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 2,わけありの美少女

 桜は既に散り始め、緑の葉が目立ち始めていた。新学期も始まって、既に一週間ばかり過ぎている。
 春先の転校には少々遅れているし、受験を控えた高校三年生が転校して来るのは、やはり珍しいらしい。
「春木くんは何で、この時期に転校?」
 外を眺めていた俺は、その声に振り返った。
 隣を歩くのはクラス委員長の柿崎悟。いかにも委員長っていう黒縁メガネの──この俺の委員長って役職に対するイメージもどうかと思うが──似合う男だ。
 柿崎には昼休みを利用して、校内を案内してもらっている。正直、助かった。休み時間のたびにクラスの女子が群がってくる。転校生の宿命だろうと思うが、ハッキリ言ってキツイ。愛想笑いは苦手なんだよ。
「あー、親父の転勤。元々、こっちの大学志望だから、中途半端な時期だけどついてくることにしたんだ」
「そうなんだ。でも、あんまりに田舎でビックリしたんじゃない?」
「いや。そうでもない。ちゃんとコンビニもあったし。郊外に行けばでかいショッピングセンターもあるって話だし」
「そう? 大抵、都会から来る奴はガックリくるんだけど」
「俺、人ごみって好きじゃなかったし。……ああ、くん付けは要らないよ」
「え?」
「春木もしくは誠人でいいよ。俺も呼び捨てにするから」
「ああ、うん、じゃあ……春木」
「いいよ」
 俺は目線で頷いた。柿崎も頷いて、校内案内を続けた。
 特別教室のある校舎を上から下に。その校舎の一階で、俺は足が止まった。
 購買部が昼飯を求める奴らで賑わっている。一応、俺たちの校内案内の最終目的地もそこだった。昼の用意をしてこなかった俺は購買でパンでも買うつもりでいた。まあ、別に一食くらい抜いても構わないんだけど。
 近所にコンビニがないので、購買部はいつも盛況だと、ここへ来る途中に柿崎が言っていたが。なるほど。
 購買部の混み具合に、やや圧倒されて足を止めた。
 そこへ、俺達がいる反対側の廊下から歩いてくる一人の女生徒がいた。
 彼女の姿が目に入ると、購買部の前の賑わいが一瞬、息をひそめたように静まり返った。
 彼女はそのまま購買部の店頭に歩みを進める。そこに群がっていた人垣が割れた。彼女はパンとパックのジュースを買うと片手に抱えるように廊下に出てきた。そして、俺たちのほうに歩いてきた。
 真っ直ぐに前を見つめる黒い双眸。漆黒の髪は腰まで伸びたストレート。艶やかなそれは光を受けて天使の輪を作っている。
 肌は白。でも、白すぎるってほどの白じゃない。ちゃんと血の通った肌の白さ。唇は桜色。リップや口紅をつけている風でもない自然で、それでいて肌に合った色だ。睫も長いが、マスカラたっぷりという風でもない。勿論、肌も素肌。
 化粧なんて一つもしていない女がこんなに綺麗なものか、と俺は疑問に思った。姉貴のスッピンは見られたもんじゃないから。
 そんな俺の脇を彼女は通り過ぎる。
 俺は彼女の姿を追って、気がつけば振り返っていた。
 そのピンと背筋を伸ばして歩く後ろ姿に、目を見張る。
 自慢じゃないが、俺の容姿に振り返らない女は、そうそういなかった。
 女に限らず男でさえも、すれ違いざま視線を投げてくるのは当然のこと。だから、姉貴は優越感に浸りたいがために、出不精である俺を事あるごとに連れ出していた。
 このときの俺は当然、彼女も俺を振り返るのだと思っていた。
 けど、廊下を曲がって、その姿が俺の視界から消えるまで、彼女は一度も俺を見なかった。
 ……彼女はだが。
「……今の誰?」
 俺は柿崎を振り返って問う。
「ああ、隣のクラスの高宮夏月」
 柿崎はメガネの奥で目を細めた。その仕草が何か、嫌なものを見たような、といった感じに受け取れる。
 ……こいつにも見えたのか?
 訝しげに柿崎を観察していると、メガネの奥の目は俺を見上げて、言った。
「悪いことは言わないから、彼女には関心を持たないほうがいいよ」
 人が良さそうな柿崎が口にするには違和感を覚えるセリフに、俺は冗談めかして問い返した。
「高嶺の花ってこと?」
「春木とだったら美男美女の最強カップルだと思うけど。でも、彼女は駄目だよ。誰に対しても無関心だから」
「……無関心」
「今の目、見たでしょ。誰も視界に入れてないんだ。今まで、それこそ何十人って奴がアタックしたけど、誰も相手にされていない」
「それは単に、好みの男がいなかったからじゃないのか?」
「それ以前の問題だよ。普通、告白するために呼び出すじゃない、手紙とか、人とか使って」
「ああ、うん」
 俺自身も何度かそれを経験している。
 定番は屋上か、校舎裏か。下校途中を待ち伏せされたこともあったし、自宅まで乗り込んでこられたこともあった。
「彼女はその呼び出しにも応じない。完全無視」
「……へえ」
 それはなんと言うか。俺でさえ、後の人間関係を気にしていたというのに。
「凄いのな」
 素直にそう感心する。無関心もそこまで徹底していたら賞賛に値する。敵を作るのも怖くないなんて、よほど根性が座っていないとできないことだ。
 俺は中途半端だから、したくもない愛想笑いを浮かべては、周りとの関係をなるだけ穏便に繕ってきた。
「変わっているよ」
 吐き捨てる柿崎の横顔を、俺は冷淡に見つめた。
 集団に入れなれない人間は変わり者と称される。それは否定しない。でも、俺は誰にも媚びないという生き方には憧れる。
「それに……」
 柿崎は他人の耳をはばかるように、声をひそめた。
「それに?」
「高宮には変な噂があるんだ」
「噂って? まあ、あれだけ美人なら妬まれてあることないこと言われるんだろね」
 俺は自分の経験から言った。
 二股掛けているとかいうのは、可愛げがあるほう。友人の彼女を寝取ったとか、俺の成績の良さから女教師をたぶらかして試験問題を横流しにしてもらっているとか……そんなあり得んことを考えるくらいなら、勉強しろよと言いたくなる低俗な噂まで色々とあった。
 まして、高宮夏月という彼女は人に媚びない性格だというのなら──単に、自分に対しても無関心なだけなのかもしれないが──さぞかし、敵も多く、噂も辛辣なものなんだろう。
「ないこと、じゃないと思う。実際、被害にあっている奴もいるよ」
「……被害って何よ。もしかして、高宮さん……彼女の後ろに不良集団がいるとか? 実はレディースとか?」
 言いながら、それは違うだろう、と思う。集団を嫌う奴が集団の典型的なそれらの組織に属するはずはない。というか、レディースって存在してんの? 
 でなかったら……彼女に憑いていたあれか?
「違うよ……彼女はその、呪われているんだ」




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