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 2,殺害状況


 宮廷騎士団の騎士であるカラとデニスが王宮からやって来た用件というのは、フロミネルの街の有力者フレデリック家にあった。
 そこでバートンはアルマンを振り返る。フレデリックの名に反応して、こちらを見返った彼と目が合う。
「どうかしましたか?」
 小首を傾げるカラに、バートンはどうしたものかと迷いながら口を開いた。
「フレデリック家に向かうのであれば、アルマンに案内させるのが一番なんですが」
「そうなんですか?」
「ええ、アルマンはフレデリック家に下宿していますので……」
「下宿ですか?」
 パチパチと、カラは黒い睫を瞬かせる。
 一応、治安管理官事務所の裏手にはバートンの住居がある。助手もそこに身を寄せるのが普通だった。
 独り身のバートンには広すぎるその邸宅は、王家が用意してくれたものだ。造りもしっかりしていて、時折、事件捜査にやって来る騎士たちを泊める為に部屋数も多い。アルマンも最初は予定通り、こちらに入る予定だったが、バートンは下働きの者を雇っていない。なので、自分のことは自分でしなければならないという現状を前にして、貴族生活が長いアルマンは、その生活が嫌って己の父親に話を持ちかけさせて、フレデリック家に部屋を用意して貰った。
 アルマンにすればフレデリック家も田舎貴族だろうが。
「何? メリーの事件を調べに来たわけ?」
 アルマンは不機嫌さをあらわに、冷たくカラを見やる。
「メリー嬢というのは……その殺人事件の被害者ですね?」
 カラはバートンに視線寄越して、確認を取った。
 少年騎士はアルマンの失礼な態度に、一々取り合わないことにしたらしい。賢明な判断だろう。
「あ、はい、そうです。メリー・フレデリック嬢がこの度の被害者です。すみません、詳しい報告書を送っていませんでしたね」
 バートンは赤毛を掻きつつ、頭を低くして謝った。
「いえ、捜査権はリュック管理官にありますし、僕らは別件で来たわけですから。……でも、どうしましょう? 話、聞いていた方がいいですかね? 隊長」
 カラがデニスを振り返って尋ねた。
 両腕を組んで後方に控えるような形で佇んでいたデニスは、そこで初めて首を捻りカラに横顔を向けた。
 その洗練された美貌を勿体ないと思わせる無表情で、ストームブルーの瞳はじっと、黙してカラを見つめる。
 青と黒の瞳が見つめ合って一分か二分という間をおいて、カラは慌てた様子で首を捻り、バートンたちに向き直った。
「すみません、ごめんなさい、間違えましたですようっ!」
「……は?」
 いきなり謝られて、バートンは面食らう。
「僕らが話を聞くか聞かないか判断下す前に、リュック管理官が僕らに情報を提示するか否かを、決める立場にあるのを忘れていました。捜査権はリュック管理官にあるわけで」
「……ああ、それは、そういうことになりますが。捜査組織でいけば治安管理官は騎士団の下に属するものですから……情報提示の拒否権はないわけで」
 捜査するとなれば捜査権が物を言うのだが、事件の報告は義務だった。
「それは正式に騎士団が捜査に乗り出した場合で、僕らはハッキリ言って部外者ですよう。捜査の決め手になる秘密情報をこちらから要求するのは筋違いですよう」
「秘密情報って言う程、込み入った事件ではありませんよ」
 バートンは生真面目なカラに苦笑を返した。
 だから簡単に解決出来ると思っていた。
 しかし、実際は……。
 バートンは少し考えてから、カラとデニスの二人の騎士を見やった。
「あの……少しお知恵を貸して頂けますか? 正直、ちょっと捜査に行き詰っている部分があるんです」
「管理官、こいつの手を借りるってのか?」
 脇からアルマンが声を荒げ、割り込んでくる。
 完全にカラを目の敵にしているようだ。デニスが頭数に入っていないのは、流石に部隊隊長に噛みつけないからか。
「お知恵と言われましても、正直、僕は殺人事件の捜査は得意じゃないんですよう。あの、協力要請を申し込まれたのなら、部隊からこの手の事件を得意とする騎士を派遣する手続きを取ることが出来るんですよう。……あ、こんなこと、今さらリュック管理官に説明するまでもありませんでしたね、すみません」
 まだ慣れなくて……、とカラは恐縮したように首を竦めて、照れたように笑う。
 しっかりした大人っぽいところがあるかと思えば、年齢に即した幼さも垣間見える。
「いえ……とんでもない。手続きは大切なことです」 
 騎士団に捜査権を譲渡するということは、管理官自らの無能さを明かすことにもなる。だが、事件に固執して迷宮入りにでもしてしまったら、それもまた無能を証明するようなものだ。
 生憎とバートンは自分の手柄に固執はしない。大事なのは殺人事件が起こって、犯人が捕まらないことによって街の住人を不安にさせてしまうことだ。騎士団に助力を求めることで、その不安を少しでも削げるのなら、それで良い。
「あ、でも、騎士を派遣する決定はお話を聞かせて貰ってからにしませんか?」
 思い出したように、カラが身を乗り出してきた。
「……え?」
「僕らに話をすることで、リュック管理官の事件の見方が変わって、解決の糸口が見つかるかもしれませんよ」
「……そうですか?」
 バートンは首を捻る。
