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 2,愛し君


「ところで、ディアーナさんは聞きましたか? 貴族街で話題になっている泥棒……わが社では話題づくりとしてブルーバードと呼んでいるんですけど」
 昨今、新聞紙上を賑わせている泥棒をいつしか、人々は怪盗ブルーバードと呼ぶようになっていた。
 小説のブルーバードと同じで、貴族からしか盗まないその行動から名づけられた。名づけたのは他でもないクーペ社だ。
 この会話ではどうも、小説と現実をごちゃ混ぜにしてしまいそうではあるけれど。
「ブルーバードの事件の捜査権が、騎士団に移行されたという話ですよ」
 フォレスト王国には八つの騎士団がある。王家直属の宮廷騎士団に、王家とともに国を統治する七家と呼ばれる特別階級貴族が特別に騎士団を編成出来る。
 騎士団の役割は、軍事より犯罪抑止と捜査に求められる。これはフォレスト王国が他国の侵略におびえるような弱小国ではないからだ。
 大陸の半分以上を占める国土から恵まれる収穫は膨大な人口を生み育て、そこから希少価値の高い上級魔法使いが幾人も誕生している。
 この上級魔法使いは、ただ一人で何十万という人間を相手に出来る能力を持っていると言われ、現在、フォレスト王国には二十名の上級魔法使いが存在して、そのうちの十七名が宮廷魔法師として王家に仕えている。
 つまり、他国がフォレスト王国に戦争をしかけるとすれば、この十七名の上級魔法使いを相手にすることになる。これを兵として数えたら最低で百七十万、その魔法師の能力次第では倍以上の数になるのだ。
 そして、それはあくまで上級魔法使い十七名の能力であって、実際に国内から兵を徴兵したならばとてもじゃないが、太刀打ち出来ない数字が出てくる。
 それで諸外国はどこもフォレスト王国を敵にしようとはしない。フォレスト王国は外交の基本に不可侵条約を置いているので、他国が侵攻して来ない限り、こちらから手を出したりはしない。
 その実績は七百年の長い歴史でも証明されているので、誰も自ら噛みつかれに来る馬鹿はいない。
 ここで、問題にされる上級魔法使いがどれだけ希少かと言えば、一億人に一人か二人という確率で、地盤に莫大な人口を支える国でなければ、上級魔法使いを戦力として数えられるほどに揃えられない。まして、全世界中から上級魔法使いを探し出したとしてもフォレスト王国宮廷魔法師団を相手に出来るだけの数が揃えられるか問題だ。
 何が、言いたいのかといえば、騎士団は軍隊ではないということだ。勿論、戦時になれば軍隊としての働きを求められるだろうが、今現在は警察組織としての方に重点が置かれている。
 だけど、最初に事件に対処するのは、その街の治安管理官だ。この治安管理官は独自に自警団を結成することが出来る権限を持ち、己が管理する街で起こる犯罪は、基本的にこの治安管理官と自警団によって処理される。
 騎士団は、治安管理官の手に余る事件や組織的な犯罪があったとき、要請を受けて出動する。それがない時は、市街パトロール任務や王族の警護といった通常任務が主流だ。
「騎士団に……」
「今さらもよい所ですね。もう、ブルーバードが新聞紙上を賑わせて、事件は十件近くに上っています。でも、いまだに手掛りが掴めていない。そろそろ、管理官の責任問題に及んでくる。このまま捜査権を主張していたら自分の身が危ないということで、騎士団に事件を預けたんでしょう。だけど、騎士団にしたら迷惑だろうな」
「どうしてですか?」
「もう、ブルーバードとしては、かなりの物を盗んでいるじゃないですか」
 ギバリーはディアーナに目を向けた。そして、彼女の表情を探る。しかし、穏やかな面差しには一片の動揺も見受けられない。
 平素な瞳でこちらを見返してくるディアーナに、ギバリーの方が何故か慌ててしまった。言い訳するかのように、言葉を続けた。
「騎士団が乗り出してきたのを知って、ブルーバードが今さら動きますかね? 俺がブルーバードだったら盗んだ物を持って逃げますよ」
 そうなってくると、騎士団としては盗まれた物、その状況から捜査するしかない。
 網を張っての現行犯逮捕は難しいだろう。
 少なくとも、それが出来るだけの手掛りはあったのだ。ただ、治安管理官はその手掛りをあまり気に留めていなかったようだが。
