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 3,おかしな二人(後編)


「貴様もいちいち、ついて来なくて良いぞ」
 心持ち嫌そうな顔でマリア隊長さんはライディンを睨んだ。
「そう、つれなくするな。惚れた男がわざわざ自分に会いに来てくれたんだ、照れずに素直に喜んどけ」
 ……惚れたって。俺は思わず耳を疑った。
 ライディンの言い分だと、マリア隊長さんはライディンが好きだということになるよ。ライディンの方が、ではなく?
「それなら、私のプロポーズを受けると言うことか? 少しは私のことを想うようになったと? 冗談も対外にしろ。いつだって、私の気持ちを知っていてはぐらかしてきたのは貴様だぞ。第一に私が国境警備隊に配属されることになったのは全部、貴様のせいなんだからな」
「責任転嫁も甚だしいぞ、お前。ここに配属されることになったのは、お前が自分で転属願いを出したからじゃないか」
「貴様が引き止めてくれると期待した私が馬鹿だったんだっ!」
 肩を怒らせてマリア隊長さんはライディンを振り返った。
「女心もわからずに、貴様は私を引き止めるどころか、門出祝いだと言って花束を贈りつけてきて……今まで、一度だってそんな贈り物をくれたことなどないくせに。私がそれでどれだけ傷ついたか。それでも、会える機会を作ろうと持ち出した部下たちの訓練で、貴様が何をしてくれたか覚えてないとは言わせんぞ」
「何を言うか、お前の望みどおりに鍛えてやろうとしただけだろうが」
「それで全員を治療院送りにしてくれたわけか。おかげで本部からは文句を言われ、私の面目丸潰れだ。二度と貴様を召喚するなと言われたわっ」
「俺にどうしろって言うんだ」
 ややうんざりとした感じでライディンはマリア隊長さんを見返す。この二人ってどうなってんの? 何だか、喧嘩しているみたいなんやけど、はたから見ていると。
「そんなのわかっているのだろう、私に何度も言わせるなっ!」
「結婚なんて面倒臭いんだよ。お前だって大人しく家庭に入る玉か?」
「貴様、言っていることが昔と変わっているじゃないか。女だからって大人しく家庭に入ることなく、もっと積極的に社会に出るべきだと。だから、私は貴様好みの女になろうと」
「そりゃ、ご苦労なことだ。俺に好みなんてあると思ってんのか? 女なら誰でも良いぜ」
 バッと振りかぶったマリア隊長さんの拳をライディンは軽やかなステップで避けた。
「なら、どうして、私じゃ駄目なんだ!」
 潤んだ瞳。本当に、ライディンが好きらしい。こんな無茶苦茶な男のどこがいいん?
「別に俺はお前のこと嫌いじゃないぜ?」
 微かに笑ってライディンはマリア隊長さんに流し目を送る。隊長さんは少女のように顔を真っ赤にした。
「ただ……」
「ただ?」
 期待を込めたマリア隊長さんを前に、ライディンはあっさりと言った。
「女は泣くだろう」
 男でも悲しければ泣くよ。痛くても泣くし、感動しても泣くよね。俺を育ててくれた村長さんは何に対しても涙もろい人だった。だから、女の人だから泣くってのは違うんじゃない? 俺は心の中でライディンの背中に突っ込んだ。
「私は泣かない」
「殴り合いの喧嘩ができねぇ」
「私は貴様とそれなりに戦えるぞ。勝てはしないだろうが、手合わせの相手ぐらいはできるはずだ」
 めげないマリア隊長さんにライディンは単刀直入に言った。
「ハッキリ言って、お前みたいな女は面倒だ」
 一気に場の空気が凍りつく。この男はっ。ライディンの背中で俺は縮み上がった。俯いたマリア隊長さんの背中に何やら不穏な気配を感じるんは俺だけ?