 もう事件から幾日も過ぎている。その間、事件の経過を何度も繰り返し確認している。今さら、何が見つかるのか。
 発想の転換から事件を解決するのだとしたら、行き詰っているバートンやアルマンではなくカラやデニスの方だと思う。
 もし万が一、それで事件を二人のうちのどちらかが解決しても、書類上の手続きが終わっていない以上、手柄はバートンのものになるのだが。
 困惑するバートンに、
「それで良いですね?」
 ここでカラは再びデニスを振り返った。今度は間をおかずにデニスは頷く。
「隊長から許可を頂きましたから、お話ください」
 ニッコリと微笑んで、カラはバートンを促した。
 初めから事件を解決する気はないのか……。それとも、こちらに花を持たせようというのか……。
 戸惑いながらもバートンは顎を引いて頷いた。
 一度、席を立って、事務机の引き出しから事件の概要書類を手に戻ってくる。同時に、入り口に立ったままのアルマンに席に着くように指示した。
 チラリとデニスに目を向けると、彼はカラの背後に、足音を立てず空気を揺るがすことなく、滑るように移動してきた。
「あの……これがフレデリック家の見取り図で、令嬢が撲殺されていたのは中庭に面する廊下です。凶器は花瓶ですね」
「花瓶ですか?」
「はい……これぐらいの」
 バートンは両手を持ち上げ、大人の頭程度の幅を作る。
「陶器の花瓶の底で、頭蓋を割られる程に強く。凶器は現場に残されていました。傷口と一致します」
「その花瓶は現場の物ですか?」
「廊下に飾られていた物だと思います」
「思う?」
 首を傾げるカラにバートンは説明する。
「似たような花瓶は屋敷中にありまして」
「そうなんですか。同じ備品で屋敷全体を統一するって感じですかね。でも、現場の廊下に飾られていた物だと断定するのはそんなに難しくはないでしょう?」
「現場の一番近くに飾られてあった物でしょうね。生けられて花が、その場に散っていた状況からも、廊下でメリー嬢と出くわした犯人が手近に在った凶器を手に撲殺した、そう思われます」
「……それだと、衝動的な殺人ということになりますかね」
 カラは唇に指を当てて、小首を傾げた。
「ええ……それで犯人は内部の人間ではないかと。屋敷の戸締りは事件が起こる前にも起こった後も、執事によって確認されていました。外部犯の可能性は薄いでしょう」
 バートンが差し出した書類には、事件当時屋敷にいた人間の名前がずらりと並んでいた。当然、アルマンの名前もある。
「ご当主のマーロンさんに弟君のクレフさん、そしてアルマンさんに、執事の方にメイドさん達、それから料理人に庭師……」
「俺は犯人じゃないぜ」
 その言がどれだけ信用されるか期待しないまでも、アルマンは無実を主張する。
「……はあ」
 カラは気の抜けた声で返した。正直、どんな言葉を返せばよいのか、わからなかったようだ。
 自分から名乗り出るような犯人なら、とっくに自首をしている。
 だからアルマンの主張は、探偵小説に登場する人物たちの予定調和な台詞であるような感じがするのだろう。
 それでアルマンの台詞に現実味を感じられない。故に、カラの声にも力が入らない。
「疑っているのか?」
「いえ、そういうわけじゃないですよう」
 カラは睨みつけてくるアルマンから視線を逸らして、書類に目を通していく。
 バートン自ら製作したので、目を通すまでもなくそこに書かれている情報はそらんじることが出来る。
 殺されたのはフレデリック家の当主マーロンの妹メリー。事件が起こったのは……。
「あれっ?」
 突然、素っ頓狂な声を上げたカラにバートンは腰を上げた。
「どうかしましたか?」
「……あ、全然気づきませんでしたけど。隊長、この日付って」
 カラは書類の一部を指差してデニスに見せた。無表情のままデニスは書類を覗き込んで、無表情のまま顔を上げた。変わらないその表情から何かを読み取るのは、バートンには出来そうにない。しょうがないので、カラに答えを求める。
「事件の起こった日が何か?」
「あ、はい。これは多分、重要なことですよう」
「勿体ぶらずに言えよっ!」
 苛立たしげに声を荒げるアルマンをバートンは目線で制して、カラに問う。
「事件が起こったのは十日前です。騎士団にお送りした報告書にもそう記してあったと思いますが?」
「はい。報告書にも不手際はありませんでしたよう。ただ、僕がフレデリック家の盗難事件を知ったのは今日のことで、殺人事件が起こっていた家とこの盗難事件の家が同一だと思わなかったので、報告書を確認するのを怠ってしまいました。ちゃんと確認すれば、もっと早くに気づいたんですけど」
「盗難事件?」
 何だ、それ? とアルマンが問いかけてきたので、バートンは世間を騒がしている怪盗ブルーバードが、フレデリック家から絵を盗んでいるらしいことを話した。
「それが関係あるのかよ?」
 問いかけて、アルマンは盗まれた絵とやらについて考えるかのように、眉を顰めた。
「フレデリック家の方は、絵が盗まれていることにお気づきじゃないんですか?」
 逆にカラに問いかけられてアルマンは眉間の皺を増やす。
「人が死んでんだ。そんな絵が一枚盗まれた問題に比べたら」
「大問題だと思いますよう。何しろ盗まれたのは七日の夜なんですから」


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