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 3,ブルーバード事件


「ブルーバード事件」
 ポツリと斜め向かいの席で、相棒の宮廷騎士団<<五色の旗>>、黒色部隊副隊長カズ・フライトの声を聞いて、黒色部隊隊長ルシア・サランは書類から顔を上げた。
 漆黒の髪を肩まで無造作に伸ばした髪型は、外見にさほど気を使っていないことを証明するだろう。
 しかし、ルシア本人の思惑とは別に、端麗で華麗な美貌がそこにあった。
 比較的黒と称してよい濃紺の瞳。切れ長の目元は涼しげで、女性たちが羨んで仕方がない長い睫が、眼の淵を飾っている。
 すらりとした鼻筋に、薄いピンクの唇、すっきりした顎のライン――と、どのパーツにも歪みはなく、修正に修正を重ねて出来上がった彫像のような顔立ち。
 その美貌でルシアは、
「何だって?」と問い返すと、焦げ茶色の髪に赤銅色の瞳のカズは、不機嫌そうな顔で振り向いた。
 素は端正な顔立ちで、笑えば女性を虜にしそうなカズだが、眉間に寄った皺とへの字に曲げられた唇。そして、鋭い切れ長の目元の印象で、見る者に畏怖を覚えさせる。そんなカズの眼光にもビクつくことなく、ルシアは濃紺の瞳を返した。
「だから、ブルーバード事件。今度の事件のファイル名」
 そう言うカズの声は、表情ほどに不機嫌さを感じさせなかった。
 それもそうで、カズの不機嫌な顔は自身の意図するところではない。
 昔、任務中の事故が元で顔面の神経が麻痺してしまったのだ。顔に負った目立つ傷は、魔法医師の治療によって跡形もなく消えたが、神経治療には事故から時間が経過しすぎていて、間に合わなかった。以来、カズは見る者に誤解を与えながら行動する羽目になる。
 騎士団の者は事故の過程を知っているので、カズの鋭い視線に睨まれても特別怯えやしないが、事情を知らない者はカズが前に立つと喋らなくていいことまで喋りだす。おかげで、ルシアは資料を読むまでもなくブルーバード事件の概要を知ることになった。
 それは他でもない事件担当の治安管理官からだ。協力要請に応じて、そちらの事務所に訪れたルシアとカズに、彼は低姿勢で全てを聞かないうちから話してくれた。
 厄介ごとを押し付けたという後ろめたさと、カズの視線に怯えてのことだろう。
「一つ、聞いていいか?」
 ルシアは書類に再び視線を落としながら問う。部隊が抱えている事件は何も一つだけじゃない。それらに関する報告書が、山のように執務机の上には積まれている。
「何だ?」
「治安管理官殿の話を聞きながら思っていたのだが。どうして、ブルーバードなんだ?」
「はあ?」
「泥棒にどうして、ブルーバードという名がついたのだろうと思ってな。サインが残っていたわけじゃないだろう」
「ちょっと、待て」
 カズは治安管理官から手渡された、ブルーバード事件の書類をまとめたファイルをめくった。カサカサと紙が触れ合う音の狭間で、カズの声が告げる。
「そういう証拠物件はないな。あれば、筆跡から男か女かの、判別ぐらい出来そうだが」
「カズはどっちだと思う?」
「盗まれている物から見れば、女でも犯行は可能だ」
「ああ、治安管理官殿は男だと決め付けていたようだったが」
「罪を犯すのは男だと思っている節があるな。どうも、思い込みで行動する性質のようだ、あの御仁は」
 しょうがない、と言いたげに、カズは黒い騎士服に包んだ広い肩を竦める。成人男子の平均的な体格より、カズは少しだけ抜きん出ていた。しかし、見上げるような体躯は逞しさより寛容さを感じさせる――本人の意図しない表情を除けば。
「……そうだな」
 ルシアはゆっくりと頷いた。
 犯罪捜査において、思い込みは視野を狭める。見えるはずのものも見落としてしまう可能性があれば、真相もまた闇の中へと消えてしまう。
 ルシアはなるだけ広い視野を持とうと心がけているが、視野が広がったところで肝心のものを見つけられなければ、意味がないことも弁えていた。
 例えば、広大な砂漠に落とした小さなダイヤモンドを、遠くから眺めたところで簡単には見つからない。光り輝く宝石を見落とすはずがないと思うかもしれない。しかし、砂に埋もれているのかもしれない可能性を考慮しなければならないのだ。