「俺みたいな男にマジになるな。っていうか、マジになってるお前みたいな女は俺には合わんだろう」
「……客観的な見解のように聞こえるぞ。お前の本心を聞かせろ」
「客観的にも、俺的にもだ」
 ライディンはマリア隊長さんを置いて歩き出した。
 ひぃぃぃぃ、背中に何やら強烈な思念が突き刺さるのを感じるんやけど。っていうか、こういう込み入った話は俺のおらんところでやって欲しいんよ。本当なら逃げ出したいんやけど、ライディンの腕がしっかりと俺の足を担いでるんで、逃げらんないのよ。
「俺に合うのは遊べる女だ。でも、お前は遊べない。からかう分には、お前ほど遊べる女はいなから嫌いじゃない。けど、お前が俺に求めてるのはそういう関係じゃねぇだろ」
「私は……」
「いつまでも現実に目を瞑ってんな。お前が惚れた男はこういう男なんだよ」
 振り返って冷たく吐き捨てるライディンにマリア隊長さんは唇を噛んだ。
「違う。貴様が変わったんだ」
「昔の俺がどうだったかなんて、関係ない。今の現実を受け止めろ」
「……どうして、そんな酷いことを言うのだ」
 声を震わせるマリア隊長さんにライディンは苛立たしげに舌打ちした。……この男は。
「泣くな。いや、もういっそのこと、泣け。結局、そういう女だと見限ってやるから」
「泣くものかっ!」
 嘲笑するライディンにマリア隊長さんはそう言い返した。負けず嫌いなのか、ライディンに嫌われたくない一心なのか、俺にはわかんないよ。
「なら、さっさと通行手形を作れ。いつまでも、こんなところで足止めを食らうわけには行かないんだ」
「うるさいっ! 貴様に言われるまでもない」
 大股でライディンを追い越しては一つの部屋に飛び込んだ。続いてライディンが入る。そこはマリア隊長さんの執務室らしい。大きな執務机が、窓を背に部屋の奥に置かれてあった。机の手前にはソファセット。その一つに、俺はようやく降ろされた。
「オイ、打ち身に効くような薬はないか」
 喧嘩を売るような口調でライディンはマリア隊長さんに尋ねた。隊長さんもおんなじような口調で返してくる。
「二階の私の私室のクローゼットの奥に救急箱がある。その中に一通りの薬が用意されているから、勝手に取って来い。部屋の位置は知っているだろう」
 フンと鼻を鳴らしてライディンは執務室を出て行った。
 あぁぁぁぁっ、何で置いてくかな。
 机の引き出しをバタバタと音を立てて、閉じたり開いたり。持て余した怒りをそのままぶつけるような隊長さんに俺はもう身じろぎも出来ずにソファの上でちっちゃくなって、固まってる。八つ当たりされそうで怖いんよ。
「ローレンと言ったか」
 名前を呼ばれて俺は飛び上がった。ピリリッと背中が痛むけど、背筋は真っ直ぐに伸び上がる。
「はいっ、何でございますですでしょうか」
 口調がおかしくなっているのに気がついた。マリア隊長さんもそれに気がついて目を丸くしては微かに笑った。
「そう緊張することはない」
 緊張というより、恐れ慄いているんだけんど。だって、ライディンに対する負けず嫌いな様子からプライドが高そうに見えるんよ。そういう人にしてみれば、さっきみたいな場面を俺なんかに見られてたってのは、かなり屈辱的なことなんじゃないんかな。だとしたら、当たりがきつくなるのは当然で、それが怖いんだってば。
「先程は無様な醜態を見せた。すまなかったな」
 けんど、マリア隊長さんから出たのは謝罪だった。俺は呆気にとられた。
「えっと、そんなっ」
 どう返してよいのやら、あたふたとしている俺に隊長さんは続けた。
「あんな男に惚れているなんて滑稽だろう。笑って良いぞ」
「笑うなんて。そりゃ……ライディンが好きだっていうのにはビックリしたけど」
「やはり、誰もが驚くのだな」
「……俺、ライディンと知り合ったばかりやけんど、何ていうか、あの人、無茶苦茶で。こういう真面目なお仕事している人が好きになるような相手じゃないってのが、正直な感想で」
「正直すぎるな」
「あわあわっ、ご、ごめんなさいっ」
「謝る必要はない。本当に、ろくでなしだと私でも思う。だがな、昔は違ったんだ」
「……昔?」
 ライディンの昔って……きっと大人を小馬鹿にするようなガキだったんやろうね。それしか、想像がつかんよ。
「品行方正で、武術、学問、芸術の全てに於いて優秀な学生だったんだ」
「品行方正って誰が?」
 思わず真顔で問い返してしまった。話題にあるんはただ一人だというのに。
「ライディンだ。女子学生は皆、あいつに憧れていた」
「ああっ、女の子って不良に憧れるお年頃ってのがあるらしいね」
「不良じゃない。あいつがあんな風になったのは学院を出てのことだ」
「マジで?」
「貴殿に嘘をついて、私に何の得がある?」
 マリア隊長さんはそう言うけんど、自分の趣味の悪さを正当化する為の方言かも、というんは俺の穿った見解かね。
「優しくて誠実で、真面目で何よりも曲がったことが嫌いな男だった」
「別人でしょ、それは」
 間髪いれずに突っ込んだ。ジロリと睨まれて、俺は首を竦めた。まさか、ホントだっての? 信じらんないよ。あのライディンが?
