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 第二章 事件の裏で
 君を守ろう……それが僕に出来ること。


 1,騎士団登場


 前略、大変ご無沙汰しております。
 クレイン殿においては、変わらずのことと存じます。こちらもまた兄上を初め、皆健やかに暮らしております。
 時折、貴殿がおられないことに寂しさを感じますが、貴殿のほうでは私どもと縁が切れたことを、喜んでいらっしゃるのかもしれませんね。
 さて、貴殿が王宮を去られて早一月となりました。
 如何、お過ごしでしょうか?
 貴殿のことですから、新しい環境にも動じずにいらっしゃることでしょうね。
 こちらは既にご承知かも知れませんが、教育局の局長の横領事件に、貴族街の方では小説の登場人物を模倣した泥棒による連続絵画盗難事件と、その後処理に追われて目の回るような忙しさです。
 そこで貴殿はご自身の跡をお任せになったカラ殿のことを、お気になさっていらっしゃるのではないかと思いまして、この度、ペンを取りました。
 それと言いますのも、連続絵画盗難事件の捜査の一端で、青色部隊の担当地域にも被害が出ているのがわかったのです。生憎と、手の空いた者がおりませんでしたので、デニス隊長とカラ副隊長が捜査に向かわれました。
 ここまで読まれまして、貴殿はそこはかとなく不安を感じていらっしゃるでしょうね。
 無理矢理、ご自身の後釜に据えたカラ殿が、実際にどれだけの能力を有しているのか、貴殿はそれを確認出来ないまま王都を去ってしまわれたのですから。
 それでは貴殿の不安解消の為に単刀直入に本題に入りましょう。


                    * * *


「殺人事件ですか?」
 黒色の大きな目をまん丸に見開いて、カラ・マラーズは驚きの声を上げた。
 先月、宮廷騎士団<<五色の旗>>青色部隊の副隊長に就任したばかりだと言った黒髪の少年は、つぶらな瞳の印象から十七歳という年齢より幾らか幼く見えた。
 フロミネルの街の治安管理官バートン・リュックは、戸惑いながら少年に問い返した。
「そちらの捜査で来られたのではないのですか?」
 チラリと、カラの背後に目をやる。そこには男にしておくには惜しいような美貌の麗人が立っていた。
 噂に名高い青色部隊隊長のデニス・ルカーヴである。
 金髪にストームブルーの切れ長の瞳の青年は、歪みの無い滑らかな顔のライン、スッキリとした鼻筋に、形の良い唇は一直線に結んでいた。
 直線的で無駄な肉がなく、完璧に整えられた美貌。少し長めの前髪の間から覗く、嵐の日の空色を思わせる切れ長の瞳は、ただ真っ直ぐにこちらを見つめてきた。
 バートンは思わず、鋭利なナイフを思わせるその視線にドギマギして、鼓動を早めた。
 が、その視線が一秒、二秒と過ぎて、秒針が時計を一周する頃には、少し変だな? と、思い至る冷静さを取り戻していた。
 ストームブルーの瞳が見つめる先は、自分を透かしているようだ。
 バートンは、デニスの視線を追って肩越しを振り返ったが、そこにあるのは事務所の窓だ。街の様子がわかるように、窓枠は大きくとってあり、事務所前に二人の騎士が乗り付けた機械自動車が見える。
 そこに見える光景は、自動車を物珍しそうに見ている街の住人たち。小さな子供が車の車体を確かめるように平手で叩いている。
 傷をつけねば良いのだが――と。
 バートンは、今度は違う意味で胸の鼓動を早めた。
 事件の捜査等の折、秘密にする書類もあるので、窓には目隠しの魔法が施されてあって、外からはこちらが見えない。バートンの心配などよそに、車の内部を覗こうと、車体の前方に足をかける子供もいた。
 彼らを怒っているのだろうか? 
 バートンが顔を戻すと、デニスは無表情と言って差し支えない顔つきで、まだじっと自分を見ているような……。
 少なくとも、窓の外の光景を見ているといった感じではない。子供たちの動きを目で追うわけでもないのだから。
 流石にここまで来ると、やや薄気味の悪さを覚える。
 微妙に顔を引きつらせたバートンに、少年騎士は小首を傾げ、それからこちらの目線の先を辿って、己の上司の美麗な顔に行き着く。
 黒色部隊隊長のルシアと並んで、超絶美形として評判高いデニス・ルカーヴだが、人格は噂にも聞こえが良いルシア・サランと違って、かなり変人の域にあるのではないだろうか――と、バートンは頭の隅でチラリと思う。
 副隊長の視線を受けても、デニスの瞳は目の前のバートンを見ているようで、その実こちらの顔より少し斜め上に視線が向いていた。
 何もない空間を、ただひたすらに熱心に凝視している。
「……隊長、目が怖いですよう」
 ため息を吐きながら、カラはおっとりと言った。その声に反応して、デニスの視線が動いてカラを見た。あくまで、瞳だけが動いただけだが。
「愛想笑いなんてもう期待しませんから、せめて視線の先を定めてくださいよう。見えないものが見えているんじゃないかって、思っちゃうじゃないですか」
 見えないものとは……。
 つまり、幽霊とか?
