9,青い鳥
「どう思うよ、殿下のあの態度」
赤銅色の瞳をルシアに向けて、カズは尋ねた。
「……いつものことだよ、カズ」
ルシアがこちらの手からファイルを取り上げる。中身を再度確認しては、そっとため息をこぼすように言った。
「いつものことって……」
「聡明な方だから、手の内を明かすタイミングも計算済みなのさ。今の段階でどんなに言い募っても今以上の情報を引き出せない。最初から、渡す気がないないんだ」
「持っていないってことは、ないよな?」
カズはそう言って、ルシアに確認した。
「自分でも信じていないようなことを聞いて、俺にどう答えて欲しいんだ」
「……それは」
言葉に詰まって俯くカズを、ルシアは濃紺色の瞳で見上げてきた。
「多分、殿下はブルーバードの正体に見当がついているのだろう。でも、確信するに至らないか、泳がせているのか」
「泳がせているって、俺たちには捕まえられないってことか?」
「……少なくとも今、俺たちが手にしている情報では犯人を捕まえるには至らない。何にしても、関係者からの事情聴取の必要性がある。そして、犯人像が見えてきた時、おのずと殿下の欲しがっている情報とやらもわかるだろう。そうなれば、殿下も手の内を見せざるを得なくなる」
「何だか、回りくどいのな」
ハアと息を吐いて、カズは片目を瞑った。
「……それだけの必然性があるのかもしれないな」
ルシアは形のいい唇を指先で撫でながら、呟く。
「必然性ね。もう、どうにでもしてくれって感じだな。殿下が何かを企んでいたとしても俺たちのやることは、一つしかないわけだ。で、誰を捜査に当てる?」
「俺がやるよ。俺が少なくとも事件の要因になっている以上、部下に任せるのは」
「言うと思った。俺が組んでやるよ。お前、女の相手は苦手だろう」
声をニヤつかせながらカズは言った。表情は相変わらず不機嫌さを漂わせているが――他人の目には、そう見える――心の内ではこれを機会に、我らが隊長殿に身を固めてもらうのもいいかもしれないと企んでいた。
ルシアの美貌にこれ以上、部隊の野郎どもが暴走しないように。
そんなカズにルシアは微笑んで頷いた。
「助かるよ」
感情が面に出にくいルシアの、明らかに笑っているとわかる微笑は稀だった。男でも見惚れてしまいそうな笑顔である。
ジズリーズのたまに見せる真面目な顔が実に効果的に働くように、ルシアの微笑もただ唇を緩めただけに過ぎないのに、こちらのツボを突いてくる。
だから、そんな顔をするなっての、と心の中で突っ込みながらカズは顔を逸らし言った。
「盗まれた被害者宅への尋問は、シャニーとクーパーに行かせる。集める情報が限定されているから、あいつらでも大丈夫だろう」
「そうだな」
ルシアは捲っていたファイルを閉じると、ドアへと足を向けた。
「では、俺たちも行こうか」
* * *
フォレスト王国中央区ファーレス、その中央都ファーレン。王宮から城下町を抜けて、豪奢な建物が並ぶ貴族街フランヌを、カズの運転する車は周囲の馬車を避けながら走っていく。
この機械自動車は魔力を動力源に開発された機械車で、まだ王家と七家に所有されていない。
ようやく一万台を数えたそれらは、王族や七家の人間の移動用として使用される特別車以外は、広い区内のパトロールの際に騎士団の足として使われる。
馬車より早い車だが、それでも区内を端から端へ移動するとしたら、大陸街道と呼ばれる道を使っても片道二十時間は要する。この大陸街道は八つの区の中央都を直接結ぶ街道で、この道を外れると途端に移動時間は二倍から三倍に延びる。
だから、国王の視察の際は、まず宮廷魔法師の上級魔法使いだけが使えるという移動魔法で目的地に飛んでから、七家が用意した車で各地を回るという手段を取る。
国王が今回の視察地の西区カインに出掛けて行って、五日が過ぎた。後二日、カインに滞在したら南下して、南西区エルマに入る。視察予定は二週間で国王の帰還まで、まだ日数はあるが。
……陛下が帰ってくる前にこのブルーバード事件を片付けてしまわないとな、とカズはハンドルを握りながら思う。
はた迷惑な国王と狡賢い王弟が手を組んだら、それはこれ以上ない騒動を生み出してくれるだろう。