「何があったのかは知らないが、私が一年遅れで学院を卒業し、城で再会した時は、今みたいな男に変わっていた」
「それっていつのことなん?」
「十六で学院を卒業するから、八年前になるな」
「そん時はもう、ライディンってカスターの教育係になってたん? 最初から、カスターの教育係だったん?」
「いや、最初はその腕を見込まれて陛下の護衛官として抜擢された。殿下の教育係につくようになったのは殿下が六つになられてのことだから、それから二年後だ」
「王様って何を考えてライディンを先生にしたんやろ」
「それは私もわからん。もうその頃には、昔の面影は微塵にもなく、城であいつを擁護していたのは陛下と殿下、それに昔の面影を追いかけていた私ぐらいだ」
「ああ、お人好しなんね」
 言って、俺は失言だったと慌てた。けんど、マリア隊長さんはむしろ納得するように頷いた。
「ああ、そうだな。陛下はお人好しだ。あんな男を見限れないのだからな。私にいたっては愚かとしか言いようがない」
「そんなに……ライディンって酷いん? 無茶苦茶だってのは、もう嫌ってくらいわかってるけんど」
「あいつの悪口を言った奴は、その晩、必ずといっていいほど闇討ちにあう」
「それ……ライディン本人がやってんだ」
「確証がないけどな。気に食わない奴はたこ殴り。毒を吐いては女官を泣かすは、あいつとまともに会話出来るのは陛下と殿下ぐらいだ」
 ……俺とは割りと普通に会話しているような気がしないでもない。少なくとも、たこ殴りにされていないってことは気に入られた? それはそれで物凄く怖いけんど。
「マリア隊長さんは闇討ちに遭わなかったん?」
 こんなに悪口言ってんのに……。
「女に手を上げることはしない。それだけは昔と変わらない……だから、私は昔の面影を求めてしまう。最も、昔と違って女に対しては容赦のない毒舌家になったか。考えてみるに、男に対しては直接手を下しているのだな」
「男も女も容赦なしってわけね。子供には優しいん?」
「どうかな。殿下に対しても私たちとあまり変わらぬ対応だと思う。殿下があの性格で受け流すので、毒が毒になっていない感じか」
「ああ、言ってることは割と厳しかったかな」
 俺はカスターの理想を容赦なく切って捨てたライディンを思い出す。それに対してカスターはめげてなかったというだけだ。
「何でそんなに変わっちゃったんだろうね?」
「私も知りたいよ」
 マリア隊長さんはハアッと大きなため息を吐く。その憂いた面差しにライディンへの断ち切れない思いの深さを知る。真面目そうな隊長さんがこんなになるくらい、好きだった昔のライディンって、どんなんだろう? 全然、想像もつかんのやけんど。
 首を傾げてるとドアが唐突に開く。片腕に小箱を抱えてライディンが戻ってきた。マリア隊長さんは慌てた様子で怒鳴った。
「ノックぐらいしろ、礼儀を知らんのか」
「俺に礼儀を求めるな。それより、お前、あのクローゼットの中身は何だ。レースやフリルのいっぱいくっついたヒラヒラのドレスなんか、一番、お前に似合わんだろう」
「うるさい。レースやフリルは女子の憧れだ。似合わんのは承知している。ただ、飾っているだけだ」