 バートンはぶるり、と背筋が震えるのを自覚した。その手のモノを信じてはいないが、先日、殺人事件の現場に赴いている現状に要らぬ心配をしてしまう。
 憑かれてやしないだろうな、と。
 デニスは少年の訴えを聞きわけたのか、先程とはやや視線の位置が下がり、今度こそ真っ直ぐにバートンの目を見つめてきた。表情は一切動かず、やはり瞳だけの動き。
 彼の視線を具現化したら、デニスとバートンの間に一本の槍があるかのよう。無言の圧力が宿る矛先を前に、これはこれで少しというか、かなり困る。
 バートンはそっとデニスの視線から目を逸らすが、青い視線は無言で追ってきた。
「そ、それで、お二人がこちらに来られたご用件は……」
 極力、デニスを視界の外に追いやって、バートンは黒髪黒目の少年に注視した。
「マラーズ副隊長殿?」
「カラで良いですよう。副隊長といっても新参者ですし、聞き慣れていないので誰のことかと思ってしまいます」
 少し照れたようにはにかみながら、カラは言った。
 初対面で一回り程年齢が違うバートンに臆することなく人懐っこい笑顔を差し向けてくる。副隊長という役職に就くだけの人材であるから、度胸はあるのだろう。
「……カラ……」
 バートンはそう呼びかけて居心地の悪さを覚える。カラは年下の少年であるが身分は自分より遥かに上だ。
 この国には六段階の階級位があり、五位から一位がいわゆる貴族階級にあたる。一番上が正位と呼ばれ、これは王家と特別階級貴族七家だけに与えられる。正騎士は第五位。部隊副隊長となれば二位、上流階級貴族と同等だ。
 治安管理官としての権威として一応、バートンも階級位を貰っているがそれは四位で、一介の騎士より一つ上であって、カラには礼儀を尽くす立場にある。
 そんな相手を呼び捨てるという行為に抵抗感を覚えてしまうのは、自分が小心者だからだろう。
「副隊長……」
 結局、役職をくっつけて誤魔化すバートンに、少年はあまり気にしていない様子で「はい」と笑顔で応える。
 社交辞令というやつだったのか、それとも自分の反応に少年が気を使ってくれたのか。後者であるような気がした。
「あの……お二人がこちらに来られたのは、殺人事件の捜査の為ではなかったのですか?」
 バートンはカラとデニスを見比べる。宮廷騎士団の隊長と副隊長が揃って、王宮から王都の外れに在るフロミネルにやって来たのは大事があってのことだろう。
 だが、事件を口にした時の少年の反応には初耳だという驚きが見えた。
 そう言えば……。
 バートンはハタリと気づく。
 今回、街で起こった殺人事件はとりわけ複雑な様相ではなかったので、事件報告を騎士団の方に送るだけで、協力要請はしていない。
 今現在、捜査権はバートンにあり、騎士団は国王の命など無い限り強制介入は出来ないはずだった。
「いえ、僕らはやって来たのは、連続絵画盗難事件の捜査の一環でして」
「連続絵画盗難事件?」
「ご存じないですか? 貴族街の方で騒がれている事件なんですけど」
「ああ……そう言えば」
 王都と特別階級貴族七家が統治する七つの区の、中心街を直接結ぶ大陸街道からフロミネルの街は外れているので、噂話はなかなか入ってこない。それでも新聞などで事件の概要はバートンも知っていた。
 ただ、その内容が「怪盗ブルーバード見参」というふざけた見出しの記事だったので、カラが言う盗難事件と直ぐに結びつかなかった。
「確か……新聞に連載されている娯楽小説『怪盗ブルーバードの冒険』に出てくる泥棒を模倣した泥棒が、貴族宅から財産価値の無い絵を盗んでいるとか」
「財産価値があるのか、ないのかはわかりませんけど。その絵はアリシア家のご令嬢が自らお描きになって、お友達に贈ったものなんですよう。売値がついていないということで財産価値がないと、新聞などでは報じていますけど」
「そうなのですか?」
「はい。実際、僕もその人の作品を見せてもらいましたけど、なかなか良い絵でしたよ。リュック管理官も、もしかしたらご存じじゃないかな? どちらの新聞を読んでいらっしゃいます?」
「え? 一応、中央区メインの……コラルド社の新聞を」
「あ、そうなんですか。クーペ社の新聞を読んだことは? 『怪盗ブルーバードの冒険』を連載している新聞なんですけど」
 カラの言葉に、バートンは眉を顰めた。
 前に覗いたクーペ新聞では、バートンが好きだった舞台女優が実は男だったという――大嘘もよいところの記事を大々的に書いていた。そんな新聞社の情報は全く役に立たないではないか、と声を大にして言いたいところだ。
