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 4,道中で(前編)


「大丈夫ですか、ローレン兄様」
 薄っすらと見開いた視界に覗き込んできたのは紅顔の美少年。ああ、カスターだ。
 あれ、俺、どうしたんだっけ?
 身体を起こすと、俺は安っぽい寝台に寝かされていたようだ。ここ、どこ? 問いかけた俺にカスターは答えた。
「ルガール山の麓の宿です。今日はここに泊まって、明日、山越えをするのです」
「はあ? いつ、国境、越えたんよ? っていうか、俺、マリア隊長さんの仕事部屋にいたところまでしか、記憶がないんだけんどっ?」
 喚くと同時にこめかみ辺りがズキズキと傷んだ。
 何? 思わず手をやると微かだけど、腫れているのがわかる。ああ、そういえばライディンが部屋を出て行く時、俺、思いっきりドア枠に頭をぶつけたっけ……。
「俺……もしかして、あれからずっと寝てたわけ?」
「心配しました。なかなか、お目をお覚ましになられませんでしたから。具合は如何ですか? 吐き気とかありませんか? ライディン兄様は大丈夫だろうと仰られましたけど」
「あ、大丈夫。ぶつけた所が痛いけんど、他は平気よ。えーと、俺、ライディンに背負われてここまで来たの?」
「はい」
「うわっ、それは大変だっただろうな。叩き起こしてくれて良かったのに」
「ライディン兄様なら大丈夫ですよ。鍛錬の際には、ローレン兄様より重いものを担いで城の裏山を登っていますから」
「……はあ、それは凄いね」
 ライディンのあの底なしの馬鹿力の正体はそこから来るもんなのか。地道に鍛錬している図が思い描けないんやけんどね。ふと、思い当たって俺はカスターに問いかけた。
「ええっと、もしかして、そのライディンの鍛錬にカスターも付き合ってんの?」
「はい。ただ僕にはライディン兄様ほど体力がありませんので、山登りの往復で足腰を鍛えているだけなので、お付き合いしていると言いますのもお恥ずかしい限りなのですが」
 恥ずかしそうに言うカスターに俺はああ、そう、と返すしかない。凄すぎる気がするんだけんど、カスターたちにしてみればあんまり大したことじゃないんやろうね。
「そういえば、ライディンとパーレンさんは?」
「隣のお部屋でお休みです。ローレン兄様は僕と相部屋なのですが、良いですか?」
「あ、うん。それは全然、構わんよ」
「申し訳ないのですが、僕らは食事を終えてしまいました。ここにローレン兄様のお食事を用意していますが、お召しあがりになりますか?」
「あ、うん、そうだな。食べようかな」
 俺の答えにカスターは部屋に備え付けのテーブルにてきぱきと食事の用意を始める。いいんかね? 王族の人をこんな風に使って。
「ローレン兄様、用意が出来ました」
 ボケッとその働きを眺めていた俺をカスターが振り返る。俺は慌ててテーブルについて礼を言った。
「あんがとね」
「いえ、兄様のお役に立てましたのなら幸いです」
 ニッコリと笑う。うんうん、良い子だね。ライディンからどういう教育を受けているのか、心配だったけど。カスターなら大丈夫なんじゃないかって思えてくんよ。
「お茶を頂いてきましょうか?」
「あ、うん。カスターも一緒にお茶しない? 俺一人で飯食べてるのってちょっとね」
「はい。喜んで。少し、お待ちくださいね」
 部屋を出て行ったカスターは暫くしてティーセットを持って戻ってきた。カップにお茶を注いで、カスターは向かい席に腰掛ける。カップを両手のひらで包むように持って、コクコクと飲む。あー、ホント、かわいいね。これが男なんて、勿体ないよ。
 俺は冷めたグラタンをつつきながら、カスターに問う。
「あんさー、少し話し聞いてもよい?」
「はい、何でしょう」
「ええっとね、ライディンとマリア隊長さんって恋人なん?」
「ええっ? そうなんですか?」
 目を丸くして仰天するカスター。いや、聞いてんのは俺のほうなんやけんど。
「ライディン兄様とマリア姉様はお顔をつき合わせては、喧嘩ばかりなされているような気がするのですけど……」
 カスターは自信なさ気に言った。その観察は間違ってないよ。俺だってさ、マリア隊長さんの告白を聞いてなかったら、絶対に二人は仲が悪いって信じて疑わなかったもん。
