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 迷子の勇者・後編


 ベルナールと名乗ったその少年は、実によく喋った。
 彼の実家はこの大陸で金鉱を掘り当て、かなりの財産家であること。
 世界のあちらこちらをかなり放浪しているとのこと――ただ単に、糸が切れた凧よろしく、行き当たりバッタリ、風に流れるままの旅のようだが。
 その路銀も尽きてきたので、家に帰る途中だったという。
 空腹だという割には、元気だ。無駄に元気だった。
 彼の騒々しい声音が森の静寂を切り裂き、乱していけば、ルセニアは今日の収穫を諦めざるを得なかった。こんなにうるさいと、森の獣たちも警戒して、巣穴に引っ込んでいるだろう。
 ため息をこぼして、ルセニアは横に並ぶ少年に話しかけた。
 自分が話すことによって、少しでも少年の口を塞げるのなら、あまり多弁な方でもないルセニアも舌を動かしたくなってくる。
「それで? 君はどこから来たのだ? 旅をしていたという話だが」
 しかし、口にしたのが問いであったのなら、答えが返ってくるのは必然だろう。
「少し前まで、南の大陸にいたです。でも、師匠が死んでしまったんです。師匠から譲り受けた剣も失くしてしまって、お金もなくなってきたので故郷に帰る途中だったです。でも、魔族がいるって話を聞いて、勇者になると決めたからには、師匠の遺志を継いで魔族を倒さなければならないと思ったです」
 わかるような、わからないような返答だった。
 喋り方に癖があるからか、それともベルナールの掴みどころのなさなのか。
 ルセニアは眉間に皺を寄せつつ、確認した。
「師匠? 一人旅ではなかったのか?」
「一人旅だったです。でも、途中で勇者様に弟子にしてもらったです。仲間もいました。皆さん、死んでしまったです。惜しい人達でしたです」
「……冒険者志望なのか、君は」
「はいです。将来は勇者になって、皆にチヤホヤしてもらうです」
 志しのわりに、動機が不純だ。
〈ゼロの災厄〉に立ち向かう冒険者がそんな心構えで、果たして魔族と渡り合えるのだろうか?
 ルセニアが黒衣を纏った魔族の青年ディアを思い出せば、どうしても首が傾いてしまう。
 冒険者三人を相手に手傷を負いながらも、大地を震撼させた魔族の力。それは人間にはとても真似出来ない荒業であったが――カネリアに聞いた話によれば、それすらディアの能力では造作もないことらしい。
 ディアが本気で戦っていたら、三人の冒険者は無傷では済まなかっただろうと、彼女はこぼしていた。
 黒衣の青年が魔族の中でも上位に立つのは、その魔力もあるが、戦闘能力も大きいという。
『――大抵の魔族は、己が持つ魔力に頼る。しかして、ディアは己の爪を磨くことも怠らない。あれは、いずれその爪で同族を狩るつもりなのであろうな』
 艶やかな紅を塗った唇を皮肉に歪めながら、ディアについて、カネリアは語った。
 魔族の間に置かれた暗黙の了解。それは多くの者を支配する者が、上に立ち、王になり貴族になるということ。
 その支配する能力というものが、魔力であり強さだ。
 同族の間でも、能力を誇示するために争う魔族に、立ち向かうにはベルナールはあまりに頼りなさ過ぎる。
 第一に、罠に引っかかっている時点で、注意力の無さを露呈している。
 ――まあ、道に迷っていた冒険者もいたわけだが。
 森で迷っていたユウナたち一行を――その原因の主は、リーダーであるグエンの失態であったが――脳裏に浮かべれば、……少しぐらいの欠点も、許容範囲と見なすべきか。
「――罠で思い出したが……」
「はいです」
「……何故、罠に引っかかった? 注意するよう、立て看板があったと思うのだが、気づかなかったのか?」
「見たです。だから、どんな罠が仕掛けてあるのかと思ったです。そしたら、引っ掛かったです」
 ――本末転倒。注意を促すはずが、興味を惹いてしまったとは。ルセニアは思わず垂れかけた頭を振った。
 いや、しかし。それはベルナールという少年だからこその、結末ではないのか?
