2,偉大なる魔法使い 世間では、レイテ・アンドリューを偉大なる魔法使いと呼んでいるらしい。 ルーは養い親であるレイテに関する世間一般の認識について、それだけしか知らない。 ルーはレイテに拾われて以来、ずっと彼の城で暮らしている。 外に出たことは一度もない。もちろん、太陽の光は知っている。窓を開ければそこには外の世界が広がっているから。 そして、城から丘を下れば中規模ながら街が存在している。ガーデンという名の街が。 ただ、ルーは扉を開いてまで外に出ようとは思わない。外に出るということは養い親の保護を失うということだと認識していた。 それはまだ早いと思う。もう少し、彼の側にいて学ばなければならない。せめて魔法がマトモに扱えるようになるまで。そう思うからレイテのイジメに耐えて、城内で生活していた。 二人だけのその城に、客が訪れたのは今しがた。 客を客間へ通すと、ルーはレイテに命じられてお茶を用意する。 「しかし、先生にお客だって」 十七年の間、まったく開かれることのなかった扉を押し開くとき、ルーは戸惑った。この扉が開かれるのは、自分が出て行くときだと思っていたのだ。 レイテもそう公言していた。 「君、二十歳になったら城を出て外の世界で暮らしないさい。それまでは役立たずであろうと、僕の寛大かつ慈悲深い心でもって食べさせてあげますよ」 と、尊大で傲慢な態度に反感を持って、ルーはレイテに拾われてぴたりと二十年を数えたときには、彼が泣いて引きとめようとしても出て行ってやろう、と決意した。 それまでは、決して開かれるはずはないと、信じて疑わなかったのに。 今日、十七年の沈黙を破って扉は開かれてしまった。 外からの来客に。 この十七年、誰一人として、城を訪れることはなかったのに。 「先生の古い友人とか、そんな感じじゃなかったよな?」 カップを三つ用意しながらルーは首を傾げる。 レイテは二十歳そこそこの外見だが、実際の年齢は、人間の常識を逸脱していた。 彼はその昔、呪いを受けて不死人間になってしまったのですよ、とルーに語ってくれた。 その呪いとやらが、どんなものなのかは知らないが、事実であることをルーは知っている。幼い頃から今日まで、ルーが見つめ続けてきたレイテの姿は年衰えることなく、不変にあり続けた。 銀色の髪に水色の瞳の美貌のレイテは、彼が遠見の魔法で見せてくれた人間たちより美しかった。それは昔も今も。 そんなレイテの友人として訪れる客があるならば、彼よりは少なくとも二十は老けていなければならない。ルーが知る限りにおいて、ここ十数年、レイテは城から出たことがないのだ。古い友人が尋ねてきたこと事体は不自然ではないが、その人物はそれ相応に年齢を重ねた者でなければいけないはずだ。 「先生以外に不死の人間がいるなんて聞いてないし……」 でも、今日の客人は。 「……先生も先生で謎の人だからな。先生の事情なんて俺が知るわけない」 客はルーと同じ十七から十八ぐらいの女の子だった。レイテには遠く及ばないが器量よしの美少女だった。そんな少女がレイテに何の用があるというのだろう? 「先生、何だか嫌そうな顔をしていたけれど」 ルーはポットを片手に持つと、もう片手に三人分のカップを載せたトレイを持ち上げる。 「……少しくらい困ればいいんだ、あの根性腐れは」 ルーはレイテに抓られた頬が痛くて顔を顰めては、そう思った。 後で、レイテの報復が返ってくることなど考えずに。 「で、先生、こちらの方は?」 ちゃっかりとレイテの横に陣取ったルーを見返る水色の瞳は、何か言いたげだ。 客もまたルーを胡散臭そうな瞳で見ている。 「……ルー、君は関係ないと思いますが」 コホンとわざとらしい咳払いをレイテはした。 