トップへ  本棚へ



 5,道中で(後編)


 山登りと言っても山道を行くだけだ。ただ、盗賊が出やすいってんで、俺としてはあんまり使いたくないけんど、自分の足で歩かない以上、悪路や遠回りを指示できない。
 ま、盗賊だって毎日、この山道に網を張っているわけじゃないだろうし、何かあればライディンが対処してくれるだろうね。
 ……何だかんだ言いながら、ライディンのこと、頼りにしているよ、俺ってば。
 カスターを先頭に、荷車を先導しながら商人さん、そして最後尾を俺を背負ったライディンが緩やかな坂道を登ってく。傾斜は差ほどでもないけんど、少しライディンが前の二人より遅れだした。距離が開いたので、疲れたのかと心配になる。
 大丈夫? と問いただそうとした時、ライディンが口を開いた。
「お前さ、あのパーネンっていう奴とはいつから仕事を組んでんだ?」
「えっ? それは今度が初めてやけんど。それが何? あ、と、パーネンじゃなくてパーレンさんだよ」
 微妙に間違った名前を正して、俺はライディンの横顔を覗き込む。
「パーレンさんがどうかした?」
「いや、昨日の晩、あいつが寝入った隙に奴の通行手形を調べてわかったことだが。奴はカルディアに結構、頻繁に来ているようだな」
「らしいね。俺と組む前は、他の護衛を雇っていたけんど、一度、盗賊に襲われて殺されたんだって。その時、積荷は全部奪われたけんど、パーレンさんは逃げ出して助かったとか。あ、もしかして、マリア隊長さんと話してた盗まれた宝石のことでパーレンさんを疑ってんの?」
「お前、頭の回転は悪くないな」
 からかうような笑みでライディンは俺を振り返った。
「学校には行ってないけんど、育ててくれた人が色々、教えてくれたからね。それより、パーレンさんを疑うのはどうかと思うんよ。一緒に行動していた俺から見ても怪しい行動なんてなかったから。普通に行商してたし」
「お前が共犯なら、その証言は意味がない。とはいえ、お前が犯罪者ってのはイメージできんからな。信用するさ。第一に、パーレンが宝石泥棒と関係あるとは断言できねぇ。本人が知らぬうちに利用されているだけかもな」
「知らないうちに?」
「宿に荷を預けていただろう。そこで荷の中に盗品を隠された可能性もある」
「ああ、で、パーレンさんを運び屋にして国外に出たところで宝石を回収するんやね」
「問題は俺のこの推理は初歩的であることだ」
 俺は頷いた。多分、ライディンの考えてることは俺とおんなじだろう。でも、確認するために俺は黙ってライディンの言葉に耳を傾けた。
「こちらで盗まれた宝石が国外で売買されているのは、この手のことに係わるやつらには誰もが知っている。ならば、運び屋に検討をつけて獲物を横取りしようと考える奴らが出てきても何ら不思議はない」
「前に、パーレンさんが盗賊に襲われたのはそういうわけだね。そして、助かったのも」
「再び、運び屋として使われることを前提にわざと生かされた。それで、今回もまた運び屋をやらされているのかどうかはともかく、餌に釣られて奴らが出てくるのは間違いないだろう」
「ちょっと、それって危ないじゃん」
 俺は慌てた。カスターとライディンがいるから、盗賊が出ても大丈夫なんて思っていたけんど、それが実際問題となるとやっぱり、焦る。
「引き返す? 別の道、進むっ?」
「どの選択も、遅い」
 ライディンが言うと同時に、辺りがざわつき始めた。異様な気配にカスターが先頭で足を止めた時、片側の傾斜になっている木々の間からビュッと風を切る音がして、俺の耳元を何かが掠めた。振り返って、それを確かめると矢だ。
