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 3,すれ違い


「本物……」
 そう呟くディードの傍らで、カラは頭を悩ませた。
 ディアーナがブルーバードとして捕まったのは、ルシアに会う為だ。その目的が果たされた以上、共犯者を庇うというのはルシアの心象を悪くするからと全てを白状しないだろうか? 庇っている理由は何だろう?
 ディアーナの行動理念は、ルシアを慕う一心によって動いていると言っても過言ではない。
 だけど、泥棒ブルーバードと称しての、ルシアとの接見は最悪の印象を与える可能性があった。
 幾ら、好きだからって嫌われてしまっては元も子もない。頭と身体の動きがちぐはぐだ……。これはどういうことだろう? そこまで考えが至らなかったのか?
 それとも、そんなことは些細な問題だったのだろうか、ディアーナにとっては。
 女の人の気持ちなんてわからないし……。
 カラは結局、そこに行き当たって途方に暮れた。誰かに憧れるというのは、カラ自身も騎士を目指す際、デニスを目標としていたので理解は出来る。
 強くて綺麗で、完璧な隊長だと思っていた。
 けれど、実物は無口、無表情で、仕事以外には無関心の朴念仁。部隊入隊の際には正直、ルシアの下に入ったほうが良いのではないかと迷ったくらいだ。
 今にして思えば、どうして素晴らしい人だって妄信出来たのか。
 ……令嬢も僕と同じだったのかな? 
 嫌われることなんてないと信じて、泥棒行為に加担した?
「……ディアーナ嬢がブルーバードであるなら、ディード様みたいな移動魔法が使えるという前提になるんですけど」
「それはないな。上級魔法使いが現在、確認されている二十名以外にいるなんて、あり得ない」
「そう……なんですか?」
 魔法使いという人種に詳しくないカラは、ディードの説明に耳を傾ける。
「魔法使いの魔力ってのは、魔法が使える者には目に見えるんだ――視覚に映るというより、何となく色として見えるような気がするってところだけどな、正確に言うと――互いにどれだけの魔力を持っているのか、肌で感じられる。だから上級魔法使いの魔力になれば、背中にデカい看板を背負っているようなものさ。目立つんだ」
 ディードはそう言って黒い詰襟の、上着の袖を引っ張った。するりと剥きだしにされた手首に飾られた腕輪に、カラは違和感を覚えた。
 感情も明確で飾らない、ディードの性格からは、こういった装飾品を彼が身に付けるのは不自然だった。
「それは?」
「これは俺の魔力を他人の目から隠すアイテムさ。上級魔法使いの魔力っていうのは、下級や中級魔法使いには桁違いのものだ。かなりの距離があっても感知してしまう。魔力を持ってなくても感覚の鋭い奴なら存在の違いをわかってしまう」
「……ああ、それはなんとなくわかります」
 カラは頷いた。
 どう見ても自分より年下にしか見えないディードに対し、時々、彼が怒っているわけでもないのに畏怖に似た感情を覚えてしまうのは、宮廷魔法師の中でもさらに桁外れだという魔力のせいだろう。


 ディードはチラリと唇の端で笑って、服の袖を戻した。
 この一見、おっとりとした少年がその実、剣士としてなかなかの才を持っているのをディードも一年前、王家主催の剣技大会で目にしている。
 赤色部隊の隊長シオン・クライスと共に十五歳、十六歳というまだ子供と認識される年齢で騎士団に入隊したのは伊達じゃない。最も、ディード自身も十六歳で宮廷魔法師になったわけだが、魔力は生まれついてのものなので、自分と比べてはカラが可哀相だろう。
「そういうことだから、そのディアーナって女にカラも会ったんだろう? それで何も感じなかったんなら、上級魔法使いとは違う。第一にそれだけの魔力を持っていたら宮廷魔法師になれるんだ。自然、ルシアと接触出来る機会があるのに、何で泥棒なんてやるんだよ」
「ああ、そうですよね」


