トップへ  本棚へ







 8,真意の行方


「白々しすぎますよ、殿下」
 ジズリーズは拍手をそのひと言で止めて、ルシアを見つめ返してきた。
 柔らかなラインを描く唇には、緩やかな笑みが浮かんでいる。何の害意も
悪意もないような、無垢さを装った笑顔。
 そんなの王弟に厳しい視線を当てて、ルシアは続けた。
「今、話をした捜査方針など聞くまでもなく、お分かりだったのでしょう? それをわざわざ聞いてきたのは、俺たちの思考がそこまで至らなかった場合、助言として口を差し出すためです」
「私の助言なんて、ルシア隊長のお役に立つものではないでしょう?」
 小首を傾げれば、薄茶色の髪が流れる。その狭間から見えるエメラルドグリーンの瞳は、こちらの反応を逐一見逃すまいというより、面白いものを目の当たりにしているかのような好奇に彩られていた。
 ルシアはそんな彼の視線を断ち切るべく、頭を振った。
「そうでもありません。ディアーナ嬢の絵に、ブルーバードの小説の情報は、時間節約になりました。そちらの調査に騎士を派遣する手間が省け、被害宅の事情聴取に取り掛かれます」
「ルシア隊長のお役に立てましたのならば、光栄ですね」
 フフフッと笑い声を響かせ、おどけたようにジズリーズは言った。
「それで、交換条件は何なのでしょう」
「交換条件?」
 不思議そうに睫を瞬かせて問い返してくるジズリーズに、ルシアはまたも首を振った。
 エメラルドグリーンの瞳に、驚きよりも予定調和の会話に満足しているのが見て取れたからだ。
 明らかにジズリーズは、この流れを予定していた。
「シラをきられるのでしたら、俺としてはこれ以上、殿下の気まぐれにお付き合いする義理はないとここで、終わらせますよ」
「それは少し困りますね。今は教育局長の汚職事件の後始末で手が離せませんから、私個人として調べる時間がないのです」
 唸り声を上げながら、ジズリーズは楽しそうに笑っている。
 聞いているほうはギョッとした。
 教育局長の汚職を暴いたのは、他でもないジズリーズの手柄だったのだ。
 だが、その手柄を素直に褒め称えるには彼の手段はあまりにも際どかった。第三者に知られるとかなり不味い。
 それが再び繰り返されるとなれば、黙ってはいられない。
「最初から取引が目的だったのでしょう? ここで貸しを作ろうなどとは、思わないことです」
 慌てるカズたちを尻目に、ルシアはジズリーズに向かって冷たく言い放った。
「陛下から留守を任されている立場上、殿下には無茶が出来ないはずですよ」
「そうでしょうか?」
 静かに微笑んで、ジズリーズは頬を傾ける。
「陛下が俺たちを相手に謁見をすっぽかすような真似が出来るのは、その穴を埋める殿下がいらっしゃるからです。いざとなれば、俺たちは殿下を陛下の身代わりに仕立て上げられます。陛下はそれを見越して行動なされている」
「兄上はそこまでお考えでしょうか」
「殿下にはおわかりのはずです」
 ルシアが静かに断言すると、視界の端でレインが目を瞬かせているのが見えた。
 彼は騎士団に入隊してまだ日が浅いので、ジルビアやジズリーズたち王族の兄弟は、無茶で無謀なことばかりをするという認識しか、ないに違いない。
 その認識も外れてはいない。しかし、本質的には彼らは王族として国民のことを大事に考えていた。
 そういう面を知らなければ、ただの権威の塊でしかない王族に、ルシアは表面上の礼節だけで、心では軽蔑していただろう。
「他国の大使の謁見をすっぽかすような真似は国益上、よろしくはない。その損失はいずれ国民に返ることをご承知している陛下が、みすみす馬鹿な真似をなさるはずがない」
 実際、謁見の前にジルビアが姿を眩ませても、彼はギリギリのタイミングで見つかっていた。それは他でもない。見つかる範囲に隠れているのだ。もし見つからなくても代わりが出来るジズリーズがいる。
 逆にこの条件が整っていないとき、ジルビアは大人しく玉座に収まっていた。
 そして、ジルビアと同じことがジズリーズにも言えた。顔以外のことは全然似ていないような兄弟に見えるのだが、根源たる骨は、血は、同じだった。
 今、ジズリーズのフォローをしてくれるジルビアが王宮にいない以上、王弟は独断で無茶なことは出来やしない。
「買い被り過ぎやしませんか」
