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 12,封印された声


「掃除……夏月がしてんの?」
 俺は秋良を振り返った。
『うん、毎日。もう閉めたままでもいいのにね』
 寂しげに微笑む秋良から、俺は目を逸らす。
「……そうやって、何もかもに蓋はできんだろ。お前はここにいるんだから」
『…………』
 黙りこんだ秋良に俺は問いかけた。
「なあ、夏月はいつから喋れなくなったんだ?」
『……やっぱり、誠人君にはわかったんだ? 夏月が喋らないんじゃなくって、喋れないこと』
「俺にも、似たような経験あったから……」
『誠人君も喋れなくなったの?』
「俺は外に出ることが……堪らなく嫌になった」
 高校受験の失敗で、サッカーを止めたせいもあったかもしれない。無気力で何もかもが嫌になった。外に出れば街角で、人ごみで死人を見つけるのだ。その度に、何もできない自分に気付かされる。
 俺は死人……幽霊を見て、会話することはできても、霊能者でもなんでもないんだ。除霊なんてできない。せいぜい、未練を取っ払ってやるぐらいだが、これがむしろ難しい。理詰めで説得したほうが楽だ。だが、これも死人相手に死を納得させるというのも困難だ。
『誠人君はどうやって立ち直ったの?』
「俺の場合、姉貴に強制的に連れ出された」
『お姉さん?』
「建前では俺を連れて歩くことで周りの注目を浴びたいんだって、言っていたけど」
 秋良はそこで俺を上から下へと眺めた。
『なるほど。自分の弟ですって、看板を持っているわけじゃないものね。周りから見ればカップルに見えて、女の子はうらやましいだろうな』
「まあ、それで頻繁に外に連れ出されて……慣らされた」
 死人を見ることを日常的にすることで、俺がどうしようが関係なく、死人は存在するのだというのを実感させられた。家にこもっていたところで、やはり街中には死人は存在し続けている。恨み、憎しみ、未練を抱いて……。
 ──アンタが、どう感じてようと関係ないのよ──と姉貴はあっさりと言ってきた。
 ──むしろ、アンタ、何様って感じだわ。ただの高校生が万人を救える神様になれるとでも、思ってんの? アンタにできることはね、せいぜい母さんのご機嫌を取って、父さんを安心させて、あたしの我侭に付き合うくらいなのよ──
 不覚にも、そのときの俺は姉貴の言い分に救われたわけだ。
 俺は秋良を見上げて聞いた。
「……夏月は」
 秋良がじっと俺を見つめる。
「最初は無口なのかと思っていた。でも、違うだろ? 俺をさ、あんだけ気遣ってくれて……これが少し前なら嫌われているの、一言で終わらせるところだけど。無視してもいいような怪我のために、傷薬なんか用意してくれたわけだぜ? それだけ心を開いてくれたってことだよな?」
『うん、……夏月、誠人君のことを信用していると思う。初めて僕が叔父さんに殺されたっていう問題をちゃんと受け止めてくれた人だし……それに、夏月のことも理解してくれた。夏月、誠人君のこと、かなり意識していると思うよ』
 俺は頬が熱くなるのを自覚した。夏月が俺を意識しているのは兄貴である秋良を解放してくれる、というその信頼感だけだ。
 夏月は他の女と違う。この見てくれだけで俺に寄ってくるようなことはない。自意識過剰だ。うぬぼれるな、俺。
「その相手に笑顔を見せない……これはしょうがない。まだ何も問題は解決していないんだ。お前が成仏できるのか、叔父の犯罪を立証できるのか、どうかも。そんな状況で浮かれて笑えるはずはない。でも、声は別だろ? お前と意思の疎通を図るのに必要なものだ。まあ、目線で相手が何を言いたいのか、わかるみたいだけど」
『そんなことないよ〜、今日だっていきなり誠人君を家に引っ張っていったとき、何事かと思っちゃったよ』
「……お前相手にも喋れなくなったんだな」
『うん……中学に上がったぐらいからかな? 夏月、どんどん綺麗になっちゃったでしょ?』
「……夏月と知り合って一週間もない俺に同意を求めるな。まあ、想像はつくがな」
『それで色々な子が近づいてきたわけね。小学校が違う子とか。で、夏月は僕のことを話した……僕を見つけてほしいって。それを本気にした人はいなくて……段々、変わった人って目で見られるようになったんだ。それで担任の先生とかが、夏月に話を聞くんだけど、やっぱり誰も信じてくれなくて』
「……本当のこと、話しているのに信じてもらえないなんて、痛いよな」
『夏月は僕のことを助けようとしてくれたんだと思う。僕が成仏できるようにって。ちょうど、僕の彼女が結婚するという話が僕らの耳にも届いてきていたから……』
 秋良はそっとため息を吐いた。
『彼女は僕の幼馴染みでご近所さんなんだ。今は違うけどね。だから、夏月が学校に行くときとか、彼女の家の前を通って……。何でもないように振舞っていたつもりだったけど、夏月にはバレてたんだね』
「それで喋らなくなったのか?」
『周りに距離を取られたっていうのもあると思う。口数が少なくなって、僕に対しても頷くとか首を振るとか、行動で返事するようになって……僕としては喋ることを強制できなかったんだ。また、夏月が僕のことを話して、それで変な子だって見られるの……耐えられなかったんだよ。だって、夏月は全部、僕のためにしてくれたのに』
 互いが互いを思いやったがために、縛られた鎖。報われない。
 俺は雰囲気を変えるために窓辺に寄ってカーテンを開いた。差し込む日差しが部屋を明るく照らす。
 秋良の部屋は西側に庭を見下ろす位置にあった。昔は日本庭園と言ってよいものだったのだろうが、めいいっぱいに伸びた樹木や草で荒れていた。
「庭の手入れとかしてないんだな」
 夏月の手では、この広い敷地の庭を手入れするのは無理だというのはわかるが、この荒れ具合は酷い。
『何度か、父さんたちと顔馴染みだった植木屋さんが来てくれたんだよ。でも、叔父さんが追い返しちゃうんだ。僕を殺してから、何だか、人間嫌いになったみたい。前はご近所付き合いもしていたのに』
「……やっぱ、後ろめたいんじゃないか?」
 言いながら、俺は庭に円形の石を見つける。石というより、筒状のそれは……井戸か? 蓋をコンクリートで塞いでいるみたいな……。
「オイ、あれは井戸か?」
 秋良に確認すると、俺の隣に寄ってきて、そうだよ、と頷いた。
『えへへ、僕ね、小さい頃、井戸に落ちて死にそうになったことがあったんだよ〜』
 懐かしそうに笑って、秋良は言った。もう既に死んでいるとはいえ、笑って話すことか?
「じゃあ、そのときにコンクリートで塞いだのか?」
『えっ? あ、いや、板を置いてコンクリートブロックで重石をしていただけだよ。また、子供がいたずらを起こして落ちたりしたら危ないから、潰しましょう、って母さんが父さんに言っていたけど……結局、そのまま……』
「コンクリートで塞いだのはいつだ?」
『えっ? い、いつって……いつごろだったかな?』
 首を捻る秋良に俺は重ねて問いかけた。
「お前が生きている間か?」
『……ううん、それは違う。夏月が井戸の上に乗って遊んでいるのを僕、注意したもの。…………誠人君、まさか』
「多分、こっちが当たりだ」
 俺は部屋を飛び出した。




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