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 3,青い影


「七日……」
 直ぐにピンと来ないバートンとアルマンに、カラは焦れたように付け足した。
「そして、令嬢の死体が発見されたのは他でもありません、八日の朝ですよう」
 じんわりと染みてくる情報に、バートンの口が勝手に動いていた。
「殺された前の……日じゃない。日付を跨いでいるけれど、実際に事件が起こったのは同じ夜という……」
「はい。だから、外部から侵入が出来なかったというのは、断言出来ないんですよう」
「……でも、執事が戸締りを確認しています。七日の夜九時に全ての鍵が掛かっているのを確認して、早朝も……この時、令嬢の死体が発見されたのですが。直ぐに、俺の方に連絡が来て、駆けつけた時には」
 バートンは隣のアルマンを見た。彼の視線を受けて青年が続けた。
「管理官が来る前に、俺が執事と一緒に屋敷全体の戸締りを確認して回った。犯人が屋敷内に潜んでいる可能性があったからな。でも、鍵は内部から閉じられていた」
「……それはあまり問題視しても意味がないんですよう」
 申し訳なさそうに眉を下げ、カラは言う。
「ブルーバード――泥棒のことは、この名称を使わせて頂きますね。このブルーバードは、盗みに入ったときに開けた鍵を元に戻して出て行っているんですよう。いかにも泥棒が入りましたとドアを開けっ放しにしたり、窓を壊したりしないんだそうで」
「でも、絵は盗まれているんだろう? そんな小細工したって」
 アルマンが反論するように口を挟むと、
「はい。絵が盗まれた事実は隠しようもないわけですが、そこに飾られている絵を常に意識している人は少ないんですね。例えば、美術館に絵を見に行くという目的があって行動すれば、人は絵を注意深く観察しますよう。でも、美術館に勤める人の意識にとって飾られている絵は壁と同じなんですよう。そこに在って当たり前のものだから、絵は当然、そこに在るという認識で、確認せずに素通りしてしまうんですよう」
 カラはアルマンへと、視線を動かした。
「現に、アルマンさんも絵が盗まれていたことに、お気づきになってはいなかった。ブルーバードは鍵を掛けることによって、時間稼ぎをするわけですよう。絵が無くなったことに気づいても、侵入の形跡がなければ、誰もが内部の人間の仕業と思ってしまうでしょう?」
「…………」
 アルマンは、少年騎士の黒い瞳を前にして黙り込んだ。カラの言い分に実際問題として、反論できる余地がない。
「フレデリック家から盗まれた絵はこれなんですが、見覚えはありますか?」
 カラは上着のポケットから写真を一枚、取り出した。それを机の上に置く。
 そこには見目麗しい端正な顔立ちの青年が描かれていた。漆黒の髪に、濃紺色の瞳。その姿はデニスの美貌と決して見劣りしない。
 比較対象としてか、絵の横にペンが置かれていた。それを見れば絵はさほど大きくない。腕に抱えれば、持ち運びは簡単だろう。
「……メリーの、部屋の暖炉の上に飾られていた絵だ。これ、盗まれていたのか」
 アルマンは信じがたいといった感じで、呆然と呟く。
 事件が起こってバートンとアルマンは捜査関係上、フレデリック家を片隅から調べた。勿論、被害者の部屋も調べたのだから、絵が無くなっていることに気づいてもよさそうなものだが。
 ……まったく気付かなかった。
「他の方はどうなんでしょう? 絵について、何か言われた人はいないんですか? お部屋のお掃除をなさっている方なら気づきそうなんですが」
「……マーロンが」
 アルマンが呻くように言った。
「マーロンが……メリーの部屋へ入ることを禁じたんだ」
「どうして、ご当主はそういうことをなされたんでしょう?」
「妹が殺されたんだ。ショックで、……現実を拒否したかったんじゃないか?」
「……それも一理ありますね」
 フゥっ、と。カラは肺にたまった空気を吐き出すように、深いため息をこぼす。
「妹君が居なくなった部屋を見たくない……その心理はわかります。だから、誰も絵の盗難に気づかなかった。故に、フレデリック家から盗難届は出されなかった。そういうことなんでしょうか、隊長?」
