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 5,籠の鳥


 小説の下書きのメモを覗き込んで、ギバリーはタイプライターで文字を紙に打ち出す。
 綴られていくこの物語の真実に、どれだけの人間が気づくだろう。
 ――青い鳥はただ一人のために鳴く。
 願うのは、ただ一人の幸せだ。
 数々の仕掛けに費やした労力も、手に染めた犯罪も。
 ただ一人のために――。
 だからこそ、最後の仕上げは……。
 ――青い鳥を捧げること。
 指が紡ぎだす旋律は文字となって、物語を書き出していく。
「ギバリーっ!」
 不意に名前を呼ばれて、ギバリーは皺だらけのジャケットに包んだ人並み以上に広い肩を、ビクッと震わせた。
 顔を上げて、肩越しに振り返れば、小太りの編集長が廊下から顔を見せるところだった。
「何ですか、編集長?」
 椅子から腰を上げながら、ギバリーは編集長に問い返す。原稿で何か問題でもあったのだろうか? 今現在では、予定の原稿は全て仕上げて提出している。
 ……ただ、懸念すべき問題はなきにしもあらず。ディアーナから挿絵がちゃんと上がってくるかどうか。
 眉間に皺を寄せるギバリーの耳に、編集長の声が割り込む。
「お客さんだよ、リーズさんだ」
「えっ?」
 背もたれに置いた手に力がこもって、椅子が傾ぐ。ギバリーの身体は椅子とともに傾いて、床に転んだ。
「――うわっ!」
 床に這いつくばったギバリーの視界に、近づいてくる靴の爪先が映った。
 ギバリーはそろりと、視線を上へと動かす。
 踝まであるロングのワンピースは淡い青色。その胸元は大きなリボンが飾られていた。シャツの上に羽織っているのは丈の短い上着。その肩に流れるのは、細く長い金の髪。
 彼女は頬に掛かる金糸の一房を耳に掛けながら、ギバリーを覗き込み、頬を緩めた。
 ピンク色のバラを思わせる唇からこぼれるのは、柔らかな声音。
「大丈夫ですか、ギバリーさん」
「…………り、リーズさん」
 確かめるように呼びかければ、彼女はエメラルドグリーンの瞳を細めた。長い睫の下で穏やかそうな瞳が煌めく。
「はい」
「ど、どうなさったんですか? あ、あの」
 ギバリーは床を叩いた反動で、慌てて立ち上がった。背筋を伸ばし、リーズとの身長差に背中を丸めた。彼女の前だと、見下ろすという行為が凄く不遜な気がしてしまう。
 ギバリーは視線を左右へと揺らした。不意打ちの動揺から立ち直れず、何から話せばよいのかわからなかった。
 いや、彼女が再び自分の前に現れるであろう事は、予測していた。
 全ての謎を明かすのは、彼女だろう。そう、どこかで予感していたのだ。
 それが、今このタイミングだったというだけ。
 まるで、ギバリーの思考を読み取ったように、リーズは口を開く。声に導かれて彼女を見れば、
「ギバリーさんにお話があって参りました。よろしければ、私の話を聞いてくださいませんか?」


                  * * *


 階段を上っていく心境は、絞首台へと向かうような緊張感を孕んでいた。
 指先が震え、血の気を失い凍えるのをギバリーは自覚した。
 先を行くリーズの背中が、屋上へと続くドアを開けて、光の中に消える。
 ギバリーは開いたドアの手前で一旦、足を止めた。そして、彼は己の行いを振り返ってみる。
 今の段階では、全てギバリーの計画通りに運んでいた。
 ブルーバードという泥棒事件の裏で、密かに進行していた謀反計画。
 そこへ、騎士団が爪をかけたのをギバリーは、他の記者たちより早く情報として掴んでいた。
 謀反計画は、表沙汰になることなく処理されるだろう。
 スクープになるものだが、それを公表する気はギバリーにはない。
 それで得られるものは、ギバリーが欲しかったものではないのだ。
 果たして、こちらの思惑をどれだけ察してくれるだろう?
 この身の全てを贄にして、求めるものを。
 与えてくれるだろうか?
 目を伏せると、脳裏に浮かび上がるのは、エメラルドグリーンの瞳。
 いつの間にか。全ての謎を明らかにするのは、リーズ以外に有り得ないと思っていた。
 その予測どおりに、リーズは再び、ギバリーの前に現れた。
 いよいよ、大詰めだった。次の一手で、全てが決着する。
 白日の下に曝される真実は、ギバリーの首を絞めるのか? それとも……。
 覚悟を決めて一歩を踏み出せば、屋上でリーズがこちらを振り返るのと同時だった。
 申し合わせたように開いた唇から、声がこぼれる。

