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 4,死人からの依頼


「高宮夏月さん?」
 帰り支度をしていた彼女の前に立って、俺は声を掛けた。
 彼女は聞こえただろうに、まったくこちらに視線も寄越さず、席を立つ。するりと俺の脇をすり抜け、教室を後にする。
 俺は彼女の背中を追いかけた。
 このクラスの奴だけでなく、俺を追いかけてきたクラスの奴も驚いた様子でこちらを注視している。
 その中で、高宮夏月は俺を無視して廊下を行く。
「待って。一緒に帰ろう」
 呼びかける声に彼女は振り返らない。ただ、彼女に憑いている死人が肩越しに振り返ってくる。その顔を見上げる俺と目が合った。
 襟足に掛かるまでに伸ばした艶やかな黒髪。少し垂れ目気味の目尻。でも、垂れ目がマイナスにはなっていなくて、むしろ善人顔を強調していた。
 スッキリした鼻筋、形のいい唇。間違いなく美形の部類に入る端整な顔立ちの死人は、俺と目が合って微かにたじろいだ。
 見えないはずの自分と視線を合わせてくる奴なんて、今までにいなかっただろうから、驚いたのだろう。
 俺はゆっくりと高宮夏月の後を追いながら、彼女の背中ではなく死人に目線を当ててもう一度言った。
「一緒に帰ろう」
 死人が俺から目線を外した。そして、高宮夏月の耳元に何やら話しかけると、ぴたりと彼女は立ち止まった。そして、ゆっくりと俺を振り返る。
 真っ直ぐに俺を見つめてくる彼女に俺は愛想の笑みを返して言った。
「俺は隣のクラスに転校してきた春木誠人。話がある。一緒に帰ろう」
 彼女はコクン、と頷いた。
 俺たちのやり取りは校内をざわめかせた。

  ────アノ高宮ガ、男ト。
   誰ダ? アノ、チャレンジャーハ?
   転校生? 誰カ、教エテヤレヨ。呪ワレルゾッテ────

 そんな雑音を耳にしながら、俺と高宮夏月は並んで校舎を出た。
 学校を出て、俺はとりあえず自分の家に向かって歩き出す。彼女の家がどちらにあるのか知らない。そして、この周辺には寄り道できるような喫茶店もない。うらびれたスナックと焼鳥屋が通りにぽつんとあるが、そこに高校生の俺たちが入っていくのは場違いすぎる。
「三人で話をできるような場所、知っている?」
 俺はあえて三人と言った。死人を含めた人数だ。高宮夏月には死人が見えると俺は確信していた。でなければ、無関心な彼女が俺の誘いに応じるはずがない。
 首を振る高宮夏月を見やって、俺は宙に浮かぶ死人を見た。彼は何かを告げようと、口を開いてきたが俺は唇に手を当てて、黙っているようジェスチャーした。
 俺たちと同じく下校途中の奴らが周りにチラホラと見える。そんな中で、死人に話しかけたら、転校生は空気に話しかける変な奴とみなされてしまう。
 俺は俯き小声で囁いた。
「幽霊は、今は話すな。俺には答えを返せない」
『わかったよ』
 頭の上から答えが返ってきた。
「それじゃあ、俺の部屋でいいか。この辺の地理に詳しくないから」
 横を振り向くと、高宮夏月は無表情で頷いた。

