トップへ  本棚へ







 6,運命の出会い


「殿下はいつから気づいていたんです」
 ジズリーズは頬を傾け、エメラルドグリーンの瞳で、ルシアを見つめ返してきた。
「ご承知だったからこそ、こちらにお見えになられたのでしょう。自分で言うのもおかしいのですが、俺はこの手の問題に疎い。頼りにしたいカズもゴシップは嫌いで、クーペ社の新聞とは縁が薄い……」
「ルシア隊長も、これを機会にロベルト殿を見習っては如何です」
「は?」
 唐突に名前を出されてロベルトは、きょとんとした顔を見せた。同じ表情のルシアと顔を見合わせる。
「ルシアに女好きになれって言うんですか?」
 唯一、ジズリーズの揶揄を察したカズが、慌てて割って入った。
 ロベルトの人に嫌われたくないが故の、保身から来る優しさは数多くの女性を惑わせた。その結果、彼は異様なくらいに女性にモテた。
 そして、馬鹿正直に彼女らの好意に答えようとするが、ロベルトの優しさは特定の者に向けられるものではない。徐々に彼女らは不満を募らせ、結果、ロベルトと女性の交際は長く続くことなく終わってしまう。
 そんなことが幾度と続いて、彼が王宮に上がってきてまだ四年なのに付き合った女性の数は両手では足りなくなっていた。
 ロベルト本人としては自分から声を掛けたわけでもないし、別れ話を持ち出したわけでもない。だから、「女好き」など言われる筋合いなどないのだが、他人から見れば立派な女好きだった。
「そりゃね、誰か特定の相手がルシアにいたら、ここまで暴走する信奉者は出なかったでしょうよ」
 呆れたような声でカズは言った。
 つまり、殿下はそれが言いたいのか? 相棒の言葉を受けて、ルシアは前髪の影で、微かに眉を顰めた。
「とにかく、今はそんなことを問題にしているわけではありません」
 努めて冷静さを装って、ルシアは続けた。
 表に感情が表れにくいので、こういう場合は余裕があるように見られるが、実際、ルシアの内情としては自分の色恋など考えるだけで頭が痛い。
 部隊隊長としての責任を果たすのに手一杯だというのに。
「いつから、殿下はブルーバードが……その、俺の絵ですか? それを目的に盗みを働いているとお気づきになったんです」
「盗まれている絵の共通点がディアーナ嬢のお描きになられた絵だということで、これはルシア隊長に特別な想いを抱く方の仕業ではないかと思いました。小説の挿絵から見るように絵はルシア隊長の特徴をよく捉えてありますから」
「……しかし、盗まれた絵が、その、俺を描いているとは限らないでしょう」
「そう思ったので少し調べてみましたら、クーペ社の昔の記事にディアーナ嬢のインタビュー記事が載っていたのです。それによりますと、ブルーバードの絵を描く以前から、令嬢はルシア隊長の絵を描いては、ご友人方に贈られていたそうです。勿論、盗まれた絵が全てルシア隊長の絵だとは限りませんが」
「昔?」
「今から一年と少し前、ある夜会でディアーナ嬢はルシア隊長をお知りになったと。それは、アレですね。ご老人たちが兄上にご結婚して頂きがたいために目論んだ席のことでしょう」
 国王ジルビアは独身主義を謳っていた。
 結婚なんてしたくない、というジルビアに対し世継ぎを望む老人たちは、ジルビアをその気にさせるために裏から手を回して、国王を無理矢理その貴族の夜会に出席させた。
 その場には年頃の貴族の令嬢が集められていて、その中にディアーナも花嫁候補として招かれていたのだろう。
 最も、老人たちの目論見を察したジルビアは騎士団、魔法師団から選りすぐりの美形を護衛に選び、女性たちの目を自分からそちらに向けさせた。
 結果、ジルビアの計画通りに事が運んだというわけだ。
 ルシアは自分に集まる同情的な視線に気がついた。もう皆、夜会の裏事情を既に承知していた。
「あの夜会に連れて行かれたのは、ルシアさんとデニスさんと、魔法師団からはシリウスさんとリゲルさんでしたね。ラウルさんとエイドリアンさんにもお声が掛かったようですが、二人は夜勤任務があったんでご辞退されて。あの後、事情を知って二人はホッとしていましたよ。それでもって、シリウスさんとリゲルさんには寮の方に山ほどの手紙が届いていました」
