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お題提供・色彩の綾

title.15   甘くて苦い


 労働の後は、お腹が空く。
 それは老若男女問わずの真理だろう。
 例え、かっては一国の王女であった身でも、それは変わらない。否、労働とは無縁に思える王侯貴族であっても、空腹はおとずれるものである。
 もっとも、優雅に見える貴族の日常が労働と無縁かと言われたら、そんなことはない。身体をきつく締めつけるコルセットに、フリルやレースなどといった飾りがついた重たいドレスをまとい、諸外国からの賓客を迎え、愛想よろしく見せかけるのもなかなかに体力と精神を使うものだった。
 セレリアーナの故郷、ファーブニルは大陸の流行など、歯牙にもかけていなかったが、他国に嫁いだ従姉妹たちがこれはどうかと、贈ってきてくれた。自分で着るのは窮屈であるが、傍から見る分には愛らしく乙女心を刺激する代物であるから、場を選んで着た結果が、外交の場であった。
 セレリアーナは遠い目で、少女の頃を反芻した。
 ファーブニル王国の王家は国家の代表として、外交を担っていた。王女であったセレリアーナもその一端を担っては、大使たちの相手を受け持っていた。
 万物に宿る精霊を尊ぶお国柄であったから、かの国では王家も庶民も実際のところ、身分の垣根を築いたことはなかった。王家の人間が騎士と共に街を見回れば、気さくに声を掛けて来る農民と一緒に、畑を耕すといったこともしばしばだった。セレリアーナもまた緑豊かな草原を裸足で駆けまわり、大地の精霊や風の精霊の存在を全身で感じながら、村の子供たちと一緒に日が暮れるまで遊び倒したものだ。
 ……もっとも、帰りが遅くなりすぎて家族や騎士たちからは叱られたが、子供たちと遊ぶことは咎められなかった。
 そんなファーブニルの縛りのない自由な在り方に、異国から訪れた者たちはときに驚き、ときに呆れ、ときに感心していた。
 異教に対して、まだそれほど締め付けが厳しくなかった時代には、ファーブニルの姫君を花嫁にと望む国も多かった。精霊と交信することで、人より勘の鋭さを見せる精霊の巫女たち――王家の姫君を求める国は少なくはなかったのだ。
 しかし、唯一神であるアインスの信仰が、ファーブニルの精霊信仰を異端と定めたときから、大陸でのかの国は存在することを許されなくなった。
 きっかけは神光国フォルミナードの町が火山に呑まれたことにあっただろう。災厄を神の天罰と定めるアインス信仰は、かの神を崇めないファーブニルの罪として、その町を死滅させたのだと語った。
 結果、唯一神を信じる者たちは贖いをファーブニルに求め、そしてセレリアーナの故郷は炎にまかれて滅びた。
 そして命からがら国を脱し、クロイツ帝国に身を寄せたかつての王女はその身分を隠し、辺境にあるエーファ城でハウスメイドとして暮らす現在、今日もまた主あるクロレンスの私室を埃ひとつ許すことなく完璧に磨き上げた。
 つまりは一仕事を終えたわけである。
 まあ、ようするに、お腹が空いたという話なのだけれど……と、セレリアーナは小さく息を吐いて、掃除用具が入った道具箱を片手に使用人階段を地下へと降りる。
 エーファ城の主であり、帝国の第二皇子であるクロレンスの昼食の給仕を務めた後、彼を午後の政務に送り出してから、自らの昼食に取りかかるのがセレリアーナの日課であったが、今日は床の絨毯に染みを発見してしまった。
 クロレンスがうっかりと飲み物でもこぼしたのだろうその染みを目にした途端、ハウスメイドであるセレリアーナの身体を雷にも似た衝撃が貫いた。
 ――なんてことっ! 私の掃除担当区域で染みなんて、許されると思っているのっ?