「わっ!」
「当たってねぇのに騒ぐな」
 冷淡に吐き捨てて、ライディンは走った。パーレンさんに追いつくと後ろから襟首を掴んで引き倒す。
「荷車の陰に伏せてろ、カスター、剣を抜け」
「はい」
 カスターは腰の剣を抜いた。ライディンは山道の反対側の傾斜の木々へと走り寄った。
「お前は上でじっとしていろ」
「えっ?」
 グイッと身体を持ち上げられたかと思ったら、目の前に木の枝が突き出ていた。俺は両腕で木の枝にしがみつく。ライディンは俺の足を掴んで、腕一本で俺の身体を押し上げる。ホントにどんな馬鹿力してんだか。木の枝に跨って俺は身体を安定させる。
 ライディンもまた腰から剣を抜いて、飛んでくる矢を叩き落していく。カスターも同じようにまるで、鞭を振るうかのような剣さばきで、右へ左へと回転させるようにして矢を弾く。……素人の俺にはとても真似できない芸当だ。
 暫くすると、矢は打ちつくされたらしい。一本も飛んでこなくなった。ライディンは剣を鞘に戻して、矢が飛んできた木々の間に目を凝らす。
「そこにいるんだろう。かくれんぼがしたいのか? それとも、殺し合いがしたいのか、どっちだ。どっちでも、俺は遊んでやるぜ」
 少し待つ。木々の間から漂ってくる殺気はそのまま、動かない。ライディンは焦れたように舌打ちして、カスターを振り返った。
「この場は、お前に任せる。二人を守ってやれ、出来るな?」
「お任せください」
 力強く頷いたカスターにライディンは薄く笑って、木々の間に飛び込んだ。枝葉の影にライディンの背中が消えて、暫くすると鈍い音と「うわっ」という悲鳴が届いて、一人の男が転がり落ちてくる。続いて、一人二人と投げ出されてきてからは、ぞろぞろと盗賊は山道へと逃げてきた。そして、カスターを取り囲む。
 ライディンよりカスターを相手に選んだらしい。回りを取り囲んだ十人ほどの男たちに、カスターは剣を鞘にしまった。……カスターの性格なら、悪党相手でも剣は使えない。優しすぎるから、肉体的損傷を与える凶器を手にすることはできないんだ。
 でも、素手でどれだけ対処できるだろう。俺は木の上でどうしたものかと迷う。加勢した方が良いと思う反面、俺が飛び出すことでカスターの動きを制限してしまうことになったら? 足手まといになるんようなら、ここでじっとしていたほうがいい。どうしよう? どうしたらいいん?
 ライディンの姿を求めるけれど、出てこない。そうしているうちに、盗賊がカスターに襲い掛かる。盗賊の手には剣が握られてる。突き出される刃を避けて、カスターは手刀で男の手を払い、踏み込んだ間合いで盗賊の腹に拳を叩き込んだ。後ろから襲ってくる奴には回し蹴り食らわせる。そいつは仲間を巻き込んで倒れた。
 一回転して、地面に両足で踏ん張ったカスターは、横から襲い掛かってくる男の腕を抱え込み、首に肘鉄を食らわせる。気管を潰されて息が出来なくなった男は転げまわる。
 …………ここまでの展開は瞬きの一瞬だった。ライディンに負けず劣らずの強さに、残った盗賊はカスターと距離を取った。
 このまま引くか? 息を詰めて見ている俺の眼下で、盗賊の一人が懐に手を突っ込んだかと思うと何か手にして、それをカスターめがけて投げた。
 目潰しだ! それに気付いたときは、カスターはそれを浴び、目元を押さえて一瞬、棒立ちになる。そこへ盗賊の一人が詰め寄る。
「カスターっ!」
 俺は考える間もなく、飛んでいた。カスターの背後に詰め寄った男の首に腕を回して引きずり倒しながら地面を転がった。衝撃が頭のコブに来て微かに呻く。
