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 8,笑わない理由


 俺は一番後ろの席で授業を適当に聞き流し、秋良と屋上での続きを再開した。
[問=お前の叔父は勿論、車を持っているよな?]
 その文を書いたノートを秋良のほうに、見えるようにズラす。
『うん』
 黒板に背を向け、こちらに向き合う形の秋良は頷いてきた。
 ふむ。とすれば、協力者がいた可能性は排除していいだろう。
[問=お前の死体が隠されていると思われる山に無人の民家はあるか?]
『うん、母さんの実家があるよ。今は誰も住んでいないけど。それが何か関係あるの?』
[山に捨てるより、その家にでも隠しておいたほうが野犬なんかに掘り起こされる心配がないだろ? ただ、浮浪者なんかが住み着いたりする可能性を考えれば、それもまたまずいが。定期的に見に行くようにすれば……というのが、希望的な観測]
『希望?』
 小首を傾げる秋良に俺は唇を尖らせた。
[あの山からお前の死体を簡単に見つけ出せると思ってんのか? 埋めた本人でも余程の目印がない限り、忘れているぞ。それを俺と夏月で探すんだ。一日、二日でできることじゃねえだろ? 第一に、あの山に本当に埋められているかどうかなんて、わかんねぇんだよ。ハッキリ言って、外れている可能性のほうが高いんだ]
『そうかな? 僕は誠人君の推理を聞いてなるほどと思ったけど』
[お前のそれも希望的観測だろ?]
 叔父の犯罪を立証する、それを切に望んでいる秋良は俺の推理通りであればいいと願っている。
[……お前は夏月のことを心配していたけど、俺はそんなに心配する必要はないと思うぜ。夏月を自分の養女にして殺しても、財産は少なくともお前の死亡が確認されない限り入ってこないだろ。世間的に第一相続人であるお前は生きていることになっているんだ]
 いや、……違うか。七年の月日をめどに失踪宣告で死亡認定されるんだったな……俺は秋良に対して途中まで書き記したメッセージを消した。
[何にしてもお前がいれば夏月に手出しはできないんだろ?]
『でも、いつまでも、夏月の側にはいられないでしょう? いちゃいけないよ。死んだ人間が生きている人間の側にいるなんて……僕のせいで夏月は皆から普通じゃないって見られて……のけものにされて』
[夏月は気にしてないだろ?]
 凛とした姿で歩く夏月を思い出す。誰にも媚びず、真っ直ぐに前を見て歩く夏月を、俺はかっこいいと思った。
『気にしてないからいいってわけじゃないでしょう? 一人で生きていくなんて寂しいよ。無茶だよ』
[一人じゃねぇだろ。お前がいるんだから]
『幽霊を頭数にいれちゃいけないよ。誠人君、僕は死んでいるんだよ? 夏月がもし病気をしても僕は助けてあげられないんだ』
 俺は秋良の言葉にハッとなる。家族を亡くした夏月には誰にもいない。もし、本当に倒れたりしたら、どうなる?
『今は誠人君がいるから、夏月に何かあれば僕の声が聞こえる誠人君が助けてくれる。でも、僕は夏月や誠人君以外には見えないんだよ。そんな僕を当てにしたら……駄目だよ』
 秋良の泣き出しそうな声音に俺は思わず顔を上げかけ、周りの目があることを思い出した。
[泣くなよ。何にしても、お前の死体を見つけるまでは協力してやるからさ]
 俺はその文字を大きく書いた。頭の上から秋良が微かに笑って頷いた。
『うん。ありがとう。誠人君は本当に優しいね』
 優しくした覚えなんてないんだが?
 シャーペンの尻で鼻の頭を掻いていると、秋良は続けた。
『最初に見たときからね、誠人君って夏月に似ているなって思ったんだ。うん、やっぱり似ているね。そういったところ』
[美形ってところが?]