「盗まれたのは、絵だけではないはずだと。ならば何故、被害届が出ないのか。その盗まれた絵は財産的な価値はないとのことだろう?」
「ああ、何とかというご令嬢が……ディアーナ・アリシア嬢。彼女が趣味で描いて、友人たちにプレゼントしたものだそうだ」
「アリシア……中央の貴族だな」
 ルシアは、記憶にあるその名を口にした。
 その盗まれた絵のモデルがまさか、自分だとは思いもしないし、令嬢が自分に恋情を抱いているなど、この時点で想像もしていない。
 部隊隊長であるルシアは、その責任を果たすことを第一と考えている。そんな真面目な彼なので、浮いた噂は一つとしてなかったし――噂が流れるようなこともない――自分がそういった感情の対象になるなど思いもしない。
「盗まれている物の共通点は、ディアーナ嬢の絵だ。彼女の絵は盗む価値のあるものなのかな? 金銭的価値はともかくとして」
 カズは手元のファイルを再度確認した後、首を横に振った。
「生憎と、絵に関する資料はないな。捜査するとしたらこの資料集めからだな。管理官の推測に寄れば、この盗みがカモフラージュである可能性はあるが、十件が十件とも家人が気づかないってことはないだろう。泥棒が入っているという時点で、他に盗まれた物がないか調べるはずだ」
「あるいは、家人が言い出せないような物が盗まれたか」
 ルシアは確認し終えた書類を横に置き、別の書類に手を取った。
「……だが、この推理では穴も出てくる。そんな代物なら、初めから被害届など出さないだろう。治安管理官の介入だけに留まるのならまだしも、騎士団が捜査に乗り出してきたら隠し通せるものではない」
「ふむ。家人が言い出せない代物が盗まれていたとしたら、それは何なんだろうな?」
 声には面白がるような響きがあるが、カズの顔は相変わらず不機嫌に見える。
 ルシアは微かな苦笑を口の端に浮かべ、問い返す。
「カズが泥棒被害にあったとして、どこまでなら騎士団の介入を許せる?」
「俺かい? 俺には盗まれて困るようなモンは、あまりないぜ。強いてあげるなら、騎士の証は盗まれたら困るし、陛下から頂いた剣もそうだ。絶対に取り返さなきゃならないもんだが、逆にそんな大切なモンを盗まれたっていうのも恥さらしな感じで、ちょっと言い出しにくいか」
 唇を歪めてカズが答えると、ルシアは一つ頷いた。
「なるほど、そういう見方もあるわけか」
「ま、今回の件ではそれは関係ないだろう。泥棒に入られている時点で、警備の甘さ、無用心さをさらしているわけだ。いまさら、見栄で何も盗まれなかったなんて言った所でしょうがない。だったら、最初から被害届なんて出さねぇよ」
「そうだな。だとすれば、治安管理官殿が固執していらしたカモフラージュの線は一旦おいて、捜査した方が良いな」
「ああ。盗んだ絵からブルーバードが追えないわけじゃない」
 カズは言い切った。そこでルシアの最初の質問に立ち戻ったようだ。赤銅色の瞳を瞬かせて、ルシアを見返してくる。
「……で? 何で、ブルーバードなんだ?」
「最初に聞いたのは俺だよ、カズ」
「ああ、そうだっけか。俺は新聞でそう騒いでいたから、そう言っているだけで」
「新聞は俺もチェックしているが、最初に言い出した過程がよくわからない」
 ルシアが記事をチェックしていたのはコラルド社の新聞だった。ゴシップ記事が専門と認識されているクーペ社の新聞に手を出すことはない。
 故に泥棒の名づけの原因となった小説の存在も、そして自分をモデルに描かれた怪盗ブルーバードの挿絵も彼は目にしたことはない。
 カズもまた役に立たない情報ばかりの新聞など、読んでいる暇があったら山積みになった書類を片付けることに専念する性質なので、二人して後に重要だったと思い知らされるこの『怪盗ブルーバードの冒険』を知らずにいた。


 コンコンとドアがノックされ、部下が任務の報告に来たのかと思ったカズは、「入れ」とだけ言った。
 しかし、ドアが開いて覗いた顔に次の瞬間、仰天して椅子から転げ落ちる。
「――殿下っ?」
「大丈夫ですか、カズ副隊長」
 王弟ジズリーズはエメラルドグリーンの瞳を丸くして、床から起き上がろうとしているカズを見た。
「…………」
 カズは無言で立ち上がり、転んだ事実を誤魔化すように膝元を一払いした。