「ローレン兄様っ?」
「俺は大丈夫っ! それより右っ!」
 あらたにカスターに迫る影に俺は叫んだ。カスターは効かない視界を切り捨てるように目を瞑って、俺の指示したほうに向き直った。そうして、近づいてくる男に気配からその位置を確かめたのだろう。腕を突き出し、横になぎ払った。顔をぶたれて仰け反る男の背後から、また別の男がカスターに襲い掛かる。
「前だよ! 一歩、踏み込んで、蹴り上げろ」
 カスターは俺の声に従った。一歩、踏み込んで、蹴り上げる。男の顎にヒットした蹴りが見事に決まった。
「そのまま、反転っ! 後ろ」
 軸足をそのままに、回転して後ろから襲ってくる男の横っ面に回し蹴りが決まる。俺の指示が的確というより、カスターってば目が見えてんじゃないの? と思わず疑ってしまうくらい動きに迷いはない。
「そのまま左っ!」
 最後の一人を膝蹴りで倒した。後は俺が下敷きにしている男だけ。俺は男の頭を両手で掴むとガツンと地面に叩きつけた。気を失ったのを確かめてから、カスターに駆け寄った。
 カスターは目に入ったゴミが痛いのか、ポロポロと涙をこぼしていた。
「ああ、待って。今、洗ってやるから」
 俺は荷車に積んでいた水筒の水で手ぬぐいを濡らし、カスターの目のゴミを取ってやった。少し手間取ったけれど、ゴミは完全に取れて、潤んだ青緑色の瞳が俺を見つめた。
「ありがとうございます、ローレン兄様」
「礼なんていいんよ。カスターに助けてもらったんは、俺たちのほうだもん」
「いえ、兄様のお声がなければ立ち往生していました。本当にありがとうございます」
 丁寧に頭を下げるカスターの大仰さに俺は照れた。何だか、自分が凄く偉くなったような感じがするよ。こんなの慣れてない。
 俺は照れた自分を誤魔化すようにあたふたと周りを見回した。もう盗賊が襲ってくる気配はない。残りの盗賊はライディンが片付けてくれたんかね。取りあえず、ここに気絶した十人ばかりの盗賊を何とかしないとね。
 俺は荷車の影に隠れているパーレンさんに声を掛けた。もう大丈夫だからと言って、荷を纏める為に用意していた予備のロープを貰った。盗賊たちの手足をそれで縛る。気がついて、また襲ってこられたら困るかんね。
 そうして、十人近くの盗賊をやっとこさ縛り上げた俺はいつまで経っても戻ってこないライディンに違和感を覚えた。
「ライディン……遅いね」
「はい。兄様のことですから、大丈夫だと思うのですが」
「俺、見てくるからカスターはこいつらを見張ってて」
「僕が行きましょうか?」
「いんや、こん人たちが暴れたら俺じゃ対処できないし、パーレンさんもいるからね。俺が行くよ。ここ、よろしくね?」
「わかりました。くれぐれもお気をつけくださいね」
 カスターの言葉に頷いて、俺は傾斜を上る。下に積もった腐葉土に足が滑りそうになる。足場を確かめながら、近くの木に捕まってソロソロと進むふと、気付くと腐葉土が歩き散らかされた箇所があるのを見つける。それを辿っていくと、木々にもたれるように倒れている人影があった。
 近づいて顔を確かめて、俺は眉を顰めた。殴りつけられたその顔は鼻が潰れ、歯が折れているようだ。血まみれのその顔はライディンじゃない。
「……ライディンがやったんやろうね」
 辺りを見回せば点々と男たちが倒れている。それは見るも無残な姿だ。
 足の骨が折られたり、両肩を脱臼させられたり、色々……手加減なしだ。
 まあ、当然か。自分の国の国境警備隊を治療院送りにしてんだもの。悪人相手に手加減するわけないか。
