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 4,偽りの恋人


「綺羅っ!」
 冴樹のよく透る声が私の名前を呼んだ。昼休みの時間に入り、それぞれお弁当やらパンやらを片手に昼食に入ろうとしていたクラスメイトたちは、その声に驚いて教室の外にいる冴樹とお弁当を二つ抱えた私を交互に見た。
「天気がいいから、屋上で食おうぜ」
 周囲の視線など全く目に入っていない様子で、冴樹は言った。私はそそくさと席を立ち彼の元へと走った。教室の戸を後ろ手に閉じて、冴樹を見上げる。すると、彼は唇の端を持ち上げ、私の反応を面白がっているようだった。
 からかっているのだろうか? 無理矢理恋人にさせられたのだから、怒っていて当たり前。
 彼の行動にこちらから文句を言えた義理じゃないけれど……。
「顔が真っ赤だ」
 クスクスと笑って、冴樹は言った。
「あんなに見せ付けるようなことをしなくても」
「うーん、でもさ、恋人同士ってあんな感じじゃないか?」
 冴樹は小首を傾げた。
「そうかしら?」
「周りなんて見えていない。だから、ところ構わずにベタベタしているんだろ?」
 世の中の風潮を嘆くように、冴樹は肩を竦めた。
「だからって、鬼堂君まで真似ることはないじゃない。そういうの嫌いなタイプに見えるけれど」
「人前でイチャつくの、確かに嫌いだぜ。見せ付けられるのも、そんなことするのもな。だけど、見せ付けなきゃ、綺羅が俺を彼氏にした意味がないじゃん」
 サラリと確信を付くようなことを言って、
「ああ、それと。鬼堂君って言うの、止めにしねぇ? 冴樹でいいよ。女みたいな響きだけど、俺は結構、この名前を気に入っているからさ」
 冴樹は私の手からお弁当を二つ取り上げると、階段のほうへと歩き出した。私は千里眼という言葉を思い出しながら、冴樹の後に続いた。
 冴樹は私が彼を恋人に仕立て上げた理由をそれとなく感じているようだった。面と向かって具体的な何かを言うことはなかったけれど。
 屋上に着くと、秋晴れの日差しを受けたそこは教室よりもずっと暖かだった。
 冴樹は柵に背中を預けると、さっさと座り込む。立ち尽くす私を見上げては、自分の隣に座るように示した。
 私はスカートの裾に気をつけながら腰を下ろす。冴樹は持っていたお弁当の小さい方を私の膝の上に返してくれた。
「わざわざ作らせて悪かったかな?」
「いいの。作る手間は三つも四つも変わらないから」
「ああ、多く作るだけのことか」
「そう」
 冴樹は割り箸を歯で割った。それから早速とばかり鳥のから揚げをつまみあげ、頬張る。私は少しだけ緊張して、その横顔を見守った。
「……どう?」
 いつもは夕飯の残り物とかを使うのだけれど、冴樹に食べさせるということで、今日は一から作った。
「へえ、美味いじゃん。料理をやっているっていう話だったから期待していたけれど、期待以上だ。弁当はいつも綺羅が作ってんの?」
「夕食は姉と交代で。朝食とお弁当は私が毎朝、作っているわ」
「綺羅のお姉さん……薫さんだっけ? あの人、朝に弱いの?」
「姉は隣の市の女子校に通っているから、時間がないのよ。ホラ、私は坂を下るだけでしょう? お弁当を作って学校へ行く準備を始めても、まだ余裕があるくらいだから」
「役割分担ってわけだ」
「そうしないとやっていけないでしょう?」
 姉に全てを押し付けられるはずもない。だからと全てを背負うほどの度胸もなかった。
「まあな。それはそれでいいと思うぜ。ただ、綺羅の性格だと出来ないことも頑張りそうだったからな」