 しかし、そんな事情は眼前の騎士たちには関係のないことなので、浮き上がりがちになる声をバートンは抑えた。
「いや……あの社の新聞はゴシップばかりで。中央の情勢を知るには使えないので。それが何か?」
「はい、それはですね。ブルーバードの挿絵も描いていらっしゃるんですよ」
「ええっと、アリシア家の令嬢が?」
「そうなんですよう。だから、ファンの人はお金を出しても買う価値はあります。ただ、ご令嬢は絵を描くことは趣味で、それをご商売にするつもりはないそうなんですよう。挿絵のお仕事も、小説をお書きの記者さんとお知り合いだから絵を無料提供されているわけでして」
「つまり、令嬢の絵のファンに売りつければ値はつく。それを見越しての犯行ですか?」
「いえ、……犯行の目的というか、犯人はもう捕まっているんですよう」
「……そうなのですか? そんな記事は読んだ覚えはないのですけれど。それに、解決した事件の調査で隊長と副隊長が揃ってやって来られるというのは……」
 バートンの言葉にカラは顔の前で手を振った。
「ああ、違いますよう。僕と隊長が来たのはそんな大した意味はないんですよう」
「えっ?」
「あのですね、盗んだ絵のリストと被害届を出してきた人達のリストを比べて見たところ、何も言ってきていない人達がいることがわかったんですよう」
「……はあ」
「まあ、そんなに高価な絵だったわけじゃないという認識から、被害届を出し損ねているのかもしれませんけど。でも、泥棒がその人の家に入っているのは事実でしょう?」
「そうですね」
「それで注意勧告というわけではないんですけど、こちらに誰かを派遣しようとした時、他の隊員は皆、任務で出払っていて」
「それで、お二人が来られたと?」
「そうなんですよう。こちらでしたら車で日帰り出来ますから、片付けなければいけない急な仕事もありませんでしたし、特別に何かしなければいけないこともなかったんで」
「はあ……」
 バートンは話の流れから、肩越しに事務所の外に置いてある車に再び、目をやった。
 未だに街の住人たちが車を取り囲んでいる。魔力を動力にして動く機械自動車は騎士団の足として、まだ王家と七家にしか所有されていない。
 故に、物珍しさは尽きないのだろうが……頼むから、傷をつけないでくれよ、と。
 バートンは心の内側で住民たちに訴える。
 そんな車は、話に聞けば馬車より静かで早いと言う。この車でなら、王宮からフロミネルの街まで通常五時間ほどの移動時間も三時間あれば移動出来るらしい。
 窓ガラスを透かして車をボンヤリと眺める。バートン自身、車を目にしても乗ったことがない。騎士になれば、それを運転することも出来るだろうが、バートンは治安管理官という役職を捨てる気はない。
 治安管理官は王家や七家の当主によって、直々に指名される。バートンの場合は、先代の推薦があっての指名で国王とは面識など殆どない状況での就任だった。しかし、だからこそ、信頼して任せてもらった期待にそいたいと願っている。
 と、そこへ事務所の窓を人影が過ぎった。暫くすると入り口から一人の青年が入ってきた。バートンの助手をしているアルマン・グレイだ。
 アルマンはバートンを見て開きかけた口をそのまま無言で閉じた。彼の茶色の瞳は、バートンの肩越しにカラへと向かっていた。
 アルマンが何に対して驚いているのか、バートンには推測出来た。
 まだ成人してもいないような少年が、彼が着られなかった宮廷騎士団<<五色の旗>>の騎士服を着ているのを見れば、現実は受け入れがたいだろう。
 アルマンは三年前、騎士団の入団試験も兼ねている王家主催の剣技大会に出場した。そこで良い成績を収めた彼は、騎士団への入団を誘われた。勿論、騎士団入団が目的で大会に参加したアルマンだから勧誘を受けたが、彼が騎士として歩み始めた第一歩は騎士見習いとして、バートンの下で修行することだった。
 正騎士としては未熟と判断されたアルマンは、騎士の証も制服も貰うことが出来ないまま、バートンの下に配属されることになったのだ。
「……誰?」
 表情を険しくさせてアルマンはバートンに尋ねる。
「ああ、こちらは宮廷騎士団の」
「そんなの、見ればわかるだろ」
 遮る声音にトゲが見える。バートンはそれに気づかない振りをして続けた。
「……青色部隊のデニス・ルカーヴ隊長とカラ・マラーズ副隊長のお二人だ」
「……副……」
