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 1,転校生


「転校生を紹介する」
 中年の担任教師の声に教室内がざわついた。それを静めるように、教師は廊下へと声を張り上げた。
「入ってきなさい」
 教室の扉の小さな覗き窓にチラリと映った人影。がらりと引き戸がレーンを滑って開かれたそこに立っていたのは均整のとれた長身の身体を、姿勢正しく伸ばして佇む青年。
 彼は俯くでもなく、前を見て教壇の担任教師の横に並んだ。
 ざわめいていた教室内が静まったのは、担任の威圧的な視線ではない。
 皆が呆気にとられたのは他でもない、転校生の美貌だった。
 艶やかな漆黒の髪に白い肌。だが、その肌の白さは病的なものではなく――肌の下の血管の色が透けて見えるといったものではなく――陶器人形の肌に似て、艶やかで滑らかな白い肌色と質感。ほんのりと赤く色づき、結ばれた左右対称の唇。微かに青みを帯びた灰色の瞳。切れ長の目元は少しだけ少年の名残を残していた。
 完成に近づきつつある、一歩手前。
 少年から青年へと移り変わるその一瞬に時を止めてしまった、そんな感じだった。
 一つ一つのパーツの見事さもさることながら、それらを集約した端整な顔立ちは、間違いなく同年代の雰囲気を漂わせていたが、存在する次元を間違えてしまったかのように、その美貌は教室と言う現実空間からは浮いていた。
 担任教師がカツカツと黒板にチョークで文字を刻む。
 それは青年の名前だろうか。目の前のできごとを現実と認識し始めたクラスメイトたちがそれぞれ、文字の羅列を疑問符交じりに口にしていく。

 オニ、ドウ? ……サエキ、かな?
 ……キドウじゃねぇの?

 私も口の中でその文字を読んでみた。
「……キドウサキ、……鬼堂冴樹」
 すんなりと口に出た名前に私自身が驚いた。……まさか。
「自己紹介したまえ」
 慇懃な教師の声に、転校生は首肯すると唇を開いた。そこからもれ出た声はよく透る、凛とした響きを持っていた。
「初めまして、鬼堂冴樹です」
 そう転校生は「キドウサキ」と名を告げ、淡く微笑んだ。
 その笑みに引き込まれるかのように、クラスメイトたちが息を詰めるのが気配でわかった。かくいう私も無意識のうちに息を詰めていた。
 例外は転校生の横に立ち、その美しすぎる微笑を拝顔することが出来なかった担任だけだった。
 教室のクラスメイトは皆、誰もが惚けたように彼を見ていた。
 女子だけではなく、男子までも、まるで奇跡を目撃したというように、目をパッチリと見開いて。
 それほどに彼は類稀なる美貌をしていた。
 普通なら嫉妬を含んだやっかみが飛びそうなシーンである。
 まだ大人になりきれていないクラスメイトたちを私は知っている。
 こういうとき、「女みたいな名前」と揶揄が飛んでもおかしくない。
 字面はそうでもないが「サキ」という響きは女性名ではないだろうか。
 だが、誰一人として口を開かなかった。皆がみんな、彼の存在に圧倒されているのだ。
 彼から見れば私たちはさぞかし、滑稽なマヌケ面を晒していたことだろう。
 彼は唇の端から嘲笑染みたクスリという笑い声をこぼして「とりあえず、よろしく」と言い、素顔に戻った。
 素っ気ない態度は馴れ合いを拒むようでもあったが、彼の顔に浮いている表情にその色はない。
「それだけか? 趣味とか、特技とか、そういったものはないのか?」
 あまりにも簡潔すぎた自己紹介に担任は眉をひそめた。鬼堂冴樹は担任を横目に見やってそれから考えるように小首を傾げた。
「さあ、特には。色々なことに興味を持ちすぎて、長続きしないもんで」
「まあ、いい。席は……」
「空いている席でしょう」
 担任の声を遮って、彼は教壇を降りると、新しく運び込まれた机に向かった。グランド側の窓際の一列、最後尾。私の隣の席だ。
 鬼堂冴樹は自席に近づくと、肩に掛けていたショルダーバッグを下ろしてやや乱暴に椅子に腰掛けた。
 外見ほどに洗練されているという訳ではなさそうだ。だが、それが彼には似合っていると思った。
 ――記憶の端で、絵が重なる。
 彼は長い足を持て余すように机の下に組んで、それから頬杖を付いた。
 そんな彼の様子をじっと見つめている担任をはじめ、クラスメイトの視線に気付くと、鬼堂冴樹は、半そでシャツから伸びた薄く筋肉がついた腕を持ち上げると、ヒラリと手の平を皆に見せるように動かした。
「どーぞ、俺にお構いなく、ホームルームを続けてください」
 彼の言葉に担任は自分の役割を思い出したらしい。わざとらしい咳払いを一つして、そして、連絡事項を義務的に告げていく。生徒は皆、我に返ったように教壇に目を戻したが、すぐにチラリチラリと振り返っては、そこに彼の存在を確かめるよう視線を投げてきた。
 彼の隣の席にいる私はクラスメイトのそんな様子をまざまざと見せ付けられた。
 転校生ということで注目されるのはわかるが、鬼堂冴樹はそれに輪を掛けたような反応だ。こんなに目を付けられてはさぞかし居心地が悪いだろう。
 私はそう思いながら、他のクラスメイトと同じく彼を盗み見た。
 しかし、当の本人はこの手の反応に慣れているのか、担任の声に耳を傾けながら、窓から外を眺めていた。
 彼の横顔のラインの滑らかさに私は注視してしまったようだ。視線に熱があるのなら、彼は頬に当てられたその熱に気がついたのだろう。
 少しだけ、首を動かすようにして、こちらを見返った。
 日本人にはありえない、青灰色の瞳。長い睫が縁取った切れ長の目と、視線が合った。
 ハッと息を呑む私に、彼は唇をそっと緩めて微笑んだ。
 ――また、記憶の中で絵が重なる。
 目の前の彼と――。
 ……ああ、そうだ。
 私は確信した。
 彼を――鬼堂冴樹を、私は知っている。
 そう遠くない昔に、私は会っている。
 この美貌で。だけど、外見とそぐわない口調と態度。でも、とても綺麗に微笑む彼を私は知っていた。


