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 4,事件の構図


 難しい顔を付き合わせていた面々の間に割り込んだ声は、静かな水面に波紋を描く。
「死んで……」
 ボソリと、投げ捨てるように一言。デニスが声を発していた。
 反射的にカラが、肩越しに己の上司を振り返る。
「この時、既に令嬢は亡くなっていたと、隊長は言うんですかっ?」
 驚いたように少年騎士が問い返せば、デニスは治安管理官事務所に訪れたときから、一度も崩れることない無表情で首肯した。
 嵐の前の静けさを映すストームブルーの瞳をこちらへと差し向けながら。
 それを受けてカラは、熟慮するように黙り込む。
「ちょっ……ちょっと待ってください」
 バートンは慌てて口を差し挟んだ。
「お二人は忘れています。夜九時に、執事が邸内の戸締りを確認する為に見回っています。この時、廊下に令嬢の死体はありませんでした。それに……令嬢が死んでいたとしたら、誰が部屋に鍵を掛けたのですか?」
「……犯人」
 端的に告げるデニスの声に、バートンを初めとして三人は再度目を丸くする。
「いや……でも、それは」
 アルマンは否定の言葉を口にしながら、首を捻った。そして、実際に令嬢が鍵を掛けたのを確認したわけではないことを思い出したように、眉を潜める。
「……メリーじゃ……なかった?」
 それを目にしたカラが、アルマンに問う。
「アルマンさん、部屋に鍵を掛けて閉じこもるというのはメリー嬢にしてみればさして驚くような行為ではないんですね?」
「……ああ、そうだ」
「これが……令嬢を殺した犯人だったら……確かに時間稼ぎに鍵を掛けても、その行動に不自然さはありません。ただ、問題はその後ですよう。この時、令嬢が殺されていたとしたら、死体は移動させられたということになります。……この可能性についてはどうなんですか?」
「……なくはないでしょう。出血はさほど多くなく、髪が血を吸う形で現場は血の海というような凄惨さはありませんでした。死体が動かされていた可能性はある。……けれど、どうして……わざわざ」
 死体を移動させる必要性が、バートンには見当がつかない。
「そこがおかしなことですよう。隊長、何で犯人は死体を動かすようなことを?」
「アリバイ……」
 またも一言だけ、デニスは告げた。
 前後の脈絡もなく告げられるので、バートンは意味を理解しかねる。カラが言葉を吟味するように俯いた。
「アリバイ作りの為? ……でも、それは変ですよう。現在、令嬢が殺されたと推測される九時以降でアリバイが明確なのは……」
 デニスから移動してくる黒い瞳を前に、バートンはチラリとアルマンを横目に見やり、答えた。
「アルマンとクレフ殿だけです。マーロン殿は自室で読書をしていたと言いますし、召使も自分たちの仕事を終えてそれぞれの部屋に帰っています」
「俺とクレフがメリーを殺したってのか?」
「クレフさんとお酒を飲んでいたのは、何時ぐらいまででしたか?」
 怒りに震えるアルマンの声を、無視するように冷静なカラの声。
「……十一時」
 吐き捨てるように言って、アルマンは唇を捻じ曲げた。独りで憤っている自分が自分で苛立たしいのだろう。
 カラはアルマンの感情の流れをまったく歯牙にもかけず、デニスを振り返る。
「三時間程度、アリバイが出来たに過ぎません。隊長、隊長の推理は間違っているように思うんですけど」
「……逆だ」
 デニスはあくまでも無表情に言ってのける。
 三人は困惑顔で顔を見合わせた。
「逆……逆と言いますと」
 意味がわからない。圧倒的に言葉が足らない。
 これで隊長が務まるのか? と。
 バートンが訝しんでいると、傍らでカラが手を打った。手のひらと手のひらが弾かれ、パンと音が響いた。
「ああ、そうかっ! 犯人だけにアリバイがないんですね? だから、他の人にも犯行が可能と思われる時間まで死体を隠さなければならなかった。少なくとも九時以降に。そして、九時以降に殺されたことを印象付ける為に死体をわざわざ移動させた」
「……えっ?」
 バートンが始めに驚いたのは筋が通った推理にではなく、デニスの極端な言語に理解を示したカラに対してだった。
 よくもここまで、あの一言で結論を導き出せるものだ。副隊長という肩書きは伊達ではない。
 そう納得すると同時に、バートンは事件の図式に目を見張る。
「一人だけ……アリバイがない?」
「ええ、食事が終わってからの犯行ですよう。他の召使の皆さんは食事を取っている頃ではないですか? もしくは後片付け」
「……ああ」
「この時、フレデリック家の皆さんはそれぞれ自室に引き上げた。でも、アルマンさんのところにはクレフさんが姉君と仲直りしてくれるように、話にきています」
「では、犯人は……」
「…………マーロン」
 ――兄が妹を殺した?
