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 7,歪む真相


 話が妙な方向に進み始めたのをクレフは感じた。ザワリの胸の内でざわめく感情。何だか、嫌な予感がする。
 息を詰めて周りを見回すと、傍らに立つ兄の様子がおかしい。
 その兄をじっと、ストームブルーの瞳で見据えているのは、宮廷騎士団青色部隊隊長のデニスだ。今まで一言も喋っていない騎士団の隊長だが、彼の刺すような視線が全てを物語っているように思えた。
「何――なんですか?」
 クレフはまさか、という思いで声を張り上げた。掠れた声が喉に引っ掛かる。
「だって、姉様が殺されたのはこの部屋じゃないんですよ?」
「ですが、この部屋でなかったとも言いがたい」
 バートンが微かに目を伏せ、押し殺した声で反論してきた。
 何を言い出すんだろう――と、クレフは目を見張った。
 姉が殺された現場は廊下だろうと言ったのは、目の前の治安管理官と助手のアルマンだったはずなのに。
「死体が動かされた可能性を検討してみたんです。死体の状況からも凶器からもそれは不可能ではないという結論が出ました」
 ――令嬢を撲殺した花瓶は、令嬢の部屋にあったものだ。それを廊下のものと入れ替え、散らばった花を死体放置現場にばら撒けば誰も疑わない。凶器はバートンが証拠として預かっているし、令嬢の部屋には誰も入れない。
 いつも掃除をしていた召使ならこの入れ替えに気づいたかもしれないが、確かめる機会をマーロンは与えなかった――そう、バートンが推論を並べるのをクレフは声を荒げ、反駁した。
「それは無理ですっ! 姉様は部屋に鍵を掛けて、閉じこもってしまったんですよ? その部屋に入って姉様を殺すだなんて、それこそ泥棒の仕業ですっ!」
「泥棒が入っているのなら、絵は盗まれているはずではありませんか?」
 クレフの言葉をカラの冷静な声が否定した。兄は何も言わない。言えないのか?
 絵が盗まれていたことを告げれば、今度は何故、それを通報しなかったのかと詮議されるだけだ。
 兄の沈黙は、治安管理官たちの推測を裏付けているように思える。
 だが、クレフは認めたくない。
「……姉様は一度鍵を掛けて閉じこもられると、一晩ぐらい時間を置かないと絶対に開けてはくれません。それは僕や兄様にしても同じです。そんな部屋に忍び込んで姉様を殺すなんて不可能です。誰にも出来ません」
 どこまでも否定を貫こうとするクレフに、バートンがこちらへ言い聞かせるような、ゆっくりとした言葉運びで告げた。
「その鍵を掛けたのがメリー嬢ご自身だったのなら、犯人は令嬢が部屋を出てくるまで、待っていなければならなかったでしょう。でも、状況的に見て衝動的な殺人である今回の場合、犯人が令嬢を待ち伏せていたとは考えられません」
「出くわしたのでしょう? 部屋を出た姉様と犯人が。そう管理官殿が言われたのではありませんかっ!」
「ええ、その推測もまだ有効なのですが。鍵を掛けたのが令嬢ではなく犯人だったと考えたほうが辻褄の合う答えが見つかるのです」


 バートンはそこで息をついて間を置いた。
 ここでマーロンが名乗りを上げてくれればと期待したが、彼はただ青い顔をして唇を震わせているばかりだ。
 その様子が誰よりも自分が怪しいと証明している。そして、クレフにも事態を把握させているのだけれど。
 彼は動かない。震えるばかりで、動いてくれない。
「クレフ殿とアルマンが令嬢の部屋の前にやって来られた時、室内では既に令嬢は殺されていました。ドアをノックする音に驚いた犯人は慌てて鍵を掛けた。そこでアルマンは短気を起こし騒ぎ立てた。……ここまではよろしいでしょうか?」
 一同を見回すが、誰も口を差し挟んでこない。バートンは仕方なく続けた。
