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お題提供・色彩の綾

title.18   響く鐘の音に


 時計の鐘が七つの時を数えていた。朝の五時半には起床するメイドのセレリアーナであったが、今日は屋根裏部屋の自室で硬い寝台に横たわったまま、凍える朝を迎えていた。
 先日、彼女の主である帝国の第二皇子クロレンスは、この辺境アルシュから西へ一日ばかり移動したところにある都市デュエールに、秘書官と護衛騎士数名を伴って出立した。
 予定では五日ばかり、城を空けるらしい。
 その間、皇子の近侍役を務めるセレリアーナの仕事は休みということになった。セレリアーナの本職はハウスメイド――掃除婦であるのだから、主の不在は関係ないと言ってしまえば、関係ないのだが。
 常日頃、馬鹿皇子に振り回されているセレリアーナに同情してか、執事やメイド頭からは、クロレンス不在の間は仕事をしなくてもよいと言われている。
 実際、旅仕度で徹夜がかりになった故に、今日ばかりはゆっくり休んでも構わないだろう。とはいえ、皇子の部屋の鍵は預かっているので、掃除はするつもりだった。
 誰も入らないから部屋は汚れないというのは嘘で、埃というものは静かに積るものだ。クロレンスが帰ってきた際、部屋に埃が一片でも落ちていたのなら、ハウスメイドとしての彼女の面目が立たない。
 ――そう、私はハウスメイドなの!
 セレリアーナは意を決して、僅かながら温もりを宿す布団の中から出た。床に付けた足先から、熱が奪われ、凍えるような冷気が身体を縮込ませる。震える身体を自らの腕で抱きしめると、唇からふっとこぼした息が白く煙る。
 風邪で数日寝込んだ彼女の屋根裏部屋には、皇子の手配で暖炉を取りつけるよう言われたが、セレリアーナは頑なに拒んだ。皇子付きということで、個室を貰っている――元は物置部屋であったようだが、それでも個室には変わりない――自分が今以上の特別待遇を受けたら、メイド仲間に何と言われるか。
 それにクロレンスの求婚を拒んでいるという建前が、揺らぐ。
 自分は一介のメイドだ。クロレンスがどれほど言い寄ってこようと、皇子とメイドという身分差を変えること出来ないし、してはならない。
 例え、セレリアーナが過去、ファーブニル王国の王女という肩書きがあったとしても。
 現在、大陸を支配する唯一神アインスの教義に異端とされ、炎に巻かれ滅ぼされたセレリアーナの故郷はもうどこにも存在しない。必然、彼女の肩書きもないのだ。
 あるのは異教の魔女という、それは命に関わる秘密。絶対に他人には知られてはならない以上、セレリアーナは六年前に城に雇われたメイドの一人でしかない。
 そう言ってクロレンスの厚意を突っぱねたセレリアーナに、皇子は「そうか」と一言呟いて、寂しそうなため息と笑みを見せた。
 強引さを見せずに引く辺りに、セレリアーナは彼の優しさを感じる。まるで、彼はこちらの事情を知っているかのような、錯覚にとらわれる。
 そんなはず、ないわ……。
 あってはならないと、セレリアーナは首を振った。そうして寝台を振り返れば、暖炉の代わりにクロレンスが寄越した、羊毛で編まれた毛布が横たわっている。
 使い古しのものだと、彼はセレリアーナに手渡してきた。使用人にお古を下げ渡す習慣がないわけではない。それだったら、他の者たちにも言い訳が効くだろうという。
 炎に巻かれた故郷から命からがら逃げてきたセレリアーナには、自分の持ち物と呼べるものは殆どなかった。しかし、気がつけばこの六年の間にメイドの給金で揃えた物が増えている。
 部屋の片隅に置いた机には、小さな花瓶が花を生けている。もっともその花は乾燥させたもので、鮮やかだった色彩はとうに失われていた。
 この間、クロレンスと共に街に出かけた時に花売りの少女から買った花束だ。
 色褪せた始めた頃から、何故か捨てる気になれずに、セレリアーナは花を乾燥保存することにした。
 セレリアーナは毛織のショールをまとい、机に近づいた。乾いた花びらにそっと指先で触れつつ、机の引き出しに仕舞っていた紙きれを取り出した。
 クロレンスが何やら書き綴っていた文面に目を走らせる。


 小さな花束を前に、彼女は優しく微笑んだ。まるで花に話しかけるかのように緩く綻んだその唇に、俺の心は掻き乱された。
 初めて彼女を見つけたあの日と変わらない笑顔に覚えたのは、愛しさよりも……


