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 第三章 思いの果て
 君に笑顔を届けよう……それが僕からの贈り物。


 1,幕間


「クレインさんっ、クレインさんっ!」
 店のガラス戸を壊す勢いで入ってきたのは、従業員第一号。第二号は今のところいないが、二号が入ってきた時の為に今から一号と名づけておくことにした。これなら、呼び名を考える必要がない。
「何だ、一号」
 クレインは読んでいた手紙から顔を上げた。
 三十歳になったとは思えない青年は、目つきと表情に幾分粗野な印象があるが、田舎ではこれぐらいの箔があったほうがなめられない。
 最も、元宮廷騎士に喧嘩を売るほど度胸のある奴は、残念ながらいなかった。隻腕の相手にも元騎士と言う肩書きだけで物怖じしてしまう者たちばかりで、ひと月を過ぎたこの頃には平和過ぎる日常に少しばかり、飽きを覚えていた。
 そんなもので、懐かしい王宮からの手紙に少し気を取られ過ぎていたようだ。
「何だって……」
 一号ことドリィは今しがた、自分が飛び込んできたガラス戸を振り返った。同じようにそちらに目をやったクレインは絶句した。
 店の前の道路には黒塗りの特別仕様の自動車が、騎士が足として使う小型車に前後を挟まれる形で止まっている。
 クレインが王宮にいた頃はそれを運転する立場にあったが、今や王宮から遠く離れたのこの場所で車を目にすることはない。
 そして、黒塗りは他でもない王家や七家の人間を乗せる特別車だ。それがここにあるということは――。
 クレインは左手をついて、店のカウンターを乗り越た。隻腕ゆえに右袖がヒラリと踊る。そうして、ドリィの横をすり抜けて入り口へと向かった。ガラス戸の取っ手に手を掛けようとしたところで扉は外側から開かれる。
 目と鼻の先に、もう二度と会うことはあるまいと思っていた顔があった。
 いつもは人の目をくらますような行動ばかりする癖に、どうしてこんな時だけ予想通りの行動をしてくれるんだ、この人は……。
 クレインはややうんざりとした顔つきで、その人物を見た。
 ドレスを着せなくても女として通用してしまう柔和な顔。背中まで伸びた金髪にサファイアブルーの瞳、淡いピンクの唇は、クレインを目にするなり、してやったり、と言いたげに笑っている。
「油断してたね。てっきり、縁が切れたと思ってたけど……」
 左手に持ったままの手紙に目をやる。王宮からの手紙が届くということは、まだ縁は続いているということだ。
「何しに来たんです?」
 動揺を見せたのが嫌で、素っ気無く声を吐くクレインに国王ジルビアは笑った。
「飯休憩だ」
 そう言うジルビアの後ろに、ゾロゾロと車から降りてきた者がやって来た。


