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お題提供・色彩の綾

title.11  その光に触れて、夢を見る


 音が脳裏を突き刺して、意識が急速に形作る。見開いた視界の明るさにセレリアーナは何事かと目を見張る。
 ぼやけた視界の向こう、天井には花模様が散らされ、四本の支柱を渡してドレープを作って垂れさがるカーテンが見えた。
 苺色の艶やかな髪が広がる羽根枕に、彼女の身体を柔らかく支えるマットレス。少し寒気を覚える肩を包み込むのは軽やかな羽根布団。セレリアーナが寝起きしているメイド部屋には存在しないものが溢れている。
 ――ここは、どこ?
 霞がかかったような頭で、これは夢だろうかと考える。
 昔は確かにこんな部屋で寝起きしていたことがある。故郷が滅ぶ前、まだ彼女がファーブニル王家の王女という肩書きを持っていた頃には――そう。
 細やかで美しい花柄の壁紙に包まれた寝室の天蓋付きの寝台で目覚め、クリスタルのシャンデリアが大きな窓から差し込む陽の光を反射させた部屋を抜けて、緑豊かな国を見渡せるテラスで胸一杯に澄んだ空気を吸い、万物に宿る精霊たちに目覚めの挨拶をしたものだ。
 だが、唯一神アインスの信仰に置いて、ファーブニルの精霊信仰は異端とされ、彼女の故郷は炎にまかれて滅んだ。その国から命からがら脱して、身分を偽り暮らしている今のセレリアーナにはもう何も残されていない。
 ――どこなの?
 自分が故郷を失ったことは覚えている。峻厳なクローネ山脈を越えて、隣国のクロイツ帝国の辺境アルシュにあるエーファ城に住み込みのメイドとして、身を隠した。本来、掃除担当のハウスメイドとしての採用であったはずが、城の主であるクロレンスに目をつけられ、彼の近侍役も任されるようになってから、六年。
 何をとち狂ったのか、帝国の第二皇子あるクロレンスは毎日毎日、隙があればセレリアーナを口説き落とそうとする。
 そんな日常を思い出して、セレリアーナは熱い息を吐いた。
 ――そうだわ、私……。
 昨日、皇子に用を任されて出た城下町で、秋雨に打たれたことを思い出す。
 一時的な雨は、それほどセレリアーナを濡らしたわけではない。どういうわけか、本当ならば城に居るべきはずのクロレンスが雨除け代わりにと、雨に濡れるのを庇ってくれたのだ。
 だが、雨は秋の穏やかな陽気を連れ去って、セレリアーナが夕刻、城へと帰途に着く頃には真冬のように冷え込んでいた。そんな外気に長時間さらされたのが原因か、今日は朝から熱っぽい気がしていた。
 用事を済ませるだけなら、早く帰っていたのだが、一つの心配事がセレリアーナの帰る足を鈍らせた。
 それはクロレンスに内密に訪れた客人の存在だった。
 帝都から来た客が、クロレンスに何の用があったのかはわからない。
 エーファ城内では使用人に馬鹿皇子と囁かれているクロレンスであるが、一応、皇帝の後継者候補の一人である。辺境に居を構え、中央に寄ることすらしないクロレンスは帝位に興味あるようには見えないが、本人の意思とは別に彼を皇帝に推したい人間もいるだろう。
 その辺りのことは、メイドのセレリアーナには関係ない。
