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 8,終わらない予感


 後の処理をバートンに任せて、フレデリック家を後にしたカラとデニスが、治安管理官事務所に戻ってきた。
 二人を迎えたアルマンの背後には、黒衣の金髪少年が両腕を組み事務所の椅子に座っていた。
「終わったか?」
 そう言って、カラを生意気な顔つきで見上げたのは金髪少年だった。アルマンはこの偉そうな少年に顔を顰める。
 突然、現れたと思ったら、この少年は二人の騎士に年齢にそぐわぬ横柄な態度を取っている。それに関しては、アルマン自身も人のことを言えた義理ではないが。二人の騎士がこの少年をたいそうな御仁のように扱うのが気に食わない。
 金髪の少年は、見た目はカラより明らかに年下だろう。十代前半にしか見えない顔立ち。着ているのは黒の詰襟の上着に同色のズボン。騎士団の制服ではない。
 何者かと問いただす前に、カラとデニスはこの少年が持ってきた荷物と共にバートンと連れ立ってフレデリック家に向かった。そうして、十分位すると少年だけが帰ってきて、事務所に居座っていた。
「はい。終わりましたですよう」
「マーロンが自白したのか……?」
 アルマンは少年のことをひとまず置いておいて、カラにそっと問いかけた。
「はい。ご自分の罪を認めてくださいました」
「クレフは?」
「少し取り乱されましたけれど、今は落ち着かれていますよう」
「……そうか」
 どう反応して良いのかわからずに、アルマンは黙った。
「後はどうするんだ?」
 金髪少年が尋ねる。
 何なのだ、こいつは? という疑問がアルマンの中で沸いてくる。
「こちらの治安管理官にお任せしようと思いますよう。元々、僕らは別件で来て正式要請を受けていませんし」
「ふーん」
「……なあ」
 アルマンはカラの肩を叩いた。何ですか? と小首を傾げて振り返る少年の肩越しに、金髪少年を睨んで問う。
「この子供は誰だ?」
「……子供と言われますと?」
 意味がわからないと言いたげに、目を瞬かすカラにアルマンは金髪少年に指を突きつけた。
「そこにいるガキだ」
「……アルマンさん、だから言ったんですよう。人を見かけで判断したら駄目ですって」
 カラはグシャリと見るも無残なくらいに顔を顰めた。不味い物を食べさせられたような顔だ。それから少年を振り返った。
「名乗っていらっしゃらなかったんですか?」
「聞きやしないし、言ったところで疑われるだけだろ」
 少年は興味無さそうに肩を竦めた。
「そんなこと……。アルマンさん、こちらは宮廷魔法師団団長のディード様ですよう」
「嘘だ」
 アルマンは反射的に言っていた。
「……ホラ、な」
 少年はカラを横目に見て、言った通りだろ、と大して気にしていないような声を吐いたが、つり上がり気味の眉をさらに吊り上げた人相は、剣呑な雰囲気を漂わせ始めた。
 それに気がついたカラが、アルマンを恨みがましい目で見上げてきた。
「何で、そんな否定が出来るんですよう……」
「違う。いや、そうじゃない。そういう意味じゃなくって」
 アルマンは慌てた。カラがこれだけ気を使う相手だから、この少年が宮廷魔法師団団長という可能性はある。それは理解出来る。問題なのは彼が本物だとしたら……。
「だって、ディード様って言ったら、陛下の従弟殿で、陛下より二つ年下だろう?」
「ええ、そうですよう。確かアルマンさんは陛下と同い年でしたよね?」
「そうだ。ということは、ディード様は二十一歳になられるはずだろう?」
「はい、そうですよう。そうでしたよね?」
 カラはディードと紹介された少年に確認を取った。どう見ても、カラより年下にしか見えない少年に。
「悪かったなぁ、童顔で」
 ディードは、ヒクリと頬を引きつらせると凶悪な笑みを向けてきた。
 目鼻立ちの整った端正な顔立ち。エメラルドグリーンの目が大きく、小生意気そうな表情が似合う。それが実年齢より五つは年下に見えてしまう要因のようだ。
 不機嫌そうに顔を顰めると多少だが、外見年齢が引き上げられるがそれでもやっぱり、十八歳以上には見えない。
 猫科の動物を思わせる薄付きの筋肉が、ピタリとした黒の詰襟の下に感じさせる。それは完成された大人の身体だが、背丈がカラと変わらないので、同年代より成長期が早かったのだなと思うに留まる。
 アルマンはエメラルドグリーンの瞳に睨まれて、反射的に縮こまった。この迫力は間違いなく人の上に立つ者のものだと実感するが、今さら遅い。
 ここで初めて、アルマンは外見や身分で人を判断する危うさを知る。仮にも貴族であったマーロンが激情から実の妹を殺した。階級が差別しても、所詮、人間は人間だ。怒りを持て余せば愚かな行為を生んでしまうのだ。