 上司を振り返ったカラに、相変わらずの無表情でデニスは視線を返し、
「話を……」
 ボソリと声を吐き出した。
 低いが芯の通った声だ。意識せずにいられないその声に、バートンとアルマンはデニスの言葉の続きを待った。
 しかし、彼は一言口にしたきり、唇を結ぶ。
「そうですね、ご当主にお話を聞かないことには本当のところ、その心理はわかりませんね。それに絵の紛失を承知していたとしたら……またそれも理解しかねます」
 小首を傾げ、片目を眇めながらカラは呟く。
 バートンは、マジマジとカラとデニスを見比べる。
 デニスのただ一言の発言に対して、カラが理解を示し、会話を成り立たせているのが驚きだった。
「絵が盗まれているのを知っていて黙っていたら、何か悪いのか? メリーはその絵を大切にしていたよ。でも、他の奴にとっちゃ大した価値なんてない。盗まれたって別に損害があるわけじゃないだろ? 葬式やらでゴタゴタしてたんだ。そこへ盗難事件でまた煩わされるのが嫌で黙っていたかもしれない」
 と言うアルマンのフォローに、カラは首を横に振った。艶やかな黒髪が、秀でた額をさらりと撫でる。
「それだったら、尚更に変ですよう」
「何で……」
「だって、お亡くなりになった令嬢の部屋に泥棒が入っているんですよ? 単純に泥棒と鉢合わせした為に令嬢は殺された、という図式が浮かびませんか?」
「……あ」
 バートンは自分の失態に気づき、目を見開いた。
 ――内部犯だと、頭から決め付けていた。


「でも、メリーが死んでいたのは自分の部屋じゃない。部屋から出た廊下だ。少し距離がある……そこまで逃げたのだとしたら、途中で大声を上げて俺たちに助けを呼ぶだろう」
 アルマンのそれに、カラはフレデリック家の屋敷の見取り図を覗き込んだ。
 令嬢の部屋から殺された現場までの間には、二つの部屋がある。
「こちらの部屋は?」
 その二つを指でなぞりながら、カラは瞳を上げて尋ねると、アルマンが無愛想な声で応えた。
「マーロンの部屋だ。書斎と続き部屋になっている」
「ご当主は夜中に何か物音を聞かれたりとかは……?」
「俺とクレフがメリーの部屋の前で騒いでいたことは、気づいていたと言っていたけれど」
 段々とアルマンの声が低くなっていく。
 苛立たしげな雰囲気が、端々に感じられなくもなかった。今さら、再確認することではないと感じているのだろう。
 それでもカラにとっては、全てが初耳のことだ。問い質さずにはいられない。
「どういうことなんですか、それ」
「七日の夕食の席で、俺、メリーと喧嘩したんだよ」
 アルマンは眉間に皺を寄せた不機嫌な表情で、無愛想な声を放つ。
「喧嘩?」
「マーロンがメリーに縁談を持ってきたんだよ。けど、メリーはここじゃなく中心街に出て行きたがっていた」
「……はあ」
「社交界に憧れていたんだろう。ここじゃ、そんな華やかな世界とは縁がないからな」
 肩を竦めるアルマンに、カラはため息をついた。
 騎士団に属するカラとデニスは王族の護衛任務でパーティーなどの場にも引っ張り出される。この場合、隊長、副隊長は警備兵としてではなく一客人として頭数に入れられている。
 人付き合いは良いほうのカラだが、貴婦人たちのお相手は正直に言って辛い。デニスのように初めから相手をしなければよいのだろうが、性格上それも出来かねた。
 だから、社交界に憧れていたと言うメリーの気持ちがわからない。
「それで?」
「メリーはその縁談を嫌がって、俺と結婚すると言い出したんだ」
「――アルマンさんとですか?」
「……俺が正騎士になれば、中心街について行けると思ったんだろう」
「ああ、なるほど。……でも、それでご結婚だなんて」
「馬鹿にしているだろう? だから、何で俺がお前と結婚しなきゃならないんだって……売り言葉に買い言葉で」
 ばつが悪かったのか、アルマンは唇を捻じ曲げるとカラから視線を逸らした。
「喧嘩をなさった後はどうしたんですか?」
 視線は逸らしたままだが、不機嫌な声で応えてくれた。
「メリーは夕食の途中で席を立った。気まずいまんまで終わった夕食の後、クレフに説得されて……一応、謝りに行った」