「令嬢の所業だと思い込んで、室外で騒ぎ立てるアルマンに犯人は一つの策を思いつきます。そして、犯人は死体を移動させました。執事が屋敷の戸締りを確認し終えた九時過ぎに室内から廊下へと」
「それに……どんな意味があるのです?」
 クレフが震える声で問う。この推理の否定材料を必死で探そうとしているようだ。
「それは令嬢が生きていると思わせることです。九時過ぎに犯行が行われたとなれば、それぞれの仕事を終えて自室に戻った召使の者たちも犯人となりえる。疑われる人間はこの屋敷の全員になるのです」
「そんなことをしても意味が無いように思えます。誰かに罪を擦り付けるのならともかく、ただ状況が曖昧になっただけではありませんか」
「そうですね。ここでアリバイが確約されていたら、少なくとも俺やアルマンはその人を容疑者候補から外していたでしょう」
 そしてバートンが捜査権を主張する限り、事件は冤罪か迷宮入りという形で結末を迎えていただろう。
「でも、状況を曖昧にした意味はありました。ただ一人の容疑者を俺たちは見失ってしまったわけですから」
 スッと顔を上げて、バートンはマーロンを見据える。一同の視線がバートンの視線を追ってマーロンに集中する。
「……嘘です、そんな」
 クレフはまだ信じたくない様子で言った。兄に否定して欲しかったのだろうが、マーロンは皆の視線から逃れるように顔を逸らしただけだった。
「令嬢の部屋に鍵が掛けられた時刻、召使たちは食事や晩餐の片づけで常に誰かと共にありました。それはクレフ殿も同じで、アルマンと共にアリバイが証明されます。ただ一人、アリバイが証明出来ないのは、自室で本を読んで過ごしていらしたと言うマーロン殿だけです」
 決定的な事実を口にするバートンに、クレフが反射的に叫んだ。その声は痛々しく、聞く者の耳をつんざいた。
「兄様が姉様を殺すわけありませんっ!」
 興奮してバートンに掴みかかろうとするクレフを止めたのは、デニスだった。
 一番遠くに離れていた彼が瞬時に、バートンの隣にあってクレフの腕を掴んでいた。
 いつの間に? バートンはその素早い動きに目を見張る。気配を殺して、立ち回る。これが宮廷騎士団の隊長の技か。
 クレフの腕を背中に回してねじり上げるデニスに、カラが声を掛ける。
「隊長……」
 少年の声に何かを察したらしいデニスは手を離した。クレフは床に片膝をついて、痛めつけられた腕をもう片方の腕で抱える。
「クレフさん……」
「貴方たちは、僕たち兄弟を知らないからそんなことが言えるのです」
 胸に抱えた腕の痛みを癒すようにそっと撫でながら、クレフは震える声で語った。
「両親が早くに死んで、兄様は僕と姉様の親代わりだった。いつだって僕たちの為に……ご自分の結婚を逃しても、僕たちの為に尽くしてくださった。そんな兄様が縁談を断ったくらいで姉様を殺すだなんて。そんなこと――あるはずがない」
 クレフの虚しい弁護を前に、カラが唇を開いた。
「……誰かの為に良かれと思って行動したことが、本当にその人の為に良いことかどうかは善意を施された人が決めることで、善意を施した人が決めちゃいけません。それを良いことだと言い切るのは偽善者だけですよう」
「何……」
「僕らがこうして罪を暴くのは善意からですよう。でも、クレフさんにしてみれば悪意以外の何ものでもないでしょう? 善意が全て良いことではないんですよう。ご当主が妹君に持ち込んだ縁談は妹君に良かれと思った善意だった。けれど、メリー嬢にしてみれば余計なお世話だった」
「見ていたように、言わないでください」
 クレフは涙で滲んだ目でカラを睨んだ。
 刺々しいその瞳を真っ直ぐに受け止めて、カラは続けた。