 実際に、故郷へ帰るという目的を外れて、魔族の噂を耳にこちらに来たという現状。この少年は、目先のことに対して簡単に心が移りやすいようだ。
 現実を見ていない夢見がちな言動が、ベルナールの軽薄さを――この言葉は辛辣すぎるか? ――裏付けているように思える。
 ハッキリ言って、この少年を冒険者にしようなどと考え、弟子入りを許した者の気が知れない。亡くなったと言う話だから、所詮はその程度の師匠であったのだろう。
「その師匠というのは、どんな御仁だった?」
 ルセニアは己の推測を確認すべく、問いかける。
「グエン師匠のことですか」
 ベルナールが口にした名前に、ルセニアの眉はピクンと跳ね上がった。
 ……どこかで、聞いたような名前のように思うのは、勘違いだろうか。
 ――第一に、彼は生きていた。
 黒髪に精悍な顔立ちの青年剣士。その名をグエンと言った。
 ディアと対等に渡り合っていた――カネリアの話によれば、ディアは本気ではなかったらしいが――凄腕の剣士だ。
 仲間には陽気な一面を見せながら、二人きりになった瞬間、藍色の瞳にこちらの背筋をひやりと凍らせる剣呑さを垣間見せた。そんなグエンは、掴みどころのなさでは、ベルナールと通じるところがあるような……気がするが。
「仲間がいたという話だったが?」
「はいです。とても綺麗な人達です。ユウナさんとサーラさんと言っていたです。実に惜しい人達でしたです」
 緑色の瞳を潤ませるベルナールに、ルセニアは目を剥いた。
 …………他の仲間の名前まで、ピッタリと一致しているのだが。
 ――死んだのか? 彼らは、死んだのか?
 ルセニアは驚愕に唇を震わせた。
 ディアと戦い、彼を退けたユウナたち一行。その実力は三人の若さ、経験の浅さ――冒険者学校を卒業してまだ、半年も経っていないということだったが――など、関係なく洗練されていたように見えた。
 グエンの剣、ユウナ、サーラの魔法の絶妙な連携は、ほんの一瞬だったけれど、ルセニアの記憶にしかと刻まれている。
 生半可な敵では、彼らの脅威にはならないだろう。そう思える強さを感じたのは、錯覚だったのか?
「……亡くなったという話だが。それはいつのことだ?」
 問いに返って来たベルナールの答えでは、ルセニアがユウナたち一行と出会ったのは、ベルナールが師匠と死別して数ヵ月後ということだった。
 死んだ人間と会話を交わしたわけではないのなら、別人である。名前は単なる偶然の一致か?
 さらに詳しく情報を求めて、ルセニアは問いを重ねる。
「その師匠は、どういう状況で亡くなったのだ?」
「魔獣に襲われて、師匠は谷底に落ちたです」
 グッと拳を握って、ベルナールは語った。
 魔獣が突然襲い掛かってきて、師匠であるグエンが自分たちを庇って楯になった。そして、魔獣の爪に引っかかれて、谷底へと転落していったと言う。
「実に勇敢な最期でしたです」
「……それで?」
 ルセニアは、話の先を促した。ベルナールの話すグエンが、こちらの知っているグエンと同一人物であるかを確認するには情報が足りない。
「残されたオレたちは、魔獣に果敢に立ち向かいましたです」
「ああ」
「オレは颯爽と剣を抜きました」
 ベルナールが鞘から剣を抜く仕草を、腕を振り回して演じた。
 ルセニアは顔面に迫ってきた少年の腕を慌てて避ける。危うく、手刀に鼻を強打されるところだった。危ない。
「それで魔獣と戦おうとしたんです」
 ベルナールは剣を構えた――あくまで、格好だ。少年の腰は丸腰で、剣なんて持っていない。
 失くしたと言っていたが、剣士が己の命綱とも言うべき剣を失くすものだろうか?