「仲直り出来ました?」
「駄目だった。ドアの前まで行ったんだが、俺らの声を聞いた途端、鍵を掛けて閉じこもりやがったんだ。メリーは気に入らないことがあると、そうやって自分の部屋に閉じこもるんだ。こっちが下手に出てやったのに」
 舌打ちするアルマンをカラは無言で見上げた。


 アルマンと言う青年は、感情に走りやすいが、少なくとも貴族という立場を重視するだけあって、殺人など起こすはずはないと、バートンは彼を信用していた。
 しかし、アルマンの言動は二人の騎士に疑念を抱かせるだけのような気がしてならない。
 密かにハラハラするバートンを余所に、カラはアルマンに向けていた視線を落とし、考えるように唇に指を当て問う。
「それは何時頃のことでしょう?」
「……夕食が終わって……少し頭を冷やした頃だから、八時過ぎていたと思う」
「その後は?」
「クレフの部屋で飲んでたよ」
「アルマンさんとクレフさんのお部屋は二階なんですよね」
「……ああ」
 アルマンはどこまでも不機嫌そうに応えた。
 アリバイの確認は、それが捜査として基本であり、容疑者であってもなくても、調べるのが常である。だが、ここに来て改めて問い質されると否応にも、自分が疑われていると感じさせるものだろう。
「それは何時ぐらいまで?」
「……俺を疑っているのかよ?」
 バートンが心配していた通りに、堪え性の無いアルマンは少年に噛み付くように言った。キョトンとした顔で、カラは不思議そうにアルマンを見上げた。
「いえ、僕は確認しているだけですよう」
「何を?」
「ですから、ブルーバードの証言と」
「……ブルーバードが令嬢を殺した真犯人という可能性は?」
 バートンは希望を託して二人の騎士を見た。
「ありえませんね」
 キッパリと切り返してくるカラに、バートンはガックリと頭を垂れる。その可能性があれば、この少年は絵画盗難ではなく、殺人事件の捜査の名目で来ていることだろう。
「……あ、でも、ブルーバードの証言のなかに令嬢が殺されていたことは含まれていないのでしょう」
 ハタリと気がついて立ち直る。二人の騎士はフレデリック家の殺人を知らなかった。
「はい。ブルーバードも恐らくは、自分が盗みに入った屋敷で殺人が起こっていたなんて、想像もしていないでしょうね」
「じゃあ、何でそんなに確信出来るんだよ」
 アルマンは、カラを睨んで問い質す。
「状況的に見て……」
「状況って?」
「令嬢は花瓶の底で、頭のてっぺん辺りを殴られて亡くなっているんですよね?」
「え……? ああ、そうですが」
「倒れていた具合から、後ろから殴られたらしいと、ここにありますね」
 カラが書類の一部を指し示した。バートンは首肯した。
「ええ、そうです」
「だとすると、犯人は令嬢より背丈があると、推測されます。令嬢より低い人だったら脳天を叩くというのは難しいでしょう。令嬢がこう、うずくまらない限りは」
 と言って、カラは背中を丸めて身体を縮ませるような格好をした。少年の頭部が、バートンの目の前にある。
 もし、自分が犯人だったとして花瓶を持っていたのなら、カラの脳天に打撃を与えることは簡単だ。しかし、これはバートンとカラが向かい合っている現状で、少年が屈んだ状況だからである。
 そして、後ろから殴りかかるとすれば、外傷があった脳天は俯いた先にあり、後部から打撃を与えるにはやや難がある。
 被害者の外傷は後頭部ではなく、脳天――頭のてっぺんに後ろから与えられた――倒れていた状況や、致命傷以外の小さな傷の具合から見て、そう判断した――ものである。
 普通に立っているところを襲うというのなら、脳天直撃も難しくはない。
 だが、カラはそれを問題視しているということは……。
「背伸びしたら力加減が不安定になりませんか? 腕力がある人なら可能かもしれませんが、残念ながらブルーバードはどちらにしても条件を満たさないんですよう」
 カラの言葉を聞いて、バートンは理解した。
 ブルーバードの背丈は、一般女性より低いということなのだ。
「ブルーバードは捕まったという話でしたが、何故、公になっていないのですか」