 いや、これでも手加減しているんかね? マリア隊長さんに話していたところによると、十分の一も手の内を見せてないとか言ってたし……。
 カスターも凄いけど、ライディンは桁外れだ。あの長身と馬鹿力だ。蹴りの一つで簡単に骨を折ってしまうんやろうね。ハッキリ言って人間凶器だ。正直言って怖いよ。ライディンがその気になったら俺なんて蟻を潰すみたいなもんやろうね。
 その気になれば……。
 今、国境警備隊の人たちがあんなにまでライディンを恐れる理由がわかった。喧嘩が強いから、自分じゃ適わないから、っていうそんな理由じゃないよ。最も、怖いのはライディンの考えていることがわからないことだ。無茶苦茶な言動や行動から、ライディンの思考を読み取るのは難しい。笑った顔でその実、腹で何を考えているのやら。カスターを殺すのは自分だ、と宣言しちゃう人だよ? 訳、わかんないよ。
「……悪い奴じゃないとは思うけんど」
 俺を背負ってくれたし、薬も塗ってくれた。親切なところもあるわけで、真面目そうなマリア隊長さんがベタ惚れしている相手やからね。悪い男じゃないと思う反面、今まで見てきたその行動から信じてよいのかは、相変わらず迷うところだ。
 俺はその場を離れてライディンを探す。腐葉土についた足跡を辿っていくと、山道に出た。俺たちが居たところからはカーブになっているせいで、見えない。
「カスターのところに戻ったかな?」
 山道を歩きかけて、俺はもう片側の傾斜に目をやった。下に下るそこに滑ったような跡がある。
「落ちたっ?」
 俺は同じように傾斜を滑っていく。降りる速度は段々と速くなり、足がもつれる。こけそうになるところを手近にある木々に捕まってスピードを落とす。ガクンと前のめりになる身体を踏ん張って支える。痛いっ! 背中と頭に衝撃が来た。ああ、情けないね。この仕事が終わったら、少し身体を鍛えようか。ライディンやカスターみたいに強くはなれなくても、討たれ強く……討たれ強くなって、どうすんだかね。殴られる前の対処術を身に付けるべきだろうに。
 ゆっくりと降りていくと目の前がいきなり開けた。崖だった。近くの木にしがみついて、下を覗く。断崖絶壁の側面に突き出た場所があった。広さは結構あるけれど、危ない場所には変わりない、よじ登れば上れなくもない高さのそこにライディンと別の人影がある。
「ラ………」
 呼びかけようとしたけんど、ライディンの声がこちらに届いて俺は口を閉じた。
「こそこそと付きまといやがって。国外まで出張か、お仕事熱心だな」
 嘲笑する響きのライディンの声に、俺は相手を見る。黒装束の男は四十ぐらいか。直感で、こいつは盗賊の一味じゃないと思った。身のこなしが盗賊たちに見たものと違う。男はスッとライディンに忍び寄ると、手に隠し持ったナイフで切りつけようとする。
 でも、駄目だ。ライディンの反応が早い。腕を持ち上げて、男の手を払うと同時に服を掴んでかるがるとその身体を持ち上げた。そして、そのまま男が元いた所に投げつける。男は空中で回転して、多少バランスを崩しながらも着地した。これが普通だったら、地面に叩きつけられているところだ。骨の一本、折られているかもしれない。
 ……あの男も、強い。
 俺は背筋が震えるのを実感した。
「迫ってくんじゃねぇよ。男に迫られるのは趣味じゃないんだ」
 ライディンは軽口を叩く。よく言うよ。美人のマリア隊長さんに迫られて拒絶していたのはどこの誰? ……まあ、あの場合とこの現状は比べるまでもなく違うけど。