 他にも盗まれた物があるのだと、信じて疑わなかったのだろう。貴族の屋敷に入り込んだ泥棒が、ハッキリ言って財産価値などないような絵をただ一枚だけ盗んで行くなんて。
 盗まれたのは他でもない――ディアーナがルシア隊長をモデルに描いた絵だった。
 画家として名を馳せているわけではないディアーナの絵は、世間的に見れば貴族の令嬢が趣味で描いた、というだけの価値しかない。
 その絵を沢山の令嬢が欲しがっている事実があっても、金銭的な価値はほぼないに等しい。ディアーナは望まれれば幾らだって絵を描くのだから。
 だから、犯罪者の傾向にこだわりすぎた治安管理官は、『ディアーナの絵』という共通した手掛りを無視し、事件は十件もの数を数えてしまった。
 もうこれ以上の失態は許されないと、思ったらしい管理官が騎士団に協力要請をすることで、事件解決の責任を騎士団に押し付けたと見るのは、ギバリーの記者としての穿った推測ではないだろう。
「でも、捜査なされるのはルシア様ですわよね?」
 ディアーナが、アイビーグリーンの瞳を輝かせて、確認してくる。
「ええ、貴族街で起こった事件ですから、黒色部隊の担当事件でしょう。直接、ルシア隊長が捜査するかな? ここまで、世間の注目を集めているとなると……」
 ギバリーの言葉を最後まで聞かず、ディアーナは遮った。
「ならば、大丈夫ですわ」
「えっ?」
「ルシア様であれば、必ず事件を解決してくださいますわ」
 恋する乙女の妄信で、ディアーナは断言するように言う。
 世間一般の評判を聞けば、ルシア隊長は宮廷騎士団きっての切れ者だと聞く。
 先月も、市街パトロールしていた騎士を暴漢が襲うという事件があった。それを見事、解決したのもルシア隊長であったと、ギバリーは自社の新聞で読んでいる――直接、記事に携わっていないので、詳しいことはわからないが。
 切れ者という評判が本当ならば、残された手掛りだけで、ルシア隊長はブルーバードを追い詰められるだろうか?
 ディアーナ嬢の絵を盗むブルーバードの目的とその正体、それが記事として世に出ることはあるのだろうか?
 ……わからないけれど。
「そうですね。事件が解決すると良いですね」
 ギバリーは愛想笑いで応えた。
 少なくとも、事件解決を信じているディアーナの前で否定することはない。
「ええ、勿論ですわ」
 頬を上気させたディアーナに、ギバリーはコクコクと首を頷かせた。


                   * * *


「そういえば、あの女性、今日は見えないのですね」
 原稿にそえる挿絵の打ち合わせを終えて、新聞社を出るディアーナを玄関まで送っていく途中で、彼女は聞いてきた。
「あの女性?」
 ギバリーは、彼女の質問の主旨が誰を指しているのかわからずに、首を捻る。ディアーナは唇に淡い微笑を浮かべて続けた。
「最近、ギバリーさんとよく一緒にいらした緑の目のとても綺麗な人です」
「ああ、リーズさんのことですか?」
 瞬き一つして、ギバリーは心当たりを口にした。すると今度は、ディアーナが首を傾げる。
「お名前は存じ上げませんけれど、金色の髪の人です」
「リーズさんって言うんです。今日、見てないというより……ここのところ、全然来られなくなったんですよ。まあ、リーズさんは目的があって我が社に来ていたわけですから、その目的が解消された今、わざわざこんなところに……って、ディアーナさんを呼びつけている分際で俺ってば」
 ギバリーは慌てた。
 ゴシップ記事が中心の新聞社に、貴族の令嬢が出入りすること自体、彼女らにとっては、要らぬ汚点になりかねないということに気がついたのだ。
「わたくしは良いですのよ。ギバリーさんの小説を読めるだけの価値がこちらにありますもの。家の者も承知してくれていますし」
 口元に指を添えて微笑むと、ディアーナは何事もない、というようなことを口にした。
「はあ……それなら良いんですけど」
 ギバリーは、額に吹き出した冷や汗を拭い、恐縮の態で肩をすくめながら茶髪の頭を掻く。
「それで、リーズさんはどのようなご用件で、こちらに来られていたのですか?」
「ああ、……先日、うちがスクープした教育局の局長の横領事件の件です」
「記事は読ませて頂きましたわ。あのスクープはギバリーさんのものでしたわね」
 つい先日、ギバリーは教育局局長の横領事件を記事にして発表した。国王の視察旅行に同行していた局長は、視察先の西区カインで身柄を拘束され、現在取り調べられていると言う。