 窓磨き選手権があれば世界一になれるだろうと自負する磨き魔としては、見逃せない絨毯の汚れに血が騒いだ。
 故郷を失くしたセレリアーナだが、万物に宿る精霊を敬う気持ちは今も変わらずある。それは決して誰にも知られてはならない秘密であるが、掃除婦という立場であれば、汚れた窓や暖炉を磨く――大切にするという行為は、誰にもはばかることはない。
 というわけで、昼食を後回しにして午後の仕事に取り掛かった。
 朝は朝で、皇子を起こし朝食をとらせ、着替えを手伝った後、彼を政務へと追い出し――もとい、送りだして寝室を片付け、掃除をした。
 本来は掃除だけが仕事であるハウスメイドのセレリアーナが、皇子の近侍役を担わされたのは六年前。一目惚れをしたというクロレンスの求婚に始まった。
 ファーブニル王国では王家の人間が庶民に嫁ぐことも珍しくなければ、セレリアーナは政略のために他国に嫁ぐことなど、特に考えてはいなかった。一度、王に話を仮の話として振られ、もしも望まれた場合は、王家の人間としてそれは務めの一部であろうとは認識していたけれど……。
 現在の彼女は異教の魔女という誰にも知られてはならない秘密を抱える以外は、少し掃除にはうるさい一介のメイドであった。
 使用人の階級でも低い方の、ハウスメイドである。
 いずれは国の頂点に立つ、皇帝になるかもしれない皇子とは明らかに身分が違い過ぎる。
 どう考えても結婚など出来るはずもなく、セレリアーナはクロレンスの求婚を丁重に、心の中では「あり得ないわっ!」と叫びながら、断ったのだが。
 相手は秘かに、馬鹿と囁かれていた皇子であった。
 常識も周囲の反対意見も、セレリアーナの気持ちさえ、どこ吹く風で、彼女を世話役に任命してくれたわけで、セレリアーナの仕事は一人の仕事としては過重労働であったものの、掃除の仕事は他の誰にも譲れないと固辞した。
 いずれ皇子の気まぐれも収まるだろうと、そのときは高をくくっていた。だから、飽きられたときに近侍役では仕事を失う可能性があるが、掃除婦なら本来は主と顔を見合わせることのない影の仕事だ。皇子の気が変わっても、メイドとしてずっとこの城に居られると思ったのだ。
 予想に反して、クロレンスの気まぐれは六年の月日が過ぎた今でも変わらない。金色の髪に緑色の瞳。端正顔立ちで見かけだけは立派な皇子は昨日も今日も、日課のようにセレリアーナを口説くのだった。
 故郷を失った悲しみが、クロレンスに振り回されているうちに癒されていたことを実感すれば、セレリアーナも憎からず皇子を想うようになってはいたが……。
 ――まあ、本気なのか冗談なのか、わからないけれど。
 今朝だって起きぬけに顔を合わせるや否や開口一番に、
『ああ、セレリアーナ。君の碧い瞳の熱に焦がされ、焼死体と化した哀れなこの俺に、慈悲の口づけを給もれ』
『死人は喋れないと思います』
『そんなことはない、遺体は雄弁に物事を語ると、侍医が話していたぞ。何でも絞殺された死体は首の締められた痕で、扼殺か否かがわかるそうだ。焼死体も気管支が煤で汚れているか否かで、生前に身を焼かれたのか、死後に焼かれたのか、判別が可能らしい。帝都では解剖学に対する見識を見直そうという動きが出ているとか、いないとか』
『それはどちらなんでしょう。……といいますか、話がずれている気がしますわ、殿下』
 と、あまりにも大仰かつ理解不能なことを言ってくれた。本人としては口づけを求めただけなのかもしれないが、何故、解剖学に繋がるのか。
 ときに意味不明な口説き文句はふざけているのではないかと勘繰るものだし、クロレンスは帝位争いを避けるために敢えて馬鹿なふりをしているとも、「馬鹿」と囁かれると同時に噂されていた。
 メイドとの恋愛ごっこは、馬鹿を演じる上では実に効果的ではないか。
 セレリアーナは苦い痛みと共に、唇の端で笑った。
 クロレンスは本気で、メイドに恋をしているわけではないという、その方が秘密を抱えるセレリアーナにとっては好都合であるはずなのに、痛みを感じるというのはどういうことだろう。
 苦笑をこぼすセレリアーナは掃除用具が入った道具箱を仕舞い、厨房へと入った。夕食の仕込みに入っている厨房で、昼の食事を分けて貰い、隣の使用人用の食堂へと移動した。
 現在、帝国の第二皇子を主としているエーファ城の使用人は多い。皇子の護衛として帝都から同行してきた騎士団や領地管理に必要な人手が揃って、この城に居を構えているからだ。
 しかし、クロレンスの近侍となってから、セレリアーナが他のメイド仲間たちと顔を合わせるのは掃除仕事の合間に取る休憩や夕食後の自由時間のときぐらいだった。
 クロレンスは食事を私室で一人でとるため、その時間帯、使用人たちの食事時間に充てられていた。だから、セレリアーナは人気が失せた使用人食堂で取ることが多い。今日の食堂は誰一人としていなかった。