 親父の会社が用意したのはメゾネットタイプのアパート。まだ建って間もないそこを俺は気に入った。何しろ、死人の影が見えない。
 一家で暮らしていたマンションは昔、自殺したらしいOLの死人が時々、うろついていた。
 特に何かをしてくるというわけではなかったが、朝の出掛けに目撃すればその日一日は何となくブルーになったものだ。何しろ、首をかき切っての自殺らしく、服は赤く染まって生首が歩いているような按配だった。
 まだダンボールが山積みの俺の部屋へ二人を案内して、俺はそこで茶を淹れるために席を立った。
 台所に立てば、片付いていない食器類の中から茶器を探すのが面倒で、ミニペットボトルのお茶を三本、冷蔵庫から取り出した。
 部屋に戻ると、ちょこんと床に座った高宮夏月に対して、死人はフワフワと浮いては辺りを物珍しそうに見回している。
 とりわけ、ミステリー小説が詰め込まれた──俺の小遣いの全てがつぎ込まれた──天井まで届く二つの大きな本棚を前にしては下から上へとまたフワフワと飛ぶ。
『ミステリー、好きなんだ。この傾向から見ると本格ものが好きなのかな?』
 室内に戻ってきた俺を見て、死人は微笑みながら――愛想のいい幽霊だな――言った。本棚に並んだタイトルで、俺の趣向を言い当てるとはこいつもミステリー好きか。
「読み出したきっかけは別だけど、今は純粋に謎解きを楽しめる本格がメインだな。社会派はちょっと俺にはキツイ。ハードボイルドも苦手なんだ」
 腰をおろしながら言って、フワフワと浮かんでいる死人を見上げた。
「……あのさ、ちょっと地に足着けたら?」
 俺はテーブルに二本のペットボトルを置き、一本は早速、自分で口をつける。
『あの……君には僕が見えるんだよね?』
 床に降り、高宮夏月の隣に腰を下ろした死人は今さらのことを問いかけてきた。
 既に会話を成立させている時点で、その確認は無意味だろう?
「まあね」
 俺は横目に高宮夏月を見やって、頷いた。
「彼女も見えるんだろ。だから、その子に憑いているわけ? 何が心残りなのかはわかんないけど、あんまり人に憑くのはよくないぜ」
『あ、うん……それはそう思うけどね』
 首を竦める死人の横で、高宮夏月は漆黒の双眸で、俺を睨みつけてきた。
 明らかに敵意ある眼差しに俺はビクリとする。美人なだけに視線の一つに迫力がある。笑えばそれこそ悩殺されそうなくらい、強烈な視線。惹きこまれそうな瞳。
『ああ、夏月。そんな顔しないの。彼は他でもなく夏月のために言ってくれているんだから』
 と、死人が彼女をなだめる。死人の一言に彼女は頷いて、怒りの矛先をおさめた。
「……ええっと、二人の関係は何?」
 俺が思っていたよりも仲が良い。まあ、死人が彼女を守っていたという例から見れば、高宮夏月にはこの死人を敵視する必要はない。
『自己紹介がまだだったね。僕は高宮アキラ。秋に優良不良の良って字を書いて、秋良って呼ぶの。夏月の兄だよ』
「兄貴……」
『で、もう知っていると思うけど改めて紹介するね。妹の夏月だよ。君の名前、もう一度、教えてくれる? あの時は僕が見える人がいるってことでビックリしちゃって』
「ああ、俺はハルキマサト。春の木の誠実なる人って字を書く。春木でも、誠人でも好きに呼んでくれ」
「うん、ありがとう、誠人君」
 にっこりと秋良は笑った。さっきから感じているが、実に愛想の良い笑顔だな。死人に感じる悲愴感はまったくないぞ。
「えっと、それで兄貴が妹に取り憑いているのはどういうわけ? いや、取り憑くっていうのは違うか。高宮は……」
 高宮というそれに二人の視線が集中する。
 ああ、二人とも同じ高宮だから、自分が呼ばれたのかと思ったんだな。秋良と夏月とそれぞれに名前で呼ばせてもらうことを断って、俺は続けた。
「秋良は別に夏月を恨んでいるわけじゃ、ないんだよな?」
『もちろんだよ。どうして、僕が夏月を恨むの』
「だって、俺は秋良が死んだ理由すら知らないんだぜ。見たところ、病死か?」
 尋ねた俺に秋良は首を振った。
『病死じゃない。殺されたんだ』
「…………殺された?」
 俺は絶句した。
 ……ああ、もしかしなくても俺は余計なことに首を突っ込んでしまったのか? 自分の軽率な行動に後悔した。
 死人のせいで通常生活を送れない俺は、柿崎から夏月に対する呪いの話を聞いて──正確には呪いなんかじゃないのだが──少なからず彼女に同情を覚えた。
 だから、夏月に憑いている死人が悪い奴じゃないのなら──彼女を守護している様子から──説得すれば、死人を彼女から引き離せるんじゃないかと思ったのだ。
 死人のせいで夏月が他人との人間関係を拒んでいるのなら、それは俺がしたくもない愛想笑いで人間関係を築いていたこととの真逆ではある。でも、つまるところは自分の望まない自分の形を押し付けられているわけだ。
 それで俺はわざわざ夏月と関係を持つような真似に出たわけだが……。
 だが、兄妹とわかって、その仲の良さを目の当たりにすると、俺の推測は的外れだってことに気付く。
 それどころか、殺人なんて言葉が出てきたからにはもう何もなかった振りなんてできない。まして、明日の学校を思えばちょっと気が重いっていうのに。
「殺されたってどういうことだ?」
『…………』
 チラリと秋良は横にいる夏月に目線を走らせた。彼女は俯いて、スカートの上に置いた手を見るともなしに見ている。
「……話したくないのなら、別にいいけど」
 人が死んでいるんだ。そこにある深刻な事情は、簡単に口にできるものではないだろう。とはいえ、話して貰えなければ、俺としてもどうしたらいいのか、動きようがないんだが。
『そうじゃないよ、誠人君。むしろ、僕としては君に話して積極的に巻き込みたいくらいだ』
「……止めてくれ」
 反射的に呻いた俺を見て、秋良はホラね、と笑う。
『聞かされても、きっと困るだけでしょう?』
 ああ、その通りだ。だが……悲しいことに、ミステリー好きな俺としては面倒ごとを嫌うのも本心でありながら、その殺人という単語にも気が引かれている。
 いや、わかっている。これは小説なんかじゃなくて、現実だってことは。
「復讐とか言い出すなら、御免だ。でも、俺なんかで何かできることがあるなら話してもいいぞ」
『復讐だなんて……恨みはあるけれどね。僕としては夏月が安全に暮らせることを願うよ。それで……もし、誠人君が手を貸してくれるなら』
 秋良は本棚のほうを見た。ああ、こいつ、俺の趣味を知っていてわざと殺されたなんて言ったんじゃないか?
 ジトリと見つめた俺の視線に気がついて、秋良は笑った。確信犯か。
『頼みというのはそうだね。僕の叔父さんの罪を立証してくれないかな?』




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