そんな彼を、ルーは大丈夫ですか? と気遣う。酷いイジメをする人だが、死ねばいいとは思わない。何故なら、彼が死ねば、ルーは路頭に迷うのだ。 もっとも、不死の呪いを受けているレイテには「死」は必要のない心配事だった。 「僕のことは結構。それより、君ですよ、ルー」 「俺が何か?」 「だから、何で君がここにいるのですか? お客様に何かお話でもあるのですか?」 「ないですけど」 「じゃあ、席を外してくれませんか?」 「ヒドイっ! 俺を除け者にするんですかっ? 俺だって仲間に入れてください」 何をするのかわからないが、何か面白いことがこの二人の間で交わされるかもしれないと思ったら、この場を去ったことを一生、後悔するとルーは思うのだ。 「君が考えているようなことはないのですが。まあ、いいでしょう。君も食べたいと言うのなら」 「食べる?」 首を傾げるルーにレイテは頷いて、向かいの椅子に腰掛けた少女を指し示して言った。 「彼女は僕への生贄です」 「……生贄、食べるって……先生ってば、人間を食べちゃうんですか?」 「食べませんよ」 「だって、食べるって言ったじゃないですか」 「冗談でしょう。…………それより、何です? 君には僕がそんな不道徳人間に見えるとでも?」 「見えなくもないかと」 刹那、バチンという派手な音が室内に響いた。 「ぶつことはないでしょう」 ルーは腫れ上がった頬を押さえて、呻いた。 「ぶたなきゃ、わからないでしょう、お馬鹿な君には」 レイテは額に手を当てて、深く盛大なため息をついた。 「どうして、君はこんなにお馬鹿に育ってしまったのでしょう」 「育て方を間違えたんでしょう、先生が」 再び、室内にレイテがルーの頬をぶつ音が響いた。 「今度は往復ビンタ……」 「君が要らぬチャチャを入れるからです。話が先に進まないじゃないですか」 「それにイチイチ答える……」 顔面に飛んできたパンチにルーは椅子ごと床に転倒した。 「君は少し黙っていなさい」 顔を手の平で覆いながら起き上がるルーに、レイテはルーの額に白い指をあてがい、魔法陣を描いた。その魔法陣が封印魔法であることを悟ったルーは、逃げようとして後退し、先程倒した椅子に足をとられて転んだ。 「声を封じただけですよ」 ニッコリと笑う銀髪青年は、生贄と称された少女を振り返る。 「さて、話を進めましょうか」 呆気に取られている少女はややあって頷いた。しかし、その視線は銀髪の美貌の青年の後ろで声にならない声で喚く赤い瞳のルーを見つめていた。 (ヒドイっ! なんてことをするんだ、このろくでなしっ! 大体、俺のチャチャにイチイチ答えていたアンタが話の腰を折っていたんだ。それなのにっ!) 「……あのそちらは」 少女は問いかけた。レイテは極上の笑顔で答える。 「僕の食料です。二十歳になったら食べるつもりで拾ったのですよ。ぷくぷくしていて美味しそうでしょう? やっぱり、最初はステーキですかね? ソーセージにしようかとも考えているのですよ」 淡いピンクの唇から、舌を覗かせてレイテは言った。 声は封じられていても耳は聞こえるルーは、レイテの側から逃げ出した。今にも食われると思ったのだ。 「……本当に馬鹿ですねぇ」 壁際に張り付いたルーを見やって、レイテはため息混じりに呟く。さっき、人間を食わないと、言っただろうに。 まあ、誤解されても構わないのだけれど。 レイテは水色の瞳を細めた。約束のときまで後、三年ばかり。そのときが来ればルーは出て行く。そうなれば、もう関係ない。 「とにかく、ルーがいますから、あなたは必要ありません」 レイテは少女を水色の瞳で見据え、告げた。そして、ルーに用意させた金貨をテーブルの上に置いた。 「だからと言って、あなたは街に帰ることもできないでしょう。