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 5,熱烈ラブコール


 肩まで伸びた漆黒の髪、歪みのない頬から顎にかけての滑らかな輪郭線。長い睫が縁取る瞳に、何かしらの決意を忍ばせるように結ばれた唇。背筋を真っ直ぐに伸ばして佇む美貌の青年の姿が、黒インクで安っぽい紙に印刷されていた。
 写真とは違うからか、線がハッキリしていて、その美貌は見ている者の視線を引き寄せる。
「凄い、そっくりですね」
「本当だ、隊長のまんまじゃないですか」
「……これは?」
 言葉を失ったルシアの代わりに、カズはジズリーズに目を向けて尋ねた。
「これがお二人に教えたかったことです。そちらの挿絵をお描きになっているのは、ディアーナ・アリシア嬢です」
「ディアーナ……ブルーバードが盗んだ絵の画家っ?」
 ジズリーズの回答を受けて、カズは赤銅色の瞳を見開いた。
「そうです。そして、その絵が巷でこの小説が評判になっている理由です」
「ああ、わかりますよ。ルシアさんの特徴を捉えていますもん。欲しがる女性は多いでしょうね。新聞の切れ端でも」
「何故?」
 感心したようなロベルトに、ルシアは困惑から自分を取り戻し、真顔で問いかけた。
「それは、ルシアさんは女性たちの憧れの男性なんですよ。青色部隊のデニスさんと共にね。……ひょっとして、ご自覚ないんですか?」
「自覚って?」
 不思議そうに首を傾げるルシアを前にして、ロベルトは呆れたように目を丸くした。
「……ルシアさん。ご自分が他人にどう見えるとか、考えたこと無いんですか? 騎士団隊長って地位だけで誉れ高いのに、そのお顔でしょう。年頃のお嬢さん方にはルシアさんは憧れの対象なんですよ」
「俺が?」
 驚愕するように濃紺の瞳を見開くルシアに、ロベルトとレインは申し合わせたようにため息を吐いた。
 この超絶美貌の隊長は、彼が差し向ける笑顔一つにどれだけの女性が惑わされているかなんて考えもしないのか? と。
 そんな二人を尻目に、カズは密かに苦笑を漏らした。自らの外見に拘らないのは、我らが隊長らしい。
 採光用の窓から差し込む光を受けた艶やかな黒髪も、夜の闇のような濃紺の瞳も。
 彼を彩る色彩は、華やかさには程遠い。
 なのに、存在感を主張して止まない黒の騎士が――ルシア・サランという男である。
「王宮にお仕えする女性方にも、ルシアさんのファンは多いんですよ」
 その様子なら知らないのでしょうね、と微かに笑ってロベルトが付け加えた。
「デニス殿と俺が?」
「あー、王宮内において、デニスさんは人気薄ですね」
「実物を知ってりゃ、幻滅するよな」
 カズが苦笑交じりの息を吐いた。
 青色部隊の隊長デニス・ルカーヴも、ルシアに負けず劣らずの美貌の主だが、性格に問題があった。
 問題といっても、どこぞの国王陛下のように他人に迷惑をかけるものではない。
 デニスはただひたすら、他人と会話を成立させない無口すぎるほど無口な青年だった。
 デニスとの付き合いが、かれこれ数年になるカズも、彼の声を聞いたのは片手で数えるほどだ。だから、デニスと意思の疎通をするのは余程の才能ないし、根気が無ければ無理で、大抵の人間は途中で諦めてしまう。
 女性もそうで、デニスに好意を持って近づくのだけれど、彼の徹底した無口ぶりで、おまけに無表情ときているから、顔色でデニスの考えを読むのは至難の業。まして、デニスは剣を振るっていればそれだけで良いという武芸の人であったので、どんな美人に迫られても眼中に入りやしない。
 故に変人とレッテルを貼られ、女性たちは好意の対象を別に向ける。
 その点、ルシアは自分に向けられる好意にはハッキリ言って鈍感だったが、社交性があり、人との付き合いは良好だ。感情が顔に出にくいという欠点があったが、気心が知れると些細な表情の変化も目に見えてわかってくる。それでいて、切れ者だ。ここまで条件の揃った人間はなかなかいない。
「ああ、もしかして、盗まれた絵っていうのも、ルシアの肖像だったりするわけですか?」
 カズは確認するように、ジズリーズに視線を向けた。
 ロベルトが言うように、新聞の切れ端でも欲しがるような絵であれば、もっと本格的に描かれたものならば今現在、金銭価値はないが、金を出して欲しがる者が出てもおかしくはない。
 ジズリーズは、相変わらず真意がどこにあるのかわからない笑みを浮かべて続けた。
「それは私にもわかりかねます。でも、可能性として考えられる範囲ではありますね」
「俺の肖像?」
 呆然とルシアは問う。
「いや、しかし……俺はディアーナ嬢とは面識はありませんが」
「アリシア家と言えば、中央でも名門の貴族ですから、社交界でお会いしていてもおかしくはありませんよ」
「ですが……それは、本当に俺ですか?」
 ルシアは現実を認めたくないらしく、そんなことを言い出した。
「あのな、そりゃ、自分が犯罪の要因になっているなんてこと認めたくない気持ちはわかるぜ? でも、お前ほどの美形は」
 挿絵を指差して、「いないだろう?」と続けようとしたカズはそこで思い当たる事実に言葉を改めた。
「そりゃ、デニスも美形だし、陛下や殿下や他にも……」
 王宮関係者には異様に美形が多かった。ここにいるジズリーズも男には見えない美女顔だし、白色部隊隊長のルカもまた、絶世とは行かないまでも、なかなかの美女だ。
 赤色部隊のシオン・クライスは、きりっとした目元が印象的な端正な顔立ちの美少年だ。黄色部隊の隊長のアルベルト・ローランは人の良さそうな顔で、特別美形とは言えないが、副隊長のカイン・ナイトは、ジズリーズを上回る女顔で騎士団の中にファンクラブが出来上がるほどだ。
 カズ自身、顔面麻痺の後遺症により、表情はいつも不機嫌そうだが、素材自体は悪くない。
 騎士団に限らず、宮廷魔法師団にも美形が多い。そして、七家にも。
「美形は一杯いるさ。でも、その美形がおんなじ顔してゾロゾロとは」
 そこでまた、カズは言葉に詰まった。
 宮廷魔法師団の美形の代表リゲル・ダリアとシリウス・ダリアは双子だった。
 そして、七家のエバンス家の姉弟も双子で男女の差異はあるものの、似たような顔だし、何よりも兄とそっくりの王弟ジズリーズは、母方の従兄であるクイーン家の子息シグレ・クイーンとともに三つ子に間違えられるくらいだった。
 そういう現状を知っているカズとしては、ルシアの言い分を否定出来なくなった。
「……もしかして、ルシアの親類とか?」
 カズは思わず挿絵とルシアの顔を見比べていた。どう見ても、ルシア本人にしか見えないのだが。


