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 6,新たな冒険


「どうして、そいつがブルーバードだって、わかったんだ?」
 エメラルドグリーンの瞳を瞬かせて、ディードは首を傾げた。
 彼が見つめる先には、茶色の髪に茶色の瞳の青年がいた。
 場所は、王宮の一角にある宮廷騎士団本部の黒色部隊隊長室である。
 ルシアの執務机に向かい合う形で置かれた椅子の上で、少し皺の入った茶色のジャケットに黒いズボンという装いの彼は、長身の体躯を申し訳なさそうに縮めている。
 そんな彼を見る限り、この青年ギバリー・ブレイズが王都を騒がせていた怪盗ブルーバードとは、にわかに信じがたい――ディードがそう思うのも、頷けた。
 ルシアも同感だった。
 隊長室の応接セットのソファに腰を下ろしたディードが、答えを求めるように視線を移し、同じくソファに腰を落ち着かせているジズリーズを見やった。
 横目に見やった先、王弟ジズリーズは涼しげに紅茶を啜っている。そっと受け皿にカップを戻して、顔を上げると穏やかに微笑んで言った。
「ディアーナ嬢がブルーバードで有り得ないのでしたら、令嬢をブルーバードと思い込ませた人間がいるわけです。ならば、彼女の近隣にいる人物が怪しいでしょう」
「ですが、殿下は――令嬢の問題以前に、彼のことを疑っていたように思えるのですが」
 ルシアが告げれば、執務机の脇に両腕を組んで陣取っていたカズが口を開いた。
「ああ、そういえば、彼って口を滑らせていましたね」
 その言葉に、最初の捜査会議と言ってもいい場面を思い出す。あの時点で、ジズリーズはディアーナではなく、ギバリーをブルーバードと既に見なしていたわけだ。
 それでいてルシアたちにはディアーナに目を向けさせていたのだから、人が悪い。
 ジズリーズを横目に見やるカズの表情は微妙に歪んでいた。
 彼としては、不平を表情に出したかったのだろうが、顔面麻痺が残る顔でその表情は下手したら泣き出しそうにも見える。
「ええ、そうですね。私はディアーナ嬢ではなく、ギバリー殿をブルーバードと疑ってはいました」
 あっさりと白状する王弟は、非難の視線が集まるのを前に言い訳した。
「しかし、ブルーバードがただ単に、謀反計画をこちらに知らしめるためだけに盗みを働いているのでしたら、ディアーナ嬢がブルーバードである可能性も捨てられませんでしたから」
 だから、ディアーナがブルーバードではない、という証拠を欲した。
 ジズリーズは、そう言いたいのだろうが。
 ルシアとしては、それを鵜呑みに出来なかった。
「でも、殿下は教育局長の横領事件で、彼の助力を得ていますよね?」
 そのときには、ブルーバード事件は既に何件か起こっていた。
 この時点で、ジズリーズはディアーナとブルーバードとの関係に目星をつけて、ギバリーの元に足を向けている。そうルシアは考え、王弟に向かって指摘した。
「この時点で、殿下が彼をブルーバードと見抜けなかったとは思えませんが?」
「――はい」
 薄く唇に浮かべた微笑で、ジズリーズは頷く。
 見抜いていたことを、告白した王弟にカズが迫る。
「令嬢が無罪であることを証明する証拠集めに、俺たちを利用したってわけですか?」
「利用したとは人聞きが悪い。その時点では、ギバリー殿の真意が見えませんでしたので、ルシア隊長にも多くを語れなかっただけです」
 笑みを崩さぬまま、ジズリーズは言った。
 ――どこまで、本当だ? 