 顔を真っ赤にしてマリア隊長さんは反論する。レースやフリル……美人系の隊長さんにはかわいい系のそれは確かに似合いそうにない。似合うとしたら洗練された、ラインがシンプルなやつで、身体にぴったりとした感じのがいいんじゃないんかな。国境警備隊の制服の上からでも、隊長さんのスタイルの良さはわかる。それを生かしたデザインで、かなりきわどいスリットが入ってて生足をチラリと見せられたりしたら……男だったら悩殺されそう。って、俺は何を想像してんだか。
「アレを着てお前が恥をかこうが俺には関係ないから構わんが、一つだけ言っておこう」
「何だ?」
 どうせ、ろくなこと言いやしないんだろうな。マリア隊長さんは俺とおんなじことを思ったらしく、嫌そうな顔でライディンを見上げた。
「俺の前では絶対に着るな。その姿を見ただけで吐きそうだ」
「頼まれても着てやるものかっ」
 マリア隊長さんは手にした書類をライディンに投げつけた。……ああ、もう、ホントにこの男は。わざと怒らせるような言葉を選んでんじゃない? そうでなかったら、その毒を吐く口は垂れ流しか? だとしたら、最悪やね。
「ホレ、服脱げ。薬を塗るから」
 ライディンはマリア隊長さんの怒りを放置して俺に向き直ると言った。
「ああ、うん」
 俺はシャツを脱いでから薬を受け取るために手を伸ばす。
「お前な、自分の背中を自分で塗るつもりか?」
「えっ? あっ……だって」
 ライディンの性格をしたら親切丁寧に薬を塗ってくれる図というのが浮かばんのよ。それでのことだったんだけんど……ライディンは俺の背後に回ると薬を塗り始めた。そうして、指先で背中を所々、押しては、痛いか? と尋ねてくる。俺は我慢できんことないよ、と答えた。
「骨に異常はなさそうだな。青痣ができているが、二、三日すれば取れるだろうよ」
「あ……あんがとね」
 俺は礼を言って、そろりとマリア隊長さんを盗み見た。絶句している隊長さんに、ライディンにしてはやっぱりこの親切行為はライディンらしからぬものなんやね。何で、俺に親切なん? 何か企んでるんやろうね。俺をからかっても何もないんやけど。
 薄気味悪くて首を竦めながら、コソコソとシャツを着る。
 ライディンはマリア隊長さんを振り返って手を差し出した。
「通行手形は出来たか?」
「まっ、まだ、あと少し待て」
 我に返った隊長さんは再び席に着きなおす。ライディンはこれみよがしの盛大な舌打ちをした。ワザとだ、絶対。嫌がらせもいいところだ。
「仕事が遅いぞ、お前」
「うっ、うるさい。貴様が気を散らすから」
「能力値の問題だろう。できる女だと思ってたがな。……ああ、昔よしみで忠告するが、手荷物検査は止めろ」
「何?」
 キョトンとマリア隊長さんはライディンを見た。ライディンは腰に片手を当てて、斜めに隊長さんを見下ろし言った。
「国境を越えようとしている奴らの手荷物を調べてただろう。あんなの時間の無駄だ」
「何をいきなり。貴様、あれがどういう意味を持つのか、わかってて言っているのか?」
「城の宝物庫から盗まれた宝石を捜してんだろう」
 ライディンの一言に、マリア隊長さんは眉間に皺を刻んだ。
「わかっているのなら、何で止めろなんて言うんだ。国外に持ち出される前に発見しないと……」
「だから、無駄だって言ってんだろう」
 隊長さんの言葉を遮って、ライディンは言い切った。
「盗まれたのは宝石だ。どこにでも忍ばせられる小せぇものだ。手荷物以外のものにでも幾らでも隠して国外に持ち出せる」
「身体検査もして」
「お前、マジで言ってんのか? 馬鹿さ加減を見せ付けてくれるなよ」