「ギバリーさん。貴方が、ブルーバードですね?」
「リーズさん、いえ……ジズリーズ殿下ですね?」

 突きつけた互いの問いに、リーズは微笑み、ギバリーは一瞬言葉に詰まった。
 この瞬間、ギバリーは相手が一枚上手であったことを認識した。
 相手が自らの正体を指摘してくることを覚悟していたはずなのに、どこかでまだ自分の優位性を信じていたらしい。
 上手く立ち回れば、自分の正体を隠して取引が出来るのではないかと。そんな甘い計算をしていた。
 鳥籠に閉じ込められること、足に鎖を繋がれること。それを回避して、またあの場所へと帰れるのではないかと。夢を見た。
 もう二度と、戻らないと決めたはずだったのに。
「いつから……俺がブルーバードだと?」
 問いかけた声は乾いていた。喉がざらつき、舌が回らずに張り付きそうだ。
「初めから――貴方をブルーバードと疑っていたと言いましたら、貴方は私の言葉を信じますか?」
 薄く唇で笑って、リーズは……もとい、ジズリーズは頬を傾げた。
 その仕草一つをとっても、目の前の女性が王弟だとは信じられなかった。
 国王も王弟も、大衆の前に現れても、顔の判別がわかる位置には降りることはなかった。
 それはこのように、市井で動き回る際、正体がばれないようにとの細心の注意を払っていてのことだろう。
 ギバリーは上流階級貴族の社交界にもぐりこんで、ようやくジズリーズの素顔を遠くから拝むことに成功していた。しかし、そこで見た王弟は、薄茶色の短髪の青年だった。顔立ちは女性的であったが、スーツを着こなした立ち姿は、正真正銘の男性。
 かの王弟と長い金髪の女性が、同一人物だと証明するものがあるならば、そのエメラルドグリーンの瞳か。
 ジズリーズはギバリーからの解答を待つように、透明な緑色の瞳を瞬かせた。
「知っていたら、何故? 俺を捕まえなかったんです?」
「貴方の真意が見えませんでしたから」
 逆に問い返したギバリーに、ジズリーズがあっさりと言ってきた。
「――俺の真意?」
 こちらを見つめる視線に、ギバリーは腹の底が冷えた。
 全てが、見透かされている。そんな気がした。上辺だけではなく、ギバリー自身が自分自身にも目隠しをした、心の本音すらも見抜ているかのように。
「……今は、見えるというのですか? 俺の真意が」
「ブルーバードが鳴くのは、ただ一人の幸福を願うときだ――そう貴方は、『ブルーバードの冒険』の中で、ブルーバードに語らせていますね」
 ジズリーズはゆっくりと歩き出した。四階建てのクーペ新聞社の解放された屋上からは穏やかな町の風景が見える。
 王弟の肩越しに見えるのは、整然と整えられた町並み。
 ジズリーズは横目に町並みを眺め、風に金の髪をそよがせた。その髪に手を掛けると、スルリと金髪のカツラを取り払った。下から現れたのは薄茶色の短い髪。
 カツラを足元に落すと、ジズリーズは丈の短い上着を脱いで、胸元で揺れるリボンを解く。
 目を見張るギバリーの前で、白い指がロングワンピースの前ボタンを全て外せば、靴の爪先に淡い青色の服が落ちた。
 女性物の衣装の下から出てきたのは、白いシャツに茶色のズボンという、シンプルな装いの華奢な青年。
 さっきまで女性だった姿は完全に消えていた。装いが変わったに過ぎないのに、存在感まで違って見えた。
 顔立ちは女性的なのに、立ち姿は男性だった。
 幾らエメラルドグリーンの瞳という共通点があっても、リーズとジズリーズが同一人物であったなんて、信じられない。
「失礼しましたね」
 声も若干、男っぽさが現れた気がした。それを裏付けるように、ジズリーズが笑って告げる。
「長いお話に、作り声は辛いですからね。かといって、あの装いでいつもの声ですと変ですから」
 喋り方自体は変わらない。声を吐き出すタイミングも、間の取り方も。リーズのままだ。若干、ジズリーズの声の方が低いだけ。下々の、ギバリーのような人間相手にも丁寧な物言いをするのは、元々、そういう口調なのだろう。
「…………本当に、ジズリーズ殿下なのですね?」
 確認するように問いかければ、王弟はおどけたように目を丸くした。
「違う人間であったのなら、良かったのですか?」
「…………」
「貴方に必要なのは、この国のトップに君臨する者たちの中で、貴方の能力を高く評価してくれる人物ですよね?」
「……ええ、そうです」
 覚悟を決めてジズリーズを見据えれば、王弟は真摯な眼差しでギバリーに視線を返してきた。
 柔らかな印象は影をひそめ、凛然とした空気が青年を取り巻く。真っ直ぐに伸びた背筋から吐き出された、揺るぎのない声が告げる。
「では、国王名代として、私が取引に応じましょう。ブルーバード、貴方が集めた謀反計画の証拠を全て私に預けてください」
 ジズリーズのその言葉に、ギバリーはゴクンと喉を鳴らし、問い返した。微かに声が震えているのを自覚する。
「……その報酬は?」
「――フォレスト王国はバーネル国と国交を結び、新国王ベアトリスの統治を支持しましょう」
 そう返してきたジズリーズに、ギバリーは両手を上げて笑った。
 完敗だった。取り繕うことすら、もう無駄なくらいに。ジズリーズは真実を見抜いていた。自由に飛び回っているつもりだったが、リーズに出会ったときから、ブルーバードは籠の中に捕らわれていた。その籠があまりにも大きくて、気づかなかったが。
 一番欲しかったものを提示してきたジズリーズを前に、ギバリーは白い歯を見せた。
 負けだ。観念するしかない。
「降参です、ジズリーズ殿下」