 連載原稿を抱えているギバリーは、追跡記事を同僚に任せた。その同僚がカインから仕入れた情報に寄れば――現地に飛びたいところであるが、この広いフォレスト王国の一区を一日で移動するのは難しい。二十四時間、大陸街道と呼ばれる道を休みなく走れば、可能だろうが――局長は容疑を認めているようだ。
「俺がというより、リーズさんのおかげなんです」
「リーズさんの?」
 ディアーナは目を瞬かせた。
「ええ。この件を最初に持ち込んできたのは、リーズさんなんです」
「では、やっぱり、こちらの新聞社の方ではないのですね」
 ディアーナの問いに、ギバリーは「はい」と首肯した。
 女性の社会進出が珍しくなくなったとはいえ、いまだクーペ社に女性記者はいない。そういう事情を知っていたから、ディアーナも自分と一緒にいたリーズに自然と気がついたのだろう。
 ギバリーは、自分とリーズが一緒に行動することになった過程を説明した。
「リーズさんの親族が教育局に勤めているのですけど、その人が、どうやら自分は嵌められそうだと言うんです」
「嵌められる?」
 あまり聞こえの良くない言葉を前にして、ディアーナは眉を顰めた後、表情に困惑の色を宿した。
 深窓の――と言いつつ、ゴシップ新聞社に出入りしている彼女を、他の貴族令嬢たちと一緒にして良いものか迷うのだが――令嬢には、謀略や犯罪は新聞の中だけの、遠い世界なのだろう。
「局長が自分の横領容疑を、その人になすりつけようとしているらしい――と。それでリーズさんは俺に協力するから、その人の無実を証明し、局長の罪を暴いてくれって。そう訴えて来たんですよ」
「まあ」
「後はご承知の通り、局長は本当に横領をしていたわけです。その記事が載ってから、リーズさんはもう、ここに来る必要がなくなったわけで」
 ギバリーは、自然と声が消沈していくのを自覚する。それはディアーナにもハッキリとわかったようで、彼女はフフフッと微かに声を立てた。
「ギバリーさんはそれがとても残念ですのね」
 小鳥のような仕草で首を傾げ、アイビーグリーンの瞳はギバリーを見上げた。
「だって、疑惑を暴いた過程から言っても、リーズさんの記者としての有能さは俺なんかより凄くって」
「それだけですか?」
 不意に真顔になって問いかけてくるディアーナに、ギバリーはグッと詰まる。その表情を目にして、彼女は単刀直入に言ってきた。
「お好きなのね」
 好きと嫌いの二つの選択肢を並べられたら、リーズのことが好きなのだろうと思う。だが、全てがその感情によって断言されるものでもない気がするのだ。
(だって……)
「……そうなのかな? 自分じゃよくわかりませんけど。編集室のドアが開くたびにリーズさんが来たんじゃないかって、そわそわします」
 ギバリーの告白に、ディアーナは柔らかく微笑んだ。
 自分が打ち合わせ途中も、ドアの開閉の音を聞きつけては編集室と応接セットを仕切る衝立越しに聞き耳をたてていたのを、彼女も感じ取っていのだろう。
 耳の先端に熱が集中するのがわかった。ギバリーは誤魔化そうと、短く刈り込んだ茶髪頭を撫でる。
「リーズさんのご所在は、ご存じではないのですか?」
「それが濡れ衣を着せられそうだという、ご親族の名前も教えて貰わずじまいだったんで、そちらから探そうにも……。社としてもリーズさんにはスクープのお礼がしたいんですけどね」
「それは困りましたわね」
「まあ、今はその事件のゴタゴタで足が遠のいているだけかも。もう少し待って、来られなかったら新聞広告にでも載せてみようかと思っているんです」
「そうですわね。クーペ社に見えられたことから、リーズさんもこちらの新聞を読んでいらっしゃるのかもしれないわ」
「はい」
 頷きながら、ギバリーはどうして自分はこんなにも彼女に執着するのか、考える。
 ディアーナに指摘されたように、好意があるだけなのか?
 確かに、彼女は美人でギバリーの好みを突いて来た。柔和な美貌も緑色の宝石のような瞳も、金色の長い髪も。どこか懐かしい面影があった。
 でも、それだけじゃない様な気がする。よくはわからないけれど、何かが引っかかるような。
「それでは、失礼しますわ」
 ディアーナが迎えに来た馬車に乗り込んで、去っていくのを見送りながらも、ギバリーはまだ考えていた。


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