 今度は盛大なため息を吐く。ホントに嫌味だね、ライディンって。二人が話している内容は俺にはわからんけんど、隊長さんを馬鹿にして貶めているのだけはわかるんよ。
「身に付けている物だけが隠し場所とは限らんだろうが、それこそ行商人の積荷を一つ一つぶちまけて徹底的に捜さなければ見つかんねぇよ」
「そんなこと……出来るわけない」
 マリア隊長さんは青い顔をして呻いた。そうか、小麦の袋の中だとか、ワインの樽の中だとか、隠し場所はいっぱいあるんだ。
「これが物量的にデカイものならともかく、親指ほどの宝石だ。覚悟があれば人体に埋め込んで持ち運ぶことも可能だ」
「まさか……」
「人間に限らず、家畜の腹ん中に入れて後でさばけば簡単に取り出せる。これで、わかっただろう。お前がやってるのは無駄なことだ」
「だが……」
「人員を割くのなら、盗みに入った奴らを特定し、そいつらを捕まえろ。もしくは、盗品の販売ルートを摘発するんだ。ま、後のは無理な相談か。国外に持ち出されてのことだからな」
 ライディンは軽く肩を竦める。深刻なマリア隊長さんの表情に、俺は関係ないと言いたげだ。
「ホレ、さっさと、通行手形を作れよ」
 手が止まったマリア隊長さんをライディンは手を振って促す。
「貴様は、何とも思わんのか?」
「何を思えって」
「城の宝物庫から盗まれているのだぞ。今回でもう五度だ。お前の膝元で、不埒な真似を仕出かしている奴らがいるのだぞ」
「ちんけな泥棒なんざ、興味ねぇよ。伝説の暗殺者でも出てくるなら、俺も捜査に乗り出すところだ。是非とも、その噂に聞いた暗殺の手口を拝見したいものだしな」
「死ぬぞ」
「俺が暗殺者に殺されて死ぬと思うのか? いかに伝説と言われても、俺の相手じゃないね」
 フフンと鼻を鳴らして笑う。ここまで自分の腕に自信を持てるなんて、そんなにライディンは強いんかね。国境警備隊の主力をたった一人で片付けたってのは伊達じゃないだろうけど……。第一に伝説の暗殺者って?
「その自信が足をすくわれかねん。もっと、気をつけろ」
 懇願するように見つめるマリア隊長さんをライディンは半眼で見下し、冷たい声を出す。
「お前が俺に説教するな。そういう口は俺から一本でもとってから言え」
 再び、凍りつく場に俺は話題を逸らすように口を挟む。
「で、伝説の暗殺者って何者なん?」
「何だ、お前、そんなことも知らんのか」
 思いっきり馬鹿にした口調で言ってくれるけんどね。
「俺はこの国の人間じゃないってば」
「ああ、そういえばそうだったか。じゃあ、特別に講義してやろう。授業料は金貨千枚」
「んな金があったら、カルディアまで出張るような仕事してないっての」
「じゃあ、十枚」
「思いっきりまけてくれたけんど、俺の生活基準はあんたらが考えるよりずっと低いんよ」
 腐ったミルクに手を出すまでに切迫している現状で、どうやって金貨十枚を捻出できるってのよ。恨みがましい目で見上げる俺にライディンは少し考えて言った。
「幾らなら出せるんだ」
 どうあっても、むしりとる気か、この男は。
「……もういいよ。別に特別、興味があるってわけじゃないんやし」
「二十年前あたりから王族関係を暗殺しまくっている殺し屋だ」
 諦めた俺にライディンはあっさりと伝説の種明かしをしてくれた。今までの会話は何だったんよ。教えてくれる気があるなら、最初から教えてくれてもいいんじゃないん?
