2,二つの顔 鬼堂冴樹は、あっという間にクラスの人気者になった。正確に言えば、学校中のアイドルに。 その類稀なる美貌でとっつきにくい人間かと、皆が警戒していたところ、彼は全く気取らなかった。愛想のいい笑顔を振りまきながら、だけどおべっかを使うことはない。 意思表示はこれでもかというくらいハッキリしていたが、わがままでもない。 転校して間もなく行われた中間考査で、彼は学年首席の地位に堂々と輝いた。また、体育の授業では、陸上部の精鋭とタイムを競い合い、呆気ないほど簡単に校内記録だけではなく、県の記録を塗り替え、サッカーやバスケットボールの授業では、スポーツ万能ぶりを遺憾なく発揮した。 スポーツ万能で、秀才。眉目秀麗の美形ときたら、気の早い女の子は、彼の人間性などわからなくてもメロメロになった。 転校してからひと月も経たないうちに、冴樹は両手両足の指では足りない数の女の子から告白されていた。 だけど、いまだに「彼女」というポジションを勝ち取った女の子はいない。 「好きなの……」 委員会が終わって鞄を取りに戻った教室の中から、女の子のかすれるような声が私の耳に入ってきた。 私は開けようとして取っ手に伸ばしかけた手を引き戻し、覗き窓から室内を伺う。 そこには鬼堂冴樹とショートカットの――女の私が見ても、可愛いと思う――女の子が二人きりでいた。 どうやら私は告白場面に出くわしたらしい。 どうしようか? と迷う。 今、この場に入っていくのはマズイだろう。だけど、鞄を取らないことには帰れない。 今日は私が夕食当番だから、なるべく早く家に帰りたいのだけれど。 扉の取っ手に、手を伸ばしては躊躇する。そんな私の耳に冴樹の声が聞こえた。 「残念だけど、俺はあんたのこと知らないよ」 聞いているこっちの背筋が冷たくなるような、素っ気ない言葉で彼は女の子に背を向けた。 「だから、付き合えない。知らない相手と恋愛なんてできないだろ?」 「友達からでいいんです」 「あ、そう。じゃあ、友達からって、いうことで。それでいいのなら、付き合ってもいいぜ。でも、友達から何を進展させるっていうわけ?」 肩越しに振り返った青灰色の瞳を、冷たいと感じたのは私だけではないようだ。女の子は小さく身を縮めた。 「初めに断っておくけれど、俺、友達相手に恋愛なんてできないから。というか、しないから。友達と恋人って違うじゃん? それで本当にいいわけ?」 「わたしは……」 「あんたの好意は嬉しいよ。でも、俺にはあんたの好意をそのまま受け入れる受け皿はないんだ。俺の都合で、あんたの感情を捻じ曲げるのはどうかと思う。それと同じようにあんたの都合で、俺の感情とか捻じ曲げて欲しくない。……俺の言っていること、わかるかな?」 「…………」 「友達としてでいいのなら、それでいい。だけど、友達に特別なんてないこと、それを覚えておいてくれ。多分、俺はあんたが望むような友達にはなれないってことを」 遠まわしな言い方だけど、伝えようとしていることは嫌でもわかった。 女の子にもそれがわかったのだろう、踵を返した。私がいる引き戸とは別の引き戸を開け放つと、教室を飛び出した。 廊下を走り去って行くその背中を見送って、私は再び教室内に目を向けた。すると、冴樹が窓越しに私を見て笑った。 びっくりして、一歩後退した私の前で戸が開かれ、冴樹が姿を現した。 「嫌な場面に付き合せて、悪かったな」 そう言って、突き出した彼の手には私の鞄が握られていた。 「……あっ」 「入り辛かっただろ?」 「……ええ、まあ」 「悪かった。二人きりになった時点で、ああいう展開はあるかなとは思っていたんだ。でも、俺の噂も聞いていると思ったし。……まさか、本当に口にするとはな」 冴樹は軽く肩を竦めた。 彼の噂とは、他でもない。冴樹は女嫌いではないか――というもの。 私は彼から鞄を受け取った。歩き出す彼に、私は自然と並んで歩き出す。 「女の子が嫌いって……聞いたけれど」 「二十人近くの女を振っていたら、まあ、そういう噂が立っても不思議じゃないか」 苦笑した彼に、私は本当のところはどうなのだろう? と、小首を傾げながら視線を返した。 「言っておくけど、俺、女が嫌いってわけじゃないぜ。だけど、女だからって誰彼と恋愛するほど女好きでもないだけさ」 「……可愛い子だったけれど?」 「顔の美醜で人間を判断するのは早計だぜ? いい見本が、神野さんの目の前にもいるだろ?」 「自分で言うかな、……普通」 「厚顔だろ。おまけに口が悪いし」 あっけらかんと言い放つ。その飾らなさは冴樹の魅力の一つだと私は思った。 「だからさ、顔がいいなんてだけで、俺を選ぶのはなんだかな、って思うんだよ。そうするとどうも、態度に出ちまうんだな、これが」 「何も、顔だけであの子は鬼堂君を好きになったわけじゃないと思うけれど?」 「スポーツ万能で、頭がいいから? 憧れた? でも、俺だけが頭がいいってわけじゃねぇだろ。うーん、噂に聞いたけれど、三年の「村上」という先輩も凄いらしいじゃん」 私はドキリとした。不意打ちで「村上」という名前を聞いたからだろう。 何気なさを装って反論してみるけれど、私の声に覇気がないのは自覚できた。 「先輩と鬼堂君は違うでしょう? だから……」 「そうか? 話に聞くところによると、学年トップでサッカー部のエース。性格、人柄、ルックスも特上の女の子の憧れの的だって、男子は羨んでいたぜ。俺なんかよりもずっと出来た人間じゃねえか。でも、彼女がいるらしいな?」 「…………」 「じゃあ、目をつけるのはフリーの人間。ホラな、女子が飛びつく簡単な図式ができあがる」 「先輩が駄目だから、鬼堂君に声を掛けて来たと言うの? それは鬼堂君の深読みのしすぎじゃない?」 「でもさ、ひと月そこらで俺の何がわかるって? 顔が良くて、スポーツ万能で、頭が良くて。まあ、ちょっと顔見知りの段階になれば、俺が口の悪い奴だっていうのはわかるだろうけど。そこまでだろ? それが俺という人間を構成する全てだって言うのか? 冗談じゃないね。俺はそんなに単純じゃないさ」 吐き捨てるように、冴樹は言った。 多分、彼は見た目から誤解されることが多いのだろう。そして、綺麗だからというイメージで、性格が他人によって設定されるのを冴樹という人間は良しとしないし、彼は自分という人間を全て晒しているわけじゃない。 「じゃあ、鬼堂君は一目惚れなんて信じないほうなの?」 「いや、一目惚れっていうのはあると思うぜ? 人格が顔ににじみ出ている奴を俺は少なからず知っているからな。夢想家なところがあって、馬鹿みたいにお人好しで、平気で青臭いことを言うけれど、純粋なんだと思う。そいつを見てっと、一目惚れっていうのも、まんざらお門違いって訳じゃねぇと思う」 「じゃあ、あの子は? あの子も、鬼堂君に一目惚れした。それじゃあ、納得できないの?」 「俺は違うな」 「……えっ?」 「俺は作っているからさ。冴樹っていう気のいい奴を」 冴樹はそう告げると唇を歪めた。 「作っている……?」 「転校生が最初から地を晒すわけないだろ?」 クッと喉の奥で笑うと、冴樹は階段をタンタンタンと小気味良いリズムで駆け下りて行った。 |