先しているだけです』
『……癒しの魔法は病気には効かないでしょ?』
 青年は眉根に皺を寄せて、尋ねた。その問いに対し、サーラは表情を一欠けらも変えることなく淡々と告げた。
『効きませんね』
『だったらさ、俺の健康にも気を使ってくれてもいいんじゃないかな?』
『――グエン』
 サーラは形の良い整った唇から、ヒヤリと背筋を撫でるような、冷ややかな声を吐いた。
 彼女の薄紫色の瞳は青年を見上げてはいるが、見下すように冷たい視線だった。
『――グエン、この間、カビが生えた肉を食べても平気だったのは、誰でしたでしょう?』
 サーラの問いかけにグエンは瞬きを一つして、答えた。
『……俺だね』
『腐ったミルクを飲んでも、元気だったのは?』
『…………俺かな?』
 今度は自信なさげに、小首を傾げる。グエンとしては腐ったミルクを飲んだという自覚がないようだ。
『では、貴方が生まれてからこれまでに経験した病歴を挙げてみてください』
『…………ちょっと、思いつかないな』
 腕組みをして唸るグエンに、サーラは告げた。
『貴方の健康を、私が気遣う必要ありますか?』
『えっーと……』
 グエンは反駁しようと思案したみたいだが、暫く後、諦めたように野菜サラダを自分の手元に引き寄せた。
『…………体力資本の剣士に、野菜サラダはどうかと思うんだけど……』
 それでも最後の抵抗で、皮肉と思われる言葉を口にするグエンに、サーラの薄紫色の瞳が動く。
『食料が手に入らず、二日絶食を余儀なくされたときも、無駄に走り回っていたのは誰でしたでしょう?』
『……俺です』
『別に食べなくてもよいのですよ? ユウナ、グエンが自分の分まで食べて構わないそうです』
『……あ、あの、サーラさん』
『――ごめんなさい。食べます。頂きます』
 取られては堪らないと言いたげに、グエンはサラダを口に詰め込んだ。
『あ、あの……グエンさん。サーラさんは……別に意地悪で言ったんじゃないと思います』
 ユウナは、サラダを無理矢理詰め込んでいる風のグエンに声をかけた。
 グエンが食堂に入って、開口一番に注文したのは「とにかく、肉」だった。給仕の少年が肉料理のメニューを口にすると、グエンはそれらを片端から注文しては、席を立った。
 その隙にサーラは給仕の少年を呼び止めると、注文した料理を変更した。
 無表情で何を考えているのか、表情ではよくわからないサーラの行動を、完璧に読み解くことは、不可能だろう。
 それでも何かと、気を使ってくれる彼女のことだ。肉ばかりを取ろうとするグエンの健康面も考えてのことかもしれない。
 サーラの行為をフォローしようと、ユウナは口を挟む。
『あの……野菜も食べたほうがいいですし』
『わかってるって、ユウナちゃん。こうやって、きちんとした食事を取れるときは野菜を取った方がいいってことは、ね。道中の食事はどうしても、保存食ばかりになって、栄養的によくないからね』
『……ええ。だから……』
『心配性だね、ユウナちゃんは。俺と姫が本気で喧嘩するはずないよ? 俺たちは仲間だよ』
 グエンはそう言って、ニッと唇の端を持ち上げて笑った。
 何かにつけて、グエンは「仲間」と強調する。
 冒険者学校をこの春に卒業した三人がパーティを組むようになって、三ヶ月。
 癒しの魔法の使い手でありながら、慈悲など欠片にも感じさせない、冷ややかな姿勢を崩さないサーラ。
 剣の実力は確かなのに――冒険者学校では、講師たちすらグエンの前に瞬殺されるという――軽薄そうな口調故に、いまいちリーダー性を発揮できないグエン。
 そして、魔法使いなのに実戦では緊張感から魔法が使えないという落ちこぼれのユウナ。
 この個性バラバラの三人は、いまだに会話ですら、意思の疎通が出来ていない現状だった。
「仲間」という信頼の証を口にするのは、時期尚早のような気がするが……。
 ユウナは花をほころばせるように、唇を緩めてそっと微笑んだ。
 それでも「仲間」になろう、と。あの日に決めて。
 来るべき〈ゼロの災厄〉に備えて、旅をしている三人の心は一つだった。
 
 ……それなのに……。


                        * * *


「ま、魔法が使えないって、だって、勇者様ですよね?」
 焦ったようなレンの声に、我に返ってユウナは慌てた。
 まるで騙されたと言いたげな少年の表情を前に、言い訳するようにユウナは口を開いた。
「あの……一応、学校は卒業しました。ちゃんと、合格書を貰いましたし……」
「でも、魔法が使えないって」
「実戦だと、ちょっと緊張しちゃって……。でも、魔弾を使用すれば普通に魔法が使えますし」
「だ、大丈夫なんですかっ?」
 見るからに不安だ、という顔をレンは見せた。黒い瞳が動揺に揺れている。
「……だ、大丈夫です。僕が魔族をなんとかします」
 グエンやサーラと別れての一人での行動に、ユウナとしてもレン同様、不安がないわけではない。でも、今さら、なかったことには出来ないはずだ。
 ユウナはレンを真っ直ぐに見据えて、言った。
「大丈夫です、僕を信じて」
 そう言いながら、ユウナは考えた。
 冒険者学校を出るとき、三人で誓ったことは〈ゼロの災厄〉で苦しむ人たちを一人でも多く救おう――と。
 口調が軽いグエンも、何を考えているのかわからないサーラも、その願いだけは同じだったはずなのに……。
 ……どうして、グエンさんたちは……。
 山に住み着いた魔族に困っていると、訴えたレンの頼みを拒否したのだろう?


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