生贄を差し出さないと餓えた僕が街を襲うと信じている人たちがいますからね。昔、あなたと同じように生贄と差し出された少年がいました。彼を家に帰したところ、翌日、彼は死体となって城の前に置かれていました」 レイテはそっと目を伏せた。それはもう六百年ほど昔のことだけれど。いまだにレイテの傷は癒えない。 「良かれと思ってしたことが、彼には仇になりました」 ゆっくりとまぶたを上げて、レイテは瞳を少女に差し向けた。 「…………」 ルーは悲しげに揺らぐ水色の瞳に目を見張る。そんな風に泣き出しそうな顔なんてこの十七年、一度だって見せたことないのに。 (泣かない、冷血漢のこの人が……) いつも人をイジメることだけを生きがいとしているようなレイテの、意外な一面にルーは戸惑う。そして、 (……誰だか知らないけど……) レイテが泣き出しそうなほどに心を痛めている生贄の少年に唇を噛んだ。何故だかわからないけれど、悔しいと思う。 きっと、自分が二十歳になってこの城を出て行くとき、彼は涙を流してくれさえしないだろう。いつかは忘れ去られる。でも、殺された少年はレイテの心の中で彼と同じように永遠に生き続ける。癒えない傷として。 「僕はあんな想いを繰り返すのは御免です。二度と、ね。あなたにはこのお金をあげますから、どこか別の国に行って幸せに暮らしてください」 レイテは少女のほうに金貨の袋を押しやった。少女はそれを無言で見つめた。 「あ、ルー、こちらにいらっしゃい」 手招きされるままにルーは、レイテへ近づいていく。 「話は終わりましたから、魔法を解いてあげましょう」 額にひんやりとした指先が触れた瞬間、ルーは感じていた呪縛が消えるのを実感する。同時に、頬の痛みも。 そっと、喉に手を当てて声が出るのを確認する。 「あー」 「ルーが静かにしておいてくれたおかげで、話がスムーズに進みましたよ」 「ヒドイ言われよう」 「でも、伝心魔法では思いっきり罵倒してくださいましたねぇ」 「……もしかして」 「その通り。思念を飛ばしてくれていましたよ。後で覚えてらっしゃい」 ムフフフっと含みのある笑みを見せたレイテは、ルーが知るいつもの彼だった。 先程まで見せていた憂いや陰りは見当たらない。 「……先生って」 「得体が知れないと言うのでしょう。勿論ですとも。十七年生きただけの君に、一千年を生きた僕を理解しようなど、九百八十三年早いですよ。もっとも、正確に言えば、九百八十九年ですがね」 「九百八十三年……」 想像のつかない年月だった。不死の呪いを受けてしまったレイテはこれからも生き続けるのだろう。 俺のことなんか、忘れて……。 そう思うとルーは、十七年間でレイテにとって一番近いはずの自分の存在が、彼には大した存在ではないのだと、思い知らされた。 「偉大なる魔法使いレイテ・アンドリュー様」 不意に生贄の少女が口を開いた。レイテは少女を見返って、僅かに眉をひそめた。 レイテに差し出された生贄の数は、それこそ覚えきれないほどいた。彼もしくは彼女たちはレイテに対峙する際、十人が十人、怯えていた。 しかし、この少女に怯えは見えない。 「あなたはただの生贄ではないようですね」 少女は意志の強そうな眼差しでレイテを見つめ、頷いた。 「その通りです。私は偉大なる魔法使いレイテ・アンドリュー様にお目通り頂きたく参った者です」 「生贄として?」 「私の願いを聞き入れてくだされば、この身はどうなろうと構いません」 レイテを真っ直ぐに見つめる緑色の瞳は、揺るぎのない決意を表していた。 「大した心がけですね」 と、口にしたレイテの形のいい唇は皮肉に歪んだ。 「それで、願いとは?」 話すようにとレイテが促す。少女は頷いて、その願いとやらを語り始めた。 |