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 4,手掛り


「私がこちらに来ましたのは、ブルーバード事件の捜査の一件です」
「相変わらず、お耳が早い」
 カズが再び皮肉を込めて言った。
 王立学院を首席で卒業した出来のいい王弟殿下は、時として騎士団が抱えている事件に興味を持って、首を突っ込んでくる。
 それで解決した事件もあったのだから、カズとしては、ここでジズリーズに意見を求めることはやぶさかではない。
 ただ、問題なのはどこから今回の話を聞き込んだのか。
 治安管理官から協力要請を受けて、相棒と共にカズが話を聞きに行ったのは、今日の朝早くだ。
 今は昼を回っているとはいえ、視察に出かけた国王の執務を代わりに勤めているジズリーズは午前中いっぱい執務室にこもっていたはずで、まだ誰を捜査に当てるか決めていない段階で部外者に話が回る暇はなかったのに。
「誰に話を聞いたというわけではありませんよ」
 唇に指を当てて、ジズリーズは微笑んだ。
 カズは小首を傾げる。じゃあ、何で彼は自分たちのところにやって来たのか。
 考えを巡らせれば、カズの表情はさらに不機嫌さを色濃くしたような面になった――本人は無意識に眉を顰めたに過ぎないのだが。
「簡単な推理です。ブルーバード事件は現在、市民が注目している事件です」
「貴族の館に立て続けに泥棒が入ったっていうのは、一般階級の市民からすれば思うところはあるでしょう」
 カズは、黒色の騎士服で身を包んだ、広い肩を小さく竦めた。人並みはずれた長身の彼の仕草は、とても仰々しく周りの目には映る。
「王家や七家のように市民受けのいい貴族もあれば、中身の伴わない貴族っていうのもいますしね」
 それに他人の不幸は対岸の火事のように、傍で見ている分には面白いものだ。新聞各社が「ブルーバード」を大々的に取り上げるのは致し方のないことだろう。
「その事件が先日で十件を数えました。いかに、市民は寛大だろうと、被害にあった貴族側では治安管理官の不手際を責め始める頃でしょう。こうなっては、管理官としては責任逃れがしたくなってくる」
「騎士団の登場ですね」
 ルシアの一言に、ジズリーズは頷いた。
「それで、私はルシア隊長とカズ副隊長の所在を朝方、尋ねたのですよ。そうしたら、お二人は出掛けられたと言う」
 ここまで推理すれば、誰にでも答えはわかるだろう。
「それで? 殿下がブルーバード事件に興味を持たれているのはどういう理由からです? ただの泥棒事件じゃないんですか?」
 カズの問いに、ジズリーズは笑みを浮かべて、逆に問い返してきた。
「お二人はどうお考えなのですか? ただの泥棒だと?」
「問いを問いで、返さんでくださいよ」
 カズは焦げ茶色の髪を面倒臭そうに掻いた。
「どう考えるも、こちらにある資料からはブルーバードの正体なんてからっきしで、そもそも何でこの泥棒にブルーバードなんて名前がついているのかも、俺たちは知らないんですよ? そう呼ばれる所以があるんでしょうけど、俺たちは一つの事件を追っているわけじゃなければ、他人の事件に首を突っ込んでいる余裕もないんでね」
「それは騎士団の待遇改善要請ですか?」
 黒色部隊は他の四つの部隊に比べて、隊員人数が半分以下だ。
 その要因は、ルシアの前の隊長の作戦ミスにあった。強引に押し進められた作戦の結果、多くの隊員が命を落とした。カズの顔面神経麻痺も、その事故の時に負ったものであった。
「隊員補充は、副隊長に一任されていますから、私に言われても困りますね」
 やんわりと笑顔で返してくるジズリーズに、カズは肩を竦める。
「使えない奴が頭数だけ増えてもね。俺が言いたいのは、こちらが護衛に回した騎士をどうしたのか、ですよ。殿下の遊び相手に向かわせたわけじゃないんですよ」
「それはご心配なく。彼は今、資料を取りに行ってもらっているのです」