カズはうんざりしながら、後方を確認するために設置されたミラーに目を走らせると、凶悪な人相の己の姿を見つけた。
顔面の神経麻痺は、自分から表情を奪ったばかりか、予想もつかない顔を作る。これから盗難被害の絵の作家となるディアーナ嬢と面会するというのに、この人相じゃ怖がられてしまうだろう。
カズの顔は素材が良いだけに、視線一つにも自身の意図とは別に迫力が宿ってしまう。
(ま、でも、心配するでもないか……)
カズはミラーから視線を引き剥がして、助手席でセイラから借りた『怪盗ブルーバードの冒険』の切り抜きファイルを捲っている相棒の横顔に目を向けた。
ディアーナ嬢は小説に添えられた絵から察するに、かなりルシアに惚れ込んでいるようだ。そんな憧れの男を前にして、他の男に意識が向かうということはないだろう。
「なあ、その小説ってどんな話なんだ?」
カズは視線を前方に戻しながら、ルシアに問いかけた。
印字されていた文字を読んでいたルシアの耳に、カズの問いかけが入り込んできた。チラリと濃紺の瞳を差し向ければ、難しい顔をしたカズの横顔は前方を見据えていた。
カズが運転する車は一定の速度を保ったまま、整備された石畳の上を滑るように走る。
貴族街は、道路が他の街より整然としている――他の街では、路上に出店が立ち並ぶこともあるが。この辺り一帯では、そんな光景は見当たらない。
気を使わずに車を走らせやすい環境ではあるが、運転の邪魔をしてよいものかと迷いながら、ルシアは口を開いた。
「圧制を敷く貴族を相手に盗みを働く義賊の話……序盤はそこから始まって、少しずつブルーバードが何故、盗みを働くようになったのかが書かれている。それは共にスラム街で育った幼馴染みが、実は先代の王の忘れ形見なんだ。だが、貴族たちの陰謀で赤ん坊の時に取り違えられたんだな。この事実をブルーバードが知ると同時に、貴族たちも死んでいたと思っていた王子が生きていることを知って、命を狙い始めた。ブルーバードは幼馴染みを守るために貴族たちの陰謀を暴こうとするんだ」
ルシアは斜め読みで読破した内容を、掻い摘んで語った。
「それで、泥棒?」
「ああ。偽者の王は当然貴族の傀儡で、全てはその貴族たちの掌握するところ。正攻法ではとてもじゃないが、太刀打ち出来ない。背景がちゃんと書かれてあるから、ブルーバードの泥棒という行為に意外と抵抗感を覚えないな」
「それで人気が出ているのか」
「この舞台となっている国がこの国じゃないところにもあるだろう。これがフォレスト王国を舞台にしていたら、違和感があるだろうな。でも、違うから完全に物語として楽しめる」
「圧制を敷く貴族っていうのが、想像出来ないよな。あんな滅茶苦茶な国王陛下だが国民の信頼は厚いし、善政を敷いている。七家も同じで、だからこそ不満を持つ貴族もいないでもないが」
王族と七家に権力が集中していて、上流階級貴族でも執政には口出しが出来ない。
十年前の謀反事件は、この体制に不満を持った貴族がディードの父親であった王弟を盟主にして起こったものだ。
そうして、事件が結果何事もなく終わってみると、国民は事件を起こした貴族たちをなじりながら王族に同情した。
だから、一般階層の市民は一部の貴族に対しては悪感情を持ってはいるものの、現在の王政に対してはそれほど支配されていると感じていない。
ルシアやカズもジルビアを筆頭とする王族兄弟の我儘に振り回されることはあっても、その存在を否定する気はない。
ジルビアもジズリーズも、どちらかと言えば玉座にあまり興味がない。それでも民の為に王としての高みから国民の為に色々と気を配っている。
それを知っている以上、彼らの我儘も結局最後は容認してしまう。
この関係は臣下と言うよりも友人関係に近いかもしれない。
「ブルーバードか……。殿下が言っていた、あれはどういう意味があると思う?」
カズはふと、ジズリーズが去り際に残した言葉を思い出したらしい。
ルシアもまた、部屋を出たところで何気ない口調でジズリーズが言ったそれを反芻した。
『そう言えば、バーネル国にはブルーバードは「幸福を運ぶ青い鳥」という意味があるそうですよ』
