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 4,もつれた糸


 宮廷魔法師団副団長のフォルテ・リッチは、若くして――現在、三十三歳であるが、二十代のときに――黒髪を全て白髪に変えてしまった苦労人だ。
 王族兄弟の無茶な行動に振り回され、心労から一夜にして髪を白く塗り替えられてしまった。不幸な人間である。
 ジズリーズの部屋で白髪頭の彼の姿を見つけたとき、ディードはそのうちフォルテが心臓麻痺でも起こして死ぬんじゃないだろうか、と思った。
 そんな心配を喚起させるフォルテは、今にも泣き出しそうに歪んだ顔で、ディードに擦り寄ってきた。
「団長ぉ〜」
 間延びした口調は場を占める緊張感など無視するようだが、普通に喋るフォルテなんてディードは知らない。
 どんな時も柔らかな声音で、ゆったりと喋るのがフォルテという青年だった。
「何だか大変なことになっていますよぉ」
「……みたいだな」
 フォルテの大げさな反応はともかくとして、深刻な顔つきの王弟と騎士二人を目撃して、ディードは無意識に眉間の皺を深くした。
「何があった?」
 執務机に陣取った王弟ジズリーズの前に突き進んで、問い質す。
「どこから、お話しますか?」
 ジズリーズが薄茶色の前髪の間から、ディードと同じエメラルドグリーンの瞳で、見上げてきた。
 この透明な緑の色は王家によく現れる色で、ディードは嫌でも自分の中に王家の血が流れていることを、鏡を見るたび思い知る。
「結論から先に言え」
 ディードは考えることを放棄して、答えを求めた。
 ジズリーズが一つ頷いて、結論だけを告げた。
「一部貴族の間で、王家と七家に対する謀反の計画を察知しました。その計画の盟主に、ディード兄上の名が掲げられる模様です」
 抑揚のない声が、事実を吐き出し終わると室内はシンと静まり返る。
 幾つもの視線が、こちらを伺うようにディードへと向けられる。
 それは戸惑うように。労わるように。困ったように。
 しかし一つとして、ディードを疑うものはなかった。
 何対もの瞳に見守られる中で、ディードはジズリーズの言を耳にして、
「――――は?」
 いきなり突きつけられた答えに、マヌケな反応を返していた。
 ……だって、おかしいだろ?
 ブルーバード事件に関係していると、ロベルトが言った。
 入り組んでいると言っていたが、泥棒事件と汚職事件――今度は新たに、王家への謀反事件?
 何がどう繋がって――まして、そこに自分の名前が出てくることがわからない。
「何でっ、そんなことになってんだよっ!」
 反射的に叫んだディードの隣で、フォルテが「本当にどうしてぇ、こんなことになっているのですかぁ」と泣きそうな顔で、ジズリーズに問い質した。


                  * * *


「……つまり、何か?」
 その声は、怒りを通り越して呆れていた。
 ジズリーズ、ルシア、カズと――三人の口を介して語られた、ブルーバード事件の裏で密かに展開していた謀反計画の顛末に、ディードとしては呆然とするしかない。
「俺がいつ、王位が欲しいって言ったよっ?」
 宮廷魔法師団団長の役職も返上して、穏やかな隠居生活を望んで止まないディードである。
 一日でも早く、王宮から解放されることを切に望んでいる――勿論、その願いを叶えるために王族兄弟をどうこうしようとは考えていない――ディードにとって、王位なんて一番必要ないものだ。
 父親が犯した謀反事件で王族から排斥され、王位継承権を失ったディードは、自分が玉座に座っている姿なんて想像することすらしない。事件が起こる前からも、そんな想像は一度たりともしたことはない。
 玉座には、先代国王ゼノビアが座り続けて、王位は息子のジルビアが継ぐのだと。何一つとして疑っていなかった。
 ゼノビアが急逝することや、自分の父親がゼノビアから王位を奪おうとすることも全く想像していなかったが。
「ディード兄上の現状をご承知ではない御仁方の、思考先行型の計画です」
 ジズリーズが、侮蔑交じりの口調で吐き捨てた。
 いつも穏やかな雰囲気を纏っているこのイトコが静かに怒っていることを、ディードはその声を聞いて知る。
 実際に、謀反計画が実行されていたとしても――ルシアとカズによって、武力として集められていた者たちは既に捕らえられている――宮廷魔法師の能力を持ってすれば、一瞬にして鎮圧される。
 ディードの父親が犯した謀反事件は、当時、宮廷魔法師団団長であったディードの母親によって、鎮圧された。
 この際、宮廷魔法師の一人が謀反に加担したため、宮廷騎士たちにもかなりの数の犠牲が出た。
 だけど、今回は恐らく、謀反に加担する者などいない。
 ディードの存在に反感を持つ者はいるだろう。しかし、彼らの反感は、王家に忠義なあまり、謀反を犯した父親への恨みをディードに背負わせている。
 そんな彼らが、ディードと敵対するために王家に牙を剥くわけがなく。
「…………本当に、何も知らないんですね」
 カラが黒い瞳を丸くして、言った。
 王宮の実情を知っていれば、謀反計画なんてそもそも成り立たない。そんなことは誰の目にも明らかであるように、カラにも見えるらしい。
「だから、不満なのかもしれません。貴族という地位にありながら、執政に関与出来ないこと」
 ルシアが端的に告げる。
 王家と七家による王国統治。
 端から、執政に関与出来ない中級、下級貴族や一般階級の庶民には、特に不満は聞こえない。七百年の王国の歴史で、争うことなく穏やかな国づくりをしてきた王家と七家を、彼らは信頼していた。
 そんな国民の信頼に応えることを、ジルビアも自覚していた。
 臣下を振り回しながらも、王国統治を王として遂行するから、犬猿の仲と目されるディードもジルビアの下で働いているのだ。


