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 7,彷徨う想い


「話を元に戻しましょうよ……」
 疲れたような声を吐いて、カズがジズリーズに視線で促す。
「そうですね。連載が開始されたのは約半年前からです。一週間のうち五日掲載されていますよ」
「この頃から、ブルーバードは盗みの計画を立てていたんでしょうか?」
 レインが誰ともなしに問いかけた。ルシアが横目にレインを見やって、首を振った。肩を艶やかな黒髪がさらりと撫でる。
「いや、ただ、この時は純粋に小説のファンだったと思う。ここから見える犯人像は、少し思い込みの激しい……」
「ルシア信奉者だな」
 言いよどんだルシアの言葉を引き継いで、カズが言った。ルシアは疲れたような鈍重な動きで首肯した。
「この段階ではブルーバードは絵を盗むなんて考えていない。そもそも、絵の存在なんて知らなかった可能性が大きい」
「令嬢のインタビュー記事で知ったんですよね」
「そこで、そいつは絵が欲しいと思う。短絡的に盗むという考えに至ったのは、この信奉者が小説のファンだったからだ」
 カズがロベルトの合いの手に応じて、断言するように推測を口にする。
「それに、小説を読めばますます、その考えにのめり込んでいった過程がわかると思いますよ」
 ジズリーズがフフフと声を響かせ、告げた。
「えっ?」
 長い睫を瞬かせるルシアを王弟はエメラルドグリーンの瞳を煌めかせ、見つめ返してきた。
「ブルーバードと警察隊長であるマリアとの恋。このシチュエーションはそのままブルーバードとルシア隊長にも当てはまりませんか?」
「――――っ」
 ジズリーズの提言にルシアは、小説のストーリーを現実に投影しようとする思い込みの激しさが、そのまま自分に向かってくることに対して、恐怖に似た感情を覚えた。
 背筋に冷たいものを感じる。
「ちょっと……怖いですね」
 ロベルトも同じような感じを受けたらしく、息を潜めて呟いた。
「それだけ、ルシア隊長に恋焦がれているのでしょう。現実が見えなくなってしまうくらいに」
「捕まったらなんて考えているんですかね」
「ルシアに捕まるのなら本望だと思ってんじゃないのか?」
 ロベルトの呟きにカズは軽口を叩いた。ここまで想われれば、男としては本望だろうと言いたいらしい。
「根本的なことを聞きますけど、やっぱり、ブルーバードって女性ですよね」
 ズバッと切り込んできたレインに、ルシア、カズ、ロベルトの三人は固まった。
 状況を楽しんでいる風のジズリーズは、我関せずというすまし顔で、芳醇な香りを楽しみながら紅茶を飲んでいた。


「っ……あっ、当たり前だろっ」
 永遠に続くような沈黙を打ち破り、凍りついた姿勢から顔を起こして、カズは声を張り上げた。
「ルシアは男だぜ。黄色のカインみたいに、見るからに女っぽいってんなら、誤解もあるだろうが、身体つきはどこからどう見ても男だろうが」
 長身のカズより頭一つ分、背が低いルシアだったが、それは平均身長よりさらに背が高いカズの横にいるためだ。
 ルシアの身長は成人男子の平均的な身長はあったし、ジズリーズやロベルトより肩幅もあった。女に間違われることはまずないと言える。
「いや、だって、ここまで思い込むっていうのは、何だが普通じゃない感じがしてですね」
 ズイッとカズはレインに詰め寄った。間近に迫った不機嫌な顔の迫力に、レインは思わず後ずさった。
 頼むから、これ以上は口にするな、と訴えるカズの視線だが、レインには殺すぞと脅されているような気がしたのか、
「ふ、副隊長……」
 恐怖に引きつった声を吐き出す。
 ガシッと肩を掴まれて、レインはヒッと上げかけた悲鳴を飲み込む。
「お前、これ以上、口を開くな」
 低く押し殺されたカズの声に、レインはコクコクと頷いた。逆らわない方が良さそうだと本能的に悟ったようだ。
 カズがチラリと肩越しにこちらを振り返る。
 ルシアは固まった姿勢のまま身動き出来ず、相棒の視線を受け止めた。
 女性からの好意に対しても、対処しきれないくらいに色恋に疎いルシアが男から好意を向けられて、それを認識出来るはずがない。それはもう、許容範囲を超えた問題だ。
「男の可能性があるのか?」
 ルシアは半ば隊長としての意地で問題を追及した。
 自分に向けられる好意の存在に戸惑って、ましてそれが犯罪の要因となっていることだけでも頭が痛いのに、それが男からだとしたら……頭は破裂寸前だ。
 けれど、あらゆる角度から物事を検証しないと犯人像には迫れない。治安管理官から捜査権を委託された以上、宮廷騎士団<<五色の旗>>黒色部隊の名誉に掛けて、事件の早期解決を図るのが隊長としての役目だ。
 ……役目だ。これは、仕事だ。
 ルシアは混乱する自分自身に、呪文のように言い聞かせる。
「そりゃ……無いわけじゃないだろうが」
 カズは呻くように声を出した。
 世の中には男が好きな男という、そういう人種もいることは誰もが知っている。けど、世間の理解度は低い。
 ルシアもカズもその手の人種を否定しようとは思わないが、自分が当事者になるなどとも考えてはいない。
 ルシアにしてみれば、相手が男であれ女であれ、己の色恋を考える余裕も無ければ、苦手なのだ。
 それでも努力して現実を見ようとするルシアに、レインが言った。
「うーん、やっぱり俺が思うには、公に出来ない気持ちだからこその暴走なんじゃないですか?」
 瞬間、カズの鉄拳が飛び、レインが床に沈んだ。
「黙っていろ、って言っただろうがっ!」