 茶化すように笑うジズリーズにルシアは首を横に振った。
「俺もカズも人を見る目にだけは自信を持っています。その俺たちが確信しているのですから、買い被りなどではありません」
「そこまで信頼されていたら、裏切れませんね」
 ジズリーズは参ったというように、ティーカップをソーサに戻して、片手を挙げた。
「ルシア隊長相手だと、何もかもお見通しにされてしまいますね。からかい甲斐がないったら。もう少し、私と遊んでくださいませんか」
「お断りします。第一に俺では殿下のお相手など務まりませんでしょう」
 建前ばかりが横行する王宮で、ジズリーズたちが欲しているのは嘘偽りなどない本音からの言葉であり、態度だった。
 だから、感情のままに怒ったり笑ったりするディードが、一番の遊び相手でおもちゃとして好まれる。
「そうでもないと思いますけどね」
 ルシアが自身の色恋問題に戸惑っているのは、普段の冷静沈着な姿からみてなかなかに面白いものだと思う。
 軽く眉を顰めるルシアにジズリーズは笑う。
「ルシア隊長に嫌われてしまっては、元も子もありませんから、本題に戻りましょう」
「それでは、殿下のお望みは何なのでしょう。俺たちに何を望んでいらっしゃるのですか」
「それは他でもありません。ブルーバードの情報です」
「……ええっと、それはどういう意味なんですか?」
 カズは不機嫌な顔をさらに顰め、問い質す。
 本人としては訝しげな顔を見せたつもりだろうが、見る者の印象からすれば、不味い物を食べさせられたような感じだった。
「ブルーバードの情報を提供してくださったのは、殿下のほうでしょう」
「私が差し上げましたのは、ブルーバードの実体に迫る情報で、ブルーバード自身の情報ではありませんよ」
「それは要するに、俺たちに是が非でも、ブルーバードを捕まえろってことですか?」
「端的に言ってしまえばそうでしょうね」
 悪びれない笑顔のジズリーズに、カズは言われるまでもありませんよ、と苦々しげな声を返した。
「それが俺たちの仕事なんですからね」
 こちらに視線を走らせる相棒にルシアは首肯で応え、ジズリーズの真意を探る。
「ブルーバードを捕まえて殿下の御前に引き出すのですか? それで殿下にどういう利点があるのでしょう。ただ、犯罪者の顔が見たいなんて、そんなことは言わないでしょう」
「私が知りたいのは彼の真意です」
「……今、彼と言いましたか? 殿下は、ブルーバードは男だとお考えなのですか?」
 慎重な声音でルシアが尋ねた。心なし、声に覇気がないのを自覚する。
 先ほどの会話を思い出した。男から向けられる好意は、ごめんこうむりたい。
「これは言葉が先走りましたね。特に意味があって、彼と言ったわけではありません」
 笑い声を響かせるジズリーズを無言で眺めていると、
「ブルーバードの真意って何なんですか?」
 ぐいっと身を乗り出してロベルトが口を開いた。ジズリーズは、彼を横目に小さく笑うと小首を傾げた。
「それを知りたいのは、私ですよ。ロベルト」
「ああ、そういう意味じゃなくって。何故、真意を知りたいなんて言い出したかですよ。俺が聞きたいのは。何か考えがあって、知りたいと思うわけでしょう?」
「まあ、そうでしょうね」
「他人事みたいに言うんですね」
「やけに突っかかるのですね」
 ジズリーズの切り返しに、ロベルトは顔を顰めた。
「だって、ジズリーズ様が何かをやらかせば、それはそのまま団長のご機嫌に係わってきますからね。陛下の視察旅行に同行しないで喜んでいたのに、初っ端に教育局長の横領事件でしょう。ピリピリしてうかつに近づけないんですよ」
 愚痴るロベルトにレインが笑った。
「ロベルトさんは団長殿のことになると人間、変わりますよね」
 基本的には誰にでも優しいロベルトだが、それは処世術だ。だから、女性がコロリと騙される優しさも、男性から見れば単なる事なかれ主義にも映る。
 それ故に、通常からすればジズリーズにも、こちらにも、味方にもつかず、状況を見守るところだが、ここにディードが係わってくると自分から口を出してくる。
 いつものロベルトらしからぬ一面は、いつだってディードにあることを既に承知している人間は多い。ただ、ロベルト本人は自覚していないようだが。
「えっ?」
 ロベルトが振り返った視界の先に、レインは居なかった。代わりにあるのは握られた拳。手首の先を辿って行くと、カズの凶悪に不機嫌そうな顔があった。