 王弟に集まる視線は、猜疑の色を浮かべていた。
「じゃあ、その真意とやらに気がついたのは?」
 肩を竦めて、ディードが問う。
 色々なことが一度に起こって、ディードとしてはジズリーズの行いに怒る気力もないらしい。
 本来なら、ルシアたちを利用していたと知った時点で、彼の額に青筋が浮かんでいてもおかしくはない。
 利用するということは、ある程度の答えを見越してのことである。ジズリーズは語れなかったというが、語る気がなかっただけのことだろう。他人を手の平の上で遊ばせているその行為を、ディードは好まない。いつも、国王相手に遊ばれている彼は、人をからかう行為を良しとしない。
 普段だったら、こめかみに青筋を立てて怒っては、叫びまくっているところだろう。
 しかし、今回の事件が自分に関わっていることから、怒るに怒れないのか。
 ジズリーズはそんなディードを目の端に留めて、微笑む。
「それはやはり、ルシア隊長がディアーナ嬢を保護し、令嬢からブルーバードの盗みの全容を知らされてからです。世間に知れ渡っていた事件だけでは、謀反に加担する者の関係者たちが被害者だとは、私でも断定出来ませんでしたからね」
 そこまで告げて、ジズリーズはギバリーへと視線を移動させる。
「――ああ、そのことでギバリー殿にお聞きしたいのですが。フレデリック家は、謀反とは無関係でしたね。あれは、ディアーナ嬢の無罪を証明するためのものですか?」
「……はあ、その通りです」
 何もかもお見通しの王弟に、呆れたようにギバリーは頷いた。
「ディアーナ嬢がご自分をブルーバードだと思い込んだのは、暗示によるものだと私たちは推測していますが、これは?」
「はい。一種の催眠術です。ディアーナさんには、ブルーバードが実際に犯行を行った際の行動を事細かに記したものを読んでもらったんです」
「そんなもの、読ませて不審がられなかったのか?」
「……小説の原稿に織り込んだんです」
「令嬢は小説のファンですから、それは大変熱心に読まれたでしょうね」
 ジズリーズが苦笑しながら、事実確認を行っていく。
「暗示は最初に? それとも、騎士団が動き出してからでしょうか?」
「ディアーナさんに……協力してもらうことを考えたときに、暗示を仕掛けました。鍵となる言葉をきっかけに、ブルーバードの犯行を自分がしたように口にするように、と」
「鍵は?」
「盗みに入った貴族の家名で、それに関して問われた場合において、暗示が発動します。それ以外には、ディアーナさんは何も反応しません。本物の原稿との相違も、編集によって削除されたと認識するようにしています」
「手が込んでいるように思えますが……実際は喋るように暗示を掛けただけですね?」
「……人を自在に動かすほど、催眠術に長けてはいませんから」
「そうですね、それが出来るなら何も令嬢を巻き込む必要はなかったでしょう」
「……はい。他の人間を使うことも考えました――謀反計画に関わっている人物とか。でも、暗示に対する記憶に残るんです。自分に不利になることに積極的に行動させるには、前段階で抵抗があります。そういう人間のほうが実際のところ、暗示……催眠術に掛かりやすい。でも、自分がしていることに対する意識が明確だから、記憶に残りやすい」
「それを誤魔化す必然性が付きまとう。暗示が二重三重に必要になってくるというわけですね?」
「……だから、それほどまでに、術に精通しているわけじゃないんです。俺は」
 ギバリーは、自分が使うのは催眠療法で、医療の行為の一環として得たものだと告白する。
「お前、医者なのか?」
 ディードが少し驚いたように問い質せば、ギバリーは「父が」と答えた。
 そう言えばと、ジズリーズが声を挟む。
「『怪盗ブルーバードの冒険』の第一話で、ブルーバードは王家に仕えていた医師に着せられた汚名を晴らしていますね」
 ジズリーズの指摘に、ギバリーが目を剥いた。
「読んで――いないわけ……ないですよね。……何か、殿下に読まれていたと知ると恥ずかしい……気がします……よ」
 照れたように頬を赤くして、ギバリーは口ごもった。微笑みながら、ジズリーズは言った。
「あれは貴方の半自伝ですね。その実、かなり赤裸々な愛の告白でもありますね」
「愛の告白?」
 嫌そうに、ディードが片目を眇める。
 恋愛至上主義を謳うセイラ姫とは意見の相違があるディードは、恋愛関係の問題を端から理解する気がないらしい。
「ディード兄上は、『怪盗ブルーバードの冒険』を読まれましたか? あれはギバリーさんがある特定の人物に向けての恋文と言っても、過言ではありませんよ」
 ジズリーズの発言に、ギバリーはますます顔を赤くして、慌てたように言った。