「資料?」
「先程、カズ副隊長はどうしてブルーバードと呼ばれているのかも知らないと言われましたね」
「まあね。管理官から貰った資料を見る限り、現場にサインが残っていたわけじゃない。対象に名称をつけるのはそう珍しくないが、何でブルーバードなんです?」
「それにお答えする資料です。お二人は真面目なお方ですから、ブルーバードのことをよくご存じではないだろうと思いまして、余計なお世話でしょうが、こうして首を突っ込ませて頂くことにしました」
 ニッコリと微笑むジズリーズに、ルシアとカズは視線を見合わせた。
 丁度、タイミングよくドアがノックされる。カズは先程のことがあったのでドアまで寄って開けてやった。
 外に立っていたのはカズと同じ黒色の騎士服を着た青年と、黒い詰襟の上着に同色のズボン姿のもう一人は宮廷魔法師だ。二人とも、今日はジズリーズの護衛の任にある者だ。
「レイン、ロベルト……」
 騎士がレイン・ラチスといい、魔法師はロベルト・エミリー。どちらもルシアと同じ二十四歳だが、ルシアのような存在感はなく、どこにでもいそうな雰囲気の青年たちだ。
「カズさん、こんにちは」
 レインの肩越しに挨拶してきたロベルトは、中性的で特徴の無い平凡な顔に笑顔をのせる。
 ルシアの見る者の魂を引っこ抜くような微笑と比べると、拍子抜けするような何でもない笑顔だが、それ故にすんなりと抵抗もなく、こちらの警戒心を解いてくる。
「ああ」
「こちらにジズリーズ様がいらっしゃるはずなんですけど、来ていますか?」
 ロベルトはカズをアイスグリーンの――雪を被った緑の葉色の――瞳で上目遣いに見上げて、問う。
 心持ち前屈みになって、室内を覗こうとする。顎のラインに沿って切った、茶色の髪が白い肌の上でサラリと音を立てた。
「……来ていないと言ったら?」
 カズは長身の身体で入り口を塞ぎ、ロベルトとレインの目から室内を隠して言った。意地悪がしたかったわけじゃないが、警戒心の無い二人の顔に、つい言っていた。
 二人は最初、きょとんとした顔を見せたが、やがて頬を引きつらせる。
「……護衛役が二人して、任務を放棄してどうすんだ。頼まれごとがあったのなら、どちらか一方にそれを任せて一人だけでも傍についてなければ駄目だろ」
 二人の顔色が見る間に青くなっていく過程を見下ろして、カズは焦げ茶色の髪を苛立たしげに掻き乱して、ため息をこぼす。
「殿下は中にいるぜ」
 入り口を開けて、二人を中に通す。
 ソファセットに優雅に腰掛けた王弟を見つけて、ロベルトはハァと、安堵の吐息を胸の奥底から吐き出した。
「ああ、良かった。カズさん、意地悪しないでくださいよ。ビックリするじゃないですか」
 肩越しにカズを振り返って、非難を込めた視線を送ってくる。
「驚いたのは俺らのほうだ。殿下が一人でやって来て、護衛役が傍にいやしないんだからな」
「すみません」
「とにかく、今度からは気をつけろよ」
 カズはそれだけ言った。くどい説教をしても、敵が本気になればこちらの警戒網なんてあっさり突破される。ここで言う敵は、他でもない王族の兄弟たちだ。
「ご苦労様です」
 そんな外部の心情をどこまで理解しているのか、無邪気な笑顔でジズリーズは二人の護衛を迎えた。
「はい。セイラ様からお借りしてきましたよ」
 ロベルトは一冊のファイルを差し出した。レインが続いて新聞紙の束をテーブルに重ねた。
「ブルーバード事件の記事が掲載されている新聞です。ご確認を」
 ジズリーズは新聞の社名を確認した。カズも背後から覗き込んで、不機嫌な顔をさらに顰めた。
「……クーペの新聞じゃないですか。ここのは、ゴシップばかりですよ。仮にも高貴なお方が読むのはどうかと思いますが」
 老人たちがこれを聞いたら、また渋面で小言を繰り返すだろう。ジズリーズたちにではなく、周りの者たち――自分たちに。
