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 2,ずれた歯車


 ――時間を遡る。


「お疲れ様でしたよう」
 車を降りて大きく伸びをしているディードの背中に、カラが声を掛けてきた。
 少年はフロミネルの街から王宮へ戻る際、ディードは魔法で一足先に帰るのだと思っていたようだ。
 だが、ディードはフレデリック家の屋敷に絵を戻す際に、移動魔法を使ったことで、これ以上の魔法は使えないと言った。
 移動魔法はそれこそ距離に関係なく、一瞬で何処にでも移動出来る高等魔法なだけに、かなりの精神力を必要とする。
 その疲弊は外からは見えないだろうが、結構、疲れていた。
 ディードは車の後部座席に乗せてもらって、王宮への帰路につくことにした。王宮への帰り道、ディードは車の後部座席で、爆睡。
 ようやく王宮に辿り着いて、車庫舎に車を止めたところでカラが、ディードを起こしたという次第だ。
 カラも、ここに来てディードの疲労度を実感したのか、気遣うような声音だった。
「今、何時だ?」
 寝ぼけ眼を擦りながら、ディードは尋ねる。カラは騎士服の胸ポケットから懐中時計を取り出して、時間を確認した。
「七時を回ってしまいましたね」
「都合三時間は寝ていたのか」
 少し寝癖のついた金髪頭を掻いて、ディードは計算する。フロミネルの治安管理官事務所を出たのが四時頃だったから。
「寝たりねー」
 ディードは頭を左右に振って、首筋をゴキゴキと鳴らしながら、アフッと欠伸を一つこぼす。
「あっ!」
 不意にカラが声を上げた。
 ディードはその声に驚いた。寝ぼけて、うろんだった意識が現実に立ち返る。
「何だっ?」
 仰天してカラを振り返ると、少年は黒い大きな瞳を丸く見開いて硬直していた。
「ど、どうした?」
 戸惑って辺りを見回す。デニスと目が合って一秒、ディードは刹那に彼の存在を切り捨てた。こいつは役に立たねぇ、と。
 ディードは慌ててカラの目を覗く。この少年は、その昔は病弱で寝たきりだったと話に聞いている。ただ単に身体が弱く、特に病気持ちだったというわけではないらしいが、何かの発作ではないかと疑ってしまう。
「おい、カラ?」
 目の前で手を上下に動かし、肩を揺さぶってしばらく、カラは我に返ってディードを見た。
「……カラ?」
「大変ですよう、ディード様っ! 隊長っ!」
「……何が大変だって言うんだ?」
 正直に言ってしまえば、お前の頭ん中が大変な気がするぞ、俺は――と、ディードは少年のいつになく焦った様子についていけない。
「どうしましょう、ど、どうしましょう」
 右往左往し始めたカラをディードは慌てて引き止めた。
「どうしたんだ、お前」
「とんでもないことに気がつきました」
「いや、だから、それが何だって言うんだ? 何がとんでもないんだ?」
「移動時間ですようっ!」
 少年は声を荒げて叫ぶ。
「は?」
 わけがわからん。ディードは眉間の皺を深くした。
「移動って……?」
「三時間じゃないですよう。普通、馬車を使ったら」
「あ?」
「だから、ここ中心街ないし貴族街からフロミネルの街までの移動は、最低三時間は掛かってしまいます。車の移動でも」
「……ああ、そうなのか?」
 長距離の移動はもっぱら魔法なので、ディードにはカラが何を言いたいのかわからない。
 車で三時間? 小回りがきき、少しぐらいの悪路でも高速移動出来る機械自動車なら、馬車より遥かに移動時間は短縮出来るだろうが、それが何だ?
「でもでも、車を利用出来るはずはないんですようっ!」
「だから何だってんだ!」
 短気なディードは、ちっとも見えてこない結論に声を荒げた。その勢いに乗るようにカラが叫んだ。
「ディアーナ嬢は、ブルーバードじゃないんですよっ!」
「は?」
 間抜けな声がディードの口から漏れた。
 それを目の前にして、少年は一瞬、自らの考えが間違っているのかと思ったようだ。困ったように視線を彷徨わせる。
 それを目にして、
「ディアーナって誰だ?」
 ディードは真顔で問いかけていた。
 まだ新米と言ってよいカラだが、副隊長としての能力値は先代の青色部隊副隊長のクレインが保証していた。
 むやみやたらと、騒ぎ立てるカラではない。
「ブルーバードが盗んだ絵の作家で、ブルーバードだとルシア様に自首した人ですよう」
「……何だ、そりゃ」
 呆れ顔のディードは、ブルーバード事件そのものを知らない。
 それを悟ったらしいカラは、ディアーナがルシアに憧れて、彼に近づく為に起こした事の顛末を掻い摘んで話してくれた。
 ディードは片目を細めて、「何だ、そのはた迷惑な女は」と呻く。
 ここでカラは誰もが口にしないまでも、心に感じていた思いを声にしたディードに対し軽い感動を覚えた――それはディードのあずかり知れないことである。
「えーと、それで?」
 ディードは、いきなり与えられた大量の情報を整理するように、こめかみをつつく。
「何で、その女が……ブルーバードか? その泥棒じゃないってことになるんだ? 本人が自首したんだろう? その情報があって、カラもフレデリック家に行くことになって、実際にその家からは絵が盗まれたわけだし、絵を盗む際、その家の家人が何時に明かりを消したとか、細かいところまで辻褄の合う証言をしてんだろう? それは盗んだ本人しか知らないようなことを言っているわけだから、犯人だと断定したら駄目なのか?」