 その事実は、バートンを混乱させた。アルマンもまたその名を口にしてから息を呑む。
 二人して、かの人物が犯人だなんて予測していなかっただけに動揺は大きかった。
「でも……そんな」
 信じられないと言いたげなアルマンの表情を前にして、少年騎士は揺るぎのない声で冷静に告げた。
「もう少し、推理を詰めましょう。穴があっては追求することは無理ですから」
「……そうですね」
 カラの冷静さにバートンは息を大きく吸い、呼吸を整えて頷いた。
 混乱し、動揺している場合ではない。
 一応、相手は貴族である。誤認逮捕など許されないことだ。ことは慎重に掛からねばならない。
「まず、確認するのは九時以前のアリバイですよう。ご当主はお部屋におられたということですね? そこでメリー嬢のお部屋に来られたアルマンさんとクレフさんの騒ぎを聞かれた。アルマンさん、ご当主のお部屋に聞き届くくらいの大騒ぎだったんですか?」
「……まあ、目の前で鍵を閉められて、ちょっとカッときて大声を上げたから、マーロンの部屋まで聞こえたかもしれない」
「ならば、証言に不備はないわけですね。最も、自室ではなく令嬢の部屋におられてもこの騒ぎの終始、把握することは出来るんですが、今は置いておきましょう」
「ええ……だから、令嬢は少なくとも執事が見回りを、屋敷の戸締りを終えた九時以降まで生きていると俺たちは考えました。そこで犯行可能な人間が屋敷の人間全部に当てはまることになって……」
 そして、捜査は行き詰った。
 最初は証言を繰り返し聞いていればボロが出ると思った。けれど、皆の証言は一から十まで同じだったのだ。
「ここで僕から情報を提供します。この夜九時の時点で、ブルーバードは屋敷の敷地内にある木の上に上って、邸内を観察していたそうですよう」
 カラが言葉に詰まったバートンに、ディアーナの証言の一部を流してきた。
「木の上ですか?」
「木登りが得意なんだそうですよう。それで、令嬢の部屋にはカーテンが降りていて室内を覗くことは出来なかったそうです。ただし、明かりは点いていたと」
「じゃあ……やはり、生きておられたという可能性は」
「どうですかね」
 さして興味が無さそうにカラは肩を竦めた。
「十時頃に令嬢の部屋の明かりは消えたそうですよう。でも、二階の明かりが消えるまでブルーバードは動けなかったそうですよう。この部屋の明かりはアルマンさんの部屋の明かりですね」
「そうだろうな」
「これでアルマンさんの証言が事実であることを確認出来ますね」
「俺は嘘なんてついてないっ!」
「……アルマン」
 話の腰を折るアルマンをバートンは睨んで黙らせた。
「二階の明かりが消えたのを確認して、ブルーバードは庭に降り、裏口から屋敷に忍び込んでいます。この裏口の鍵はピッキングと言われる手法で、慣れた人だと鍵に傷をつけることなく、数秒でドアを開けることが可能だそうですよう。そして、令嬢の部屋へ」
 カラの指先は――剣士である少年の指先は、意外にしっかりしていた――フレデリック家の見取り図をなぞっていく。短く切り込まれた真珠色の爪先が死体発見現場の廊下に辿り着く前に、令嬢の部屋へと折れ曲がる。
「令嬢が見つかったとされる廊下側には出ませんね」
「直接、令嬢の部屋にですか?」
 眉を顰めるバートンにカラは言った。
「下調べをしていたそうですね。盗みを終えて外に出たのは、令嬢の部屋の窓から。窓の鍵は簡単なもので、糸で細工すれば外から閉めることは可能だということでした。流石に外から鍵を外して入るというのは無理だったようで」
「窓から、鍵を……。……そこまで、気が回りませんでした。失態です」
 呻くバートンに、カラは口元を優しげに緩めて告げた。
「でも、令嬢の殺人に関しては外部犯ではなかったわけですから、リュック管理官の落ち度ではないと思いますよう」
「しかし……」
 結局、内部犯行説を唱えても、犯人を追及することが出来なかった。これはやはり、自分のミスではないのか?
 バートンはデニスを盗み見た。この無表情な騎士隊長は、どこから犯人を導き出したのだろう?