 だが、客人に一度だけであるが面識があった事実を思い出せば、セレリアーナとしては城へ帰るに帰れない心境だった。
 秘書官アランの愚痴から漏れ聞こえた客人の正体は、フォーリスト候であった。現皇帝の廷臣で外務を担うかの人は、過去にファーブニル王国にも訪れたことがあれば、まだ幼かったセレリアーナとも顔を合わせていた。
 とはいえ、もう十数年も昔のことで、セレリアーナも今や成人している。幼い頃の面影など、目を凝らさねば見つけられないだろうし、何百人という客人が集った場で二言三言程度の挨拶を交わした相手のことなど、覚えていないに違いない。
 セレリアーナとて帝国の一員となったことで、かの人が帝国で重要な位置にいる人だと覚えていたが、当時会ったフォーリスト候の容姿を細かいところまで語れるかというと、無理だ。
 だから、心配するだけ無駄であると心に言い聞かせても、過去の秘密を知られれば、異端の魔女として処刑されかねない事実に身が竦むのはどうしようもなかった。
 内密の客人であるならば泊まりはないだろうと、日暮れまで時間を潰して城に帰ったわけだが……それがいけなかったらしい。
 いつものように身支度を整えた後、食欲がわかなかったのでお茶だけを飲んでクロレンスの寝室に向かった。暖炉に火を入れ部屋を暖め、着る服を用意していざ皇子を起こそうとしたまでは覚えている。
 鈍い身体を無理矢理動かしながら、寝台を覆ったカーテンに手を掛けた。朦朧とした意識で、とりあえず彼を起こして食事をとらせ、執務室に放り込んでしまおうと、セレリアーナは考えた。
 熱で脳味噌が溶かされるようなこの状態では、まともに掃除ができそうにない。視界がかすんでぼやけて見えるのだから、下手に掃除に手を出せば調度品を壊しかねない。他の人に頼んで、掃除を代わって貰おうと――そこから先の思考が思い出せない。
 状況から鑑みるにその後セレリアーナは倒れたのだろう。
 そして、彼女が横になっているのは……。
 まだふわふわと思考が漂っているが、何とか分散した意識を集中して考えようとすれば、不明瞭だった雑音が声となって、耳から入って来た。
「書類が貯まっているのですが、彼女が目覚めるのを待つつもりですか」
 苦さを含んだ声は、クロレンスの秘書官であるアランのものだ。語りかけている相手は当然ながら、彼の主ありセレリアーナが仕える相手、クロレンスであるだろう。
 そちらへ目を向ければ、寝台の傍らに猫足細工の背凭れ付きの椅子を置いて、クロレンスは腰かけていた。幸いにというか、彼の緑色の瞳は寝台ではなく横を向いていた。寝ているセレリアーナの足元方向付近にアランはいるらしい。
 やはりここはクロレンスの寝室で、あろうことか皇子の寝台に眠らされているという事実にセレリアーナは恐れ慄いた。
 何度も閨に誘われ拒み続けてきたというのに、思わぬ形で彼のベッドに入ってしまうとは! これが何か不吉な暗示でなければよいのだが。
 昨日のことから尾を引いて、体調不良も起因しているのかセレリアーナの不安はますます肥大するばかりだ。
 不安の元凶と言ってもいい、見目だけは良い第二皇子は整った横顔をセレリアーナに見せながら、アランに向かって口を開いた。
「当然だろう、病に倒れた妻を放置する夫など、男の風上にもおけん」
 ――誰が妻だっ!