「そ、その話はっ」
「そうですね、この話はセイラから後ほどゆっくりと聞いてください」
 頬を傾けてジズリーズが告げれば、ディードの反応はハッキリしていた。
「遠慮する」
 顎をそらしてそっぽを向くディードに、ジズリーズは「おやおや」と言いたげな表情を覗かせると、本題へと話を戻す。
「あの小説にあるように、実際、ギバリー殿のお父上は汚名を着せられた」
「そうです。……出産記録の書類を改ざんされ、現女王が偽者に仕立てられそうになったのが……事の発端で。――俺がブルーバードになった最初の事件でした」
 その事件が起こるまで、ギバリーは父親の後を継いで、医者になろうとしていたことを告白する。
 催眠術は、患者の精神的負担を取り除くためのものとして、ギバリーの父親は医療行為に取り入れていたらしい。それをギバリーも学んでいたという。
「令嬢には暗示に対する抵抗はなかったのですか?」
「ディアーナさんは、全てを小説だと思っていましたし、それで自分が捕まることより……その」
 ギバリーの目がそわそわと動き、ルシアを捉えた。こちらへと向けられる表現しがたい視線を前に、ルシアは首を傾げる。
「ルシア隊長にお会い出来るかもしれないという可能性のほうに意識が行っていたようです。それで……盗みの犯行に関する証言を喋るように暗示していたのですが……自分がブルーバードだと思い込んでしまったようで」
 事件の関連性を問う前に、ディアーナが己をブルーバードであると告白したのは、暗示が効きすぎた結果だったようだ。
 その事実にどう反応して良いのか、ルシアは迷い無意識に頭を抱える。
「何で、わざわざ令嬢を犯人に仕立て上げたんだ?」
 カズがギバリーに目を向ければ、睨まれたと思ったらしい彼は俯くように顎を引いた。その姿を見つめて、ルシアは本当にこの青年がブルーバード本人であるのか? と疑問に思う。
 小説でのブルーバードが、ギバリーの半自伝的小説だと聞かされれば、なおのこと。大胆に盗みを働き、貴族たちの悪行を暴いていった小説のブルーバードと比べれば、あまりにも頼りない。
 この姿が人の目を欺くための芝居だとすれば、たいしたものではあるが。
 真偽を確かめるように、ルシアも困惑を解いて、静かにギバリーへと視線を差し向けた。
「――元々、ディアーナさんから盗みに入る屋敷の情報が欲しかったんです」
 ギバリーは、太ももの上に置いた手の指を組んで、とつとつと語り始める。
 ディアーナから催眠術によって情報を引き出す際、考えたのだという。
 ただ、簡単に正体を曝してしまう相手に、どれだけの価値を見出してくれるのか? と。
 謀反事件の証拠だけでは、ジズリーズとの――ギバリーは最初、セイラを相手に取り引きを計画していたという。セイラ姫が熱心な読者であることを社交界に潜入して耳にしていた。最初は、リーズをセイラだと思っていたらしい――取り引きにおいて、心もとなかった。
 故に、ギバリーは事件を複雑化させ、簡単に尻尾を捕まえさせないように心がけ、ジズリーズが謀反事件の証拠だけではなく、「間者」として優秀なブルーバードという「手駒」を欲しがるように仕向けた。
 勿論、ディアーナに掛けられた疑いを晴らす必要性は考えていた。そうして、ギバリーはわざわざ遠方に盗みに入った――それが、今回の泥棒事件で唯一、謀反事件と無関係だったフレデリック家での犯行だ。
 ディアーナの規則正しい生活習慣では、決して敢行出来ない盗み。それを、矛盾を承知で彼女に証言させれば、後は騎士団の方で無罪を証明してくれる――実際に、証明したわけだが。
 しかし、フレデリック家で殺人事件が起こっていたため、盗みのほうが表沙汰にならず、そのためにディアーナに対する嫌疑が晴らされないまま、ルシアたち黒色部隊が彼女を参考人という形で保護することになってしまった。
 これはギバリーには計算外だったらしい。ディアーナを保護されてしまったら、暗示を解いて、証言を撤回させることも出来ない。
 ギバリーとしては、ディアーナがブルーバードとして捕まる必要はなかったのだという。あくまで隠れ蓑であり、ギバリー自身がジズリーズに捕まらなければならなかった。
 そうして捕まって、王家と取り引きを行う。
 ブルーバードはフォレスト王国の為に働く。宮廷魔法師団や宮廷騎士団では決して成しえないことを――手を汚すことを自ら厭わずに、進んで実行する。
 その代わりに――故郷を。女王ベアトリスの治世を、大国であるフォレスト王国が後援して欲しい。
 ――そう切実に訴えたギバリーの言葉を前に、一同は黙り込んだ。
 単なる幼馴染み相手に、ここまで動けるものだろうか?