 恋愛叙事詩と、クロレンスはのたまっていたが、彼が口にした言葉と実際に紙に記されていた内容は違っていた。
 知られたくない内容であったからの、誤魔化しではなかっただろうか。
 ――知られたくないと言えば……。
 セレリアーナは先日のことを、思い出す。
 この度、デュエールに向かうことをクロレンスはセレリアーナには知られたくなかったようで、誰に逢うとは頑なに口にしなかった。
 しかし、秘書官のアランは意に介すことなく、セレリアーナの質問に答えを返してきた。
 セレリアーナとしては深く追求するつもりはなかったのだが、出先で誰に逢うかによって荷づくりの中身が変わって来るのだ。
 何しろクロレンスは、実に服装に関してのセンスがなっていない。最悪だという組み合わせを平然と着こなすのだ。それが似合っているのなら話は別だが、道化以外の何者にも見えないのだから、彼の近侍役を務めるセレリアーナとしては頭が痛い。
 彼の衣装を自分が選んだと思われたら、舌を噛み切りたくなる。
 どんな組み合わせでも、ある程度見れる衣装となれば、無難なものを選べばいい。だが、もし、相手がクロレンス同等の高貴な人物であるとすれば――彼がこの面談を断れなかった以上、相当に地位の高い御仁であるだろう。皇帝の傍に仕える者か、はたまた皇帝の意を伝える者か。
 どちらにしろ見劣りしない、恰好をしなければ、帝国皇子としての品位に関わる。
 だから、クロレンスに水を向け探りを入れたが……。
『君と離れて過ごす日々を考えるだけで、俺の心は張り裂け、血を流し、今にも息が絶えそうだ。どうか、君の口づけで俺の魂を救っておくれ、我が愛しきセレリアーナよ』
 と、話を実に巧みに明後日の方に持って行ってくれた。
 クロレンスの求婚を拒む立場にあるセレリアーナとしては、面倒臭いことだが一々、突っ込みを入れなければならない。
 そうしてうんざりさせられること、数度。たまたまその場に立ち会った秘書官アランがさらりとその名を口にした。
『殿下がこの度、お逢いになられるのはエルバート様ですよ』
『……第一皇子殿下、ですか?』
 セレリアーナはあっさりと答えを口にしたアランに驚くと同時に、クロレンスの面談相手が第一皇子エルバートであることにも、また目を見張った。
 クロレンスの兄であるエルバートは世間にも評判の良い、次期皇帝候補である。だがしかし、いまだに後継者指名を皇帝がしていないことで、第二皇子であるクロレンスもまた皇帝候補と目されていた。
 その皇位争いを避けるために、クロレンスはわざわざ辺境の地であるアルシュに身を寄せたと噂されているし、また馬鹿なふりをしているのだとも囁かれている。
 その馬鹿なふりの一環が、メイドであるセレリアーナに求婚することなのだとしたら、熱心な口説き文句も口先だけの可能性もあるということだ。
 セレリアーナがクロレンスに目を向けると、第二皇子は苦虫を噛み潰したような顔を見せた。それは秘密を漏らしたアランに対してか、それとも政敵である第一皇子に対してのものか、判断出来かねた。
 クロレンスが愚者を装うのなら、それは第一皇子のためであるのだろう。
 順当に行けば、次代の皇帝は第一皇子だというのが世間の評判だ。エルバートから皇帝位を奪わないための画策ならば、この兄弟は仲が良いということになる。
 ――だったら、どうして?
 クロレンスは今回の面談を書簡だけで済まそうとしていたらしい。不仲でないとすれば、第一皇子を避ける理由は他に何があるというのか。
 皇子の表情の真意を探ろうと見つめるセレリアーナに、クロレンスは目を向けると、ほんの一瞬、何かを訴えるような目をした後、アランに向かって唇を尖らせる。
『うむ、我が秘書官はまったくもって口が軽い』
『何か、不都合がありましたか?』
 首を傾げ、訝しげるアランの様子からすれば、クロレンスとエルバートの間に不穏な要素はないように思える。
 ますます、第二皇子の意図がセレリアーナには把握しかねた。
『ああ、不都合がありまくりだ。セレリアーナに他の女性に逢うのではと、ヤキモキさせることで二人の間にある愛を再確認するという、俺の遠大な作戦が台無しになった』
『最初から愛など、ございません』
『遠回し過ぎるでしょう』
 セレリアーナとアランがそれぞれに突っ込みを入れれば、クロレンスはふんと鼻を鳴らして寝椅子に身を投げた。
 拗ねているともとれるが、会話を拒絶するような態度でもある。本当に、彼の真意はどこにあるのか?
 ここで追求すれば、その尻尾を掴むことが出来るのだろうか。
 瞬き、セレリアーナの胸の内で疑問に対する欲求が鎌首をもたげ、獲物に噛みつかんとするけれど、彼女は必死にその欲求を殺した。
 クロレンスの真意を知れば、今の関係が壊れてしまうだろう。
 皇子とメイドという、決して結ばれるはずのない関係がこんな近くにありえるのは、クロレンスがセレリアーナを求めるからだ。
 例えそれが、彼が演じる道化の芝居であったとしても。
 または、本心から求めるものであったとしても。
 セレリアーナが拒み続けることで、同じ空間で言葉を交わすことができる。
 もし、クロレンスの真実を知ってしまったら、セレリアーナもまた自らの秘密と向き合わなくてはならなくなるだろう。果たして、隠しておけるのか。
『……エルバート殿下とのご対面に、恥ずかしくないご衣裳を用意致しますわ』
 セレリアーナはその瞬間、メイドであることを選んだ。使用人が主の秘密を暴くことなど、許されるはずもない。
 荷づくりに戻ろうとするセレリアーナの視界に、こちらに目を向けるクロレンスの瞳が再び何かを語るような色が見えた気がした。
 だが、視線が完全にかち合う前に、緑の瞳は逸らされた。
 ――あの時……、あの人は何を感じたのだろう?
 クロレンスの真意について再び思考し始めるセレリアーナの耳に、鐘の音が響く。十時を告げるものだ。
 ハッと我に返ったセレリアーナは、手にしていた紙を折り畳みながら、呟く。
「せんさくは無用。私はメイドなのよ」
 そう、自らの心に言い聞かせ、机の引き出しに自らの恋心と皇子の真意を閉じ込めた。


                        「響く鐘の音に 完」



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