 ……じゃあ、やっぱり令嬢はブルーバードではないということだ。
 ディードの説明に、カラは自らの考えが間違っていないことを再確認すれど、
「では……本物のブルーバードは」
「俺が知るかい」
 ディードが口元を歪め吐き捨てた。推理することも面倒だと思ってしまうディードに答えられるわけはない。
 カラはデニスに目を向けた。
 しかし、頼りにしたい隊長殿はまたあらぬ方向に視線を向けている。
 時々、こういうことがある。こんな時、カラはデニスにはもしかしたら本来は見えないとされるモノが見えているんじゃないかと思ってしまう。
 幽霊だとか呼ばれるモノは、見える者には見えるのだとディードに聞いたことがある。それは魔力のように素質を持っている人にだけ見えて、魔法が使えるから見えるというわけでもないらしい。
「……隊長?」
 そっとデニスの広い背中に声を掛けるカラの横で、ディードが「どうしたんだ、あいつ」と呟くのが耳に入った。
 てっきり、デニスのことを言っているのかと思っていると、デニスとディードの視線の先に慌てた様子の人影が飛び込んでくるのが見えた。
 黒い詰襟の上着と同色のズボンは宮廷魔法師だ。ディードは魔力を感じていたらしい。
「団長っ!」
 声を張り上げながら一千台近くの車両を納める広い車庫舎を横切って、こちらにやって来るのは、ロベルトだった。
「よう、どうしたよ。珍しく、血相変えて」
「どうしたじゃ、ありませんよっ!」
 三人の前までやって来て、ロベルトは気力が途切れたようで、膝を抱えるようにしゃがみこんだ。華奢な肩が息切れに合わせて上下している。
「大丈夫ですか、ロベルトさん」
 思わず声を掛けるカラに、ロベルトは頭の上で手を振って応えた。
「う、うん、ちょっと走り回っただけだから。大丈夫だよ、カラ君」
 息を整えつつ立ち上がって、ロベルトは柔らかに微笑む。
 中性的であること以外に、特筆すべき要素がないロベルトの平凡な顔立ちは、平凡であるが故に華やかさには欠けるけれど親しみを覚える微笑だ。
 相手を警戒させることなく、心の垣根を越えてくる。カラはつられるように、笑い返していた。
「ちょっと走り回っただけでそれかよ。お前、体力無さすぎだろ、そりゃ」
 呆れ顔のディードにロベルトは眉を顰めた。
「体力的なことを言ったら、団長も俺と変わらないと思いますけど」
「そんなことないだろう」
 ディードは憮然と返す。ロベルトの華奢な身体とそれなりに筋肉のついた自分とが同じであるはずない――エメラルドグリーンの瞳はそう語っている。
「じゃあ、王宮を一周走ってみてくださいよ。全力疾走で」
 ロベルトがアイスグリーンの瞳で、視線を返して微かに唇を尖らせた。
「いや、それは……心臓破れて死ぬだろ、んな無茶したら」
 カラは騎士としての体力づくりの為に王宮の内周を、時間を見つけては走るようにしている。早足の駆け足でも、一周するのに一時間近く掛かってしまうのだから、ロベルトの注文はかなりきついものだ。
「団長の気配を感じて正門の方へ走っていったら、入れ違いでこっちに来ているじゃないですか。また行き違いになったら困るから、走ってここまで来たんですよ、俺」
「……それはしんどいな」
 ディードが眉間に皺を寄せながら、呻くように言った。
 正門から車庫舎は騎士団本部や剣闘場、騎士団の仮宿舎に鍛錬場などの施設を回り込む形で本宮の横に設置されている。
 正門からこちらに来るとなれば本宮に戻ればよいのだが、正門から本宮までは走ってでも二十分ばかりの中庭と言うのだろうか? 不審者が正門を突破しても直ぐに本宮に辿り着けないように距離を置いているので、ロベルトの運動量はディードたちが考えていたよりもあった。最も侵入不可の結界があるので不審者が正門を突破出来やしないのだが。   
 ……なるほど、それならこの困憊振りも理解出来る。