「それに九時以前に、令嬢が亡くなられていたという証明が出来なければ、僕らの推理も犯人の自白に頼ることになります。ご当主が素直に罪を認めてくださればよいのですけれど」
「……証明?」
「ブルーバードが令嬢の部屋に辿り着いた時、部屋に鍵は掛かっていなかったそうですよう。ご自分の屋敷なのですから、鍵を掛ける必然性もないということで僕らは重要視しませんでしたが、この証言からすればブルーバードが入りこんだ時、令嬢は室外にいた、ないし運び出されていたということになりますね。これは僕らの推理にしても令嬢の死亡推定時刻が十一時頃までと限定されたにすぎません」
「本当にマーロンが犯人なのかよ? メリーが自分で部屋を出て行ったその先で、殺されたのなら、マーロンだけに犯行が可能だったとは言えない」
「……お酒に酔った貴方やクレフさんが階下に降りて、たまたま廊下で出くわした令嬢を撲殺した?」
 アルマンの横槍に、カラが頬を傾けるようにして問う。
「……俺じゃない。クレフだって」
 言い訳しようとするアルマンを、カラは首を横に振って遮った。
「アルマンさんに限ったことじゃありません。他の召使の皆さんにも犯行は可能だった。僕らの推理はあくまで推理ですよう。でも、僕は隊長の推理を指示しますよう」
「何で?」
「怒って部屋の鍵を閉めた令嬢が夜中に突然、部屋を抜け出す理由は何でしょうね?」
「……腹が減ったとか。夕食の途中で席を立ったわけだから……」
 思い付きを口で述べているのが自分でわかっているのだろうか。アルマンの声は覇気がなく、心もとない響きに揺れていた。
「なるほど、それはありえますね」
 フムフムと頷き、感心したようなカラに、アルマンは呆れ顔を見せた。
「そんなことを言い出したら、お前の推理なんて成り立たないじゃないか」
「……証拠がないから仕方がないですよう。でも、やっぱり、一番怪しいのはご当主ですよう」
「どうして?」
「令嬢の部屋を出入り禁止にしている点ですよう」
「それはアンタもさっき納得したじゃないか。メリーが死んだことを思い出したくないからだって」
「はい、そういう考え方もあるのはわかりますよう。でも、部屋を閉ざしたところで令嬢が亡くなったという事実は変わりません。それは色々な場面で現実を突きつけてきます。いつも一緒についていた食卓の空席を見る度に居なくなった人を思い出します」
 カラはそう訴えて、黒い瞳を僅かに潤ませた。


 バートンとアルマンは、こちらが泣き出すのではないかと、一瞬思ったようだ。
 互いに目を見合わせる気配がそこにあった。
 だから、感情がこぼれるギリギリでカラは唇を噛んで、涙を堪えた。
 カラは居なくなったクレインのことを思う。
 怪我が原因で利き腕を失った前の副隊長は、割りとあっさりと王宮を去って行った。
 それはいかにもクレインらしくて、古馴染みのカズあたりは笑って見送ったけれど。
 カラはそれをクレインらしいとは、笑えなかった。
 唐突に奪われた彼の、騎士としての道。未来。
 それが事故だったのなら、まだ諦めもついた。けれど、彼の腕を奪ったのは卑劣な犯罪者。人を傷つけることを何とも思わないで、己の不満の捌け口を他人の血に求めたのだ。
 騎士になった以上、危険とは隣り合わせだと何度も言い聞かされて、納得しようとしたけれど。
 やっぱり、クレインが居なくなった事実を目の当たりにすると、カラの内側には悔しさが沸いてくる。
 いつもの定位置に飄々とした彼が居ないというだけで、ポッカリと穴が空いているようで寂しい。
 一ヶ月が経っても、いまだにその寂しさは残る。
 カラはあふれ出しそうになる感情を心の奥底に飲み込んで、ゆっくりと顔を上げた。
 クレインの跡を継いだ以上、副隊長としてあまり恥ずかしい真似は出来ないと、自分に言い聞かせる。それこそ、人前で泣くなんて。
「……妹君との思い出を大切にしたいのなら、部屋を閉ざす前に事件に決着をつけようとしませんか? 殺された、だけど犯人はわからない、……そんな曖昧な状況に納得出来る遺族なんて、多くはないと思いますよう。だけど、リュック管理官やアルマンさんのお話を聞く限り、ご当主は事件に目を瞑ろうとしているように感じますよう」


「それは……」
 バートンは反論しかけて、思い当たる節に沈黙した。
 事件当日、フレデリック家の当主マーロンは、令嬢の部屋の捜査を許してはくれた。しかし、それ以降は何を訴えても駄目だった。こちらとしても、事件の鍵が令嬢の部屋にあるとは思ってないので強制することも出来なかったが。
「お部屋を閉ざした理由は何だと、カラ副隊長はお考えですか?」
 尋ねたバートンに、カラは断言するように言い切った。
「絵ですよう」
「絵っ?」
「恐らく、ご当主は絵が無くなっていることに気づかれています」
「でも……」
 じゃあ、どうして通報しない?
 カラが言ったように泥棒と鉢合わせして殺されたと思わせた方が得策ではないか?