「まあまあ、ディード様」
 カラは、今にもアルマンに噛み付きそうなディードの怒りの矛先を逸らすように、話しかけた。
「それにしてもビックリしましたよう。証拠品の転送を頼んだだけでしたのに、ディード様自ら絵を持ってきてくださるなんて」
「……ああ」
 ディードはアルマンを一睨みして、――アルマンはディードの視線にしり込みして、一歩引いた――カラに向き直る。
 すると、今までの凶悪な人相は眉間に少しばかりの皺を残して消えた。その皺は、ディードが自分自身でも自覚している童顔を、少しでも誤魔化す為のものであるらしい。
「別に、暇だったからな」
 ディードはあっけらかんと言い放つ。感情が明確であるのが、この宮廷魔法師団の団長の美徳であることは、王宮では誰もが知っているところである。
 ディードと交わす話の中心にあるのは、フレデリック家から盗まれた絵だ。
 カラは、マーロンを自白に追い込む材料として絵を王宮から取り寄せることにした。早速、魔法便を使い、手紙を送って絵をこちらに転送してくれるようにと、街々にある魔法師協会管轄下の郵便屋から手続きを取った。
 魔法道と呼ばれる、魔法使いだけが使えるこの道を使えば、全国各地から瞬きの時間で物を送ったり取り寄せたり出来る。これでわざわざ王宮に絵を取りに戻ることはない。
 そうして、絵が届くのを待っていたカラたちの前に現れたのがディードだった。絵を抱えた彼は、何事も無いような顔で言った。
『それじゃあ、問題の家に行こうぜ』と。
「本当に助かりましたですよう。ご当主の意表を突くには、絵の存在が必要だったんですけど、閉ざされた令嬢の部屋にどうやって戻そうか考えていたんですよう。アルマンさんに部屋の鍵の在り処を聞いて、ご当主に知られないように鍵を盗み出すか、または窓ガラスを割って忍び込むしかないって」
「正義の味方が泥棒みたいな真似をしていたら、ヤバくないか?」
「まあ、ご当主を騙すという時点であまり褒められたことじゃないんですけど」
 カラはため息をこぼすように、苦笑した。
 絵を密室内部に戻すことが出来たのはディードの魔法だ。ただ、幾ら魔法使いと言っても、閉ざされた室内に誰も彼もが入ることは出来ない――室内に物だけを転送することは、下級魔法使いにでも出来るが、物は放置された状態で、暖炉の上に飾るとまでいかない――それが出来るのは移動魔法が使える上級魔法使いだけだ。
 要するに、宮廷魔法師。
 まさか、マーロンも宮廷魔法師までが今回の事件に乗り出してきたとは考えなかっただろう。
「けど、自分じゃ言い出せないことってのもあるだろう? 自白したところから見れば、そいつも案外、誰かが自分の罪を暴いてくれるのを待っていたのかもしれないぜ」
「……はい。ご当主もそういう意味のことを言われました」
「じゃあ、カラのやったことは、褒められたことじゃなかったかもしれないが、間違ってもいなかったわけだ。なら、結果オーライで良しとするか」
 晴れた空のような曇りのない笑顔を、ディードは白い歯と共に見せた。


 ディードの笑顔を見る限り、やはり二十を過ぎた大人とは認識しづらい。アルマンはそう感じたことが、己の顔に出ていないことを祈った。
「でも、王宮の方は大丈夫なんですか?」
 心配そうに問いかけるカラに、ディードはヒラヒラと手の平を泳がせた。
「ああ、あの馬鹿がいないからな」
「……陛下がおられないと平和で良いんですけど、暇を持て余してしまうんですね」
 そっと笑ったカラに、ディードが片頬を引きつらせた。
「日常、どれだけあの馬鹿に振り回されているか、だな」
 会話の流れから察するに不遜にも「馬鹿」とは国王のことのようだ。
 アルマンはヒヤリとしたものを背筋に感じた。自分のような者がそんなことを口にすれば不敬罪で処罰されそうだが、カラが受け流しているところを見ると、ディードの言動は毎度のことらしい。
 アルマンは改めてカラとの距離を実感し、慌てて二人の会話に割り込む。カラと自分の立場の差を認識したくはなかったのだ。
「国王陛下がおられないとは、どういうことなんですか?」
「ああ、陛下はこの時期、各区の視察に回られるんですよう。去年は東区のクレスと南東区のラディスでしたから、今年は南西区のエルマと西区のカインですね。その間、王宮は王弟のジズリーズ様が執務につかれます」
「へえ……」
「今年はその視察に同行しないで済んだが、どうかな」
 ディードが金色の頭をポリポリと掻いて、顔を顰めた。カラが不思議そうに小首を傾げて問いかける。
「何か心配事でも?」