「ま、その、何だ……」
 ディードはご機嫌を取るような声音で言った。
「悪かったな」
「別に、動いている団長の気配を辿った俺が馬鹿だっただけですよ」
 ロベルトは、ため息をこぼすように肩を竦めながら言った。
 広い王宮で魔法師同士は互いの魔力を感知出来るので、直ぐ側に居るような感覚で動いてしまう。
 王城の敷地内には色々な施設が入り組んでいるので、隣に気配を感じても実際にそこまで辿り着こうとすると、果てなく遠い。
 そういう場合は、ほぼ決まっている一日のスケジュールを確認し、居場所が確定しているならそちらに直接向かったほうがいい。
 今日のディードは、何かあった時の待機要員で、カラの要請を受けて出掛けていった。魔法で帰ってくるのなら、王宮地下の魔法陣の間で待っていれば良かった。移動魔法はかなり精神力を消費するので、負担を軽減するには魔法道を使うのが常識だ。
 だが、いつまでも帰ってこない。痺れを切らし始めたところへディードの気配を正門近くに感じて、ロベルトは反射的に飛び出していた。カラ達と一緒に帰ってきたということは車庫舎に向かうのはわかりきったことだったのに。
 ロベルトは思考回路が回りきっていない自分に気付く。
 今日の午後に飛び込んできたニュースに、かなり動転しているらしい、と。そこまで自分の内情を推測して、ロベルトはハタリと気付く。
「ああっ! こんなことしている場合じゃありませんよっ!」


 唐突に声を荒げるロベルトに、ディードは上体を後ろに仰け反らせた。
「何だよ、いきなり」
「何だじゃないんですって。大変なんですよ」
 慌てふためくロベルトのその姿が、ディードの目には少し前のカラの姿と重なる。
 ディードが横目にカラを見やれば、ロベルトの様子に逆に冷静さを取り戻したらしい。落ち着いた視線でディードを見返ると微かに頷いた。
「ディード様は、ロベルトさんと行ってください。僕は隊長と、今日わかったことをルシア様に報告してきますよう」
「ああ……そう」
 だな、と頷きかけるが、ロベルトの声が遮った。
「ルシアさんもジズリーズ様のお部屋で、団長をお待ちです。ああ、カラ君とデニスさんなら口が堅いから大丈夫だな、一緒に行きましょう」
 ロベルトは戸惑うディードとカラの手を取った。
「口が堅いって……また、ジズの奴、女装して何かやったのか?」
 顔を顰めたディードを、きょとんとした顔でロベルトが振り返った。
「女装って?」
 不思議そうなその顔に、ディードは自分の失言を知った。
「いや、……それは聞かなかったことにしとけ。うん、聞いたら情けなくなるから」
「もう、何のことだか予測出来ちゃいましたですよう」
 カラが申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「……ジズリーズ様が教育局長の汚職を暴くために新聞記者に接触した際、女装されたんですね?」
 ジズリーズやジルビアが、その女顔をお忍びの際に有効活用するのは、もう誰もが知っている。
 ディードが今さらに情けなく思うのは、調査機関や騎士団、魔法師団といった手足として動かせる存在を有しながら、王弟自らが女装して汚職の実体を調べ回ったことだろう。
 それは調査機関などに対する信頼の無さの表れで、臣下としては情けない自分たちを自覚する。
 最も、そう考え自己嫌悪に陥るのは真面目なカラであって、ディードとしては王族が女装なんて恥ずかしい真似をしたことを情けなく思っているだけだ。
「それで?」
 ディードは場を誤魔化すようにロベルトに目を向けた。
「ルシアたちもご登場して、何を大騒ぎしてるんだ」
「俺の口から説明するより、ジズリーズ様から聞いてください。事情が入り組んでいて、単純に結論を出してよいものか……」
「何だか、面倒そうだな」
 ディードは一息吐いた。理論的に考えるのが苦手な彼としては結論だけ欲しいところだった。
「僕たちもご一緒してよいんですか?」
 確認するカラにロベルトは頷いた。
「二人はブルーバードっていう泥棒の捜査に係わっていたよね。だったら、部外者というわけじゃないから」
「……そっち関係の話なのか?」
 だったら、自分が出張らなくてもルシアたち騎士団に任せておけば、と言いたげなディードの表情を見透かすようにロベルトは首を振った。
「だから、入り組んでいるんですってば。問題が。泥棒事件と汚職事件、それに国家レベルの」
 ロベルトの真顔に、ディードはただならぬものを感じて唇を結んだ。


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