 うーん、じゃあやっぱり、隊長さんの一方的な片思いなんかね。よりにもよって、どうしてライディンなんかを好きになるかな、と思うんよね。美人の隊長さんなら幾らでも男が寄ってきてより取り見取りって感じだよ。ライディンを基準にするんやったらね。
「じゃあ、ライディンってどんな人?」
「それはもう強い方です。決して誰にも屈せず、ご自分の理念によって行動される、強い信念をお持ちの素晴らしい方です」
 どこをどう見たら、ライディンをそこまで持ち上げられるのかね。誰にも屈せず?……まあ、あの人を支配できる人なんていないわな。ええっと、自分の理念によって行動する、ようするにマイペースってことだね。強い信念……自分の強さを信じて疑っていないのは確かやけんど。
「でも……無茶苦茶じゃない?」
 そうですか? とカスターは俺の言葉がわかんない様子で首を傾げる。ああ、ライディンの言うことも少しわかったよ。純真無垢っていうのは悪いことじゃないと思うけんど、もう少し汚いことも知っていないと、騙されるよ。特にライディンには。
「あのね、ライディンって言ってること、凄くキツイと思うんよ。俺なんかは。カスターはそう思わない?」
「確かにライディン兄様の言われることは極論ではあると思います。でも、正論でもありますから。時には僕も納得しかねますが、存外に的外れでもないものでして」
「ああ……そういえば、そやね」
 ライディンの言ってることは無茶苦茶だけど、少なくとも筋は通っている。マリア隊長さんに、塞で行っていた手荷物検査をいきなり止めろと言い出した時は、また無茶を思ったけんど、ライディンの話を聞けば時間の無駄がよくわかった。そう、確かに盗品を見つけ出すより、犯人を見つけたほうが再犯防止にもなるしね。
「ライディンがその昔とかなり性格が違ってたと、マリア隊長さんからチラリと聞いたんやけど、それってホントかな?」
 カスターに聞いても無駄だろうね。カスターの教育係についた時は、ライディンはもう今の性格だったっていうし。
「あ、それは何度かお話に聞きます。僕自身も、兄様はお変わりなられたと思いますし」
「昔のライディンを知ってんの?」
「はい。兄様のお父上様はお爺様の片腕として王宮にお仕えになっていらっしゃいますので、兄様とは幼少の頃から時々ですがお付き合いがありました」
「やっぱり、凄く変わったん?」
「それまでは穏やかな人だという印象がありましたが、ある時期を境にお言葉が鋭くなられた気がします」
「言葉を選ばなくなっただけ?」
「周りの人全てを敵とみなしているような、それはお爺様の護衛官としての役割からだったのかもしれませんが」
 伝説の暗殺者……それが王様の命を狙って近づいているとしたら、疑り深くなるのは当然だとしても。自分の腕に自身を持っているライディンがそこまで用心深くなるものかね。
「何でやろうね?」
「そういえば、兄様のお母上様が病で伏せられてから、兄様がお変わりになられたかもしれません。それとも、城仕えになられてからでしたか。同じ時期でハッキリとはしませんが、兄様がお家を継がないと言われたのもその頃でした」
「……ライディンのお母さんは、まだ、生きてる?」
「はい。お身体の具合はまだよろしくないようですが、ご健在です。ですが、兄様は全くお家にお帰りになられることがなくなられて、それが僕の教育係としてのお役目のせいであるなら、とても心苦しく思っているのですけど」
 それはないでしょ、と俺は反射的に思う。
 ライディンはそこまで仕事熱心って感じじゃないし。カスターに忍び寄ってくる暗殺者に注意を払っているようで、気を失っている俺と一緒に放置しているところをみれば、暗殺者は暇潰しの遊び相手でしかないような。
「何だかね、よくわからん人やね。ああ、それとライディンはカスターを殺すとか物騒なことを言ってるようだけど、それって?」
「あ、契約のことですね。兄様が僕の教育係としてお役目に就かれる時に、決めたことです。僕はお爺様の後継者にふさわしい人間になります、と兄様に言いましたところ、人間は期待を裏切る生き物だって返されて」
 ……期待を裏切る、それってライディンのことじゃないの?