「お久しぶりです、クレイン殿」
 口元を緩め微笑んで言ったのは、白色部隊隊長のルカ・アルマ。
 彼女の隣では見るからに人が良さそうな顔の青年、白色部隊副隊長のカレル・テレシアが穏やかに笑っている。
「お花さんと好青年の二人がいて、王様を止められなかったの?」
 お花さんはルカで、好青年はカレルの呼び名だった。長い付き合いであった元上司デニスの名前も覚えられなかったクレインは、もう見たままの印象で人を区別していた。
「陛下に懐かしい顔に会いたくないか? と誘われましては、断りにくいものです。何しろ、クレイン殿からは音沙汰がないのですから」
 カレルが生真面目な顔で言う。
「だからって……」
「陛下の日頃のご都合をお考えしますと、エルマに来られたこの機会を逃してはクレイン殿との再会もなかなかに叶いません。貴殿を我が家にお招きすればよろしかったのでしょうが、陛下はどうしても貴殿の今のお姿を拝見したいということでしたので、今回はこのような唐突な訪問になりましたことをお詫びします」
 そう言葉を発しながら、戸惑うクレインの前に続いて現れたのは、エバンス家の当主クライだった。
 栗色の髪に藍色の瞳。均整のとれた体躯。ルカやカレルより頭一つ飛び出た長身の青年は端麗で華麗な笑みを唇に刻んで言ってきた。
 デニスやルシアで美形に見慣れたクレインの目にも、エバンス家の当主の艶やかな美貌に一瞬、息を詰めてしまった。
 ルシアやデニスはどちらかと言ってしまえば無表情に近いので、艶然と微笑むクライは先の二人と違って華がある。
 そんなクライにクレインは慌てた。
 国王が国王だけに王宮ではクレインも言葉を改めることなく、ぞんざいな言葉を吐いたり態度もでかかったりしたが、七家の当主は国王と違って常識に基づいた人格者ばかりである。クレインは道を開けてクライを店の中に招き入れた。
「立ち話もなんですから、どうぞ、中に」
 店の一角にテーブルと椅子を二脚置いた休憩用の場所を用意していた。
 とりあえず、二つの椅子は国王とエバンス家の当主に当てることにする。
 二人の騎士の後に続いて来たのは宮廷魔法師のラウル・ルディアとシリウス・ダリア。二人はクレインに会釈を寄越しただけで余計な口を開くことなく、店の入り口を固めた。
 ディードが最も信頼している二人らしいあり方に、クレインは頷いて返した。
「しかし、よく時間が割けたね。視察旅行は分刻みのスケジュールだろうに?」
 今回の視察旅行のスケジュールを管理しているだろうカレルに目を向けて、クレインは尋ねた。
「だから、言っただろ。飯休憩だって」
 ジルビアがカレルに代わって答えた。
「……飯って、うちは飲食店じゃないよ」
 騎士を辞めるきっかけになった右腕の切断に対して、ジルビアから贈られた見舞金と退職金。それに今までの給金を貯めこんでいたクレインが、地元に舞い戻って開いたのは食料品も取り扱う雑貨屋だ。
 扱っている食料品も、小麦粉や砂糖、塩などの調味料に紅茶の茶葉や乾物で、菓子もあるが、宮廷料理人の腕で作られた物ばかりを食っている国王陛下が、お召し上がりになれるようなものは無いと言っていい。
 そんな店内を物珍しそうに見回すジルビアは、棚からクッキーの缶を取っては開けて、パクッと躊躇もなく口に運んだ。
「何やってんのよ、王様は」
 慌ててクレインはジルビアの手からクッキーの缶を取り上げた。
「何だよ、金はちゃんと払うぜ」
「そういう問題じゃなくって……」
 呆れ顔のクレインを余所に、ジルビアは上着のポケットを探ると金貨を一枚取り出してそれをドリィに放り投げた。
 緩やかな放物線を描いて落ちる金貨を受け止めて、ドリィは目を丸くしている。それはそうだろう。金貨の値段は一万ゴールド。クッキーの缶一缶の値段は十ゴールド紙幣一枚で事足りるというのに。
「釣りはいらんよね」
 商売根性というわけではないが、ついついクレインは言っていた。
「ああ」
 あっさりと返してくるジルビアにクレインはため息を吐いた。こんな心配をするのは俺のキャラじゃない、と思いながら口出ししてしまった。
「王様、アンタね、気前よく金をばら撒きなさんな。一応、王様の小遣いは国税で賄われているんだから。それにもう少し金銭感覚身に着けないと、幾ら身分を隠してお忍びに出ても、それじゃあ良家の御仁とバレバレだよ。ぼったくりのカモにされてたら、納税者の立場から言って笑えないって」
「んな国税からの金なんて恨みがこもってそうで使えるかよ。それは俺のポケットマネーだ」
「……ああ、噂の」
 身分と名前を偽って、王族兄弟の長兄と次兄は色々なところに投資しては、ポケットマネーをあぶく銭のように増やしているという。その総額は上流階級貴族の資産を悠に超えると言うから、クレインとしては信じていなかった。しかし、本人が言うのだから、それは事実なのだろう。
「金は払ったんだから、食ってもいいだろう。飯の時間を潰したんだから、夕飯までは何も食えないんだ」
「そんな真似までして、ここに来なくても良かったでしょうが」
「でも、お前の驚いた顔は見られたじゃないか。あんな面はなかなかお目にかかれなかったからな」
 この無茶な国王の行動にもクレインは泰然と構えている方であったから、確かにジルビアの言うとおり自分の驚いた顔は見物だっただろう。
「まあ、いいけどね」
 ジルビアにクッキーの缶を渡して、クレインは肩越しにドリィを振り返った。
「取りあえず、頭数の分、茶と食い物を用意してくれ。言っときますが、味には文句言わんように」
 後半は舌の肥えた者たちに向かって言った。
 ドリィはクレインの命令に、店と続きになっているクレインの住居へ向かった。
「私も手伝ってきます」
 カレルがドリィの後を追った。
 ドリィには従業員としての給料に上乗せすることで、台所仕事を任せていた。ずっと騎士をしてきたクレインには食事は誰かが作ってくれるもので、自分で作るものじゃないという認識がある。それにまだ片腕を失って一月とちょっとの自分では、料理なんてまだ出来そうにない。いまだに失くした右腕で物を取ろうとしてしまうのだから。
「あの小僧は使用人か?」
「ああ、従業員一号」
「一号って事は二号もいるのか?」
「二号はいないよ。いつか入ってきた時の為ね」
「お前、最初から名前を覚える気がないだろう」
 呆れたようなジルビアにクレインは苦笑した。否定はしない。
「相変わらずだな、お前」
「そう言う、王様もね。いきなりこんなところに現れて、俺を驚かして楽しむのもいいけど。こんなところで、俺の相手なんぞするより王宮に戻ったほうがよくない?」
 クレインは指の間に挟んでいた、王宮からの手紙をジルビアの前でヒラヒラとさせる。
「何だ?」
「姫殿様からの手紙。律儀に王宮で起こったことを報告してくれるんだ。それによると中央区では何やら面白いことが起こっているみたいね。うちの王子さんと姫さんを巻き込んで」
 ――王子さんというのは、クレインの元相棒のことで、姫さんは後任副隊長。そして、姫殿様は王弟のことだ。国王に対しても王様としか呼びかけないクレインであるから、王族兄弟の名前も覚えていない。
「ジズの奴、文通好きだからな」
 ジルビアはクレインの指から手紙を抜き取ると、文面に目を走らせた。
 それを見て、クレインは王弟ジズリーズがわざわざ自分の元へと手紙を届けてきた意味がわかった。
 端から打ち合わせしていたのか、否か――していなかったにしろ、ジルビアの性格なら推測可能だろう――視察旅行の途中で、ジルビアがここへと立ち寄ることを見越して、ジズリーズは報告書を寄越したのだ。
 全くもって、小賢しい王弟だ。常に人の先手先手を打ってくるのだから。
 手紙と言うより、それは報告書だった。
 国王が留守中の王都で繰り広げられている王弟と怪盗との駆け引きと、その行く末。
 クレインは先ほど目を通した手紙の内容を反芻して、息を吐いた。
 味方をする気は全くないが、ブルーバードという怪盗は厄介な相手を敵に回した。
 それだけは同情しないでもない、と。


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