「付きまとわれるのもウザい。ここで、片をつけようぜ。国外だ。俺がお前を殺してもさして問題にはならんだろう」
 あっけらかんと恐ろしいことを言う。相手が悪人であれ、殺したら問題でしょうが。
「死ぬのは貴様だ」
 男が両手に短剣を手にして言った。ライディンは小首を傾げるようにして笑う。
「オイオイ、伝説と謳われたあんたも耄碌してボケたか。まあ、二十年近く、現役をやってた腕前には評価はするけどな。アンタの腕じゃ、俺は殺せないぜ」
「ガキが大層な口を」
「今までだって、散々、返り討ちにあった奴が何をほざいてんだか。負け犬の遠吠えは無様だぞ」
 ライディンの声は淡々としている。その分、ズシリときた。
 まだ、馬鹿にしたような声や冷たい声で言ってくれた方が安心できた。今のライディンは感情が見えない分、何を考えてるのかわからない。第一に、伝説って言った? じゃあ、この男がカスターをつけ狙ってるという伝説の暗殺者。盗賊の襲撃にあわせて、カスターを襲おうとしてたのか。
「言わせておけば」
「口を塞ぎたければ、来いよ。相手、してやる」
 ライディンはそう挑発して、腕を組んだ。構えるんじゃなく、腕を組んだっ! 常識的に考えてあり得ないでしょ、それは。
 絶句する俺に、暗殺者も唸る。そうして、自分が舐められていることに気付いて怒りもあらわにライディンに突っ込んでいく。顔面を狙って突き出された短剣をライディンは皮膚一枚のところで避けた。危なかった……と、ホッと安堵しかけて、俺はライディンの顔に浮かんだ表情に今のはわざとそういう風に避けたんだ、とわかった。
 ライディンは唇にこれみよがしの嘲笑を浮かべると、金茶色の瞳で顔のそばの短剣に一瞥をくれると、片腕を跳ね上げた。バチンとこちらまで肌を打つ音が届いた。
「不用意に相手の間合いに入ってくるな」
 言うが早いか、暗殺者の腕を絡めとる。腕を背後に回して、一瞬で暗殺者を組み伏せた。
「お前、弱すぎ。年を取ったら取ったで、その経験値で戦術を変えるくらいの器用さを見せろ。伝説が泣くぜ」
 そして、ボキッと腕を折る。容赦なし。解放された暗殺者は苦痛で歪めた顔でライディンを仰ぐ。
「もうちょっと楽しませてくれよな」
 今度はライディンが一歩、踏み出した。握った拳を突き出す。暗殺者は身体を横にずらして避けた。
「それで逃げたつもりか」
 そのまま腕を横に動かす。逃げるより先に追ってきた拳に暗殺者は横っ面を殴打された。そこへ、反転した勢いのままにライディンの回し蹴りが飛んできて今度は身体を蹴った。庇うように持ち上げた腕が鈍い音を立てる。
「両腕、使えなくなったな。どうするよ? ああ、まだ足があるから、諦めないよな? ガキにこれだけコケにされて引けるわけないよなぁ」
 どこまで馬鹿にするんやろ。相手は暗殺者だから、同情はしないけど。
 ダラリと両腕を垂らし、後退する暗殺者にライディンはツカツカと歩み寄ると、服の襟元を掴んで引き寄せると同時に手の平で胸を打つ。暗殺者は血を吐いた。
「今ので肋骨が折れたな。下手に動くと、肺を破るぜ」
 言って、ライディンは暗殺者の身体を持ち上げると放り投げる。暗殺者は地面に叩きつけられ、悲鳴を上げた。見ているこっちが痛くなるような絶叫だ。
「どうよ? 痛いか、苦しいか? んな泣き言、言えねぇよな」
 地面に伏せた暗殺者を踏みつけて、ライディンは笑う。
 今まで何人も人を殺してきた暗殺者には痛烈な皮肉だ。これでは許しを乞うことなんてできやしない。
「…………」
 暗殺者が何か言ったようだった。一瞬、ライディンの動きが止まる。何?