 そんな疑問に沈黙するルセニアの前で、ベルナールは右へ左へと首を巡らせた。そうして、突然走り出すとしゃがみ込み、何かを拾って戻ってきた。
 手には折れた枝が握られている。それを剣に見立てるつもりか。
「ところが、驚きですっ!」
 グイっと、ベルナールは右手に握った枝をルセニアの方に突き出してきた。
 伸びた小枝に引っかかれそうになって、ルセニアは身を仰け反らせた。
「何と、剣の刃がこぼれていたんです」
「……そ、それで?」
 ルセニアはたたらを踏んで、バランスを崩しかけた体勢を立て直す。
「オレは勇気ある撤退をしましたです」
 逃げたわけだ――物は言いようだ。
 最も、この少年はその行いに対して恥じらいを感じていない点からして、何も悪いことをしていないと思っているようだ。
 少年の言動に呆れてしまったルセニアに気づかず、ベルナールは続けた。
「サーラさんとユウナさんは、そのまま魔獣の犠牲になりましたです」
 ――仲間を置いて、逃げ出した。
 その行為を、犠牲の一言で片付けてしまうベルナールの無責任さに、ルセニアは目眩を覚えた。
 多分、ベルナールの語った師匠のグエンと、ルセニアが知っているグエンは同一人物だろう。ベルナールは、グエンたちは死んだと思っているが、現場から逃げ出した少年にその後の顛末は知るよしもない。
 ……第一に、グエン殿が谷底に落ちた程度で死ぬわけない。
 ルセニアは確信を持って、断言する。
 何故なら、グエンがサーラによって作られた竜巻に、森へと投げ捨てられた光景を遠く目にしていたからだ。
 あの三人の間で、どういうやり取りがあったのかは、ルセニアにはわからない。
 カネリアとの一件に決着見て、三人は村を後にした。旅立っていくユウナたち一行の背中を見送って、暫くのことだった。
 突然、ユウナの悲鳴のような声を聞いて振り返れば、上で渦を巻いた風が夜色に染まった天空へと立ち上がり、その渦の中心に人影を見た。
 ギョッと目を剥くルセニアの視界で、竜巻は森へと龍が如く空を横切っていったのだった。
 三人の間で何があったのか、わからない。どう考えても、わからない。
 仲間を森へと投げ捨てる所業の裏に、どんな事情があるのか、思考が及びつかない。
 ただ、サーラのグエンに対する態度は、明らかに冷たかったけれど……仲間が仲間を捨てるなんて、普通はあり得ないだろうと思うのだが。
 冒険者ではない自分には理解出来ない、裏事情がきっとあったのだろう。
 ……単に、意見の相違があって喧嘩したということで、天空から森へと投げ捨てられていたら、命が幾つあっても足りないだろうから。
 しかし、グエンに関して言えば……彼は無事だった。命は一つでも、十分に事足りるようだった。
 森へと竜巻が消えた後を追い、ルセニアが村へと舞い戻り森へと駆け出す途中で、グエンとすれ違った。
 そう、すれ違った。
 涙を流しながら、ユウナたちを追いかける彼の姿を目にすれば、声を掛けられなかったのだ。
 その泣き姿は…………ちょっと、痛々しかった。
 天空から落とされて、五体満足無事であったという驚愕より、大の大人がしくしくと泣きながら走っていく姿は……滑稽かつ、珍妙で。
 グエン本人がそれを他人の目を意識した芝居としてではなく、真面目に――この表現は変だろうか? ――泣いていたとすれば、何と言うか、哀れみを覚えたのだ。
 ルセニアは回想からハタリと、我に返る。そうして、ベルナールに目を向ければ、少年はオイオイと泣きながら叫んでいた。
「オレは師匠や仲間の最期を絶対に忘れないですっ! そして、勇者となった暁には仇を取るですっ! 地獄で待っていてくださいです、師匠」
 生前、良からぬことを仕出かした人間の魂が落とされるという伝説の地獄に――少年は師匠を突き落としたようだ。
 せめて、この世界を加護する神が住まうという天界に送ってやったらどうだ? と、ルセニアは心で突っ込む。
 天界も地獄も、あくまで伝説であるが、〈ゼロの災厄〉という、百年に一度、普段は繋がらない別世界と繋がってしまう現象がこの世にあれば、伝説もあながち眉唾物ではないのかもしれないが――。
 何にしても、ベルナールの言動にルセニアの疲弊感は増した。
 少年の常識から逸脱した思考回路は――正直、関わりあいたくないと思わせる。
 そう自分の心に正直になってみれば、ルセニアはグエンたちの行いに、一つの答えを見つけた気がした。
 ……もしや、グエン殿たちは……この少年を……。
 ――捨てたのではないか?