「僕は絶対に、期待を裏切るような真似はいたしませんと宣誓しましたら、ならば命懸けでやれ、と言われました。もし、僕が兄様の生徒として不出来であったなら、自分が殺す。その代わり、お前が俺の期待に沿っている間は何があっても守ってくださると」
「それが契約?」
「はい。ですから、今、ここにある僕は兄様に認められていると言うことですね」
 嬉しそうに笑うカスターに俺は呆れた。
「ライディンに殺されるって宣言されてて、怖くないん?」
「いえ、全然。だって、僕が兄様を裏切らなければ、兄様は僕の一番の味方でいてくださるということです。それに、兄様に殺される事態が起こったのなら、それは僕の自業自得であると思いますし」
「……はあ」
「ローレン兄様はライディン兄様が怖いのですか?」
 少年が真っ直ぐに俺を見つめて問いかけてくる。
「そういう、カスターは?」
「僕は兄様が大好きです。尊敬しています。兄様が言われる現実は僕の理想とは符合しませんけれど、それでも余りある沢山のことを教えてくださいますから」
「うん……俺も嫌いじゃないかな。いや、時々、凄みがあって怖いのは怖いけんど」
 無茶苦茶だと思うし、ヤバイと思う。信用なんて出来そうにない。けんど、ライディンに背負われているとき、何となく頼ってしまう安心感を覚えた。
 カスターは俺の答えを聞いて満足そうに微笑んだ。
「ローレン兄様が仰っていたライディン兄様とマリア姉様が恋人同士かという質問の答えはわかりませんけれど、僕はそれが本当だったらとても素敵なことだと思います」
 ま、客観的に見れば不幸せなカップリングのように見えるけんどね。でも、隊長さんはライディンのことが凄く好きみたいなんで、良いのかもしんない。この際、ライディンのことは放っておこう。男はやっぱ、美人とかわいい者の味方だから。
「だって、僕、マリア姉様も大好きですから」


「お早うございます、ローレン兄様」
 さわやかな声に起こされる。昨日、あの後、今度はカスターにねだられる形で俺のことを話した。どんな仕事をしているのかとか、市井の暮らしはどんなだとか、気がつけばかなり深夜まで話し込んでいて、ちょっと寝不足気味な俺。それはカスターもおんなじはずなのにね。
「起きたか」
 ノックもなしに現れたのはライディンだ。この男に礼儀を求めちゃいけないんだったね。
「お早う」
 挨拶する俺にライディンは皮肉な笑みを返してきた。
「お早うって面じゃねぇぞ、お前」
「少し眠たいけんど、顔を洗えば大丈夫よ。それより、昨日はあんがとね。気を失った俺を背負ってて重かったでしょ」
「お前程度を重いなんて感じてたら、俺は棺おけに片足を突っ込んでいるようなもんだ」
 要するに、気にするなってことなんかね? 毒舌の下にある意味を汲み取るのはなかなかに難しい。寝台から立ち上がって、俺は背筋を伸ばした。うん、まあ、背中の痛みはだいぶ、取れたかな? ピョンピョンと飛び上がると、その振動が背中ではなく頭に来た。ぶつけた頭が痛い。顔を顰めた俺をライディンが見ているのに気がついて、俺はソロリと首を縮めた。
「背負い賃、金貨百枚だな」
「無理だって」
 そんなやり取りの後、俺はこの日もライディンに背負われることになった。そして、宿を出て山登りの一日が始まったわけだ。

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