「よく、わかってるじゃないか。そうだよ、俺はお前と同種さ。人がどれだけ苦しもうと何も感じやしない。だから、わかるだろう? 俺はお前を殺せる」
「……そんな貴様が、どう……してあの王子に……加担する……」
 あえぐ息の合間に、かすれた声で暗殺者は言った。俺は息を詰めて、耳を澄ます。
「カスターのことか? 別に加担しているわけじゃない。俺は雇われた教育係さ」
「ならば、こちらへ来い……」
「あん?」
「あの方なら、……お前が望む戦場をくだされる。私のようにな……」
「俺に思う存分、力を振るう場をくれると? そりゃ、いい」
 何を言ってるん? 俺はライディンの言葉の意味を掴みかねて、混乱した。いや、何が言いたいんか、わかる……けんど、それを理解したくなかったんよ。
 だって、それは……ライディンがカスターを裏切るってことじゃん。何言ってんのよ。
「お前の主が好戦的で、玉座に就いたら隣国に開戦を宣告するだろうことはもう誰もが承知している。なるほど、戦場なら俺の力は十分に使えるな」
「……あの王子が王位を継げば、それは叶わなくなる」
「ふん、だから、爺はお前の主じゃなくカスターを後継者に選ぶんだ」
「貴様はあの王子の下で平和に暮らすというのか?」
「俺がそれを望むタマか?」
 言って、ライディンは暗殺者を踏みつける足に体重を掛けた。絶叫が谷間にこだまして響く。
「な……らば、こちらに来るがよい……」
「お前が命令するな。俺を欲しければ、俺の条件を飲め」
「……条件……だと?」
「お前の主の覚悟が見たい。本気で戦争するつもりがあるのか、玉座に就いた途端に丸くなるような奴なら、俺のせっかくの腕も腐れちまう。だったら、カスターについてお前らのような暗殺者を相手に遊ぶほうがまだ良い」
「……あの方はさぞや、貴様を気に入るだろう」
「男に好かれても嬉しくないがな。お前の主は嫌いじゃないぜ。障害になる相手は殺してしまえっていう発想は俺に通じるものがある。所詮、人間なんてそんなものさ」
「では……」
「条件は一つ。カスターをくれてやるから、奴自身を連れて来い」
「……何?」
「奴、自らの手でカスターを殺すぐらいの覚悟を見せろって言ってんだ。俺の主になりたければそれぐらいしてみせろ」
「……それで、貴様はこちらにつくと?」
「生徒がいなけりゃ、教育係も失業だろ?」
「……なるほど……」
「わかったら、奴を俺の前に連れて来い。俺は誰にも従属しない。俺は俺の意志で動く。俺を動かしたければ、俺の意を尊重するんだな。そうしたら、意外に俺はお前たちが思うように動くかも知れないぜ?」
 含みを持たせてライディンは笑った。
「……どこへお連れすればいい……」
「話が早いな。俺とカスターはこれからバルスコアに向かう。戻ってくるのは三日後か。国境の塞近くに、俺の別宅がある。調べればわかるだろ? そこへ奴を連れて来い。ただし、誰にも知られるな。俺と奴が繋がっていると知られるのはまだ早い」
「……何故?」
「カスターを始末したとして、まだ、爺さんは健在だ。ここで、すぐに爺さんを始末しちまえば、城のやつらはこぞって奴を引きずり降ろそうとするだろう。今や城の奴らはカスター派だ。カスターが死ねば疑いは俺か、お前に向く。ここで、俺たちの繋がりが知られれば幾ら、王家の血筋が奴一人としても誰も奴を王と認めない」
「そんなことは……」
「お前がカスターの両親を殺したことで、どれだけの人間がお前と奴を敵視しているか、わかってないな? 俺と同じように、お前の主は人に好かれるタイプじゃねぇだろ。王族ってことでまだ、城での権威は保たれているけどな。奴の味方は少ねぇんだよ」
「…………」
「わかったら、決して誰にも悟られずに……ああ、アリバイ工作をしたほうが良いかもな。お前の存在がある以上は、疑いは免れないだろうが。決定的な証拠を掴まれるよりはマシだろうさ」
 ライディンは暗殺者の身体を蹴って、背中を向ける。こちらに顔を向けてきたので、俺は我知らず木の幹の影に隠れた。
 俺がヤバイ話を聞いちゃったことをライディンが知ったら、どう出てくるだろう? 俺を殺す? ライディンのことだから躊躇なんかしないだろう。
 でも、ホントにライディンはカスターを殺すの? いや、殺すってのはもう前々から宣言されているけれど……本気なん?