バーネル国とは、四方を海に取り囲まれた島国で、海流の関係で他国との外交があまりない閉鎖された国だったが、数年前に立った新王がこの度、積極的に外交に乗り出してきた。
ここ一年、バーネル国の大使から謁見を申し込まれる回数は、これまでの数をゆうに超えた。
バーネル国は海に囲まれ、海の恵みを神からの贈り物として、魚類を主に主食とし、青い色を高貴としていると、ジズリーズは語って、
『もしかしたら、怪盗のブルーバードの名称は、その辺りから来ているのかもしれませんね』
と、笑った。
だがしかし、それはあくまで小説における怪盗の名前の由来であって、事件とは直接関係はないと思われるのだが……。
「もしかしたら、この話はバーネル国をモデルに書かれているのではないかな」
「バーネルを?」
「かの国のベアトリス女王の即位には色々あったと、聞いている。閉鎖されていた国だから、詳しい事情は……俺にもよく聞こえてこないが……。この作家は、その辺りを参考にしたのかもしれない。ブルーバード……幸運を運ぶ青い鳥か……」
そっと呟くルシアの声を片耳に聞きながら、カズは小首を傾げる。
王弟は、何でわざわざ、そんなことを言ったのだろう?
カズは、自分の思考に一瞬、引っ掛かりを覚えたが、話題を切り替えた。
「それで姫様が夢中になっている恋愛部分は?」
新たなカズの問いかけに、ルシアは答えた。
「ブルーバードと警察隊長が互いに惹かれあう――その辺りだろう」
「どんな女だ?」
完全に悪とは言いきれないブルーバードに惹かれるというのは、設定的に悪くはない。恋愛好きとはいえ、物事を真っ直ぐに考えるセイラ姫が絶賛するからには、それぞれの登場人物に魅力があるのだろう。
「これがなかなか立派な女性で、不正がはびこる警察内部でも常に正義を貫こうとする高潔な精神の持ち主……ルカ隊長殿と幾分、ダブるな」
宮廷騎士団で唯一の、女性騎士である白色部隊隊長のルカ・アルマは確かに誰にも媚びることのない高潔な精神で、男ばかりの部隊を率いている。
「じゃあ、いい女だな」
カズがそう断定したのに対して、ルシアは少し驚いたように顔を起こした。
「カズはルカ隊長殿のような女性が好みだったのか」
人に恋路を相談され、奔走するカズもまた、自分と同じように己の色恋なんて頭にないと思っていたのだろう、ルシアは純粋に驚いたようだ。
「いい女と、好みの女は定義が違うって」
横目で視線を返して、カズは苦笑した。
「そういうものか?」
「ルシアだってルカ嬢をいい女だと認めているだろう」
「……なるほど」
美人でスタイルも良く、性格も極めて女性らしい。そんなルカ・アルマはいい女の部類に入るだろう。
ルシアにとってはよい同僚という感覚しかないようだし、カズとしても仲間以上の感情はない。
「ルシアは、どういう女が好きだ?」
「……藪から棒な質問だな」
「そうか? この話の流れからすれば、あながち外れてもいないだろ?」
ニヤリと笑ったつもりのカズだったが、表情は果てしなく凶悪に歪む。
「好みだとか……あまり、気にしたことはないな」
ルシアはカズから視線をそらして続けた。窓の外に流れる景色を見ているようで、その眼差しは遠くにあった。
「……誰かを特別だと思うよりも、俺は目に映る全ての人を守りたい。それが騎士になった俺の誓いだ」
「特定の誰かなんて、選り好みしてらんねぇってところか」
「……そうなるのかもしれない」
つまりは博愛主義。誰にでも平等に愛情を注ぐということだろう。
それはあまりにもルシアらしい答えで、カズは再び苦笑する。
「それって、一歩間違うとロベルトと同類だな」
「……そうなのか?」
表情は平素だが、瞳に少しだけ困惑した色を浮かべて、ルシアは振り返ってくる。
「まあ、あいつは特別な一人を選ぼうとして、失敗しているけどな……と、見えた」
カズは車のスピードを緩めた。長い塀が切れた先に門扉が見え、荘厳な門の向こうにアリシア家の邸宅が顔を覗かせた。
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