『アハハ、自分で言ったら説得力ないよ。まあ、兄である僕の目から見ても夏月は美少女だよね。僕がもし生きていたら、夏月を連れて街に出て皆に自慢するのにな』
 もしかしたら、秋良の奴、姉貴と気が合うかもしれないな。俺はぼんやりと思う。
[それで、似ているってどんなところだ]
『……笑わないところ』
 ポツリと呟いた秋良に俺は手を止めた。
 何だって? 笑わない? そりゃ、夏月は無表情だけど……俺は……。
『誠人君、気付いていた? 昨日からずっと怒ったような顔をしているよ』
 言われて俺は脇にある窓ガラスを振り返った。
 そこに反射し映った俺の影は眉間に皺を寄せ、唇をきつく結んでいた。夏月が俺を睨んだときに面差しが似ている。
 初めて知った。俺の顔って怒ると怖い。これじゃあ、誰も近づいてこないはずだ。
『夏月も笑わないんだ。……どうしてか、わかるよね?』
 笑わない理由は一つしかない。
 第一に、どうして笑えるって言うんだ? 目の前に死んだ奴がいるのに……死んでしまった奴がいるのに、笑えるはずがない。
 第一志望の高校の門前で、俺が逃げ出したのは……泣いて母親を捜している子供の前を友達と笑いながら毎日、通り過ぎることができないと思ったからだ。
 無視すればいい。そう言い聞かせても、目に、耳に入ってくるそれを遮断できない。
 俺がこの田舎にやってきたのも、クラスメイトの前で見えることを誤魔化そうとして、おどけることが苦痛になってきたからだ。
 死んでいる奴の前で笑うなんて……。
『二人とも優しい。優しいから……僕は困るよ。一緒にいたいのに、一緒にいればいるだけ、僕は二人から笑顔を奪ってしまう……』
 小さくなるその声に顔を上げると、秋良はフワフワと天井をすり抜けて消えた。
 おい、待てよ、と呼び止めようと伸ばしかけた手を慌てて引っ込める。ただ、それだけの行為も第三者の目には奇異に映る。霊感があるお袋や姉貴でさえ、唐突に喋りだしたりする俺を困惑顔で見ることも少なくはなかった。
 死人と一緒に居るということはなかなかに難しい。
 笑うことすら……自分自身に禁じてしまう。
 秋良の言うとおり、いつまでも死人がこちら側にいるのは問題だろう。俺だって、普通の日常生活が欲しくてここまできたんだ。秋良のことは嫌いじゃないが、ずっと一緒にっていうのは考え物だ。
 ……でも、夏月は?
『誠人君っ!』
 机の下から秋良が首だけを出してきた。心の準備ができていなかった俺は椅子を転がして立ち上がる。
 ガタン、と静まり返った教室に響くその音に、クラス中の目が俺に集まった。
 俺は思わず秋良を睨みつけるが、秋良は周りの様子など目に入っていないようで、ズイッとこちらに身を乗り出してきては叫んだ。
『誠人君、どうしようっ? 夏月が教室にいないよっ!』
 なっ? 声が出そうになってギリギリで堪える。
「どうした、転校生?」
 教科担任が尋ねてくる。まだ、俺の名前を覚えていないらしい。
「体調最悪なんで、早退します」
 俺はそう言い置いて、教室を出た。鞄も持たずに早退なんて、明らかに嘘であることはもろバレだろう。でも、構っていられなかった。
 オイッ、と呼び止める教師の声を振り切って、廊下に出た。
「夏月がいないって?」
『うん……教室にいったら、普通に授業やっているのに夏月がいないんだよ』
「具合が悪くなって保健室にいったんじゃねぇの?」
『見てきたよ。だけど、いなかった……』
「こういうこと、よくあんの?」
 俺はとりあえず廊下を突っ切って階段へと急ぐ。教室から顔を出されたら、独り言をぶつぶつ呟いている危ない奴がいると思われる。
『……あ、あのね……多分、先生のせいだと思う』
 声を小さくして囁いた秋良を俺は振り返った。
「何だ、それ。何? 夏月、教師に目をつけられていんの?」
 あの美貌だ。男教師に目を付けられていても不思議はない。教師は聖職なんて、そんなものは遠い昔の幻想だ。
『あ、違う違う、そうじゃなくて……あのね、今年、夏月のクラスの国語を担当することになった先生は……僕の昔、付き合っていた人なんだ。今は結婚して子供もいるんだけどね。前に話したけど、僕が殺されていることを夏月は彼女に相談したんだけど……受け入れてくれなくて。それで夏月は彼女のことちょっと嫌いになったっていうか……』
 秋良は顔の前で両手を振り、否定した後、困ったような顔をして言った。
「……お前、何それ。昼間、夏月に大丈夫だなって聞いていたじゃん」
『忘れていたんだよ。彼女が夏月の教科担任になったこと……新学期が始まって、すぐ、彼女、病気で入院しちゃっていたから。もう出てきているなんて思わなくて』
 睨み付けた俺に、秋良は『怖いよ、誠人君〜』と半泣きの表情を見せた。
「……お前は忘れられたわけ?」
『……え?』
 戸惑い俺を見返す秋良に、俺は黙って背を向けた。階段の前にきて、上か下か、悩む。
「屋上、探した?」
 既に階段を上りながら、ついてくる秋良に尋ねる。
『ううん、まだだよ』
 屋上に出た俺は、昼休みに弁当を広げたその場所に膝を抱えてうずくまっている人影を見つけた。
 顔を伏せているので、夏月本人と断定しかねたが、艶やかな黒髪をみれば間違いはないだろう。
『夏月……』
 近づいていこうとする秋良を俺は止めた。
「待て。俺が行く。お前はここで、俺が呼ぶまで待っていろ」
『誠人君……?』
 俺は目線で秋良をその場に止めて、夏月のほうに歩き出す。




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