「うちも凄かったぜ」
 カズがうんざりした様子で、息を吐いた。騎士団宛に届いた手紙の処理をするのも、また副隊長の役割だった。
 お茶会やら夜会といった誘いの手紙が山のように届いたのだ。
「でも、どうして、陛下でなくルシアさんたちに目が行ったんでしょうね。国王陛下に見初められれば玉の輿ですよ? そのお相手を普通、無視しますか?」
 ロベルトが不思議そうに首を傾げるのを見て、カズが口を挟んだ。
「ああ、それは、陛下に見合いの席上だと言えるわけがないだろ。で、外側からも漏れちゃいけない。まあ、陛下がその気になってくれりゃあいいわけで、ここで陛下の存在を公にする必要はないと判断したんだな」
「でも、護衛をつけていればバレバレでしょう?」
 ロベルトはさも当然のようにも言った。宮廷魔法師の制服はそうでもないが、騎士団の制服は一目瞭然だ。まして、腰には剣がぶら下がっている。
 フォレスト王国では帯剣するのに許可が必要だった。常時、剣を身につけているのは、騎士か治安管理官。それに従属する者たちだけだ。
 そんな目立つ格好の青年を二人も侍らせていたら、王宮関係者だと誰の目にも明らかになると思うのは当然だろう。
「そこで陛下の、あのお顔が問題になる」
「陛下の?」
 視線は一転してジズリーズに向かった。
 髪の色と瞳の色の違いを除けば、顔の造作はジルビアと瓜二つの女顔。
 ジズリーズは少女のような笑みで視線を返してきた。そこに答えが見つかる。
「……ひょっとして、姫様に間違えられたわけですか」
 無意識に声を潜めてロベルトは問いかけていた。
 中性的な面立ちのロベルト自身、時折女性に見間違われる。男としてのプライドがあるのなら、「間違われる」ことはあまり喜ばしいことではないと、気遣ってのことだろう。
 しかして、好きこのんで女装する国王や王弟たちに、その女顔に対する劣等感はあるのだろうか?
 カズはそのことを疑問視するように眉間に皺を寄せれば、それはまた凶悪な顔を作った。
「そう。まあ、俺たちみたいに陛下と顔を付き合わせているならともかく、貴族といってもその場に集まっているのは令嬢たちだ。陛下がどんなお顔かなんて、噂でしか知りえない」
「……ああ、それでもって陛下は、公の場に立たれても顔の判別がつくような距離に降りられることはありませんからね」
 その行為の意図はただ一つ、お忍びの際に顔でバレてはいけないから。
 女性顔というだけでも特徴的なのに、それが美人顔となれば否応なく目立ってしまうのだから、なるだけ顔は知れ渡っていないに越したことは無い。あくまでもジルビア側の事情だったが、護衛側にも役に立った。ジルビアの登場という大事な場面で当の本人が姿を眩ましていることが間々あったのだ。
 そんな時、顔が瓜二つのジズリーズの登場だ。彼に金髪のカツラをかぶせれば目の色が違うが、遠目にはジルビアの顔を知っている者の目も誤魔化せる偽者が出来上がる。
 王宮関係者でもなければ、ジルビアの顔を知っている者は少ない。
「でも、セイラ姫様と間違えられるって……やっぱり無理がある気がしますけど」
 ロベルトが疑問視するように、声を上げた。
 王妹のセイラはジルビアより六つ年下だ。一年前は十六歳。当時、二十二歳のれっきとした成人のジルビアがその年の少女と間違われるというのは、それはそれで問題のような気もする。
 ロベルトの言い分もまた、ルシアにも理解出来るものではあったが。
 外見がそのまま、相手にその人の本質を見せるものではないことは、ロベルト自身にも言えた。
 中性的ではあるがジルビアやジズリーズのように女顔ではないのに、時として女性に間違われてしまう。こればっかりは不可抗力というやつなのだろう。
 それに男装の麗人というのも、貴族社会では現在、珍しいものではない。
 セイラが慕っているエバンス家の当主クライの双子の姉ソフィアは、男装の麗人として有名だ。セイラがソフィア嬢を真似て男装していると思い込んでも、その場の誰が否定しただろう?