 去年、国王の視察旅行に護衛として同行したディードは、最初から最後までジルビアに振り回されていた。同じように同行した騎士は青色部隊の隊長のデニスと副隊長のクレイン。
 黒色部隊のルシアの指揮下に置かれ、王都の留守を預かっていたカラは、土産話としてクレインからディードの苦労話を聞かされたのを思い出す。
 ジルビアは母方のイトコで自らと瓜二つの、クイーン家子息シグレを影武者と仕立てて、姿をくらましたのだという。
 それは王宮でも日常的な行動だったが、視察の行程は分刻みに決められ、また国王一行を一目見ようと押しかけた民衆を前にすれば、ディードとしても大騒ぎ出来ない。
 直情型のディードとしては怒鳴り散らかしては、人海戦術で国王をとっ捕まえたいが、それが出来ない。
 こめかみに青筋を立てたディードは、背筋に冷や汗を垂らしながら国王の身代わりを勤めるシグレの傍らで、呪いの言葉を吐き続けていたらしい。挙句、舌を噛んで三日間食事が取れなかったとのことで、王宮に帰ってきた時のディードは見るからにやつれていた。
「あの馬鹿の巻き起こす騒動が無い。それは平穏な日々だが、平穏すぎるだろ」
「…………?」
 カラは意味がわからず首を傾げる。
「ジズはあの馬鹿ほど、アホな真似はしないが、何かを企んで実行する場合の事のデカさはあの馬鹿の比じゃない」
 馬鹿だとか、アホだとか、元王族が使う言葉だろうか。
 高貴な人間というものに対しての、イメージが壊れていくのだが。
「それはつまり……陛下の日常的騒動が小さな火花だとしたら」
「ジズリーズが何かをやらかしたら、それは爆弾だな。あの馬鹿が視察に出掛けた途端に教育局長の横領事件だろ? あれを裏で暴いたのはジズだぜ」
「ああ、あれは驚きましたよね。どこから証拠を集めてきたんでしょう?」
「……聞いてないのか?」
 片目を細めてディードはカラを見やった。
「はい?」
「……直接、王宮内部の人間を使ったら、向こうに感づかれて証拠を隠滅される恐れがあるって言ってさ、外部の人間を使ったんだよ」
「そうだったんですか。でも、外部の人間って……」
「横領事件が発覚したのは何でだったか、覚えているか?」
「え? ええっと、確か、新聞にスクープとして載ったんですよね? それで真偽を確かめると言われて即刻、騎士団を動かされて教育局長の屋敷の家宅捜索を……」
「幾ら真偽を確かめるっても、手続きもなしに家宅捜索なんて無謀なんだよ。たまたま、教育局長があの馬鹿の視察に同行して不在だったからゴリ押し出来たけれど」
「そうですよね」
「そのたまたまって言うのが、この上なく怪しいんだ。きっと、証拠は早くから上がってたんだ。家宅捜査の際に教育局長がいると困るから、視察に同行させることで屋敷から引き離した。スクープは騎士団を動かす為の口実で、このスクープもジズの仕業だな」
「まさか。……幾らジズリーズ様でも民間の新聞社で情報操作なんて」
 出来ないでしょう、と言いながらカラは、あの王族兄弟なら出来るかもしれない、とチラリと思う。
「だから、その新聞社を使ったんだよ。教育局長に横領の疑惑があるって吹き込んでな。スクープが欲しい新聞社は独自に調査しているつもりが、ジズが予め集めていた証拠を再確認しただけ」
 カラは目を丸くする。
 王族兄弟の中で一番常識人でありそうなジズリーズの意外な一面を見た。
 ディードはカラの様子に顔を顰めた。騎士団に入隊して一年弱のカラにはまだ王族兄弟の本質が見抜けていないらしい、とため息を吐く。
「しかも、スクープが紙面に出るタイミングもジズが色々細工したんだろうな。近頃は部屋に閉じこもりっ放しだったから、また読書癖に火がついてんだろうな、と楽観していたら、これだ」
 ジズリーズは本好きで、時に一ヶ月ばかり食事以外に部屋を出ることなく本だけを読んでいるということが間々あるのだと、カラは聞いていたが。
「まったく、あの兄弟はろくなこと企みやがらねぇ」
 腕を組んだ姿勢でディードは苛立たしげに指を動かし始めた。段々と険悪さを漂わせる童顔にカラは腰を引いた。アルマンも我知らず、ディードから距離を取った。
 彼を取り巻く空気が刺々しくなってくる。
「……あの馬鹿が帰ってくるまで後十日ばかりあるが、果たして平和に終わると思うか? 賭けてもいい。絶対に何か起こすぞ」
「そんな……ディード様の取り越し苦労ですよう」
「そう言い切れるか? あの兄弟は俺を困らせる為なら何だってやるような奴らなんだ」
 ガッと吠えるように大口を開けて喚くディードに、カラとアルマンはその剣幕に気圧される。
 そんな三人から少し離れたところで、事の顛末を見守っていたデニスは、ディードの推測が決して妄想ではないことを見抜いて、いつもの如く無表情に頷いたが、それに気付く者は誰もいなかった。


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