「……本当に、あの王子を裏切れるのか?」
 暗殺者の問いかけが聞こえた。俺はソロリと木陰から顔を出して崖の下を覗き込む。
「ガキのお守りにも飽きたしな。第一に、俺は誰にも期待しねぇし、信用もしねぇ。そんな俺が誰かを裏切ったとしても、それは別に何ら問題のあることか?」
「……私があの方をお連れしなかったら?」
「別に、今まで通り俺はカスターの教育係だろ。それでお前の主は玉座には永遠に就けない。それだけのこと」
「貴様が私たちを罠に嵌めようとする……策かもしれない」
「言っただろう。誰も俺を動かせない。俺を動かしたければ、俺が動きやすい場をお前らが作れ。お前は俺という人間をよく理解しているのだろう? だったら、どうすれば俺が動くかわかるはずだ」
「…………」
「せいぜい、考えな。俺がここでお前を殺さずにいてやることの意味を。それもわからんような馬鹿とはつるむ気はないぜ。ああ、一つ教えてやろう。俺を本気にさせれば大陸支配もそう難しいことじゃない」
「……まさか」
「できないことだと思っているな? そうでもないさ。この大陸は小国家の群れだ。そこいらで国土を争って戦争が起こっている。だが、それが拡大しないのは何故だと思う? 一つの国が力を持ちすぎることをどの国も認めないからだ。だから、戦争に勝利した国も別の国からの策略で内側から潰される」
「グレスデンのことか……?」
 暗殺者の上げたその名は俺の国を戦争で負かした相手だ。そうして、内乱でにっちもさっちも行かなくなっている隣の国の名前。
「これがどこの国の策略かはわからんが、一国だけのものじゃないのは確かだろう。協力体制がとられていたわけじゃないがな。力の均衡が拮抗しているから小さな国でも国家として成立している。そこで、均衡が崩れるのを良しとしないから、見えないながらも同盟じみたものがあって、それぞれが存在し続けている。ならば、その均衡を壊してしまえ」
「貴様にはできると?」
「俺を嵌められる奴なんてどこにいるよ?」
 ライディンはそう吐き捨てて、もう暗殺者を振り返らない。暗殺者はただ目の前に見えるライディンの背中を倒れた姿勢のまま見上げていた。起き上がる気力も、無防備な背中に襲い掛かる気力も、もうないんやね。圧倒的な力量の差を見せ付けられたら、誰だってやる気をなくすし……。
 俺はこの場を後にした。もう、ライディンは心配ない。……っていうか、心配なのはこれからライディンがどういう行動に出るか、だ。
 今の会話から察するに、ライディンはカスターの叔父さん……ええっと、アルフレッドっていう人側に付こうとしているらしい。そうして、その人が王様になったあかつきには、隣の国とかと戦争するって……。そりゃね、あれだけ強いんだもん、自分の腕を試したいでしょ。そんなライディンが存分に力を発揮するのは戦場だと思うんよ。
 でも、だからってさ。カスターを裏切るなんて、殺すだなんて……嘘でしょ?
 とぼとぼと歩いて山道に戻る。
「ローレン兄様」
 俺を見つけてカスターが駆け寄ってきた。
「ライディン兄様は見つかりましたか?」
「あ、うん、えっと……」
 言いよどんだ俺のすぐ後ろで声がした。
「俺がどうした?」
「うひゃゃゃゃゃっ!」
 飛び上がって俺は悲鳴を上げた。振り返ったそこにいるのは、他でもないライディンだ。いつの間に? っていうか、怖っ! 足音も気配もしなかったじゃん。
「うひゃ?」
 訝しげなライディンの視線に俺は慌てた。暗殺者とのやり取りを俺が聞いてたなんて知られちゃいけない。
「えっと、あの、悲鳴の練習……」
「何だ、それは」
 ライディンの呆れ、侮蔑のこもった表情に、俺は言葉を並べ立てる。
「やっ、悲鳴って大事でしょ。襲われた時にさ、こう、『うわぁぁぁぁぁっ!』って叫んだら襲ってきた奴もビックリして、ちょっと意表突けるじゃん。その隙に逃げるって、そう話してたんよね?」
「……はあ」
 同意を求めたカスターは困ったような顔で俺を見上げてきた。状況を察して話を合わせるなんてことができるほど、この少年は器用ではないし世間慣れもしていないらしい。