 それを寂しいと思わず、どこかホッとしているのは、やはり秘密を抱えているからだろうか。
 食事の時間、神への祈りが捧げられる。それは当然、帝国が信仰する唯一神アインスであれば彼らの祈りを耳にするだけでもセレリアーナの心はさざめく。
 憎しみや怒りは人を狂わせることを彼女は知っていた。
 ファーブニルを滅ぼしたアインスの信者もまた、溶岩に呑まれ死滅した町の悲劇に怒っただけなのだろう。信仰に促され、憎しみの捌け口を自分たちとは相容れぬファーブニルにぶつけたのだ。
 だから、セレリアーナとしては唯一神アインスやその信者たちを憎みたくはない。
 彼女が望むことは、自らの内側に思い出として宿る故郷の人々と共に、彼らが存在した証をこの世に残すべく一刻でも生き延びることだった。
 故に、他の者たちと違う時間帯で食事をとれるのは、感情面でもありがたかった。
 そして、クロレンス自身は信仰心が薄いのかもしれない。彼の傍役となってからこちら、一度もアインスの名を彼の口から聞いたことはないからだ。女神や精霊、天使といった唯一神の教義ではどちらかと言えば禁句を平気で口にするに至り、セレリアーナは思う。
 時折、クロレンスはこちらの秘密を知っているのではないかと、思わされる一瞬がある。
 今もそうだ、皇子がセレリアーナを近侍として束縛するのは、彼女を周りから遠ざけるためではないかと……。
 ――まさか、ね。
 頭を過ぎった考えに、セレリアーナは首を振った。クロレンスがこちらの過去を知っていれば、火刑で多くの親族を失った彼女に「焼死体」の言葉は、無神経すぎるだろう。
 とはいえ、何気ない言葉一つ一つに目くじらを立て過ぎるのも、過剰反応もいいところだ。誰もが事情に通じていること自体、おかしいのだ。
 皇子は単に侍医からの話を経て、「焼死体」という、一風変わった口説き文句を垂れ流したに違いない。
 第一に彼はセレリアーナの秘密を知らない。知っていてはならないのだ。
 セレリアーナは自戒に唇を噛み、思考を切り替える。
 食卓に並べた料理を前に、セレリアーナは心の中で精霊たちの恵みに感謝を述べた。そうして、思い出した痛みを無理矢理、パンとスープで呑み込んでいると、隣の厨房から一人の青年が顔を覗かせた。身につけている服装から察するに、料理人だろう。男の使用人でエプロンをつけている者はそう多くない。
「ああ、セレリアーナさん。丁度良かった、これを食べてみないかな」
 どうやら相手はセレリアーナを知っているらしい。
 セレリアーナとしては地味に振舞っているのだが、彼女の隠しきれない美貌と皇子からの求婚騒ぎがあれば、知らぬ者はいないようだ。
「何かしら?」
 小首を傾げた彼女に、青年は頬を染めながら、小皿を差し出す。
 もしかして彼は、こちらに気があるのかしら? と、セレリアーナは少しだけ胸の内が騒いだ。
 秘密を抱えている以上、結婚なんて出来ないと頭ではわかっている。でも、一応は乙女だ。恋に憧れもあった。
 相手が帝国の皇子ではなく、メイドにとってもっと身近な相手であったなら、恋いぐらいは出来たのだろうか。許されただろうか。
 もっとも、帝国の皇子を敵に回して恋の鞘当をしようなんて考える者はいやしないだろうけれど……。
 ぼんやりと、セレリアーナは青年を見上げて思った。
 ――新しい恋をすれば、あの人のことで苦しまずにすむのかしら?
 彼女の視点に当てられて、青年は顔を真っ赤にしながらも言った。
「あの、その、甘いもの好きかなって。今度、殿下にお出ししようかと思ってるデザートの試作品なんだけど、ちょっと自信作で」
 小皿の上に載ったガラスの器には、淡い紅色の透明なゼリーが盛られていた。
「これ、薔薇のゼリーね?」
「うん、最近流行っているみたいだね。ええっと、その、媚薬は入ってないけれど」
 焦りながらも、青年は付け加えた。巷では、薔薇のゼリーを共に食した異性は結ばれるという話が流布していた。その噂話を聞きつけた皇子に、お遣いに出された経験がセレリアーナにあった。
「どうかな?」
 半分、上目遣いになって、青年はセレリアーナの反応を伺う。果たして、好意があるのかはわからないけれど、目の前の菓子には素直に手を伸ばした。
「ありがとう、美味しそうね」
 セレリアーナはガラスの器を持ち上げ、スプーンで淡い色を掬い取り、口に運んだ。
 口内に薔薇の香りと共に広がる甘さにセレリアーナは青年の存在を忘れ、あの日、皇子と繋いだ手の温もりを思い出していた。
 叶わぬ恋の苦い痛みと共に……。


                         「甘くて苦い 完」



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