 担任が出て行って、一時間目の授業が始まるまでの間、いつもは騒がしいはずの教室内は妙に静まり返っていた。
 クラスメイトたちが息を詰めて、遠巻きに様子を伺っているのは鬼堂冴樹である。
 当の本人は自分に集まる視線など目に入らない様子で、ショルダーバックの中身をあさっては、不意に顔を上げると隣席の私を振り返った。
「名前、何だっけ?」
「えっ?」
「お宅の名前さ」
「……神野、神野綺羅」
 彼は覚えているだろうか? 昔と姓が変わってしまった私を……。
「キラ? 変わった名前だな。でも、悪い名前じゃない」
 唇の端を引き上げて、冴樹は笑った。私はそんな彼に礼を返す。
「……ありがとう」
「うん。ああ、それで神野さん。次の授業は何だ? 俺、まだ教科書を揃えてないんだ。良かったら見せてもらえるか?」
「えっ? ええ、構わないけど」
「サンキュー」
 と、冴樹は人懐っこい笑みを見せた。
 綺麗なお飾り人形的なイメージが一転して、愛玩動物のような愛らしさを持って親しみを感じさせる。
「……鬼堂君はどこから来たの?」
 私は彼に問いかけた。周囲の皆が聞き耳をたてているのが気配でわかる。
「どこからって? ……ああ、前に住んでいた所のことか」
 漆黒の髪を指でかき乱して、冴樹はちょっと困ったような顔を見せた。それから、ボソリと、とある地方を口にした。
 そこは、私が住んでいた町の名前ではなかった。
 彼と会ったことがあるという確信が揺らぐ。
 ――人、違いだろうか?
 でも、鬼堂冴樹という名前は、私の綺羅という名前同様に、そうそうある名前ではないような気がする。
「家庭の事情ってやつで、昔から色々な所を転々としてんだ」
「……そう、なの」
 ならば、彼が本人である可能性はあるわけだ。
 ぼんやりとそんなことを考えていると、一時間目の授業の教師が入ってきた。


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