 だが、カラの話に納得するには、ブルーバードの実物を目にしなければならなかった。
 バートンの問い掛けに、少年騎士は眉を下げて、困ったような複雑な笑顔を見せる。
「それはまだブルーバード事件が捜査中ということもありますし、本来、ブルーバード事件は黒色部隊が担当しているんですよう」


「黒色……サラン隊長。かの御仁は眉目秀麗で、かなり優秀なお方だと耳にしています。サラン隊長が、もしやブルーバードを?」
「ええ、……まあ」
 バートンの問いかけに、カラは冷や汗を背筋に垂らした。
 まさか、そのルシアに捕まるのが目的で、アリシア家の令嬢ディアーナが行った犯行だとは…………言えない。
 盗んだ絵は元々、令嬢自身が描いた物だとはいえ、所有権は贈られた人々にある。
 立派な犯罪だけれど、世間知らずの令嬢の犯行ということで、ルシアとカズはこの事件を秘密裏に処理しようとしている。
 令嬢の目的は達成されたわけだから、二度とブルーバードが泥棒をすることはない。事情を聞かされたカラも、ルシアに賛成した。
 だから、フレデリック家には絵の盗難を知らせると共に、その絵がもう既に騎士団が確保しているので、大騒ぎをしないようにと、話をつけるのがカラに課せられた役目だった。
 それが当のフレデリック家では、殺人事件が起こっているという。
 ブルーバードが殺人犯ではないことはカラには確信出来る。
 ルシアやカズに引き合わされたディアーナは小柄だった。顔や肢体は成熟した女性のラインであるが、背丈の低さが夢見る少女といった感じを抜けさせない。
 そんな彼女がブルーバードであることも信じがたいけれど、殺人犯であることだけはあり得ない。
 バートンによって製作された事件調書をみれば、ディアーナの背丈は被害者よりも頭一つ分低い。
 それに殺されることを嫌がって廊下に被害者が逃げたとすれば、追いすがる状態で後部からの一撃は殆ど不可能に近いだろう。
 普通に立っていたところで、ディアーナの背丈では被害者の頭に花瓶の底を叩きつけるのに一苦労する。
 まして、殺されたメリー・フレデリック嬢はディアーナの友人だった。
 彼女を疑うのなら、メリー嬢と喧嘩をしていたというアルマンの方が遥かに怪しい。
 ただ、カラにはディアーナが犯人じゃないと感じるように、アルマンが犯人だとも思えなかった。
 感情的で、カッときたら暴力的になって令嬢を殺してもおかしくはない。けれど、アルマンの証言にあるように、メリー嬢はアルマンの前で部屋に鍵を掛けて閉じこもってしまった。この状況ではアルマンには手出しが出来なかったはずだ。
「カラ副隊長?」
 バートンの呼びかけにカラは我に返る。慌てて視線を上げて、睫を瞬かせる。
「はい、何でしょう?」
「俺がブルーバードに直接、尋問することは可能ですか?」
「……あ、それは、すみません。今の段階では確約出来ません。けれど、今、僕が持っている情報は提供しますよう」
 カラが低頭で言えば、バートンは「わかりました」と引き下がった。
 騎士団相手にごり押し出来る程、ブルーバード犯人説が出来上がってはいないのだろう。
 今のところ、内部から犯人の目星がつかない。だから、管理官は外部犯の可能性があると知って、それに飛びつきそうになったが、違和感があるのだ。
「まず事実を確認していきましょう」
 カラの提案に、バートンは神妙な面差しで頷いた。
「今月の七日、フレデリック家の夕食の場でメリー嬢とアルマンさんが喧嘩をされた。怒ったメリー嬢がご自分のお部屋に戻られ……これが生きたメリー嬢の最後の姿だということになります。そこに間違いはありませんか?」
 目を向けて問いかければ、カラの視線を受けたアルマンが無言で頷く。
「そして八時頃、アルマンさんとクレフさん、お二人がメリー嬢のお部屋に向かった。ここでお二人の前に、メリー嬢は姿を見せませんでしたが、部屋に鍵を掛けた行為から、令嬢がまだ生きておられたと考えるのが、妥当でしょう」
 そう結んだカラの耳に、唐突に割り込んでくる声があった。


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