 誰もが、その人物が国王だなんて、思ってもいなかったのだから。この場合、見合いの席上だと言うのを隠す緘口令が仇となった。
 そうカズが先回りして推測を述べれば、「ああ」と微かに呻いたロベルトは、話を戻す。
「その夜会で、ディアーナさんはルシアさんに一目惚れってやつですか?」
「恐らく、そうでしょう。そして、彼女は趣味であった絵画にルシア隊長をモデルとして、絵を描き始めたわけです」
 ジズリーズが頷いて、推論を口にしていると、ドアがノックされた。
 ロベルトが出て、茶を運んできた女官らから、茶器や茶菓子が乗ったワゴンを受け取り、にこやかな笑顔を返しながら――こうやって、無意識に愛想を振りまくから、女性たちに誤解させるのだが――ドアを閉めた。
 そうして、茶を注ぎだした。
 ルシアは回ってきた茶器を受け取る。カズもまた、カップを手にジズリーズに問いかけた。
「それで、絵を描いて友人たちに贈っていたという経緯まで、インタビューには載っていたわけですか」
「ええ、そうです」
 ジズリーズは自らの紅茶にローズジャムを落とした。ほのかにバラの香りが立ち上るそれを一口、啜って涼しげな顔で答える。
 カズは眉間の皺を――本人は考えるように間をおいただけなのだろうが――深く刻みながら続けた。
「つまり、ルシア信奉者はその記事を読んでいる可能性があるわけだ。まあ、信奉者ならこの小説の挿絵が目的で、クーペの新聞を読んでいるんでしょうがね」
「インタビュー記事はいつ頃掲載されたんですか?」
 カズの言葉に頷きながら、ルシアはジズリーズに視線を流し、問いかけた。
「三ヶ月ほど前だったように記憶しています。それを契機にディアーナ嬢がブルーバードの挿絵を提供されています。それまでは挿絵なしの連載でした」
 ルシアはカズからファイルを手に取り確認する。最初の切り抜きは活字ばかりだ。暫くして、絵が文章の脇に添えられるようになった。
 セイラ姫は挿絵まで切り抜いて、一枚一枚丁寧に保存していた。
 マメな姫様だと思っていたが、とルシアは小さく笑みをこぼす。このファイルは間違いなくセイラ姫の手によるものだろう。
「この小説の連載はいつから始まったのか、ご存知ですか?」
 ルシアはジズリーズに尋ねた。調べればすぐにわかることだったが、情報提供者を利用しない手は無い。
「それ、何か関係あるんですか?」
 ロベルトが頬を傾ける。
「カズが言うように、ブルーバードは令嬢のインタビュー記事を読んでいる可能性がある。盗難事件が始まったのは三ヶ月前以降、インタビュー記事が載ってからのこと。だが、その記事の存在を知りえたのは新聞の購買者だったからだ。その記事が掲載された日、偶然に新聞を手に取ったと考えるよりはそちらの可能性が現実的だ」
「つまり、ブルーバードは小説のファンだってことですか?」
「泥棒というこの手立てから、小説の影響は明らかだ。絵が欲しいならこのような手段でなくても手に入れることが出来るはず」
「その意見には少し検証の余地があると思いますが」
 ジズリーズの切り返しに、ルシアは顎を引いて、首を頷かせた。
「否定はしません。話に聞いた令嬢はご自分の絵をご友人方に贈られていた。絵が欲しいのなら令嬢と知り合いになれば、盗むという手段に出なくても済みますが、誰彼と貴族の令嬢と知り合えるものではないでしょう」
「でも、このお嬢さんは、貴族のご令嬢としてはかなり型破りな感じだよな」
「まあ、ゴシップ紙として悪名高いクーペ社の新聞に寄稿しているところから見ても。これは眉を顰めるところですよ」
「それを言ってしまったら、セイラは王家の姫君でありながら、その新聞を毎日楽しみにしていますよ」
「姫様は……純粋に小説を楽しんでいらっしゃるのでしょう?」
 少し自信なさ気にカズは声を吐いた。
「セイラの名誉の為に、そういうことにしておいてください」
 ジズリーズは、フフフッと声を響かせ、楽しげに笑う。
「……」
 恋愛至上主義のセイラ姫様は、家柄とか関係なく恋に走る女性を応援していた。利害関係での婚姻が主流の貴族社会に於いて、セイラが推奨するものはどちらかといえば、ゴシップに属するものだろう。
 例えば、名門貴族に輿入れが決まっていた令嬢が下町の青年と駆け落ちしたとか、そんな話を聞けば令嬢とその青年の恋のために、走り回りかねない。そんな苛烈な姫様なのだ。
「……今のは無かったことにしましょうよ。ご老人たちが聞いたら、うるさいですから」
 ため息をこぼして、カズが提案する。
 ルシアを初めとして、実の兄を除く者たちは頷いた。
 これで、セイラ姫の恋の相手が例え話のような者であったなら問題はかなり深刻だったが、姫様は七家のエバンス家の当主クライに首っ丈だ。
 それで安心している老人たちをわざわざ刺激してやることはない――だろう?


前へ  目次へ  次へ