「それだったら、良いのだが。俺は前に話したとおり、天涯孤独の身の上だ」
 そう答えたルシアは、驚いたようなロベルトとレインの表情に出会って、簡単に説明を付け加えた。
「サランの家の両親は養父母なんだ」
「……そうなんですか」
 気の毒そうに言ってくるレインに、ルシアは首を振った。
「良い親だから、そんな顔を見せる必要は無い」
 言って、無意識にルシアはロベルトを見ていた。
 ロベルトは、ルシアと違って養い親には恵まれなかった。彼は妾腹の子として母親と死に別れた後、父親の家に引き取られたがそこで正妻に虐待されて育ったのだ。
 男としてはやや華奢な身体には、家を出て、もう何年にもなるというのに青痣が消えないでいるらしい。痣が消える前にさらに暴力を受けたせいで、皮膚に青痣の色素が沈着してしまったということだった。
 そんな彼を思えば、自分は幸いだったと思う。
 施設から引き取られる際、唯一の血縁であった姉と生き別れた。姉もその後、とある家庭に引き取られたが、不慮の事故で亡くなったという。その知らせを耳にしたときは、孤独という運命に呪いの言葉を吐きたくなったものだが、事故で死ぬまでの姉は幸せに暮らしていたらしい。
 そして、自分も今ではこうして、騎士になることが出来た。幼い手では守りきれなかったものも、今では守れるだけのものを手に入れることが出来た。それは養父母のおかげである。
 ロベルトよりも、はるかに幸運だったのだ。
 ルシアの視線に気がついたロベルトは、困ったような笑みを返してきた。彼としては同情的な感傷は御免なのだ。だけどそれは自分にとってではなく、ルシアに対して思うところなのだろう。
 虐待を受けて育った彼は、自分に向けられる感情に敏感で、とにかく人に嫌われないように、誰に対しても優しくあろうとしている。だから、自分のことで他人が心を煩わすのをロベルトは良しとしない。
 その優しさで、ルシアに訴えるのは、自分なんかに同情して心を痛めないで欲しいと。それが彼の笑顔の意味だ。
「と、とにかくだな」
 カズが声を張り上げた。よく気がつく副隊長は、場を満たした奇妙な空気を誤魔化すように続けた。
「ブルーバードの、小説の方じゃないぜ? その泥棒の正体が見えてきたな」
「どういうことですか?」
 ロベルトが軽い調子で問いかけた。カズが気を使ってくれた行為を無駄にしない。
「ずばり、ルシアの熱烈な信奉者だ」
「……カズ」
 ルシアは頭を抱えた。その言い分はわからないでもないが、それを認めたくなかった。
「信奉者?」
 目を瞬かせてロベルトとレインが、カズを見上げた。
「それって、ルシアさんのファンの人の仕業ってことですか?」
「副隊長、それは決め付けすぎやしませんか?」
 レインは眉を顰めた。
「そうか?」
「絵を欲しがる人相手に高値をつけられるわけですから……」
「その線はないと考えていいだろう」
 ルシアが渋い声で否定した。彼としてはレインの言う金銭目的の盗みであったほうがマシだった。しかし……。
「隊長?」
「金銭目的なら、最初から絵を一枚だけ盗んだりはしない」
「ああ、そうか……」
 納得するレインにカズが付け足した。
「勿論、ルシア信奉者に金で雇われて盗みに入ったって、線も考えられるけどな。金銭目的なら絵だけじゃなく、他にも金銭価値のありそうなもんをちょろまかすだろう。盗みに入ってんのは、貴族の屋敷だぜ。そこいらに飾ってある花瓶なんかも、相当いい値で売れるんじゃないか? ま、かさばるから盗むとしたら貴金属だろうが」
「じゃあ、ブルーバード本人がルシアさんのファン? そういうことなんですか?」
 ロベルトの問いかけにルシアは、状況を楽しんでいるかのようなジズリーズに濃紺の瞳を向けた。


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