 そして、恨めしげな赤銅色の視線を、半屈みの姿勢からジズリーズに差し向けて、
「何用ですか? 殿下自ら騎士団本部にご足労頂くなんて」
 とげとげしく声を武装して、皮肉を込めて言った。
 騎士団本部は王城の敷地内にある建物だが、王族であるジズリーズの生活の基盤となる本宮とは別棟で、彼がこの本部に立ち入る機会はまずない。
 用があれば、ジズリーズがルシアやカズたちを自分の元に呼び寄せる。それが主従の在り方だろう。
 少なくとも、騎士として仕えている者たちはそういう心積もりでいるのに、当の本人たちはこちらの事情なんてお構いなしにやって来てくれるから、先程のような無様な醜態を晒してしまう。
 まして、ジズリーズの後ろには、本来付いているべきはずの護衛の姿がない。
 王城敷地内は、宮廷魔法師の結界魔法によって安全だとは言っても、護衛役は仕事である。ジズリーズ一人がここにいると言うことは、護衛役の騎士と魔法師はまかれたということになり、彼らは今頃青くなっていることだろう。
 同じ騎士として、カズはこの目の前の現象を受け入れることは出来かねた。
 そんな含みを持たせた皮肉だったが、ジズリーズは涼しげな微笑で、あっさりと無視してくれる。
「用という用はないのですけどね」
 柔らかに微笑む女性的な美貌が実に効果的で、カズは毒気を抜かれてしまう。
「――あのね、用がないならこちらに顔を出さないでくださいよ。俺らの心の平和の為に」
 それがまた悔しくて、カズは皮肉を重ねる。
 本来、こういうお小言を言うのは好きではないのだが、これぐらいのトゲを含ませないと、ジズリーズたちの耳には届きやしない。
「それは随分な物言いですね。まるで、私の来訪は災厄ですか? ただ、お二人とお話がしたかっただけですのに」
 クスリと笑って、ジズリーズは可愛らしく拗ねてみせる。これが本当に女だったら、カズとしても前言撤回して大歓迎なのだが、生憎とどんなに美人でもジズリーズは男だし、まして王族で王位継承権第一位の高貴なお方だ。
 ……実際のところ、このように軽口が叩ける相手でもないのだが。


「ジズリーズ殿下も、カズも」
 ルシアはハアッとため息をつきつつ、手にしたペンを置いて立ち上がった。執務机の前に回り、ジズリーズと向き合う。
「用がなくこちらに来られたわけではないでしょう? ジズリーズ殿下」
「どうして、そう思われるのですか? ルシア隊長は」
 微かに笑んで、真意を探るような目で見上げてきたジズリーズに、ルシアは断定する。
「ジズリーズ殿下を信頼しておりますから」
「えっ?」
「むやみに我らをからかい困らせようなど、なされるお方ではないと信じておりますから」
「…………そのように言われてしまうと、種明かしをしなくてはなりません」
 肩を竦めてジズリーズは、隊長室の片隅に置かれたソファセットに目を向ける。
「座っても良いですか?」
「どうぞ。今、茶を運ばせましょう」
 ルシアはソファの方に手を指し示し了承しながら、人を呼ぶための呼び鈴へともう片方の手を伸ばしかけた。
「ああ、それにはおよびませんよ。こちらに寄る前に、厨房に寄って来ました」
 にこやかに報告するジズリーズに、ルシアの指先はピクリと震え、カズは呻いた。
 王弟のこの行動は、しきたりなどを重んじる老人たちには――政務を預かる者たちを長老と呼ぶので、彼らを総合して語るときは老人たちと言う――目に余る行為だろう。
 仮にも王族が自ら茶を所望しに厨房に寄るなんて。そんなことは侍女にでもさせればよいことだ。
 だけど、老人たちはジズリーズに直接文句を言わない。口先で勝てる相手ではないことを承知しているのだ。だから、お小言の矛先はカズなど周りの者に向いてくる。とんだとばっちりだ。
「御用を承りましょう」
 ルシアは指先を手のひらに仕舞いこんで、コホンと喉を鳴らす。そうして、ジズリーズの向かい側に腰掛けながら話を進めることにした。
 ジズリーズに何を言ったところで、どうせ聞き分けやしないことを知っている彼は、無駄なことをしない。後で、きっちり護衛役に目を離すな、と説教するしかないのだ。
 この国の王族を相手にするということは、つまるところ余計な行動をされる前に対処することなのである。