 反射的にセレリアーナは叫びたくなるが、熱に浮かされ重い身体にはそんな気力はなく、喉がざらついて声が出なかった。唇から洩れるのは荒く乱れた熱い吐息だけだ。
 拒絶を拒絶と受け取らないクロレンスであるが、こちらの意思表示をハッキリ示しておかないと、話がおかしな方向に進みかねない。
 六年前、クロレンスの近侍役に命じられたとき、ハッキリと拒絶しておけばよかったのだという後悔が、熱の影響かセレリアーナの脳裏に滲む。
 何が何でも断わっていれば、彼に恋することはなかったのに。
 心と裏腹の言葉を吐かずに済んだのに。
 もっとも、そのときはセレリアーナはエーファ城から出なければならなかっただろう。故郷を失くし頼れるのは自分だけの状況で、セレリアーナに出来た抵抗はハウスメイドであることにしがみつくことだけだった。あの日の選択に選べる余地などなかった。
「誰が妻で、夫ですかっ! まだ結婚していないでしょうがっ!」
 アランが声を荒げる。もう誰もがクロレンスの馬鹿げた戯言を本気で構わなくなった城内で、彼だけは律義に反応していた。
 もしや本気で、クロレンスがメイドであるセレリアーナを妻にすると思っているのだろうか。
 ――そんなこと、あるはずないじゃない……。
 お願いだから、事を深刻化しないでとセレリアーナはアランに訴えたい。
 クロレンスの求婚が冗談であるうちは、メイドであるセレリアーナは使用人として彼の傍に居られるのだから。
 だから、セレリアーナもクロレンスの口説きを冗談だと受け止めている。そうしないと、自分の中にある感情が溢れてしまいそうなのだ。
 でもそれは秘密を抱える身にとっては絶対に明かしてはならない感情だ。
「いい加減、茶番をお止めになったらどうですか」
 苛立ち混じりの声をアランが吐く。クロレンスの馬鹿げた言動は、帝位争いを避けるためのふりだという噂がある。長年クロレンスに仕えている秘書官のアランは、その辺りの真相を知っているのだろうか。
 セレリアーナは無意識のうちにそっと息を詰めて、聞き耳を立てていた。
「茶番とは、何のことだ?」
 クロレンスが心外そうに問い返す。そこにある真意は、セレリアーナへの態度を否定されたことに対するものか。はたまた、演技を見透かされたことに対するものか。
 セレリアーナに見えるクロレンスの横顔は、感情の揺れはなく静かにアランを見つめていた。
「彼女のことです。本気で、メイドと結婚できるとは思っているわけではないでしょう?」
「出来ないという、根拠がわからんな。何故、俺とセレリアーナが結婚してはならないと言うのだ」
「あなたは皇子で、彼女はメイドですよ?」
「それが?」
 ふんと鼻を鳴らすようにして、クロレンスはアランの問いを退けた。
 ――駄目じゃない……。
 セレリアーナは秘書官に、心の内で駄目だしをしていた。
 大体、アランの問いかけは、セレリアーナとクロレンスの間でもう何度も繰り返してきたことだ。これでは堂々巡りで、クロレンスの真意に辿りつけるはずがない。期待はずれにガッカリする反面、ホッと安堵もする。クロレンスの真意を知ってしまっては今まで通りにはいかなくなることに気づいていた。
 それにしても皇子とメイドという身分差をクロレンスはまったく歯牙にかけないところが、馬鹿と囁かれている原因だが。
 この国で――いや、大陸にある貴族社会が中心の多くの国家で、身分違いの結婚は障害があり過ぎる。
 セレリアーナの故郷、ファーブニルでは王家は敬われていたが、人々の間に垣根を敷くことはなかった。あの国であったのなら、皇子もメイドも王女も関係なく、恋が叶えられただろう。
 でもそれは、もう取り戻せない過去を語るように、儚い夢物語だ。
 夢想が許される立場に、帝国の第二皇子であるクロレンスはいてはならないのに、彼はまるで明日にでも実現出来そうな態度で、恋を語る。
 何が、彼に希望を持たせるのか。クロレンスはどんな光を見出しているのか。
 ――どうして、私と結婚できると思っているの?
 クロレンスの求婚に、セレリアーナが頷くことはない。今までもなかったし、今後もあるはずがない。
 少なくともセレリアーナは、絶対にこの秘密を明かさないと決めているのだから。
 重くなる目蓋の向こうで、クロレンスが不意にこちらを振り返った気がした。だけど気が緩んだからなのか、セレリアーナのぼやけた視界はやがて闇に閉ざされる。
「まったく。今度はメイドだなんて……」
 苦々しいアランの呟きが聞こえるが、急速に睡魔に襲われるセレリアーナの意識はその意味を掴みかねた。
 火照った頬を優しく包む手のひらの感触と共にクロレンスの囁きが聞こえたが、
「俺たちは出会ってしまったのだから、これは精霊の導きだ。そうだろう? セレリアーナ」
 それもまた、セレリアーナの心の奥そこに秘めた感情が見せた夢だったかもしれない。


                  「その光に触れて、夢を見る 完」



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