 唐突に思考を割って入ってくる声。
「知っていたから……」
 声が響いたそちらを振り仰けば、ストームブルーの瞳がバートンを射抜いた。
「そう……ご当主は知っていたんですよう。ブルーバードが犯人ではあり得ないことを。それはどうして? 他でもない、ご当主が犯人だったからですよう」
 射すくめられたバートンの耳を、デニスの言を引き継いで語るカラの声が撫でていく。
 犯人を断定するカラの一言に、バートンは納得出来かねた。引っ掛かりを覚えた疑問を口に出す。
「マーロン殿が犯人だったとして……一つ、わからないことがあります」
「何ですか?」
「内部犯説を唱えたのは、屋敷中の戸締りが完璧だったからです。だから、内部の人間による犯行だと……」
「はい」
「……マーロン殿が犯人であったなら、何故、外部犯の犯行に見せかけなかったのでしょうか? 令嬢の部屋の窓をそれこそ、開ければ良いのでは?」
 バートンの指摘に、カラは考えるような間を置いた。
 そして、スッと息を吸うと、ゆっくりと自らの言葉を確認するように告げた。
「その場合、令嬢の部屋のドアが開けられませんよね」
「……ドア?」
「何だよ、それ」
 バートンとアルマンは困惑顔を見せた。そんな二人を上目遣いに見やって、カラは続ける。
「令嬢の部屋のドアです。内側から鍵を掛けてしまった令嬢の部屋のドアを開ける口実が、ここでは必要になります」
「……それは重要なんですか?」
「賊が令嬢の部屋に押し入り、令嬢を殺した。さて、この後、犯人はどういった行動にでるでしょう?」
 カラの問いかけに、バートンは首を傾げる。
「予期せぬことに、盗る物も盗らずに逃げ出すか……室内を物色するか」
「令嬢の部屋を出て屋敷の中もまた、物色して回った。そうすれば、部屋のドアを開ける口実はクリアします。しかし、その場合は、当然盗まれた物が出ますね。室内から、何かが消えていなければならないのですよう」
「…………」
「賊が盗んだとされるものを屋敷外に持ち出さなければなりません。それも、絶対に見つからないところへ。しかし、令嬢殺害の際に、屋敷から盗まれたものは、ブルーバードが持ち出した絵画の一点ですよう。ブルーバードは先に言いましたとおり、この殺人事件の犯人ではありません」
「……ならば、令嬢を殺して逃げた。そういう犯人像では駄目なのですか?」
「その場合、窓から侵入した賊が、窓から逃げたということになりますね」
「それでは……駄目なのですか?」
「マーロン殿が屋敷の中に入る方法が必要となってきます。八時頃、アルマンさんとクレフさんが、メリー嬢の部屋を訪れたその瞬間、鍵を掛けたことによって令嬢はその時間まで生きていたということになっている――このとき、室内にいたのはご当主でしょう……仮定の話ですが、ここまではよいですか?」
「……はい」
 重々しく頷くバートンに、カラは沈痛な表情を浮かべた。ここからの発言が、マーロンを犯人に決定付けてしまうことを、少年は知っていた。
「屋敷の戸締りが確認されたのは九時です。この時間帯、アリバイが確定されないご当主は自由です。当然、令嬢の部屋から外に出て、屋敷へと戻り、自室へと戻ること、それは誰にも邪魔されることはないでしょう。ですが、誰の目にも目撃されずに、可能であると、令嬢の室内にいたマーロンさんにどうやって確認出来ます?」
「えっ?」
「二階にはアルマンさんとクレフさんがいらっしゃる。このとき、二人がご一緒にお酒を飲んでいるとは、ご当主にはわからない。――つまり、何かのきっかけで、二人のうちのどちらかが、窓の外を覗くかもしれない可能性を考えなければならないわけですよう」
「…………外に出るには、目撃される危険性があった」
「ええ。つまり、窓から外に出るのは困難だったわけですよう」
「ドアを開ける口実が必要と……カラ副隊長は言われましたね。それは……どういう理由ですか?」
「鍵が開くということは、閉じこもっていた令嬢が自ら、部屋のドアを開けたということになります。その場合、令嬢は何のために、ドアを開けたのか?」
 バートンの脳裏には、先ほどアルマンが口にした言葉が過ぎった。
『……腹が減ったとか』
 同じことをカラも思ったのか、少年は言った。
「お腹が空いて、自ら部屋を出た。そして、出くわした犯人によって、撲殺された。これが、つい先ほどまで、誰の目にも明らかなこの事件の構図ですよう」
 しかし、その構図は二人の騎士たちによって崩されかけている。
「一番不自然ではない見え方だった……」
「やっぱり、それがそのまま、真実じゃないのかよ?」
 アルマンが食い下がるが、それは虚しいものであることをバートンは認識していた。
 …………絵が、消えているのだ。
「でも、絵の消失が明らかになった今、一番不自然な構図でもあります」


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