「ルシア隊長は真面目ですね」
 ジズリーズが柔和な面に苦笑を浮かべた。彼としては、カズのように感情もあらわに反応を見せてくれた方が面白いのだろう。しかし、王弟に付き合ってやる義理は今現在、ルシアにはない。
「長く、殿下たちとお付き合いしていますと、俺も馬鹿ではありませんから学習いたします」
「それって、学習しない人は馬鹿だと言われるのですか?」
「…………」
 王弟の切り返しに、ルシアは絶句した。
 一瞬、この王族の兄弟に振り回されている魔法師団団長の顔が、脳裏に浮かぶ。
 魔法師団団長の日常は、同じことの繰り返しとも言える。全く事情を知らない者が話だけを聞いたなら、団長を学習能力の無い馬鹿だと断定するだろう。
 ルシアの言葉は悪意に取れば、正しく団長を侮辱する内容だった。
「殿下、揚げ足を取るのは止めてください」
 さすがのルシアも、弁明する口調が早口になるのを自覚した。
「ルシア隊長が慌てふためくのを見たくなっただけです。貴殿がディード兄上を馬鹿にしているとは思っていませんから、安心してください」
 そう言うジズリーズの涼しげな顔に、ルシアは低く告げた。
「俺は、ディード殿の名を一言も上げてはおりませんが」
 気の毒な魔法師団団長は、ジズリーズのイトコで、名をディード・クエンツという。元は王族の青年だ。
 先代国王の代に起こった謀反事件の折、ディードは父親が犯した事件の咎を受けて王族から排斥された。勿論、事件とは無関係だった、当時十一歳の少年に何の罪も無かったのだが、事件の大きさを考えれば、無処罰というわけにもいかなかったのだろう。
 十年前のことで、当事者ではないルシアには詳しいことはわからない。
 ただ、遺恨を嫌った老人たちが、ディードを処刑するように先代の王に迫ったが、王はそれを拒否し、王妃の実家であるクイーン家にディードを預けられ、五年後、王はディードの魔法能力を珍重し宮廷魔法師として王宮に召還した。
 そして、ジルビアが王位に就くと同時に、ディードもまた宮廷魔法師団<<十七柱>>の団長に就任した。今から三年前のことだ。
「……ルシア隊長も意地悪ですね。私がディード兄上を敬愛していることをご承知で」
 微かに笑ってジズリーズは、そのイトコと同じエメラルドグリーンの瞳で、ルシアを睨んできた。
 言葉通りに王弟は、イトコのディードを敬愛していた。それは王族の兄弟全てに共通している。
 事件の遺恨は、少なくとも国王を初めとして王族の兄弟の方にはなかった。
 だけど、謀反人の息子という不本意な肩書きを背負ってしまったディードのほうは昔のようにとはいかなった。
 彼は自分の立場を弁えることで、イトコ達と一線を画した立場から臣下として仕えようとした。だけど、それを不満とする兄弟たちはディードに親愛の情を差し向けては、彼を困らせる。
 現在、ディードは自分をおもちゃにする国王のジルビアを眼の敵にしている。気持ちはわからないでもない。条件反射で、顔を付き合わせれば喧嘩を売ってしまうディードに同情する者は多いだろう。
 その反応こそが、ディードがジルビアのおもちゃになっている所以だ。
 王という立場に、あれだけ面と向かって喧嘩を売れる者はいない。一言で言ってしまえば短絡的なディードをからかうのが面白くてたまらないのだ。
 だからジルビアは、わざとディードが護衛役についた時を狙って姿を眩ましたり、執務を放り出したり、無茶難題を持ち上げたりする。
 真面目なディードは、ジルビアのそんなおふざけが許せなくって怒り狂う。
 それは毎度毎度のことで、王宮では日常茶飯事だ。故に、ジルビアやその兄弟たちのおふざけをまともに取り合わないのが一番利口な対処の仕方だと皆、学習した。
 ただ、どうしても目の前の現象に冷静になれない人種という者も居る。
 その筆頭がディードであることを、ジズリーズもルシアも承知していた。
 だが、彼が馬鹿だなんてルシアは思ってもいない。誰よりも己の感情に対して素直なだけだ。それは語るまでなく、ジズリーズも承知していることなので、
「話をお聞きしましょう」
 ルシアはジズリーズに、訪問の用件を促した。


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