「王族?」
「カスターの両親もその暗殺者に殺された」
 俺は息を飲み込んだ。その話は知っていた。だけんど、カスターが王様のお孫様だってわかっても、カスターの死んだ両親のことまでは頭が回っていなかった。
「それも知らなかったのか?」
「い、いや、それは知っていたけんど。王様の二人の王子様のうち、兄王子様はお妃様と一緒に殺されたってのは噂に聞いてたんよ。もう一人の王子様が殺したらしいって疑惑があるけんど」
「伝説の暗殺者を飼ってるのが、その弟王子、つまりはカスターの叔父だな」
「滅多なことを言うな、証拠はないんだぞ」
 マリア隊長さんが声を荒立てた。その慌てぶりから疑惑がかなり根強いことを俺は直感した。フンとライディンは鼻を鳴らす。
「無能ばかりが多すぎる」
「なら、貴様だったら証拠を見つけ出せるとでも? 殺されるのがおちだ」
「俺を殺せる奴なんていねぇよ。奴にもそれがわかってんだろ。だから、カスターは無事だろう」
「カスター殿下はまだ幼く、アルフレッド殿下も障害とはみなしていないのだろう」
「お前、馬鹿? その言動は俺が言ったことと大して変わらんぞ」
 ハッと慌ててマリア隊長さんは口を塞いだ。でも、遅いよ。ライディンとおんなじでその叔父アルフレッド? その人を暗殺者の主と見ているのが丸わかりだ。
「まあ、そろそろそんなこと言っていられなくなって来てんだろうよ。くたばると思ってた爺が頑固に王位に居座って、せっかく片付けた継承者の子供が宮廷内に幅を利かせ始めている」
「カスター殿下は聡明であるから」
「俺が教育してんだ。できが悪いわけない。最も、思考回路が天然過ぎてボケボケもいいところだ。もうちょっとずる賢くなってくれりゃあ、俺としても助かるんだが」
 珍しく真面目な顔をしたと思ったら、とんでもないことを言い出す。純真無垢のどこが悪いって言うんよ。いい子じゃない。人と人は理解しあえるなんて、妄想にも近い理想だけんど、王様になる人くらいはそんくらいの気構えで国を治めて欲しいよ。そうすれば、戦争なんてなくなるでしょ? 結局、軍隊を動かすのは偉い人だから……。
 ずる賢く欲深くなんてなって欲しくない。カスターにはずっと今のまんまで、俺はそう願ってしまう。カルディアは俺の国じゃないし、誰が王様になっても関係ないけんど。
「カスターも狙われてんの?」
「ま、実は何度かな」
 ライディンの告白にマリア隊長さんはガタンと椅子を倒して立ち上がった。
「何だと?」
「心配するな。カスターに手を出させるまでには行ってねぇよ。こっちがちょっと脅したらすごすごと退散しやがった。もうちょっと相手してくれりゃ、暇潰しにもなるんだが」
「……遊んでんの?」
「こっちは遊ぶ気満々だがな。ま、心配するな。カスターを殺すのは俺だ」
「はっ?」
 いきなりとんでもないことを聞かされた。自分の耳を疑ったよ。何、カスターをライディンが殺すって、本気?
「貴様は、まだそれを言うか」
 マリア隊長さんの反応から、ライディンのこの言動は今に始まったことじゃないらしい。
「それが、契約だからな。あいつが俺を失望させたら、俺が即行、殺す」
 伝説の暗殺者よりこの男のほうがヤバイ気がするよ、もう、何度も思うことやけんど。
 ライディンはマリア隊長さんに近づき、机の上から通行手形を取り上げた。それは手の平サイズの木の板だ。実は板は二枚重ねで間に書類が挟めるようになっている。紙切れ一枚じゃ破れやすいかんね。
「これは貰っていく。ま、貸し一つにしといてやる」
 貸しを作った本人が何を偉そうに言ってんだか。ライディンは再び、俺の所に寄ってくると、両足を一気に抱え上げ、今度は肩に俺を担ぎ上げた。俺はライディンの肩に腰掛ける形だ。うわっ、一気に天井が近くなったよ。
「貸しだと言ったな。なら、私の頼みを一つ聞いてくれるということか?」
 我に返ったマリア隊長さんは期待を込めた目でライディンを見上げた。あ、この後の展開はなんとなく予測できるような……。
「私と結婚してくれ」
「絶対嫌だ」
 マリア隊長さんの決死の告白をライディンは一蹴した。ああ、やっぱりね。振り返りもせずに部屋を出て行く。
 そして、俺はドア枠にガツンと頭をぶつけて気を失った。


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