 身分の垣根をあっさりと越えてくる王族兄弟に、格式に拘りたい老人たちの気持ちもわからないわけではない。
 自分たちが仕える人間には、高貴な品格を持っていて貰いたいのだ。
「まあまあ、ブルーバード事件を調べるのでしたら、この社の新聞を読むのが一番ですよ。それにゴシップも一概に馬鹿にするものではないですよ。火の無いところに煙は立たぬと言うでしょう」
 顰め面のカズに、ジズリーズはファイルを差し出し、ルシアには新聞を一部預けてきた。
 カズとルシアは、手元のそれに目を落とした。


 新聞を広げると、カサリと乾いた音。指に触れるだけでわかる、安っぽい紙に黒地で印字された文字を目で追うルシアに、ジズリーズの穏やかな声音が告げた。
「――ブルーバード事件の名づけは、クーペ社が最初で、他の新聞社もそれに追随した形です」
「はあ……」
 応えるカズの声は、心がどこかに置いてきたように心もとない。
「その名づけの要因は、クーペ社に連載されている小説、『怪盗ブルーバードの冒険』にあります。これはあくどい貴族を相手に泥棒行為を働く義賊の話です」
「貴族相手の泥棒だから、ブルーバードですか?」
 紙上から瞳を上げたルシアに、ジズリーズはピンク色の唇の端を緩めると、静かに微笑んで首肯した。
「これ以上、わかりやすい名前はないでしょう」
「そうですね。しかし、それだけですか? 殿下がわざわざ俺たちの元に訪れになられたのは、その小説の所在を教える為ですか? 確かに俺たちはこの事実も知りませんでしたけど」
「そうだと思いましたよ。巷ではかなり評判になっているのですけど、掲載されている新聞の評判があまりよろしくないですからね」
「殿下はこれを読んでいらっしゃるのですか」
 新聞を二面、三面と開けば、舞台女優の誰が誰と熱愛中だとか、名門貴族家の当主が不倫しているとか、そんなくだらない記事ばかりが並んでいる。記事を彩る女優だろうか? 人物写真も印刷されていた。記事では美しいと評されているが、印刷が荒く殆ど黒く塗りつぶされていて、顔立ちなどよくわからない。
 不倫など道徳的にはよろしくない、というのがルシアの観念だが、わざわざ個人事情を新聞という媒介を使って暴くことに意味が見つからない。
 伝えるべき大事な情報は幾らでもあるだろう。
「好ましからぬものだと思いますけどね」
 ジズリーズは唇を緩め、淡く微笑んだ。
 ルシアは彼の笑顔に胡散臭いものを感じる。いつもにこやかに微笑んでいるので、笑顔を差し向けられても、それをそのまま受け入れることは出来かねるのだ。
「それで、これが連載されている小説ですか?」
 カズが手にしたファイルを持ち上げ、広げた。パラパラとめくる。
 ファイルには新聞の切抜きが用紙に糊付けされ、整理されていた。そこに並んでいる文字を軽く斜め読みして、ジズリーズに視線を流した。
「セイラ様からと言われましたね。姫様は恋愛小説がご専門ではなかったのですか?」
 セイラはジズリーズの二つ年下の妹姫だ。恋愛至上主義を謳う姫君の愛読書は、もっぱら恋愛小説だった。
 冒険小説と銘打っている『怪盗ブルーバードの冒険』は専門外のはずだ。
「それが、今は夢中です。何でも、ブルーバードと警察隊長のマリアとの恋が燃えるとのことです」
「何です、それは」
 呆れた声で言って、カズがファイルに視線を戻した次の瞬間、「何だ、これっ!」と、叫んでいた。
「カズ?」
「カズさん?」
「副隊長?」
 ルシア、ロベルト、レインの三人は訝しげな目線でカズに問う。
 カズは無言でファイルをルシアに差し出してきた。中身を開くルシアの両サイドから、ロベルトとレインもファイルを覗いた。
「あっ!」
 無言で唸るルシアの両隣で、ロベルトとレインは声を上げた。
 切り抜きに添えられた挿絵に描かれているのは、他でもないルシア自身だった。


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