 上目遣いで冴樹はニヤリと笑った。小悪魔的な笑みだ。何かを企んでいるような妖しい微笑。目眩がするような美貌がもったいないような気がしないでもない。でも、そういう表情が不思議と似合う。
「……冴樹は……私のこと、知っているように言うのね」
 声をひそめて問い返した私に、冴樹は真顔になった。それからしばらくして、ニヤリと笑う。
「綺羅が俺の秘密を知ったのは何でだ?」
 その問い返しに私は失念していた事実を思い出した。
 私が冴樹の秘密を知っているのは、昔に冴樹と会っていたからだ。ならば、私と同じように冴樹も昔の私を知っているはずだ。
 私のことを覚えているならば。
「……私のこと、覚えていてくれたの?」
「綺羅って名前を聞いたとき、昔、隣に住んでいた女の子を思い出したよ。もちろん、直ぐにその女の子と綺羅が同一人物だとは結びつかなかったけどな。名字が変わっていたし、家族構成も」
 冴樹はお弁当を食べる手を止めて、顔を上げた。
「四年前、両親が離婚して私は母の実家があるここに引っ越してきたの。そして、三年前に今の義父と母が再婚したのよ」
「うん。綺羅が俺の秘密を知っているって言ったとき、……ああ、あのときの女の子だってわかった。それで何となく、そういった事情は予測していた」
 労わるような眼差しで冴樹は頷いた。
「薫さんは相手の連れ子さんか」
「そう。妹は義父と母の間に生まれたの。私と半分は同じ血を継いでいるわ。今、私の血縁はどこにいるともしれない父と妹だけよ」
 投げやりな声で私は言っていた。
 何だか突然、自分がとてつもなく孤独に思えた。
 全くの天涯孤独と言うわけではない。でも、二歳の妹とは意思の疎通が取れるようになるまで暫くかかるし、実の父とは四年前から一度も連絡を取り合っていない。
 私という人間に繋がる人はたった二人しかいない。それが私の命綱だとすれば、あまりにも細い絆に不安になる。
「俺も家族は樹だけだよ」
 ポツリと冴樹は言った。
 樹――その名は冴樹のお兄さんの名前だ。
 私の記憶にあるその人は、いつも冴樹の隣にあって、穏やかにそれでいて儚げに美しく微笑んでいた。
 病気で、日中は外に出ることができないという樹さんは雪のように白い肌をしていた。力を入れて抱きしめたら、それだけで折れそうな華奢な身体。冴樹より少し大人びいた美貌は、幼かった私には現実に生きているようには見えなかった。
 まるで夢のような存在だった。
 ……ずっと夜だったらいいのにね……記憶の端で、そっと囁く声が聞こえる。
「樹さんは……元気?」
 私は話題を切り替えるように問いかけた。
 冴樹は小さく微笑んだ。
「ああ、相変わらず、日中は外には出られないでいるけどな。それ以外は元気さ。綺羅のことを話したら、懐かしがっていた」
 外に出られない……冴樹の秘密を知った今、私は樹さんの病気が本当は何であるのかがわかった気がした。それは馬鹿馬鹿しい想像なのかもしれないけれど。
「……樹さんに会いたいな」
 あの人はまだ、あの頃と同じようにあるのだろうか。
 だとすれば、やっぱり冴樹と樹さんは……。
「会いに来るか?」
「……いいの?」
 あっさりと言ってきた冴樹に私は目を丸くした。
「何、遠慮してんのさ。俺の秘密を知っている綺羅に、今さら何を隠すっていうんだ?」
 おどけたように冴樹は笑う。確かに彼の言うとおりだ。
 秘密が秘密でなければ、冴樹は私の脅しに屈する必要なんてなかったのだから。
「ただし、夜にな。昼間は家の中でもあいつにはキツイから」
「うん」
 頷く私を見やって、冴樹もまた満足げに頷いた。それから他愛もないことを喋りながら、私たちはお弁当を片付けた。


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