 ふと、ロベルトが思いあって床を見ると、頭を抱えてレインが座り込んでいた。
「……副隊長ぉ?」
 涙目で見上げてくるレインに、カズは冷たい視線を投げて言った。
「誰にでも守りたい一線ってもんがあるんだ。それを侵す権利は誰にもない」
 ふんぞり返るように胸を張って発言するカズに、ルシアはため息をついた。
 ロベルトはディードに傾倒している。虐待を受けて育った彼は王宮に上がってきた当初は、何に対しても無関心だった。絶望だけが心を占めていた彼が今のように誰にでも優しく接することが出来るようになったのは、ディードと出会ってからだ。
 ロベルトは育った境遇の不幸レベルとでも言おうか、自分以上に不幸だと思っていたディードが、王宮で決して感情を押し殺すことなく自由に生きているさまを見て、不幸を背負って絶望して生きている自分が馬鹿らしくなった。そうして、少しずつ押し殺していた感情を開放させていったロベルトにとって、ディードは憧れの存在だ。
 その傾倒ぶりは恋愛感情に見えなくもない。
 最も、ロベルトは他人よりディードに対する干渉が著しいことを認めてはいるが、あくまでもディードは自分の目標だと思っている。
 果たして、本当のところはロベルト自身にもわかりはしないだろうが、時にレインのように訳知り顔で色々言ってくる輩もいる。
 気が利く我らが副隊長殿はロベルトがディードへの憧れをあくまで憧れと言い募るのは、一線を越えたくないからだろう、と言っていた。
 ルシアにしてみれば、ロベルトに自覚がない限り一線も何もないと思うのだが。
「カズもレインも」
 ルシアは二人の名を口にすることで、意識をこちらに向けさせた。
 そして、ルシアはジズリーズに視線を戻す。
「殿下の真意を、お聞きしてよろしいですか?」
「ルシア隊長にも今は言えません。私自身が全てを把握しているわけではなく、推測の上でのことなのです」
 ジズリーズが笑みを収めて、初めて真剣な顔つきで言った。
 ルシアは再びため息をつく。こんな顔を見せられては、追求なんて出来ない。ジズリーズが心の内でどんな顔を見せていようと、レインやロベルトの手前では。
 明らかにジズリーズは、ブルーバードに対して、こちらが持ちえていない情報を持っている。ルシアは、そして恐らくカズも確信していた。
 王弟がいつも相手を煙に巻くように笑顔でいるのはいざという時、真剣な顔つきが生む効果を熟知しているからに過ぎない。
 ふざけていた人が急に真面目になったら、誰も改心したに違いないと、お人好しに思う。これはそれと同じだ。
 この現場にいるレインやロベルトに、ジズリーズには言えない事情があると思わせれば、ルシアとカズの追求を免れることを計算している。
 言えないわけじゃなく、言いたくないだけだ。取って置きの切り札を、取って置きの場面で使いたいというのが、ジズリーズの本音だろう。
 手にしている情報が少なすぎる今、ルシアにはジズリーズの企みを察することは出来ない。ただ、彼の統治者としての良心を信じるしかない。決して国民の不利益になることだけはしないという。
「わかりました。ブルーバードの新たな情報、または身柄が確保出来た時には、殿下に優先的に情報を流しましょう」
 妥協するしかないルシアの背後で、カズが呻いた。
 結局、いいように扱われてないか? と、彼の心の声が聞こえてきそうだ。
「有難うございます」
 小憎らしいくらいの愛らしい笑みで、ジズリーズが礼を返してきた。この王弟が国王と違うところは、こういったところだろう。
 ジルビアなら、してやった、とほくそ笑むに違いない。
「こちらのファイルは、お預かりしてよろしいか?」
 立ち直ったカズが、小説を切り抜いてまとめたファイルを持ち上げた。
「ええ、セイラには私の方から言っておきます。では、そろそろ、執務の方に戻りましょうか。お忙しいところ、お邪魔しました」
 用は済んだとばかりに、ジズリーズは立ち上がった。さっさと部屋を出て行く。ロベルトとレインは慌てて手にしたカップの茶をあけた。
「ご馳走様でした」
「後で、茶器を引き取らせます。ごめんなさい、失礼します」
 バタバタと、ジズリーズの後を追って出て行く二人を見送って、ルシアは相棒と目を見合わせた。


前へ  目次へ  次へ