 カラは、目の前に上げられた事実の数々に目を見張った。
 そのような、こちらの事情も察することが出来ない立場の者たちが、謀反事件の計画にディードを盟主と掲げること自体、間違っている。
 しかし、この謀反事件が成功するか否か関わらず、公になればディードが失脚するのは目に見えていた。
 政務に携わる老人たちは、これを機にディードを排除しようとするだろう。
 王宮から追い出されるのならまだ良い――本当は良くないけれど。
 しかし、今後のことを考えて最悪処刑という――先の謀反事件ではそう結論が下され、最後の最後でゼノビア陛下によって否決された――展開になる。
 ジズリーズが危惧し、ロベルトが国家問題だと言ったのは、そこか。
 王弟がイトコであるディードに固執するのは血の繋がりもあるだろう。
 それと同時に、優秀な宮廷魔法師を失うのは国家の損失にも繋がる。
 フォレスト王国は上級魔法使いを十数名擁することで、諸外国に絶対的な力を持っている。
 それにより、不可侵条約を結ばせて、どこの国とも争うことなく七百年続いてきた。
 ディードを失えば、彼を慕う宮廷魔法師たちは、王家に敵対することはなくとも、この国の為に働く意欲を失くすかもしれない。
 老人たちは、そこまで王宮に浸透しているディードの存在に気づいているのだろうか?
 カラは、まだ一年と少しだけしか、王宮でのことを知らない。
 だけど、ディードが王族兄弟から愛され、宮廷魔法師たちから慕われ、宮廷騎士たちにも信頼されていることは、よく知っている。
 だからこそ、王弟はディードを守るために。
 ブルーバード事件に首を突っ込んだのか。
 ただの泥棒事件だったのなら、騎士団に任せておいたであろう。しかし、その裏に潜められた計画を知って……。
 ――あれ?
 何かが頭の隅に引っ掛かる。
 そもそも、事の発端は何だ?
 泥棒事件が先行なのか? いや、ジズリーズは横領事件を調べたその結果から、ブルバード事件が微妙に謀反計画と繋がっていることを察した。
 ……ただの泥棒事件?
 本当に、そうなのだろうか?
 カラは複雑にもつれあった糸を解く必要性を実感して、口を開いた。
「あっ、あのっ!」
「どうしました、カラ殿」
 ジズリーズがエメラルドグリーンの瞳を差し向けてきた。
 透明な緑は全てを見透かしているかのように、静かだった。
「ブルーバードのことなんですけど」
 カラは一同を上目遣いに見回して、遠慮がちに告げた。
「ああ……そう言えば、ディアーナっていう女は泥棒じゃないって言ってたな」
 ディードが振り返って、小首を傾げた。
「ええ」
「令嬢が犯人じゃないと証明出来る証拠が上がったのか?」
 カズが身を乗り出してきた。
「物的証拠はないのですけれど……」
 証言の不一致という、それだけの証拠でしかない。カラが不安げに声をしぼませると、ルシアが助け舟を出してくれた。
「状況証拠だけでも構わない。令嬢がブルーバードでないと証明出来れば」
「……何だ? その口ぶりだと、初めから違うとわかっていたみたいだな」
 ディードの声を耳にしながら、ルシアたちは令嬢が犯人だと確証は持っていない――そうカラは推測する。
 しかし、ルシアやカズの口ぶりから察するに、二人は端から令嬢を疑ってはいなかったようだ。ただ、無罪放免にする証拠がなかったから、保留していたというところか。
 カラは、ルシアの視線を受けて、フレデリック家の事件から、ディアーナのアリバイを証明した。
「でも、それだけじゃ、フレデリック家の事件に関して違うと言われたら、お終いじゃないですか? ルシアさんたちの話を聞いていると、かなり思い込みの強そうな女性ですよね」
 ロベルトが眉を顰めて、言った。普段、女性問題に悩まされている――好意を寄せられては、何故か思いが通じ合わずに破局するという――そんなことを繰り返しては、恋愛至上主義のセイラから、目の敵にされている乙女の敵。そんなロベルトにしてみれば、ディアーナという女性も理解を超えるのだろう。
 ルシアの尋問に、ディアーナは自分がブルーバードだという証言を貫き通した。
 想い人であるルシアと対立しても、自分がブルーバードだと信じている。
 刷り込まれた暗示は、かなり強烈だと思わされる。これを撤回させるのは無理なのでは? と。ロベルトが首を傾げれば、ルシアが「いや」と短く否定する。
「一つでも矛盾が出れば、令嬢の信じているものは瓦解するだろう――そこから、思い込みを解いていく」
「多少時間が掛かるかもしれないが……それしかないってか。だけどさ、令嬢が自分の思い込みを撤回しない限り、結局のところ本物のブルーバードには辿り着けないんじゃないか?」
 今はそんなことを問題にしている場合じゃないだろうと、ディードがジズリーズを振り返れば、王弟は微笑みながら言った。
 まるで、ずっと前から用意していたセリフのように、すべり出てくる言葉に一同は目を剥いた。
「では、ディード兄上。本物のブルーバードに登場していただき、今回の事件を解決してもらいましょう」


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