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 11,置き去りの時間


 それから小一時間ほど、俺は家の周りを中心に歩いた。
 山の中腹辺りまでは果物の木が植えられている。が、その一帯を過ぎれば他の山と変わらない森林地帯。山中に死体を隠すというのは最初から考えていた通り、ありえることだ。道から外れてしまえば、わざわざこんなところにまで入って来る奴なんていねぇだろう。隠し場としては最適だ。
 ……くそ、マジで山全体を捜索範囲にいれなきゃ駄目か?
 秋良の叔父の性格にもよるだろう。慎重な性格なら、山の奥深く……あまり思考深くないのなら、直ぐ近くに隠した可能性が大きい。
 俺の考えでは、遺産欲しさに人を殺すような奴だ、あまり深く考えないで、ただ見つからないようにと死体を山に埋めた、と推測するのだが。
 俺の推理力自体が甚だ疑問だ。
『誠人君、どうする? まだ、歩く?』
 秋良の問いに俺は首を振った。服に合わせて履いた革靴で靴ズレを起こして、足が痛い。
「……今日は帰ろう」
 俺は足を引きずって、道を下る。
 帰路に着きながら、俺はもう一度、あの山に死体が隠されている可能性を考えた。ゴミを不法投棄しそうな人間以外、あの山を登るとは考えられない。隠し場所としては最適だ。
「なあ、お前らの叔父ってどんな奴? 何の仕事をしているんだ?」
『叔父さんは仕事についていないよ。今は一日中、家にいる。時々、ギャンブルをやったりしているみたいだけど』
「……ふーん」
 人を殺した良心の呵責から世間との関係を絶ったとか? そんな殊勝な性格なら自首しているだろう。もしくは姿をくらましているだろう。
 金の心配がないから、働かずにいるというのはまあ、不自然な行動ではない。
 どこかに出かけている様子もない……死体が掘り起こされていないか、心配で様子を見に出かけるというのもないということか。
 行動から死体の隠し場所を推理するというのは無理か。
「……着いたよ」
 色々、思考を巡らせているうちに車は二人の家の前まで来ていた。
 ツイっと服の裾を引っ張られた。振り返ると、助手席の夏月がじっと俺を見上げていた。
「……何?」
 小首を傾げる俺に夏月はツイツイと服を引っ張って、それから無言で車を降りた。閉じたドアの外から手の平でコイコイと手招きする。
 俺は秋良に目を向けた。秋良も何だかわからない様子で首を傾げる。俺は車を降りた。すると、近づいてきた夏月が俺の手を取って、歩き出す。
「何? 家に招待してくれるわけ?」
 問いかけた俺に夏月は前を向いたまま首を頷かせた。
 ……マジ? この間まで、視線も合わせなかったのに。ここまで心を開いてくれたっての?
 表に見えた家屋の前を横切っていくと、別の家屋の玄関先に出た。こっちは普通の建売住宅のようだ。夏月は俺の手を離すと鍵でドアを開け、家の中に入った。靴を脱ぐと脇にある階段を上っていく。
 玄関先で放置された俺はどうしたらいいんだ? 勝手に入ってよいものか迷っていると、秋良が手招いた。
『誠人君、あがりなよ』
「ああ……お邪魔します」
 足を締め付けていた靴を脱ぐとホッと息が漏れた。
『誠人君、どうかした?』
 秋良が不思議そうにこちらの顔を覗いてくる。歩くこと、身体を使うということを、もう十年近く経験していない秋良には、今日の俺たちがどれだけの労力を使ったのかなんて、実感もできないんだろう。それはしょうがないと思うが。
「……いや」
 多少、不機嫌に響いた俺の声に秋良は何かを感じたのか、少し慌てた様子で言ってきた。
『あ、冷蔵庫にジュースあるよ〜。お茶菓子は、えっーと、えっと』
 フワフワと台所に飛んでいった秋良は直ぐに俺の前に戻ってきた。
『誠人君、こっちこっち』
 廊下を先に行って手招きする。突き当たりのリビングの手前で『ここ』と指し示すので和室らしい部屋の戸を開けると、そこには仏壇が置かれていた。そして、その仏壇に供えられている菓子を指差し『どうぞ』と言ってくる。
 …………仏さんの供え菓子を客に出すか?