「ま、筋が通ってないこともないけどな。そんなもの練習する間があったら、護身術でも覚えろ。その短剣は飾りか?」
 あっという間に、俺の腰から短剣が二本抜かれていた。そして、次の瞬間には俺の首筋に刃が当てられていた。冷たい金属の感触が皮膚一枚のところに感じる。
「悲鳴を上げる前に殺されちまったら、元も子もないだろう。もっと注意力をつけて、事が起こる前に対処する術を身に付けろ。ガキがこんな仕事をするなら、なおさらだ」
 説教くさいことを言って、ライディンは俺の首から刃を離した。
 ……殺されるかと思った……。
「好きでこの仕事がしたかったわけじゃないんよ」
「言い訳なら誰でもできる。好きで生まれてきたわけじゃない、好きで生きているわけじゃない。だったら、死ね」
「誰もそこまで言ってないでしょうが」
「誰もお前に言っていないだろう」
 薄く笑ってライディンは短剣を一本だけ、こちらに返してきた。
 もう一本は? 見上げた俺にライディンは片手で短剣をもてあそびながら、荷車に近づいた。そうして積荷を一つ一つ確認していく。
「オイ、この荷の一つを売らないか?」
 ライディンがパーネンさんを振り返った。
「はい?」
「ローレンが買い取る。なぁ?」
「何なんよ、それ? 第一に、そんなお金、俺は持ってないし」
「俺が立て替えてやる。それで良いな」
 言って、ライディンは小麦を詰めた麻袋に短剣の刃をたてた。そこから手を突っ込んで、ごそごそやっていると思ったら、手に青い石を握っていた。
「それ……盗まれたっていう、宝石?」
 ライディンは親指ほどだって言ってたけんど、どこが。親指と人差し指で作る輪くらいの大きさだ。俺には宝石の価値はわかんないけんど、高価な代物だってのは一目瞭然だ。
「どうして、このようなところに?」
 ライディンの推理を聞かされていないカスターは目を大きく見開いて驚いている。
「国境越えの行商人を運び屋にしてたんだ。国内で盗品をさばくのは難しいからな。目をつけた商人の荷に盗品を隠して国境を越えさせる。そこで荷を回収するわけだ。いや、もしかしたら、取引相手が宝石泥棒と関係があるかもな。オイ、これの売り手は決まっているのか」
「……小麦やワインはバルスコアで大きな宿屋を経営しています旦那さんに売ります。宿の上客にはカルディアの小麦で作ったパンが喜ばれると、他の人より高値で買ってくださいますから」
 この事態に困惑気味のパーネンさんはオロオロと視線を俺やライディン、そしてカスターにとさまよわせた。
「わ、私は、何も……」
「ま、その捜査は後にマリア辺りに任せるさ」
 言って、ライディンは宝石を俺に投げてきた。俺は慌てて両の手で受け止めた。
「なっ?」
「お前が見つけたってことにしとけ。それをマリアのところに持っていけば謝礼ぐらい貰えるぜ」
「ホント? っていうか、何でわざわざ、俺に?」
「俺が持って行っても謝礼金は引き出せないからな。そうそう、立て替えた金は返せよ。利子は一割にまけといてやる」
 ライディンはパーネンさんに金貨渡している。ちょっと、待って。そりゃ、謝礼金は欲しいけんど……何で、こんな回りくどい……ああ、何か、ライディンが得している気がするよ。よくよく考えたら、ライディンの懐は全然痛くないじゃん。
「ま、そういうことだ。とりあえず、バルスコアに行こうぜ。もう、背負わなくても歩けるみたいだな」
 ライディンは手にした財布をしまいながら俺を見て言った。
「この方々はどうしましょう?」
 カスターが縛り上げられた盗賊たちを振り返って問う。悪人相手に丁寧語だ。
「ここに置いていく。山を降りたら、この国の警察に届けるさ。森の中の奴らも動けないようにしてきたからな、一晩ぐらい放置しても逃げやしないだろう」
 動けないように……足の骨を折ったり、関節を外したりしてたのはそういうわけか、なるほど。……って、その前に、ホントにそこまで考えてやったの?
「行くぞ、ホレ」
 ライディンは全然変わりない様子で、マイペースにことを進めてく。歩き出した一行に、置いていかれそうになった俺は慌てて皆を追いかけた。


前へ  目次へ  次へ