 真偽のほどはわからないが、何となくルセニアはその答えが正しいように思えた。
 ハッキリ言ってしまえば、足手まといにしかならないベルナールを、言葉で説得し、ていよく追い払おうとするよりも――そのための労力は、大変なものだろうと思う。何しろこの少年は、自分に都合よく物事を解釈する類稀なる思考の主らしいから――この少年の前から、自分たちが消えた方が簡単だっただろう。
 そうして、グエンは死んだフリをしたのではないか?
 崖に落ちて、絶望的な場面を演出することで、ベルナールは退場を――この退場は、ベルナール本人の意志であっただろうが。少年の行動が計算されていたことは、疑う余地はないだろう――余儀なくされた。
 結果、グエンたちは厄介な弟子を追い払ったわけで……。
 …………私は。
 ルセニアは、思わず頭を抱えた。後悔が怒涛の波のように押し寄せてきては、
「何てものを拾ってしまったんだっ、私はっ?」
 声が喉を突いて出た。


                   * * *


「お腹空いたです、ルセニア命の恩人さん様」
 さっきまで、仲間の死に――少年の誤解であるが――むせび泣いていたのは、どこのどいつだ? と、疑ってしまうくらいに、ベルナールの感情の切り替えは実に早く、それ故に、少年の性格の軽薄さを物語っていた。
 しかし、その切り替えの早さはルセニアを後悔の波間から救い出した。
 ……そうだ。
 食事を与えて、さっさとこの少年とはオサラバしよう。
 厄介ごととは、早々に縁を切る。それが賢い生き方なのだろう、とルセニアは思う。
 八年も悩み続けて、結果として自分だけが悲愴感に苛まれているような、錯覚を起こしていた。その問題をユウナたち一行の手を借りて解決できた今、ルセニアの決断が早かった。
 三人の冒険者に出会った収穫は、間違いなくルセニアを変えていた。
「そうだな、私の家へ――」
 そう告げかけたルセニアは、五感の刺激に動かされ、マントを払っていた。腰に装備した弓を構え、刹那に矢を放つ。
 魔族の力を加勢に、放たれた矢は空を切り裂き、そこに出現した強大な獣の巨体を背後に聳え立っていた樹木に縫い付けた。
「――くくくくくくっ」
 笑っていると錯覚するような声が傍らに響いて、ルセニアが振り返れば、ベルナールが興奮気味に腕を振り回していた。
 少年が手にした小枝が、ルセニアの肩まである髪を絡みとって引っ張った――痛いっ!
「――熊ですっ、それを一発で倒したですっ! 凄いです、強いです」
 少年の手から小枝を抜き取って、ルセニアは息を吐いた。
「いや、落ち着け。別にあれは――」
 特別大した敵ではない――そう口にしたルセニアだが、少年の目を見て、自分の失態を知った。
 キラキラと煌めく緑色の瞳は、命の恩人という獲物を引っ掛けたときと同じ輝きを放って、興奮気味の少年はルセニアに訴えていた。
「あんな大敵をあっさりやっつけるなんて、凄いですっ、勇者様! お願いです、オレを弟子にしてくださいですっ!」
 三人の冒険者と出会った収穫は、ベルナールに変化をもたらせることは、なかったらしい――それはルセニアを始めとして、誰にもあずかり知れないことだが。


 こうして不幸にも出会ってしまった、迷子の勇者と師匠の物語は……また別の機会に?


                            「迷子の勇者 完」

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