 死人が見えるせいか、他の奴なら、どうってことはないのかもしれないそれに俺は抵抗を覚える。まあ、秋良の気遣いには感謝するが、食う気にはなれない。
 俺は話を逸らすように言った。
「美男美女だな」
『えっ?』
「両親、なんだろ?」
 仏壇に飾られた二つの遺影を指差す俺に、秋良は笑顔で頷いた。
『うん、僕たちの父さんと母さん。僕はどっちかと言うと父さん似だね。夏月は母さん似かな〜』
 それでもどちらも美形であることには変わらない。人が良さそうな男と、凛としたりりしさを感じさせる女。性格もそれぞれに受け継がれたんじゃないかと思う。
『誠人君はお父さんとは似てないよね? お母さん似かな?』
「俺は母親似というより母方の血筋似って感じだな。何でもお袋の父ちゃんの若い頃に似ているってことだ。従兄も、よく似た顔をしているな。姉貴は親父似だな。性格はそのままお袋のそれだけど」
『お父さん、優しそうな人だったよね。誠人君の性格はお父さん似じゃないかな?』
「親父はまあ、お人好しって言うか優しいって言うか、天然? だから、お袋ともやって行けていると思うぜ。でも、俺はそんなに似てないと思うが?」
『えー? だって、誠人君、すっごく優しいよ』
「そう見えたら……お前が死人だからだろ? 偽善だよ」
 殺されて可哀想な死者だから。ただ、それだけの理由しかない。
『でも、夏月にも優しくしてくれたよ』
「それは……」
 何でだろう? ほっとけないと思ったのは。ずっと側についていても良いと思ったのは。
 サッカーをやっていたとき以外には誰かに合わせるなんて、苦痛でしかなかった。そんな俺が、ずっと側に居てやるなんて、約束を口にできたのか。
 一時しのぎの言葉とは思えない。あのときの言葉は本気だったと自分でわかっている。
 思考に落ち込みかけたところをパタパタと駆けてくるスリッパの音で我に返る。振り返ると白のカットソーに黒のロングスカートをすっきりと着こなした夏月がいた。
 そして、手に何かを持ってこちらに差し出してくる。右手には傷薬、左手には絆創膏だ。
「え……?」
 戸惑う俺を余所に夏月は近づいてきて、俺の前にしゃがみこんだ。ジッと俺の足を見ている。
 もしかして、水虫だと疑ってんのか? 水虫菌は人にうつるって言うからな。でも、安心してくれ、俺は水虫じゃない。
 って、それはないか。
「あー、えっと、もしかして俺が靴ズレしてんの、気がついて?」
 ふと気付いて俺が問うと、コクンと夏月は頷いた。
『ええっ? 誠人君、大丈夫?』
 秋良はオロオロと慌てだす。たかが靴ズレだってのに。右往左往しだす秋良を無視して俺は畳の上に腰を下ろした。
「ありがとう」
 夏月から薬と絆創膏を受け取り、靴下を脱いだ。踵の赤く擦れたところに傷薬を塗りつけた。足の裏も真っ赤になって皮膚が捲れかけている。そこにも絆創膏を貼った。
『ごめんね〜、僕のために』
 秋良が泣き出しそうに顔をくしゃくしゃにした。
「いや、俺が靴を選び間違えたんだよ。姉貴があの服には革靴じゃなきゃ駄目だとか言っていたからさ」
『でも〜』
 気にするな、と言うのは秋良には無駄か?
「じゃあ、何か侘びの品をくれ」
 冗談で言うと、秋良はうんうん、と頷いてきた。
『僕の部屋から何でも持っていっていいよ。あんまり価値のあるものはないけど』
「…………別に」
 要らない、と言いかけた俺の服を夏月が引っ張った。
 何だ? 導かれるままにしていると、階段を上って一つの部屋に案内された。秋良の部屋なんだろう。
 机の上に乗っているのはワープロ。パソコンじゃないところが、年代を感じさせる。本棚には百科事典や英和に和英、漢和や国語辞書などと共にミステリー小説やコミックが幾つか並んでいた。本屋の店頭では見かけない、図書館で借りるしかない古い作品。
「あ、これ……図書館にも置いてないんだよな」
 思わず手を伸ばしかける。
『貰っていいよ〜』
「そういうわけにはいかんだろ?」
 思いっきり良識を発揮する俺に、秋良は寂しげに微笑んだ。
『誠人君、僕にはもうそれは読めないんだ。触れないからね。だから、誠人君が貰って? そのほうが本のためにも良いでしょ?』
「……じゃあ、借りとく」
 俺が妥協案を提示すると秋良はうん、と頷いた。
『そうだ、二人ともご飯を食べていなかったよね。夏月、折角だから、誠人君に夏月の得意なオムライスを食べてもらおうよ』
 そう秋良が提案すると、夏月は頷いて階段を駆け下りて行った。
 俺はこの場に留まって部屋を観察する。台所に行っても、猫の手にもならない。
 日焼けして色褪せたカーテン。壁に吊るされた学生服はクリーニングされて、ビニールを被さったまま。
 机の上の写真立てには、家族の写真が収められていた。秋良とその両親が赤ん坊である夏月を抱いている。秋良はまだ子供という幼さだ。
 変色した教科書の間に挟まれた安っぽいフォトアルバムには、成長した秋良が同年代の男女と写っている写真が数枚。学校の同級生だろうか。
 とりわけ目立つツーショット写真が何枚かあった。秋良の隣で微笑んでいる少女は、付き合っていたという恋人か。
 どの写真も空気に晒され、少し色落ちしている。
 ……十年という、置き去りにされた時間がそこにあった。




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