 ルシアはギバリーの真摯な瞳を見やって思う。
 小説『怪盗ブルーバードの冒険』を恋文と言う、ジズリーズの言葉はここへ繋がる。
 小説の中でブルーバードは幼馴染みのために、盗みという罪を重ねたわけだが。
 現実では、幼馴染み以上の感情がギバリーを動かしたに違いないだろう。
 故郷を遠く離れても、もう二度と戻れない関係であっても、自らを捧げて尽くそうとするのか。
 それを確かめるよう、カズが再び視線と共に問いを向ければ、
「つまり何か? お前は汚れ役を引き受けるとでも言いたいのか?」
 またも睨まれたと勘違いしたらしく、ギバリーはこわごわと顎を引いた。しかし、怯えた様子を見せながら意を決したように顔を上げる。
「――はい」
 覚悟を決めたその一声に、ディードは金髪を掻き、カズが肩を竦めるのが見えた。そうして、ルシアは己が眉間に皺が寄るのを自覚した。
 幼馴染みと故郷のために、自らを捧げようとするギバリーの決意は、国家に仕える身の上には共感を覚える。
 泥棒というその手段は、法を遵守するルシアとしては頂けないが。正攻法で捜査していては決して真相に辿り着けない事件が存在することを知っているのなら、自ら汚れ役になること厭わないギバリーの正義の貫き方も、認めざるを得ない。
 しかし、「手駒」としてブルーバードを手に入れたのは誰であろう、ジズリーズなのだ。
 この切り札を手に入れたジズリーズのこれから先を思えば、自然とため息が漏れるのは致し方のないことだろう。
 現に王弟はといえば、周りの困惑など軽く無視して、
「素晴らしいご覚悟ですね。貴方の想いを対価に、フォレスト王国はバーネル国を全面支援致します。私、ジズリーズ・フォレスの名にかけて」
 ニッコリと微笑んでは早速、とばかり言ってきた。
「実はここに、人身売買組織の大本があると噂されているのですが」
 と、女性のように繊細な二本の指に挟んだ、一枚の書類を掲げる。
 それに対して、カズが目を見張った。騎士団として犯罪を抑止する立場であれば、聞き捨てならないジズリーズの発言だった。
 ルシアもまた、意識するより早く王弟の手から書類を奪い、そこに記された文面に素早く目を走らせた。
 それは貴族を相手にしている娼館に関する黒い噂だった。
 認可さえ取れば、フォレスと王国では娼婦も一職業として認められていた。ただしその場合、人身売買はご法度。あくまで、個々人の契約をもって成り立つものでなければならない。
 書類を見る限り、その娼館は認可を得て合法に営業しているように見えた。しかし、よく読み進めれば、借金を肩代わりするとして娘たちを買っているという。その借金も作為的に作られたものだと匂わせる供述が、記されていた。
 書類は調査書として噂をかき集めているものであった。だけれど、これが本当だったのなら、許されないことだ。
 表情を強張らせながら、視線を上げるルシアにジズリーズは告げた。
「表立った調査ではそこに書かれていることしか、把握出来ません。騎士団が動いたところで、同じでしょう。――そこで、ブルーバード」
 エメラルドグリーンの瞳がギバリーへと向けられた。
「貴方に、この噂の真実を確かめて頂きたいのですが、よろしいですか?」
 静かに問いかける声音には、強制する権限など感じさせなかった。だが、ギバリーに拒否権などあるはずもなく。
 神妙な顔つきで頷く青年は、次の瞬間、ジズリーズの手から飛び立つことになる。
 それは、ブルーバードの新たな冒険譚の始まりだった。


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