「……カズさん」
 ロベルトがやや呆れたように息を吐いたが、副隊長のカズとしては黒色部隊の存続の為に、この問題には触れたくなかったのだ。
 この超絶美形の隊長殿は人間的にも素晴らしく、部下たちからは崇拝されていた。
 それが純粋に上司を敬うものであったのなら良いのだが、ルシアの美貌は相手が男だと認識する機能を麻痺させて、時に感情を暴走させる者を生んでいた。
 幸いに、彼らはルシアの元に玉砕覚悟で乗り込んでいく前に、カズのところに相談しに来ては、「自分は男色ではないのですが」と、涙ながらに訴えてルシアへの想いを切々と語る。
 聞かされるこちらの神経が参ってしまうような彼らの熱に、カズは神経を細かく砕きながら言葉に言葉を重ねて、ルシアを諦めさせたのは一度や二度ではない。
 ルシアにその気が無いのは一目瞭然だ。それで玉砕した後、部隊に残り騎士として続けていられるほど彼らの神経は太くない。元々、ルシアが対象でなければ男に走るような輩ではないのだから。
 彼らにしても、男であるルシアに恋情を抱いたことに驚いているのだから、気の迷いというやつだろう。そんな問題で、只でさえ少ない隊員をこれ以上減らすことなどで出来やしない。
 というわけで、カズは彼らのために女性を紹介し、新しい恋を結んでやった。全てはルシアに内密にしてのことだ。隊長としての職務に心血を注いでいるルシアを余計なことで煩わせるのは、カズの副隊長としてのプライドが許さない。
 だが、レインの言動は今までカズが密かに守り続けてきた問題に光を当ててしまいそうで、手は無意識に動いていた。
「大丈夫ですか、レインさん」
 ロベルトの手を借りてレインが立ち上がる。カズが視線を向けると、彼はロベルトの影に隠れるように顔を伏せた。
「それで、どのような捜査をなさるおつもりですか」
 ジズリーズは今し方の騒動など、何事も無かったような顔でルシアに問いかける。
 犯人が捕まれば、その議論も無意味だと言っているようで、カズとルシアはその言に乗ることにした。
 最も、その犯人像を追求するための議論であったことはこの際、置いておく。
「まずは、ディアーナ嬢にお会いして、ご友人方に贈られた絵のリストを作って頂きます。それで、まだ盗まれていない絵があるのなら警備体制を整える必要があるでしょう。ここで、ブルーバードを捕まえることが出来ればよいのですが、あまり期待は出来ないでしょうね」
 冷静さを取り戻した声でルシアは告げる。
「同時進行で、被害にあった方々に再度の事情聴取をいたします」
「それは治安管理官の方のほうでお済ではないのですか」
「残念ながら、ブルーバードを特定するに必要な情報が抜けています」
「それは? お聞きしても構いませんか」
 ジズリーズの問いにルシアは頷いて答えた。
「このブルーバードの犯行は目的の物を的確に盗んでいます。一度も、家人に目撃されていなければ侵入の形跡は絵が盗まれた事実だけです。一言で言ってしまえば、仕事が巧い」
「プロの仕業だと?」
 ジズリーズが微かに目を細める。
「そこは断定しかねますが、盗んでいる物が絵だけという時点で、違うと思います」
「では?」
「……恐らく、かなりの準備があってのことです。屋敷の間取り、どこに絵が飾られ、どの部屋に誰が眠っているのかなどなど、かなり細かく調べたのでしょう」
「調べると言っても、どうやって?」
「その家のことを知る一番の手は、その家に入り込むことです」
「つまり、何度も盗みに入っているということですか?」
「それは違う。そんなことしていたら家人に目撃されるぜ」
 ロベルトが尋ねて、カズは否定した。
 ルシアはカズの言を、肯定する。
「そう。目撃されても不自然じゃない形での侵入なんだ。きっと、客人かまたは使用人として、ブルーバードはその家々に堂々と入っているんだ」
「……ああ」
「盗みが行われた日より前に訪れた来客、もしくは前後に辞めた使用人がいないかどうか、これを聞き取り調査する必要があります」
 そこまで言ったルシアに、ジズリーズは拍手を送った。パチパチと白い手が奏でる音は、妙に白々しくルシアの耳に入り込んできた。
 そちらへ濃紺色の瞳を差し向ければ、王弟は登場から変わらない笑みを浮かべている。
「さすが、ルシア隊長ですね。これなら犯人確保は時間の問題でしょう」
 そうして語った王弟のセリフに、ルシアはため息を吐き出した。


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