                  * * *


 何が、この計画の始まりだったかなんて、わからない。
 新聞社に身を寄せたときからか、『怪盗ブルーバードの冒険』を連載小説として書くことになったときからか。
 ギバリーが新聞社に身を寄せたのは、故郷の情報が手に入れやすいと思ったから。
 実際のところ鎖国状態にあったバーネル国は、新王即位後、積極的に外交に乗り出したとはいえ、その国の名がギバリーの元へ聞こえてくることはなかった。
 クーペ新聞社がゴシップ専門だったことも、ギバリーには誤算だった。
 だから、一人で情報を集めることにした。ゴシップを書くのは嫌だとゴネながら、新聞社に止まり続けたのは記者の肩書きが、いざと言うときに役に立つと考えてのことだ。
 バーネル国の情報を集めながら、ギバリーは今の自分に出来ることは何だろうと考えた。
 新国王となった彼女の行く末を案じた。出来ることなら、傍にいて彼女の治世を守ってやりたかった。
 しかし、ギバリーは犯罪に手を染めてしまったために、傍にいることが出来なかった。
『怪盗ブルーバードの冒険』の半分は、ギバリーの自伝だ。
 勿論、物語を書くにあたって大部分は脚色した。
 バーネル国の女王ベアトリスを幼馴染みのアステルと、警察隊長マリアという二人の登場人物に分割した。アステルとブルーバードがスラム街で育ったというのも、小説での設定だ。
 現実でのベアトリスは、正当な王位継承者だった。しかし、国を牛耳ろうとする貴族の姦計で偽者に仕立てられそうになった。
 それを阻止するべく、彼女の幼馴染みであったギバリーは「怪盗ブルーバード」になった。
 泥棒の真似事をして、貴族たちの計画を阻止し、彼らを破滅へと導いた。
 無事にベアトリスが王位に就いたとき、ギバリーは犯罪に手を染めた自分が彼女の傍にいれば、今度はギバリー自身が彼女の弱みになりかねないと思った。
 女王の即位に懸念を示す者は少なくはなかった。彼女の敵となりうるものを徹底的に排除したかったが、雑魚にまでは手が回らなかった。
 不安は残ったが、後のことは彼女を支援する貴族たちに任せて、ギバリーは国を出た。
 そうして、フォレスト王国に身を寄せて、記者として働いているときに、きな臭い情報を拾う。
 ――それが謀反計画だった。


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