 脳味噌がむず痒い。だから、俺に頭を使わせるなって、とディードは心で毒づいて額を掻く。
 頭で考えるより、行動が先に出るタイプであることをディードは自覚している。
 答えを求めるように彼は辺りを見回す。答えが落ちているわけでもなく、ただデニスと目が合ってディードは考える行程を放棄した。そして、カラに向き直る。
「どうして、その女が犯人じゃないってわかったんだ」
「移動時間ですよう」
「それは……聞いた」
「あ、えーっとですね」
 焦れた様子のディードに、気圧されるようにカラが慌てて説明した。
「ディアーナ嬢がブルーバードだって証言しただけで、犯人だと疑ったわけじゃないんですよう。ちゃんと、裏付け捜査もルシア様は他の騎士に命じていたんですね」
「裏付け捜査?」
「はい。犯行が家の人に知られずに行われていた点から見て、かなり前もって下調べをしたのだろうと推測されたんですよう。それで絵が盗まれた被害宅に事件前に出入りした客人ないし、雇われたか辞めた使用人がいなかったどうか調べたら、ディアーナ嬢がその被害宅に出入りしていたわけですよう。絵を贈ったご友人宅に遊びに出掛けていることに不自然さはないのですけれど、全ての家に出入りしているのは令嬢だけなんですよう」
「そりゃ怪しい」
「はい。証言も全て辻褄が合っていたんですよう。実際に表沙汰になっていなかったフレデリック家の盗難も事実でしたし……」
「じゃあ、その女で決まりだろう?」
 カラは首を横に振った。
「駄目なんですよう。今回のことで、令嬢が犯人である可能性は消えました」
「どうして?」
「ディアーナ嬢は実に規則正しい生活をなさっている人なんですよう。朝は六時に起きて夜は十時前には寝られるという」
「それが?」
 パチパチと大きなエメラルドグリーンの目を瞬かせるディードに、カラは「それが問題なんですよう」と言った。
「ブルーバードの被害は貴族街にありました。だから、夜十時に就寝した令嬢が人知れず家を抜け出して泥棒行為をしていても、それは不自然じゃないですよね?」
「そりゃ……幾ら家族にでも言えねえだろ。泥棒しているなんて」
「はい。だからこそ、規則正しい生活習慣を印象付ける為に、令嬢はきっちり夜の十時に寝ていたんだと考えていたんですよう。今になれば令嬢に他意はなかったんだと思いますけど……」
 美容と健康の為に、睡眠をしっかり取っているだけに過ぎないのだが、ディアーナの事情をカラは知らない。
「絵の制作活動に入っても、令嬢はこの習慣を義務付けていて九時にはアトリエを出るようにしていたわけですね。このアトリエはアリシア家の敷地の片隅に造られているそうなんですけど」
「ああ、それで?」
 何かが見えそうな気がするが、考えるのが面倒でディードはカラを促す。
「で、九時になっても令嬢がアトリエを出てこない場合、召使の方が令嬢に時間を知らせにそちらに向かわれるんですよう。これはもう毎日の習慣のようになっています。新聞小説の連載に挿絵を定期的に入稿しなければならないそうで……」
「つまり……」
「フレデリック家の盗難が実際に起こっていた以上、ディアーナ嬢には片道三時間以上も掛かるフロミネルの街で、盗みを働くなんて無理なんですよう。いえ、盗むこと自体は可能なんですが……フレデリック家の庭の木に登って屋敷の様子を伺っていたという証言は成り立たないわけで」
 ディアーナはフレデリック家で、令嬢の部屋の明かりが十時に消えていると証言している。
「矛盾している?」
 そっと問いかけたディードにカラは頷いた。
「アルマンさんに確認をとって、ディアーナ嬢の証言は辻褄があっています。殺されたメリー嬢の部屋の明かりが消えた時刻の確認も、ご当主から証言が取れて裏付けされています」
「ちょっと待て」
 ディードは手の平をカラの方に突き出して話を止めた。そして、やや混乱気味の頭でカラの話を整理する。そう難しくはない。
 フレデリック家にディアーナがいたとされる時刻、三時間以上は確実に掛かる移動距離のこちら側にもう一人のディアーナがいたことになる。
「その女は家の人間に目撃されているんだな? それは家の人間がそいつを庇っての偽証ってことはないのか?」
「ディアーナ嬢がブルーバードだって事は、騎士団の一部の人しか知りません。ルシア様が令嬢に口止めさせているんですよう。多分、ルシア様は令嬢が犯人であると確信出来なかったからだと思います。そんな状態で話が一人歩きして、実際に令嬢の無実が証明されたら騎士団の汚点になりますもの」
「無実なのか?」
「……僕の考えでは完全に無実だとは思いません。ブルーバードの盗みの手口から見て、被害宅の情報を流した人はいます。それは令嬢に間違いない。……ただ、本物のブルーバードと令嬢との間に共犯関係という明確な契約があったかどうかは疑問ですよう。もしかしたら、利用されていたに過ぎないのかもしれません」
 ディアーナがブルーバードではありえない、その事実から、カラはそう推測した。


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