 そこでアルマンは絶句する。二十三歳になるアルマンより年下の少年が部隊の副隊長なんて。
 もっとも、赤色部隊の隊長シオン・クライスは、昨年十五歳で就任したということだから、騎士団では異例の若さというわけではないのかもしれない。
「……ディック副隊長は?」
 アルマンが上げた名は、クレイン・ディック。カラの前の副隊長だ。バートンも数回、顔を合わせている。
 一見粗野な感じの青年だったが、フロミネルの自警団の若者たちにとっては頼れる兄貴的な存在で慕われていた。ただ問題があって、人の名前を覚えられないという悪癖で、滅茶苦茶なあだ名を付けまくっていた。
 バートンに名づけられたあだ名は、ロウソク。初対面の時、たまたま真っ白いスーツを着ていたことで付けられた。バートンより三つ年下だったから、今は三十か。引退するには早すぎる年齢だ。
 カラがその名を受けて、微かに表情を曇らせ、沈痛な響きの声を吐いた。
「クレインさんは……任務中の怪我が原因で利き腕を失われたんですよう。それで騎士を続けることは困難だと、引退されました」
「それで……お前が?」
「アルマンっ、言葉を選びなさいっ!」
 バートンは思わず声を荒げた。
 アルマンが騎士として未熟とされたのは他でもない、他人を見下すような一面があるからだ。彼は中流貴族として王都では名家の子息だ――三男故に、家督とは無縁であるために、騎士を目指しているのだが――それを鼻に掛ける部分があって、一応上司としてバートンを立ててはいるが、心の内ではバートンを見下している節がある。
 そうやって人を差別するのは、まだ精神の方が成長しきれていない証拠だと、クレインからも注意を受けていたにもかかわらず……。
「構いませんよ、リュック管理官」
 カラはバートンの気遣いを前に、まるでこちらを励ますように、にこやかに微笑んで言った。柔らかくほころぶ口元は、こちらの荒れた心を落ち着かせる効果があるようだ。
 助手の青年に対する苛立ちが、バートンのなかで溶けていく。
 少年騎士のこういうところを見ると、アルマンの至らなさが余計に目に付く。
「……はあ」
 カラは黒色の瞳をバートンから、アルマンに向けた。
「初めまして、アルマンさん。貴方のことはクレインさんから聞いていますよう。騎士として見合う人格だと思うなら、一員に加えるようにと。今の僕には貴方が騎士としてふさわしいのか判断出来ませんから、これからちょくちょく寄らせて頂きますよう」
「アンタが俺を判断すると?」
 アルマンの声には小馬鹿にするような響きがある。バートンはそっと、嘆息した。
 相手に与える印象をまったく計算出来ないというのは、人間関係を築く上で問題だった。幾ら実家が貴族階級に属していたとしても、王宮に入ってしまえば個人の身分が重要になってくるというのに。
「はい。それがクレインさんから受け継いだ副隊長としての役割ですから。僕のような若輩者に、どれだけのことが出来るのかわかりませんけれど、クレインさんや他の皆さんが僕を副隊長に選んでくださった信頼に、僕は全力でお応えしようと思っています。だから僕が貴方を騎士にするかどうか、決めさせて貰いますよう」
「お前なんかに、俺の何がわかるってんだ」
「貴方のことはわかりません。けれど、貴方が僕に対し不信感を持っているのはわかりますよう。だから、今の貴方を僕らの仲間に加えることは出来ません」
 カラは幼い顔に似合わず、大人びた強い口調で言い切った。
「信頼関係を築けない人とは仲間になれませんからね。勿論、貴方が僕のことを認めなくても、人を見かけや地位で判断する偏見を捨て去って下されば、貴方の剣の技量は聞いていますから、直ぐにでもお仲間になれるんじゃないかと思うのですけど」
 そう言うと、少年は口元を緩めて微笑む。無垢な笑顔を前にして、アルマンは顔を顰めて、そっぽを向いた。
 軍配は明らかに少年騎士に上がっている。
 カラがアルマンに向かって言ったことは、常にバートンがアルマンに注意していることだった。少年の一言で性格が改善されるとは思えない。 
 故にアルマンは、この街で身分の無い若者たちと共に治安管理官の助手として暮らしていかなければならない。
 それがまた腹立たしく、彼らを見下してしまう。堂々巡りだ。
「それでお話を元に戻しますけど」
 バートンへと視線を戻して、カラが神妙な顔を見せた。
「……ああ、フレデリック家ですね」


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