「すみませんですよう。だけど、僕はご当主の善意を信じていますし、ご兄弟の仲の良さもアルマンさんから聞かされて、理解しているつもりですよう。ですが、どんなに仲の良い兄弟でも喧嘩はします。……今回の事件は喧嘩の際に凶器を手にしてしまった瞬間、メリー嬢の命を奪ってしまったんだと僕は思います」
 手の届く範囲に凶器がなかったら、きっとこんなことにはならなかったはずだ。カラはそう、バートンに呟いていた。
 カラはマーロンの横顔に視線を投げて尋ねる。
「……これは僕の希望的な観測なんでしょうか?」


 マーロンは少年騎士を振り返り、それから弟に目をやった。
 信じていると同時に、マーロンの罪を確信している目がそこにある。あれだけの動揺を見せれば当然か、とマーロンは自嘲する。
 自分の行いを省みれば、少年騎士の言うとおりだと思った。
 妹の幸せを願ったはずだった。なのに、メリーはこちらの思いを一欠けらも汲んではくれなかった。
 余計なお世話だと怒り、放っておいてと、マーロンの手を拒否して罵倒する。その姿勢にマーロンは自分が否定された気がした。
 こんなにも尽くしているのに、何故、わかってもらえないのだ?
 その混乱が、マーロンから判断力を奪ったとき、花瓶が目に入った。自分が何をしたのかを理解したときには、床に倒れた妹は既に事切れていた。
 後は、治安管理官が語った推測どおり。
 マーロンは、こちらの思いをメリーに理解して貰おうとしたことが間違いだったことに、今さらながら気付く。
 理解を求めるということは、見返りを求めるということ。
 自分が尽くした思いに、感謝を返して欲しかった。
 それは、少年騎士が言った「偽善」に他ならない。
 自分が妹や弟たちに捧げた思いが偽善であることを、マーロンは認めたくなかった。幸せにしたいと思った気持ちは、純粋だったから。
 ならば、間違いは正さなくてはならないだろう。あの一瞬の過ちを過ちと認めなければ、全てが嘘になってしまう。
 そして、自分を庇おうとする弟をこれ以上苦しめることは出来ないと、マーロンは決断を下す。
 治安管理官であるバートンの前に進み出て、マーロンは自白した。
「リュック管理官が仰られた通りです。私がメリーを殺し、クレフやアルマン殿の前で鍵を掛けました。そして、召使たちが自室に引き上げる頃を見計らって、メリーの死体を移動させました」
「死体を移動させたのは保身の為なんですか?」
 そっとバートンが尋ねてくる。気遣うような声音は、犯罪者を相手に向けられる種類のものとは明らかに違っていた。
 ……この人もまた、信じてくれていたのだろう。そう思えば、罪を隠した悔恨が胸に痛かった。
「メリーを守れなかったが、私にはまだ守るべき者がおりましたから。捕まるわけにはいかないと思ったのです」
 マーロンはゆっくりと首を傾け、傍らで呆然としている弟に微笑みかけた。
「流行病で父と母が倒れた時、私は両親に誓ったのです。二人に代わって私がメリーとクレフを守ります、と」
 その思いは、嘘じゃない。信用して欲しい、と思う反面、 実際に妹を手に掛けた自分の言葉がどれほど、信用できるものなのか?
 自問自答するマーロンの前に、少年騎士が進み出てきた。
「誓いを破らせてしまって、すみませんでした」
 生真面目な声で謝って、恐縮したように頭を下げる。
「いえ……メリーを傷付けた時から、私の誓いは壊れていた。それに気づくべきだったのです。リュック管理官殿、どうか私を逮捕してください」
 毅然とした態度で――それが最後の誇りだと思う――マーロンは言った。名指しされた治安管理官は色々考えることがあったのだろう。一瞬の間をおいて、だが何も言わずに頷いた。
「……はい」


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